学位論文要旨



No 115078
著者(漢字) 青木,賢人
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,タツト
標題(和) 日本列島中部山岳地域における第四紀末期の氷河地形発達史
標題(洋)
報告番号 115078
報告番号 甲15078
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3842号
研究科 理学系研究科
専攻 地理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米倉,伸之
 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 助教授 池田,安隆
 東京大学 助教授 松本,淳
 東京大学 助教授 茅根,創
内容要旨

 発達史地形学にとって,地形発達の時空間展開と気候変動の関連を明らかにすることは重要な研究課題である.なかでも,気候地形,とくに氷河地形は気候地形学の主要な研究対象であり,気候地形による古気候復元の重要な指標として用いられてきた.氷河地形の分布を指標として広域の気候復元を行うためには,現成氷河における雪氷学的プロセスと気象条件との関連性を理解するとともに氷河の立地環境に注意を払う必要がある.本研究では.日本列島中部山岳地域に分布する氷河地形から第四紀末期における氷河分布を復元し,氷河地形と復元される氷河分布の空間代表性と時代的変遷を明らかにし,あわせて氷河地形による古気候復元の可能性を探ることを目的とする

 日本列島中部山岳地域に分布する氷河地形については,すでに多くの研究が行われ,その詳細な分布や発達史が明らかにされてきた.しかし,これらの研究の多くが,単一流域や単一山域の氷河地形を対象にしており,流域間・山域間の対比に問題を残していた.五百沢(1979)は広域の氷河地形について同一基準を用いて判読して分布を確認し,中部山岳地域全域の氷河台帳を作成した.その後の研究によって,中部山岳地域の新期氷河地形形成期が細分されることにより,五百沢(1979)の地形分類も再考を求められていたが,これまで行われることはなかった.本稿は,五百沢(1979)に比べ時代的,空間的に限定された氷河地形を対象としているが,中部山岳地域全域を対象として新期氷河地形形成期の細分化を踏まえ,統一的に地形的雪線高度を算出した.

 本研究のII〜IV章では,中部山岳地域において最終氷期後半に形成された氷河地形の分布を明らかにし,雪氷学的知見に基づいて認定した地形的雪線高度の時代別高度・空間分布に着目して,それらの氷河台帳を作製した.さらにV章では,氷河台帳に基づいて日本の氷河の類型化と世界の氷河の中での位置づけをおこない,個々の氷河地形の時空間代表性を検証した.さらにその成果に基づいた日本列島の古気候復元に関する仮説を提示した.

 II章では,中部山岳地の飛騨・木曽・赤石山脈全域の氷河地形を,現地調査および空中写真判読により同一の基準で判読し,その分布を明らかにした.その結果,各山脈の氷河地形はカール地形とそれに連続する比較的新鮮な形態を残す部分と,その下流に拡がる大規模で著しく開析を受けた部分とに二分され,前者を酸素同位体ステージ2(MIS-2)に相当する新期氷河地形,後者を同じくステージ4(MIS-4)に相当する旧期氷河地形とした.さらに新期氷河地形はモレーンの配列,氷食壁の開析程度から複数の氷河地形形成期に細分された.

 III章では,これらの氷河地形の形成年代を特定するために,数値年代法である10Be露出年代測定法と,モレーン構成礫の風化皮膜の厚さを用いた相対年代法を併用し,カール近傍に分布する氷成堆積物の生成年代を測定し,モレーンの形成年代,すなわち氷河前進期の年代特定を行い,各山脈間での対比を行った.その結果,各山脈の新期氷河地形形成期は,3期(少なくとも2期)に区分され,その数値年代が最終氷期極相期(LGM期)および新ドリアス期(YD期)に相当することが確認された.この編年を基に,II章で確認した新期氷河地形の時代区分を行い,氷河前進期別に氷河台帳を作製・整理した.なお,YD期に相当する数値年代は,氷河前進期を示すものとしては本邦初出の年代値である.

