ほとんどの真核生物の染色体末端は、数bp単位の繰り返し配列(テロメア反復配列)から成る。一般に染色体末端はDNA複製の度に短くなっていくが、かわりにテロメラーゼという酵素がテロメア反復配列を付加してその長さを維持している。テロメア反復配列は、染色体どうしの融合を防いだり、核膜との結合部位になるなど多くの機能を持っている。このようにテロメア領域は染色体維持に必須の役割を果たしているが、ショウジョウバエには例外的にテロメア反復配列が存在しない。そのかわりに特殊なレトロトランスポゾンのHeT-AやTARTが、染色体内部から最末端へと転移して染色体の欠損を防いでいるといわれている。レトロトランスポゾンとはゲノム中の転移因子の1種で、みずからのコードする逆転写酵素がRNAをDNAに逆転写して転移する。トランスポゾンはいわゆる「利己的DNA」の代表とされてきたが、HeT-AやTARTは染色体機能に貢献する初めての例という点で注目される。しかしこれらの染色体最末端への転移機構や、様々なテロメア機能との関連は全く不明である。 一方本研究室でこれまでに、カイコのテロメアが一般的な反復配列型とショウジョウバエ型の中間的構造を持つことが明らかにされてきた。すなわちカイコにはTTAGGの5bp単位かsらなるテロメア反復配列が存在するが、さらにその中にTRAS1(Telomeric Repeat Associated Sequence 1)などのレトロトランスポゾンが挿入されている(Okazaki et al.1995)。一方テロメラーゼ活性はカイコでは検出されないので(Sasaki et al.submitted)、TRAS1などのレトロトランスポゾンがテロメア反復配列内に転移して、染色体末端の長さを維持している可能性がある。しかしTRAS1以外のレトロトランスポゾンが全く解析されていないこともあり、カイコのテロメアの構造や機能はほとんど未解明な状態にあった。 そこで私は、テロメアを標的とするレトロトランスポゾン群の転移機構や進化的関係を理解する第一歩として、第1章でカイコのテロメア反復配列内に存在する未知のレトロトランスポゾン(SART1など)の分類と性質の解析を行った。第2章では、TRAS1やSART1のほとんどのコピーが、レトロトランスポゾンとしては例外的に、生体内で活発に転写されていることを見いだし、その発現機構を明らかにした。 カイコのテロメア反復配列内に存在するレトロトランスポゾンを体系的に検索した結果、新たに6つのファミリーを同定した。これらはいずれも、テロメア反復配列中の特定の塩基位置を認識して挿入する機構を持つと想定されたので、ショウジョウバエのHeT-AやTARTとは異なる転移メカニズムを持つと考えられる。6つのうち4つのファミリーはTRAS1と同じ塩基位置に挿入していた。残り2つはTRAS1と異なる塩基位置(TTとAGGの間)に染色体上で逆方向に挿入していたので、TRASを逆さ読みしてSARTファミリーと命名した。これは今までに知られていないタイプの代表的ファミリーであったので、その1つSART1の詳細な解析を行った。SART1は全長6704bpのnon-LTR型(LINE型)レトロトランスポゾンで、2番目のORFの中のエンドヌクレアーゼドメインがTTとAGGの間にニックを入れて、自らのRNAを逆転写して転移すると想定される。次にSART1のコピー数、染色体上の局在を調べるためにゲノムサザンハイブリダイゼーションやFISHを行ったところ、SART1はハプロイドゲノム当たり600コピー(カイコ全ゲノムDNAの約1%に相当)も存在し、大部分のコピーが実際に染色体末端付近に局在することが明らかになった。またレトロトランスポゾンとしては珍しく、SART1はコピー間でDNA配列が強く保存されていた。そしてTRAS1やSART1が、ショウジョウバエの染色体最末端に転移するレトロトランスポゾンとどのような進化的関係を持つかを明らかにするために、ORF2中の逆転写酵素ドメインのアミノ酸配列を用いて系統樹を作成した。その結果TRAS1やSART1は、それらとは必ずしも近縁ではなく、昆虫の28S rDNA遺伝子の特定の塩基位置に挿入するレトロトランスポゾン群と最も近縁であることが明らかになった。実際にこれらの挿入する28S rDNA内の領域の標的塩基配列と、TRAS1の挿入するテロメア反復配列の間には相同性が見られた。これらの結果から、TRAS1やSART1は昆虫の種分化よりも以前に、それそれ独立に28S rDNAからテロメア反復配列へと(またはその逆)転移の標的を変化させたと示唆される(第1章)。 レトロトランスポゾンの転移はゲノムに有害な変異をおこすので、一般にその発現量は生体内では低く抑えられている。