学位論文要旨



No 115059
著者(漢字) 笠井,文生
著者(英字)
著者(カナ) カサイ,フミオ
標題(和) ヒト第2番染色体における祖先型染色体融合部位の解析
標題(洋) The Ancestral Fusion Point of Human Chromosome 2
報告番号 115059
報告番号 甲15059
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3823号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平井,百樹
 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 助教授 藤原,晴彦
 東京大学 助教授 石田,貴文
 東京大学 講師 上島,励
内容要旨

 霊長類の染色体構成を比較してみると、ヒトに最も近いものはチンパンジーである。ヒトの第2番染色体が、チンパンジーでは2本の染色体に分かれて対応していることが唯一顕著な差である。他の染色体については一対一に対応しており高度に保存されている。祖先型の2本の染色体が融合した部位はヒト第2番染色体の長腕2q13領域であり、染色体末端における特徴的なテロメア配列の痕跡があることがすでに確かめられている。しかし、融合部位におけるゲノム構造の保存性についてはこれまで確かめられていなかった。そこで、ヒトの進化の過程において興味深いヒト第2番染色体に着目し、2本の染色体が融合した部位におけるゲノム構造を詳細に解析をした。

 従来、異種間における染色体の対応関係は染色体ペインティング法により特定されてきた。ヒト第2番染色体はチンパンジーでは第12番と第13番染色体に対応し、カニクイザルでは第9番と第15番染色体に対応することが確かめられている。しかし、この方法では染色体全体という1つの大きな領域を単位として比較していることにすぎず、逆位、欠失、挿入などの染色体内部における構造変化を検出することはできない。そこで、まずヒト第2番染色体の主要バンド全体にわたってヒト(HSA)に由来する30のコスミドクローンを選び、それをプローブとしてチンパンジー(PTR)とカニクイザル(MFA)において蛍光 in situ hybridization(FISH)法により対応関係を比較した(図1)。その結果、ヒトに由来するコスミドクローンの多くはチンパンジー、カニクイザルの両染色体においても効率よくハイブリダイズした。チンパンジーではすべてのクローンについてほぼヒトに位置づけられた部位と同じところに対応しており、バンドレベルにおける構造変化は見られなかった。一方カニクイザルでは、対応する2つの染色体の長腕においてはヒトと同じ位置に対応してしていたが、2つの染色体の短腕においては逆位を示唆する結果が得られた。

 次に、祖先型2本の染色体が結合したとされるヒト第2番染色体の長腕q12からq14に着目して高精度な染色体地図を作製した。配列順序をFISH法で調べる際には、核DNAをスライドグラス上において直線上に引き伸ばしたDNAファイバーをターゲットとしたfiber-FISHを行った。これにより伸展度が100%に近い裸のDNA標本上でクローンの位置関係を正確に捉えることを可能にした。その結果、38のコスミドクローンの配列順序を決定(図2)するとともに、融合部位に位置する2つのヒトのYACクローンを新たに特定することができた。コスミドクローンの配列においては重複しているものは見られなかったが、隣接しているクローンの位置関係をfiber-FISHにより顕微鏡下で視覚的に捉えることができた。そして、この配列順序をチンパンジーとカニクイザルで比較したところ、チンパンジーでの配列順序はヒトと共通しており、ヒトではチンパンジー型の2つの染色体が直列に融合したことが示唆された。一方、カニクイザルの2本の染色体においても配列順序に入れ違いはなかったものの配列順序は逆転しており、この領域全体として逆位が生じていることが明らかになった。今回用いたコスミドクローンの中には、カニクイザルの染色体標本においてFISHのシグナルが検出できなかったものがあった。これは、ヒトと離れた種においてはハイブリダイズの効率が異なり、ゲノム構造の差を反映しているものと思われる。

