本論文では、新たな分子細胞遺伝学的方法を用いて、ヒトの第2番染色体をモデルにして核型進化を解析した成果が記載されている。 霊長類の染色体構成を比較してみると、ヒトに最も近いものはチンパンジーである。ヒトの第2番染色体が、チンパンジーでは2本の染色体に分かれて対応していることが唯一顕著な差である。祖先型の2本の染色体が融合した部位はヒト第2番染色体の長腕2q13領域であり、染色体末端における特徴的なテロメア配列の痕跡があることがすでに確かめられている。しかし、融合部位におけるゲノム構造の保存性についてはこれまで確かめられていなかった。そこで、ヒトの進化の過程において興味深いヒト第2番染色体に着目し、2本の染色体が融合した部位におけるゲノム構造を詳細に解析した。 まずヒト第2番染色体の主要バンド全体にわたるコスミドクローンを選び、それをプローブとしてチンパンジー(2n=48)とカニクイザル(2n=42)において蛍光in situ hybridization(FISH)法により対応関係を比較した。チンパンジーではすべてのクローンについてほぼヒトに位置づけられた部位と同じところに対応しており、バンドレベルにおける構造変化は見られなかった。一方カニクイザルでは、対応する2つの染色体の長腕においてはヒトと同じ位置に対応していたが、2つの染色体の短腕においては逆位を示唆する結果が得られた。 次に、祖先型2本の染色体が結合したとされるヒト第2番染色体の長腕q12からq14の領域に着目して高精度な染色体地図を作製した。近接したクローンの配列順序を調べる際にはfiber-FISHを行い、38個のコスミドクローンの配列順序を決定した。そして、この配列順序をチンパンジーとカニクイザルで比較したところ、チンパンジーでの配列順序はヒトと共通しており、ヒトではチンパンジー型の2つの染色体が直列に融合したことが示唆された。一方、カニクイザルの2本の染色体においても配列順序に入れ違いはなかったが、その配列順序は逆転しており、この領域全体として逆位が生じていることが明らかになった。また、融合部位に位置する2つのヒトのYACクローンを新たに特定した。 融合部位を含んだ領域においては、1873bpの配列がすでにIjdoら(1991)によって報告されているが、その後詳細な解析の報告はされていない。そこで、このシークエンスデーターを基にしてプライマーを組み、PCR法によってこの融合部位を含む約1.3kbの領域をYACクローンのDNAとヒトのゲノムDNAから特異的に増幅させることができた。これらの産物のサイズはサンプルによって違いが見られたが、今回の結果からは各産物のゲル上でのバンドは1本として特異的にみられ、ヘテロの可能性は示唆されなかった。 さらに、これらの産物をテンプレートとしてシークエンス解析を行ったところ、すでにIjdoらによって報告されている通り、テロメア配列が対向していることが確認された。テロメアが融合したとされる接合部位の配列TTAGCTAAは、他の配列が挿入していることはなく、各サンプルにおいて等しく共通していた。このことは、別々の染色体に由来する2本のテロメアが両方向から結合した後、変化なく結合の痕跡として高く保存されていることを示している。一方、テロメア配列の反復数にはサンプルによって異なり、多型を示唆する結果が得られた。この領域の変異はヒトとチンパンジーが分岐してから生じたものであり、霊長類のゲノムにおいてヒトを特徴づけているものであると考えられる。 本来、テロメアは染色体間の融合を防ぐためのものであり、テロメア配列は染色体の末端に位置するものである。しかし、染色体の内部においても介在的に存在していることが知られている。そして、このような領域は、組換え、切断が高頻度に起こるとともに、脆弱部位との関連があるものと考えられている。ヒト第2番染色体の進化上の痕跡として残るテロメア配列においては関連した染色体異常は知られていない。また、同じ染色体バンドに位置するとされる脆弱部位FRA2Bも別の位置であることが報告されている。したがって、ヒト第2番染色体において祖先型染色体が融合した部位におけるゲノム構造は、きわめて安定しているものと考えられる。 一方、ヒト第22番染色体に介在的に位置するテロメア配列においては、対向したテロメア配列の間に別の配列が挿入している。テロメア配列が融合の痕跡として残る場合もあるだろうが、融合する際にテロメア配列がすべて失われてしまうこともあるだろう。テロメアが融合したゲノムの痕跡として、5つのモデルが考えられる。テロメアの融合は核型進化の上で重要な役割を果たしているとすれば、テロメア配列の痕跡をたどることにより、染色体進化の過程における染色体再編成のメカニズムを解明することにもつながるものと思われる。 以上のように、FISH法を駆使して染色体進化を研究したもので、論文提出者が主体となって行なったものである。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |