学位論文要旨



No 115074
著者(漢字) 林(乾),睦子
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ(イヌイ),ムツコ
標題(和) 三波川変成作用の温度圧力経路の研究
標題(洋) Studies of temperature-pressure paths of the Sambagawa metamorphism
報告番号 115074
報告番号 甲15074
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3838号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鳥海,光弘
 東京大学 助教授 永原,裕子
 東京大学 教授 木村,学
 東京大学 助教授 佐々木,晶
 東京大学 助教授 岩森,光
内容要旨

 プレート・テクトニクスは、固体地球表面の形態を支配している大地の運動であるが、それが地球内部の運動とどのように関連づけられるのかについては、まだ分からない部分が多い。プレートが再び地球内部に沈み込む場所のひとつである日本列島には、大規模な火山活動や変成岩の露出など、地球内部の営みを示す特徴的現象が多く見られる。なかでも変成岩は、沈み込んだ後、固体状態で沈み込み帯の流動を経験し、その痕跡を保持したまま現在地上に存在している。変成岩に記録された温度圧力変化の歴史を解読することで、沈み込み帯における地球内部の流動の様子を解明することができるはずである。

 三波川変成帯は、南西日本に総延長約800kmという規模で露出する高圧低温型変成帯である。大部分は、プレート上に堆積した付加体堆積物が原岩であり、変成度の高い方から灰曹長石-黒雲母帯、曹長石-黒雲母帯、ザクロ石帯、緑泥石帯に分けられている。一方、四国の高変成度地域には、それらとは起源の異なる変はんれい岩体や超塩基性岩体が多く知られる。これらの岩体は、かつて三波川変成帯の最高到達深度よりもさらに深い場所にあったと考えられ、テクトニック・ブロックと呼ばれている。それらが三波川変成帯の泥質岩中に取り込まれたメカニズムは、沈み込み帯の運動を理解する上で重要な鍵を握ると考えられ、注目を集めてきた。しかし、多くの研究は三波川帯本体あるいはテクトニック・ブロックそのものについてであり、変成作用と岩体の動きとの関係はまだ統合されていない。これを解明するためには、岩体自体の履歴だけでなく、岩体周囲の変成岩の詳細な分析が不可欠である。岩体を取り込んだ際の影響と考えられる種々の痕跡が、そこに残されているからである。

 ザクロ石は、周囲の化学的条件に応じて化学組成を変化させながら成長するため、不均質な化学組成を結晶内に残している。これは組成累帯構造と呼ばれ、ザクロ石の成長中の温度圧力履歴の記録とされている。四国別子地域のテクトニック・ブロックの周囲の泥質変成岩には、様々な組成累帯構造を示すザクロ石が特徴的に出現し、その特異々組織は、岩体が三波川変成帯の中に取り込まれたことと関係していると考えられる。本研究では、最大のテクトニック・ブロックである五良津(いらつ)変はんれい岩体の周囲に見られるザクロ石の組成累帯構造を詳細に分析し、温度圧力履歴から流動の痕跡を抽出した。

 EPMAによるマッピング分析の結果、岩体付近の狭い地域に、正累帯構造(Ca-rich型とCa-poor型)、2重の正累帯構造、さらに、セクター型累帯構造という4種類の累帯構造を持つザクロ石が混在して出現することが確認された。(1重の)正累帯構造は、結晶中心部から外に向かってMn濃度が減少しMg/Fe比率が増加する構造である。三波川変成帯に一般的に見られるもので、成長途中でCa濃度が最大になり外に向かって減少するもの("Ca-rich"、曹長石-黒雲母帯で一般的)と、中心部はCaが少なく外に向かって増加するもの(同"Ca-poor"、灰曹長石-黒雲母帯に多い)とがあった。

 2重の正累帯構造のザクロ石は特に岩体の近傍に集中して出現した。中心部から外縁部にかけて正累帯構造を2回繰り返すものであり、その中心部の組成は"Ca-poor"型正累帯構造と類似していた。2回目の正累帯構造の開始直前に、ザクロ石が溶解したことを示す不規則な結晶形が観察された。さらに、同一サンプル中で、内側(1回目)の正累帯構造についてだけ2種類の化学組成が見いだされることがあった。別々に成長したザクロ石が溶解した時期に混合されたためと思われ、何らかの流動の痕跡と考えられる。空間分布も考え併せると、2重の正累帯構造のザクロ石が持つ2回の結晶成長の中断期は、五良津岩体を取り込んだ流動に対応する可能性が高い。

図1.ザクロ石の代表的な組成変化

 以上3種類のザクロ石は、同一サンプル中に共存することはなかったが、セクター型累帯構造は、それらのいずれとも共存することがあった。セクター型累帯構造は,成長面で一定の化学組成を持たないため、急激な温度上昇などによる非平衡結晶成長とされる。非平衡現象が起きている場合は、化学平衡論に基づく温度圧力の推定ができない。そこでザクロ石の化学組成を精密に結晶中心部から分析し、サンプル内での一致度を調べた。その結果、1つのサンプル中にある1重あるいは2重の正累帯構造を持つザクロ石どうしが、中心から外縁部まで同じ経路で組成が変化していることから、化学平衡をほぼ満足していたと推測された。セクター構造のザクロ石は不規則な化学組成を示したが、その外縁部が正累帯構造のザクロ石の最外縁部の組成と一致した。このことがら、化学的に非平衡な結晶成長の時期は、ザクロ石成長の最終段階の短期間だけに限定することができ、1重あるいは2重の正累帯構造の大部分には、化学平衡論を適用した温度圧力履歴の推定が可能であることが確かめられた。セクター型累帯構造は岩体から比較的離れた場所にも出現するため、それを形成させた熱源がテクトニック・ブロックであるとは考えにくい。

 ザクロ石の成長途中の条件を解読するために、既に行われている最終到達温度の推定だけではなく、個々のザクロ石結晶が経験してきた温度圧力変化の経路を算出した。分析したいずれのザクロ石でも、自形の成長面の形状が組成累帯構造に保存されているため、元素の拡散による化学組成の変化は最小限であると考えてよい。

 まず、ザクロ石外縁部と黒雲母をはじめとする基質鉱物との化学組成から、地質学的温度圧力計を用いて最終到達温度圧力を産出した結果、曹長石-黒雲母帯について従来見積もられていた520℃、9kbarという条件とほぼ一致することが分かった。次に、ザクロ石の包有鉱物から、成長中に平衡関係にあった鉱物組み合わせを特定したところ、黒雲母、白雲母、緑れん石、緑泥石、斜長石、パラゴナイト、石英、と水が基質鉱物として平衡関係にあったと考えられた。ただし黒雲母については、包有鉱物として出現した後のみ系に含めることとした。以上の鉱物組み合わせを考慮して、Fe3+MnNCKFMASH系の10成分9相系に、Gibbs methodを適用した。この手法は、すべての相が互いに化学平衡状態を満たしつつ変化してきたと仮定して、化学組成と温度、圧力の変化量を順次算出するものである。黒雲母が系に含まれる場合は、4成分系の固溶体であるザクロ石の独立な3成分の濃度変化を与えることで、温度圧力変化を算出することができる。黒雲母が含まれない場合は、必要な4つ目の独立変数を与えるために斜長石の組成を固定した。計算は、最終的な温度圧力が520℃、9kbar付近に到達するように行った。

 その結果が図2である。通常の正累帯構造を示すザクロ石は、単調な温度圧力上昇のもとでの成長を記録しており、セクター型構造については、最高温度条件に達した後の、後退変成作用の途中で何らかの条件が整ったときに形成されたと思われた。このことから、三波川変成帯の泥質岩は、累進変成作用の過程で最高温度まで到達していることが分かった。これは、変成帯の上昇(減圧)期まで温度上昇が継続していたとする従来のモデルとは異なる。さらに、圧力上昇率も3kbar/100℃以上であり、想定されてきたよりも高かった。累進変成作用のみによって500℃以上に達していることから、三波川変成帯の原岩は沈み込み初期の段階で既に高温であったことになる。単純な一次元熱伝導計算を行った結果、このことは、沈み込むリソスフェアの地殻熱流量が非常に高く、変成帯が下部からの加熱によって形成されたと考えれば説明できることが分かった。その場合の圧力上昇率はザクロ石の累帯構造から算出した温度圧力履歴とほぼ一致した。このとき、沈み込んだ堆積物の下層が高変成度部を形成したことになる。

図2.Gibbs’methodで導出したザクロ石の温度圧力履歴.