 IV章では,分布認定・時代特定を行った氷河地形の特性を表現する指標として地形的雪線高度を算出した.地形的雪線高度算出法の一つとして提案されている涵養域比(Accumulation Area Ratio:AAR)法について,その妥当性を,現成氷河から得られている質量収支データを用いて検討した.その結果,現成氷河の質量収支均衡時のAAR(AAR0)値は約0.6であることが確認された.AARの値として0.6を用いて,分布認定・時代特定を行った氷河地形について地形的雪線高度を算出し,氷河台帳に併せて整理した.

 V章では,前章までに作製した氷河のデータベースを用いて,中部山岳地域の氷河の類型化を行い,その結果に基づいて最終氷期極相期以降における中部山岳地域の氷河の高度分布,平面分布の規定要因を検討した.さらに,氷河の類型化と分布規定要因を前提とした中部山岳地方の古気候復元の試案を提示した.

 氷河均衡線の高度分布は夏季平均気温0℃線と平行になるという経験則が存在することから,従来,地形的雪線高度を直線回帰して気候的雪線高度を求めてきた.しかし,本稿で復元された各氷河の時代別の地形的雪線高度は氷河流域を取り囲む稜線の高度と高い相関を持ち,氷河分布地域の緯度とは無相関である.また,稜線高度と地形的雪線高度の比高(涵養域高度帯)は稜線高度の変化と無相関であることが確認された.これらのことから,中部山岳地域に分布した氷河の地形的雪線高度は,気温変化を反映することが期待される気候的雪線高度とは一致せず,氷河分布が局所的な条件によって規定されていることを示すものと考えられる.

 世界の現成氷河に関する分析では,氷河表面最高点標高と涵養域高度帯の比高との間に,中部山岳地域と同様に相関が見られないタイプ(Type1)と,強い相関が見られるタイプ(Type2)とに類型化されることが示された.両タイプの典型例であるカムチャッカ(Type1)とヒマラヤ(Type2)の氷河特性から,Type1は,雪線高度が気温以外の要因(積雪量など)に規定される「気温独立型氷河」であり.Type2は雪線高度が気温に強く規定される「気温依存型氷河」であると推論した.この2類型を中部山岳地域の最終氷期の氷河に適用すると,飛騨山脈ではLGM期で約2700m以上,YD期に約3000m以上,木曽・赤石山脈ではLGM期に約3000m以上の山稜付近に分布する一部の氷河は「気温依存型氷河」と判断されるが,それ以外のほとんどの氷河が「気温独立型氷河」に分類されることが明らかとなった.したがって,日本の氷河地形から復元された地形的雪線高度は気候的雪線高度を反映していないことを意味する.これは,中部山岳地域の氷期の氷河は,世界的な分布域としては中緯度に分布するが,その分布が気温以外の要因によって強い制約を受けていることを示す.

 最終氷期の中部山岳地域に分布した氷河のうち,「気温独立型氷河」に類型化される氷河は季節風に対する風背側斜面に分布し,その地形的雪線高度は稜線標高から250m程度の高度帯の中に集中する.この高度帯は「山頂現象」によって西側斜面からの雪の移流効果が期待できる高度帯であり,直接の降雪量以上の積雪が生じ,氷河の維持・発達にとって有利な高度帯であったと考えられる.世界一の強風環境下にあり,加えて冬季は多降雪,夏季は高温による多消耗となる中部山岳地域は,局所的な積雪の不均質性が氷河の平面分布および高度分布を決定したと考えられる.

 以上の結果から,氷河はその分布高度から成帯的分布をするタイプと非成帯的分布をするタイプとに類型化されること,および最終氷期極相期以降における中部山岳地域の氷河は成帯的な高度分布を示さず,山頂現象による局地的な積雪条件により強く分布を規定されること,そのため平面分布が不連続になることが明らかになった.また,中部山岳地域の一部の氷河は成帯的分布をするタイプであると判定されたことから,最終氷期の中部山岳地方は,氷河分布が気候的雪線によって制約を受ける領域と局所的条件によって制約を受ける領域の移行領域にあったと結論した.