図表図1 コスミドクローンの対応関係 / 図2 融合部位における配列の比較

 融合部位を含んだ領域においては、1873bpの配列がすでにIjdoら(1991)によって報告されているが、その後詳細な解析の報告はされていない。そこで、このシークエンスデーターを基にしてプライマーを組み、PCR法によってこの融合部位を含む約1.3kbの領域を増幅させることを試みた。今回のPCRの条件においては伸長させる時間を通常設定する時間よりも長くする必要があった。これはテロメアの反復配列が向き合っているという特殊な塩基配列であったことが影響していたものと思われるが、YACクローンのDNAとヒトのゲノムDNAから反復配列を含む領域を特異的に増幅させることができた。PCR産物は約1.3kbのサイズであるが、これらの産物のサイズにはサンプルによって違いが見られる結果が得られた。すでに報告されているIjdoらの結果と比較すると、今回用いたサンプルの産物はいずれもサイズが短かった。また、YACのDNAよりもヒトのゲノムDNAの方が短かった。ここで用いたヒトのゲノムDNAのサンプルはアジア系集団に属する日本人とインドネシア人のものである。YACクローンのDNAがコーカソイドに由来しているものと考えるとすれば、この領域において人種差がある可能性を示唆している。また、各産物のゲル上でのバンドは1本として特異的にみられたが、相同染色体間においてテロメア配列の反復数がヘテロであるとしたならば、ヒトのゲノムDNAから得られた産物のバンドは2つに別れて検出されることも考えられる。これはアガロースゲルを用いた電気泳動であったため、解像度が不十分なことにより明確に検出できなかったことであるかもしれない。今回の結果からはヘテロの可能性は示唆されなかったが、PCRによって増幅させる際に、2本の染色体に由来するそれぞれ異なるテンプレートの一方が特異的に増幅されてしまった可能性も考えられる。

 さらに、これらの産物をテンプレートとしたシークエンス解析を行った。反復配列のある領域においては一度にシークエンスを読ませることが難しかったため、テロメア配列の内部においてもプライマーを組むことにより、5つの領域に分けてシークエンスを読みとった。その結果、すでにIjdoらによって報告されている通り、テロメアの配列が向かい合って存在していることが確認された。テロメアが融合したとされる部分においては、他の配列が挿入していることはなく、いずれのサンプルにおいてもテロメア配列が両方向から結合した痕跡が高く保存されていたが、テロメア配列の反復数にはサンプルによって違いがあった。Ijdoらの結果と比較すると、今回用いたサンプルの反復数はいずれも少なく、YACクローンに比べると今回用いたアジア系集団の反復数の方が少なかったことより、ヒト第2番染色体に痕跡として残るテロメア配列の反復数には個人差があるとともに人種差があるものと考えられる。一方、ヒトにおけるテロメアの反復配列はTTAGGGを1つの単位としているが、この領域で検出された反復配列には25種類ものタイプ分けられ、上流においてはTTAGGGよりもTTGGGGのタイプの反復の方が多く、トランジションの突然変異が起こりやすい傾向が示唆された。また、反復配列の前後の領域をIjdoらのデーターと比較すると、上流においては1塩基の違いがあり、下流においては4塩基を1つの単位とした反復配列が2回多かった。この領域の変異はヒトとチンパンジーが分岐してから生じたものであり、霊長類のゲノムにおいてヒトを特徴づけているものであると考えられる。

 本来、テロメア配列は染色体の末端に位置するものであるが、染色体の内部においても介在的に存在していることが知られている。そして、このような領域は、組み換え、切断が高頻度に起こるとともに、脆弱部位との関連があるものと考えられている。しかし、ヒト第2番染色体の進化上の痕跡として残るテロメア配列に関連した染色体異常は知られていない上、同じ染色体バンドに位置するとされる脆弱部位FRA2Bも別の位置であることが報告されている。したがって、ヒト第2番染色体における祖先型染色体が融合した部位におけるゲノム構造はきわめて安定しているものと考えられる。

 ヒト第2番染色体における融合部位に対応するチンパンジーの染色体においてはヘテロクロマチンが増幅しているものと考えられている。対応する2本の染色体のテロメアの長さの解析、テロメア近傍のサブテロメア領域をヒトと比較をすることにより、染色体が融合するメカニズムを解明することは今後の課題である。さらに、このテロメア領域の間期核における動態について調べることも興味深いことである。また、今回特定したYACクローンがカバーする領域においてはまだ遺伝子が発見されていないが、一般にテロメア近傍領域は遺伝子密度が高いとされており、このYACクローンに着目して解析を行うことにより、新規遺伝子の探索につながるものと期待される。

