学位論文要旨



No 115060
著者(漢字) 駒木,加奈子
著者(英字)
著者(カナ) コマキ,カナコ
標題(和) アブラムシ細胞内共生細菌ゲノムの性状に関する分子細胞生物学的研究
標題(洋) Molecular and Cell Biological Studies on Characteristics of the Genome of an Intracellular Bacterial Symbiont of Aphids
報告番号 115060
報告番号 甲15060
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3824号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,統
 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 教授 松本,忠夫
 東京大学 助教授 三谷,啓志
 東京大学 講師 上島,励
内容要旨

 アブラムシ(アリマキ)類は農業害虫として有名な同翅目に属する昆虫である。この昆虫の脂肪体組織中には、菌細胞と呼ばれる直径約100mの特殊化した大形細胞が数十個含まれ、その細胞質中にはきわめて多数の細胞内共生細菌Buchneraが高密度で存在している。Buchneraと宿主の昆虫であるアブラムシとの共生関係は、きわめて密接かつ、相互依存的であることが知られている。抗生物質処理などにより、Buchneraを失ったアブラムシは、不妊となり、また、菌細胞外ではBuchneraを培養することはできない。

 16SrDNAの塩基配列を用いた、系統解析によってBuchneraはProteobacteria3亜族に属する、E.coliときわめて近縁な細菌であることがわかっている。またBuchneraの祖先はアブラムシの祖先と、およそ2億年前に共生関係を結んで以来、一度も宿主昆虫の体外に出ることなく垂直感染によって維持され、宿主の種分化と並行して分化してきたものと、考えられる。

 Buchneraのゲノムサイズは、E.coliの約1/7にあたる657Kbpである。このことよりBuchneraはアブラムシとの共生の歴史の過程においてそのゲノムサイズを縮小してきたと考えられる。また一方でBuchneraの細胞の大きさはE.coilよりも大きく、またBuchneraの細胞は多くの自由生活性の細菌のように頻繁には分裂しない。以上の知見より、本研究ではBuchneraが一般の細菌とは異なり一つの細胞の中に多コピーのゲノムを保有しているのではないか、という仮説を立てた。そこで、本研究の第1部では、まず、Buchneraの菌体あたりのゲノムコピー数を調べた。

 Buchneraの、細胞あたりのゲノムコピー数を決定する為に、まずドットブロットハイブリダイゼーションを行った。E.coli、およびBuchneraはともにそのゲノム上にgroEオペロンが1コピーずつ存在することがわかっている。E.coliとBuchneraの各菌体より抽出したゲノムDNAと、おのおののgroE PCR断片を、ナイロンメンブレン上にブロッティングし、32pで標識したgroE PCR断片をプローブに用いてハイブリダイゼーションを行い、シグナルの強さを定量した。その結果、細胞当たりのgroEオペロンのコピー数は、Buchneraの方が、E.coliと比較して100倍程度多いことがわかった。また、Buchneraの16SrDNA断片をプローブとして、E.coli、Buchneraそれぞれの菌体より抽出したゲノムDNAを、ドットブロットハイブリダイゼーションによって直接比較した結果からも、ゲノム当たりの16SrDNAコピー数は、E.coliが7コピーBuchneraは1コピーであるにも関わらず、細胞当たりのコピー数はBuchneraの方が8倍程度多いことを示す結果が得られた。

 そこで、video-intensified photon-counting system(VIM-PCS)を用いてBuchneraの細胞ひとつひとつのDNA量の定量をおこなった。Buchnera細胞をコントロールの酵母細胞とともに、固定し、RNase処理を経て、propidiumiodideを用いてDNAを染色し、顕微鏡視野の下で細胞ひとつあたりの発する蛍光強度を定量的に測定した。酵母細胞のDNA量との定量的比較の結果、Buchneraは細胞あたり平均70Mbにも相当するDNAを保有することが示唆された(図1)。Buchneraのゲノムサイズが657Kbという先の結果から考えると、これは細胞ひとつあたり、100コピー相当のゲノムを含むことを示唆しており、ドットブロットハイブリダイゼーションの結果とよく一致する。

図1 Buchnera(double arrow),E.coll(arrow head),酵母(arrow)のDNA含量。a.各細胞の明視野における写真。b.aと同視野で、暗視野,紫外線照射によってpropidium iodideを励起させることによりDNAを可視化した(本文参照)。barは5mに相当。

 また、Buchnera細胞のひとつひとつを観察することにより、個々の細胞の含むDNA量は20倍〜300倍と、ばらつきがあることがわかった(図2)。以上の実験より、Buchnera細胞は、ゲノムコピーを数十から数百もつきわめて特殊な細菌であるとの結論に達した。

図2 各Buchnera細胞のDNA含量の分布。単離したBuchnera細胞30個について、個々のDNA含量をVIM-PCS(本文参照)を用いて調べた。

 ゲノムサイズの著しい縮小及びゲノムの多コピー化は、細菌の細胞内共生に由来すると考えられる、ミトコンドリアや葉緑体などの真核細胞の細胞小器官にも共通してみられる特徴である。