しかしTRASやSARTが転移によってテロメア長維持に関与するのであれば、in vivoで発現していても不思議ではない。そこでまずカイコの各組織・培養細胞でノーザンハイブリダイゼーションを行った。その結果、TRAS1やSART1は全てのカイコ組織や培養細胞で強く転写されており、何らかの役割を持っていることを示唆する。次にTRAS1やSART1のRNAの転写開始点を決定したところ、TRAS1やSART1は正確に自身の5’末端から転写されており、テロメア反復配列など他のいかなる配列も5’末端には含まれていなかった。したがって、近傍の遺伝子のプロモーターから融合mRNAとして転写されることはなく、自律したユニットとして転写されるといえる。さらにゲノムDNA中の、TRAS1やSART1の数多くのコピーの5’末端側の配列を数多くクローニングし、その塩基配列をRNAの転写開始点と比較した結果、ほとんどのコピーが転写開始点を含んでいた。一般に、non-LTR型レトロトランスポゾンの大部分のコピーでは、不完全な逆転写によって5’末端側が数kbにもわたって欠損している。ところがTRAS1やSART1ではほとんどのコピーが転写開始点を含み、ORFにもナンセンス変異などが見られないので、細胞内で高頻度で転移している可能性が高い。 更にTRAS1やSART1のプロモーターがどこに存在するかを調べるために、レポーター遺伝子であるルシフェラーゼの上流にTRAS1やSART1遺伝子の各部分を挿入したプラスミドをカイコの培養細胞BmN4に導入してルシフェラーゼの活性を測定した。その結果、TRAS1は5’側の非翻訳領域2436bpの中にプロモーター活性を持つことが明らかになった。TRAS1には、転写開始点よりも下流にプロモーターを持つことで、DNA→RNA→DNAへの転写・逆転写のサイクルでプロモーターを失わない機構が備わっているといえる。プロモーター活性に必要な領域を絞り込んだ結果、2436bpのうち最初の100bpと、+450bpから+521bpの間に活性に重要な配列があることが分かった。TRAS1の転写開始点直後の配列は、TATAボックスを持たない遺伝子にしばしば見られるイニシエーターと呼ばれる配列と相同性があり、TRAS1がTATAボックスによらない下流プロモーターによって転写されることが裏付けられた。以上の結果からTRAS1のゲノム中のコピーのほとんどが転写開始点やプロモーター領域を含んでいて、ゲノム中のほとんどのコピーが偽遺伝子でなく転移可能であると示唆された。一方SART1の5’非翻訳領域880bpからはプロモーター活性は検出されず、TRAS1のイニシエーターのような既知のプロモーターと相同性のある配列も見つからなかった。したがってSART1は、TRAS1などとは異なる未知の転写メカニズムを有するものと考えられる。 TRAS1はグノムDNA中ではテロメア反復配列内にのみ存在するので、隣接するテロメア反復配列がTRAS1の転写になんらかの影響を与えている可能性がある。そこでTRAS1のプロモーター約500bpの5’側に(TTAGG)n配列を持つプラスミドを作成して、プロモーター活性を測定した。その結果、テロメア反復配列が長いほどTRAS1の転写は阻害された。このことから、in vivoではテロメア反復配列が短くなってくるとTRAS1が転移して、染色体末端を伸長しているモデルが考えられる(第2章)。 TRAS1やSART1がホストのテロメア機能に果たす役割として、現時点では以下のような可能性が考えられる。まずTRAS1やSART1の転移によって、テロメア部分を伸長する可能性である。カイコにはテロメラーゼが存在するか不明だが、テロメア反復配列内に転移することによってTRAS1やSART1はテロメラーゼの機能を一部補っているのかもしれない。またTRAS1やSART1のコピー数から計算すると、テロメア反復配列特異的レトロトランスポゾンはカイコ全ゲノムDNAの約10%に達することになる。したがってテロメア領域DNAの主要な構成因子として、未知のテロメア機能に関与している可能性がある。 TRAS1やSART1はほとんどのコピーが偽遺伝子化しておらず、in vivoで発現していて、しかも特定の塩基位置にしか挿入しないので、non-LTR型レトロトランスポゾンの転移機構の解明にも格好の系といえる。そこで現在TRAS1のコードする2つのORF産物をin vivoで同定してその翻訳機構を解析すること、また大腸菌内で発現させた2つのORF産物を用いてテロメア反復配列への特異的な転移の機構をin vivoで解析することを目的に研究をすすめている。 |