 一方、二重の正累帯構造は、間に温度が下降する時期をはさんで2回の温度圧力上昇期を示した。すなわち、五良津岩体付近の一部の泥質岩だけは、冷却・減圧によって成長が中断されていた。いずれの成長時期についても、圧力上昇率は高かった。

 ザクロ石の成長を中断した温度低下があった時期は、機械的混合が推定される時期と重なるため、これが五良津岩体の影響と考えられた。"Ca-poor"型の正累帯構造が集中的に冷却の影響を受けていること、それらがもともと最高変成度帯に典型的に出現するものであることから、五良津岩体を取り込んだ事によって、最高温部の堆積物が冷却されたと考えられる。前述のように変成帯の最高温部が最下層にあったとすれば、五良津岩体によって最下層の物質が持ち上げられたか、あるいは上層の物質が大規模に貫入して来なければならない。沈み込み帯の中で起きている、新たに沈み込む堆積物と深部にあった物質とが混ざり合う流動現象がここに見えてきたと言える。

審査要旨

 本論文は4章からなり、第1章は四国中央部三波川変成帯の五良津エクロジャイト岩体の周辺域における変成岩の岩石学および鉱物学をあっかい、第2章ではザクロ石の成長にともなう化学組成変化を微分熱力学的方法により、温度・圧力経路に変換するインバージョンを扱っている。さらに、第3章ではその方法の誤差論を展開し、第4章で温度・圧力経路を合理的に説明できる力学的モデルを提唱している。

 本論文は泥質変成岩のザクロ石を含む鉱物組み合わせに焦点を合わせ、ザクロ石の成長しているほとんどの時間で、あらたにNa雲母が安定な鉱物組み合わせに参加していることをはじめて明らかにした。このことにより、後にみるように微分熱力学的に化学変数の測定から温度・圧力経路の解析が可能となった。また、ザクロ石は化学平衡状態で成長したものと非平衡状態で成長した粒子が時間的にことなる成長であることが確認された。したがって、一般的な非平衡なのではなく、化学平衡を仮定することが妥当であり、熱力学的解析が可能となった。

 本論文によってはじめて、三波川変成作用の温度圧力経路の精密決定が行われた。決定された温度圧力経路は従来の想定された温度の上昇ではなく、圧力の上昇を示し、変成帯が初期的には高圧変成帯ではなく、中圧型であることをはじめて示した。三波川変成帯は世界的なプレート境界の造山帯の模式地であることを考えるとこのことは変成作用の一般的理解に大きな変更をもたらしている。また、エクロジャイト岩体の周辺部に起こった温度圧力経路の攪乱がはじめて実証された。その内容は温度の低下であり、一部圧力の低下を記録していた。これは変成帯の温度構造がスラブにちかいところでは高温度であることを示し、スラブが冷却剤であるという従来の見解を根本から否定した結論である。

 誤差論について検討した結果、温度圧力経路には高々10度、1kb程度しか誤差がないことを示した。この結果、本論文の妥当性が検証された。

 最後の章では変成岩の決定された温度圧力経路を合理的に説明する力学モデルが提案された。その内容は変成帯が沈み込むときには元来が下部において600-700度に達する高温の状態が達成され、これがプレートの沈み込みにともない、断熱に近い状態で圧力が上昇したというモデルである。このようなモデルは従来沈み込み変成帯が予期されるより、ずっと高温であることをはじめて自然に説明するものである。

 以上の研究は論文提出者が主体となって行ったものであり、また、世界的にはじめて明らかにされた事柄である。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できることを全員一致で認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54130