 ゲノムコピー数の増加の原因について、まず、考えられるのは、宿主アブラムシの菌細胞の中でBuchneraの細胞分裂が阻害された結果である、という可能性である。実際に宿主の菌細胞そのものは、分裂せずにDNA複製を繰り返し、その核の中には非常に高倍数化した宿主DNAが収納されていることが知られている。Buchneraも宿主菌細胞内で、なにか分裂を阻害される作用が働くことにより、DNA複製のみが繰り返されて高倍数化しているのかもしれない。

 また、ゲノムのコピー数の増加の進化的な意義を考えるならば、ひとつの可能性として、これらのゲノムコピー数の増加が、Buchneraのように少ない個体数で無性生殖を繰り返している集団の、遺伝子上に蓄積する有害な突然変異を効果的に除去する為に存在しているのではないか、ということが考えられる。すなわちゲノムのコピーが互いに完全にidenticalではなく、真核生物の倍数化したゲノムの様に相同的であり、これらのゲノムが互いに相同組み替えを起こすことによって、有害な変異を効果的にまとめて除去している、という可能性である。

 本研究の第2部では、宿主アブラムシの各発生段階ごとに、その体内のBuchneraの菌体あたりのゲノムコピー数がどのように変化していくのかを、VIM-PCSを用いた蛍光測定法による個々の菌体のDNA含量の測定、および、ライトサイクラーを用いた定量PCRによる、各Buchnera細胞あたりの16SrDNAのコピー数の定量の2種類の方法によって調べた(図3)。その結果、2種類の測定結果はよく一致し、宿主アブラムシが胚から成虫へと成長するに伴い、Buchneraのゲノムコピー数は増加する傾向がみられた。さらに老齢虫のBuchneraではゲノムコピ一数が減少していることがわかった。

図3 各状態の宿主昆虫由来のBuchneraの相対的DNA含量。(a)胚(後期)、(b)18日齢、(c)30日齢、(d)40日齢、(e)有翅虫(18日齢)、それぞれの状態の宿主昆虫由来のBuchneraのゲノムコピー数をVIM-PCS(■)、ライトサイクラーによるリアルタイム定量PCR(□)のそれぞれの方法を用いて測定した(本文参照)。

 また、アブラムシの形態には同じゲノムを持ちながら、栄養条件の悪化など、特殊な状態の時のみに出現する形態である、「有翅形」が存在するが、この有翅虫由来のBuchneraでは無翅虫由来のBuchneraよりゲノムコピー数が多くなっていた。

 またDAPI染色したBuchnera像を観察することにより、老齢虫由来のBuchneraでは、若齢虫のそれと比較してDNAの細胞内の分布が偏在する傾向にあることが確認された(図4)。このことは、宿主昆虫の老化に伴ってBuchneraの’染色体’の構造が変化することを示唆している。哺乳類のミトコンドリアゲノム上には、老化とともに、変異や欠損などの有害な変異が生じるという報告があるが、Buchneraのゲノム上にも同様に、宿主昆虫の加齢に伴って、有害な変異が蓄積しているのかもしれない。

図4 加齢に伴うBuchneraの細胞内DNA分布の変化。a)胚(後期)、(b)18日齢、(c)30日齢、(d)40日齢)、それぞれの状態の宿主昆虫由来のBuchneraをDAPIで染色し、細胞内DNAの局在を可視化した。barは5mに相当。

 胚由来のBuchneraにおけるゲノムコピー数の減少は、宿主昆虫の加齢に伴うゲノム上の有害変異の蓄積を次世代に伝えないための機構を反映している可能性がある。この観点より、以下に述べるような宿主昆虫の生活環とBuchneraのゲノムの状態の連動の存在が推測される。Buchneraが初期胚に感染するときには、急速に細胞分裂を行い、そのときに菌体当たりのゲノムコピー数も急激に減少する。このとき有害な変異を受けたゲノムを受け継いだ菌体は、宿主昆虫の初期発生の段階で駆逐されると考えられる。生き残ったBuchneraは宿主昆虫の発生と共に、徐々にゲノムコピー数を増していき、成虫に達するころには細胞当たり平均100コピーを超えるまでになる。宿主昆虫の老化に伴いBuchneraのゲノム上には徐々に有害な変化が起こり、またゲノムコピー数も徐々に減っていく。やがて老齢虫菌細胞中のBuchneraは宿主昆虫の寿命と共に死を迎える。

 また、有翅虫においては、最終脱皮後の飛行前に、菌細胞の縮小、Buchneraの密度の減少などが起こることが知られている。このとき宿主昆虫は共生体を消費することで飛行筋を発達させているように見える。実験に用いた18日齢の有翅虫は、飛行を終え、食餌を再開し、産子を開始したステージにあたる。この頃には飛行の為に消費した共生体の回復が急激に起こっている時期なので、Buchneraは細胞の体積を増し、DNA複製を急激に行った後の状態にあると考えられる。