審査要旨

 本論文では、新たな分子細胞遺伝学的方法を用いて、ヒトの第2番染色体をモデルにして核型進化を解析した成果が記載されている。

 霊長類の染色体構成を比較してみると、ヒトに最も近いものはチンパンジーである。ヒトの第2番染色体が、チンパンジーでは2本の染色体に分かれて対応していることが唯一顕著な差である。祖先型の2本の染色体が融合した部位はヒト第2番染色体の長腕2q13領域であり、染色体末端における特徴的なテロメア配列の痕跡があることがすでに確かめられている。しかし、融合部位におけるゲノム構造の保存性についてはこれまで確かめられていなかった。そこで、ヒトの進化の過程において興味深いヒト第2番染色体に着目し、2本の染色体が融合した部位におけるゲノム構造を詳細に解析した。

 まずヒト第2番染色体の主要バンド全体にわたるコスミドクローンを選び、それをプローブとしてチンパンジー(2n=48)とカニクイザル(2n=42)において蛍光in situ hybridization(FISH)法により対応関係を比較した。チンパンジーではすべてのクローンについてほぼヒトに位置づけられた部位と同じところに対応しており、バンドレベルにおける構造変化は見られなかった。一方カニクイザルでは、対応する2つの染色体の長腕においてはヒトと同じ位置に対応していたが、2つの染色体の短腕においては逆位を示唆する結果が得られた。

 次に、祖先型2本の染色体が結合したとされるヒト第2番染色体の長腕q12からq14の領域に着目して高精度な染色体地図を作製した。近接したクローンの配列順序を調べる際にはfiber-FISHを行い、38個のコスミドクローンの配列順序を決定した。そして、この配列順序をチンパンジーとカニクイザルで比較したところ、チンパンジーでの配列順序はヒトと共通しており、ヒトではチンパンジー型の2つの染色体が直列に融合したことが示唆された。一方、カニクイザルの2本の染色体においても配列順序に入れ違いはなかったが、その配列順序は逆転しており、この領域全体として逆位が生じていることが明らかになった。また、融合部位に位置する2つのヒトのYACクローンを新たに特定した。

 融合部位を含んだ領域においては、1873bpの配列がすでにIjdoら(1991)によって報告されているが、その後詳細な解析の報告はされていない。そこで、このシークエンスデーターを基にしてプライマーを組み、PCR法によってこの融合部位を含む約1.3kbの領域をYACクローンのDNAとヒトのゲノムDNAから特異的に増幅させることができた。これらの産物のサイズはサンプルによって違いが見られたが、今回の結果からは各産物のゲル上でのバンドは1本として特異的にみられ、ヘテロの可能性は示唆されなかった。

 さらに、これらの産物をテンプレートとしてシークエンス解析を行ったところ、すでにIjdoらによって報告されている通り、テロメア配列が対向していることが確認された。テロメアが融合したとされる接合部位の配列TTAGCTAAは、他の配列が挿入していることはなく、各サンプルにおいて等しく共通していた。このことは、別々の染色体に由来する2本のテロメアが両方向から結合した後、変化なく結合の痕跡として高く保存されていることを示している。一方、テロメア配列の反復数にはサンプルによって異なり、多型を示唆する結果が得られた。この領域の変異はヒトとチンパンジーが分岐してから生じたものであり、霊長類のゲノムにおいてヒトを特徴づけているものであると考えられる。

 本来、テロメアは染色体間の融合を防ぐためのものであり、テロメア配列は染色体の末端に位置するものである。しかし、染色体の内部においても介在的に存在していることが知られている。そして、このような領域は、組換え、切断が高頻度に起こるとともに、脆弱部位との関連があるものと考えられている。ヒト第2番染色体の進化上の痕跡として残るテロメア配列においては関連した染色体異常は知られていない。また、同じ染色体バンドに位置するとされる脆弱部位FRA2Bも別の位置であることが報告されている。したがって、ヒト第2番染色体において祖先型染色体が融合した部位におけるゲノム構造は、きわめて安定しているものと考えられる。

 一方、ヒト第22番染色体に介在的に位置するテロメア配列においては、対向したテロメア配列の間に別の配列が挿入している。テロメア配列が融合の痕跡として残る場合もあるだろうが、融合する際にテロメア配列がすべて失われてしまうこともあるだろう。テロメアが融合したゲノムの痕跡として、5つのモデルが考えられる。テロメアの融合は核型進化の上で重要な役割を果たしているとすれば、テロメア配列の痕跡をたどることにより、染色体進化の過程における染色体再編成のメカニズムを解明することにもつながるものと思われる。

 以上のように、FISH法を駆使して染色体進化を研究したもので、論文提出者が主体となって行なったものである。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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