 以上の結果により、Buchneraは、宿主昆虫との間に非常にバランスのとれた共生系を維持するために特化したゲノムを持つ大変特殊な細菌であると結論づけられる。

審査要旨

 本論文は2章から成り、第1章ではアブラムシ細胞内共生微生物(Buchnera)のゲノムの特徴的な増幅、第2章ではBuchneraゲノムの倍数性の度合いと宿主昆虫の状態の関係について述べられている。

 アブラムシの体内には多数の細胞内共生細菌Buchneraが存在し、密接かつ相互依存的な共生関係が成立している。BuchneraはE.coliと近縁な細菌であり、垂直感染によって維持され、宿主とBuchneraの種分化は並行して起きたものと、考えられる。Buchneraのゲノムサイズは、E.coliの約1/7にあたる657Kbpであり、共生の歴史の過程において縮小されてきたと考えられる。また一方でBuchneraの細胞はE.coliのそれよりも大きく、またBuchneraの細胞は多くの自由生活性の細菌のように頻繁には分裂しない。

 以上の知見を基に、論文提出者はBuchneraが一般の細菌とは異なり一つの細胞の中に多コピーのゲノムを保有しているのではないか、という仮説を立てた。そこで、本研究の第1部では、まず、Buchneraの菌体あたりのゲノムコピー数が調べられている。その結果2種類の方法、ドットブロットハイブリダイゼーション及び、蛍光測定法によりBuchneraがひとつの細胞の中にゲノムコピーを数十から数百もつことが確認された。以上の実験はBuchneraが、ゲノムコピーを数十から数百もつきわめて特殊な細菌であることを示している。これは、多コピーのゲノムを持つ細菌の初めての報告であり、非常に意義深い。

 この結果を受けて論文申請者は以下のように考察している

 ゲノムサイズの著しい縮小及びゲノムの多コピー化は、細菌の細胞内共生に由来すると考えられる、ミトコンドリアや葉緑体などの真核細胞の細胞小器官にも共通してみられる特徴である。

 ゲノムコピー数の増加の原因は、宿主アブラムシの菌細胞の中でBuchneraの細胞分裂が阻害された結果、という可能性が考えられる。

 更に進化的な意義として、ゲノムのコピーが互いに完全にidenticalではなく相同的であり、互いに相同組み替えを起こすことにより、Buchneraのように少ない個体数で無性生殖を繰り返している集団の遺伝子上に蓄積する有害な突然変異を有害な変異を効果的にまとめて除去している、という可能性が提唱されており、興味深い。

 本研究の第2部では、宿主アブラムシの各発生段階ごとに、その体内のBuchneraの菌体あたりのゲノムコピー数の変化の様子が述べられている。蛍光測定法および定量PCRの結果、宿主昆虫の胚から成虫への成長に伴うBuchneraゲノムコピー数の増加、更に老齢虫のBuchneraのゲノムコピー数の減少が確認された。また、有翅虫由来のBuchneraでは無翅虫由来のBuchneraよりゲノムコピー数が多くなっていた。

 またDAPI染色したBuchnera像は、老齢虫由来のBuchneraでは、若齢虫のそれと比較してDNAの細胞内の分布が偏在する傾向を示した。これは、宿主昆虫の老化に伴うBuchneraの’染色体’の構造変化を示し、宿主昆虫の加齢に伴う有害な変異の蓄積を示唆していて興味深い。

 以上の結果をまとめ、論文提出者は以下のように考察を行っている。胚由来Buchneraにおけるゲノムコピー数の減少は、宿主昆虫の加齢に伴うゲノム上の有害変異の蓄積を次世代に伝えないための機構の反映である可能性がある。すなわちBuchneraが初期胚に感染する際は、急速に細胞分裂を行い、菌体当たりのゲノムコピー数も急激に減少する。有害な変異を受けたゲノムを受け継いだ菌体は、宿主昆虫の初期発生の段階で駆逐され、生き残ったBuchneraは宿主昆虫の発生と共に、徐々にゲノムコピー数を増し、成虫に達するころには細胞当たり平均100コピーを超える。宿主昆虫の老化に伴いBuchneraのゲノム上には徐々に有害な変化が起き、またゲノムコピー数も徐々に減っていく。やがて老齢虫菌細胞中のBuchneraは宿主昆虫の寿命と共に死を迎える。

 また、有翅虫では、最終脱皮後の飛行前にBuchneraの密度の減少などが起き、宿主昆虫は共生体を消費することで飛行筋を発達させているように見えることが知られている。実験に用いた18日齢の有翅虫は、飛行を終え、食餌を再開し、産子を開始したステージにあり、消費した共生体の回復が急激に起きる時期なので、Buchneraは細胞の体積を増し、DNA複製を急激に行った後の状態にあると考えられる。

 以上の結果はBuchneraが宿主昆虫との間に非常にバランスのとれた共生系を維持するために特化したゲノムを持つ大変特殊な細菌であることを示し、本論文は細胞内共生現象の理解に大きく寄与するものである、といえる。

 したがって論文提出者に博士(理学)の学位が授与できると認める。

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