 最後に,中部山岳地域の氷河の類型化を前提に,氷河地形の平面および高度分布を用いた中部日本の降雪量および降雪パターンの復元について試案を提示した.

 まず,LGM期およびYD期の中部山岳地域における気候的雪線高度を「気温依存型氷河」を直線回帰することにより算出し,これに基づく降雪量変化の地域差の復元を試みた.「気温依存型氷河」である赤石山脈北部の北沢氷河について,消耗期の気温による融雪量の評価に基づいた降雪量の復元を行った結果,最終氷期極相期の降雪量は現在の60%程度ないしそれ以下に減少していたことが推定された.同時期における飛騨山脈,黒部五郎氷河の降雪量は現在の70%程度であることから,最終氷期極相期の太平洋側が現在に比べ乾燥化していたこと,また,同時期の日本海側と比べても降雪量が大きく減少していたことが確認された.

 次に,氷河の方位分布から復元される降雪パターンの変化に基づいて,この降雪量減少の地域差の原因について検討した.赤石山脈においてもLGM期の氷河の多くが東向きに分布することから,この時期には赤石山脈も北西季節風下での降雪が見られたことが示される.また,赤石山脈についてはLGM期においても一部の氷河が南向き斜面に分布することから,南岸低気圧由来の降雪の限界が赤石山脈にあったことが示される.赤石山脈において現在の降雪にほとんど寄与しない北西季節風下での降雪が付加されたにもかかわらず,降雪量が現在に比べ減少したことは,南岸低気圧由来の降雪の減少を示唆する.また,LGM期からYD期へかけての氷河の方位分布変化から,YD期には南岸低気圧の勢力が回復し,赤石山脈が南岸低気圧による多降雪域に入ったことが示唆される.

審査要旨

 日本列島は中緯度(温帯)のアジア大陸と太平洋の境界部に位置し、世界的な豪雪地帯として知られ、第四紀における気候変化の地域特性を明らかにするうえでも重要な地理的位置にある。本論文は、日本列島中部山岳地域に分布する氷河地形から第四紀末期における氷河分布を復元し、氷河前進期の年代と氷河地形の分布要因を明らかにし、氷河地形による古気候復元の可能性について検討した論文である。

 本論文は6章で構成され、1章では最近の氷河変動・気候変動史に関する国際的な研究動向と日本における氷河地形研究の課題および本論文の目的を述べた。

 2章では、中部山岳地域における氷河地形の分布とその形成時期について検討した。中部山岳地域の飛騨・木曾・赤石山脈に分布する氷河地形を現地調査および空中写真判読により認定し、その詳細な分布図を作成した。さらに既存の研究を参照しながら、これらの氷河地形が新鮮な新期氷河地形と開析を受けた旧期氷河地形に区分されること、前者の形成時期が酸素同位体ステージ2(最終氷期極相期)に、後者の形成時期が酸素同位体ステージ4(最終氷期前半期)に対比されること、新期氷河地形はさらに細分され、複数の氷河形成期、すなわち氷河前進期が存在することが確認された。

 3章では、これらの氷河地形の形成年代を特定するために、10Be年代測定法と氷河堆積物の風化皮膜の厚さによる相対年代法を併用して、個々の氷河堆積物の生成年代を特定するとともに、氷河前進期の年代を山脈間で対比した。その結果、新期氷河地形の形成期は少なくとも2期(場所により3期)に区分され、その数値年代は最終氷期極相期および晩氷期の新ドリアス期に相当することが確認された。

 4章では、氷河と氷河地形の分布特性の指標である地形的雪線高度算出方法の一つである涵養域比法について、現成氷河の質量収支データを用いて検討し、現成氷河の均衡時の涵養域比が0.6であることを確認した。この値を用いて中部山岳地域の氷河地形の地形的雪線高度を算出した。3章と4章の結果に基づき、中部山岳地域に分布していた最終氷期の氷河について山脈別、氷河前進期別に氷河特性一覧(氷河台帳:氷河名、氷河面積、地形的雪線高度、流域最高点高度、氷河末端高度、流域最高点高度と地形的雪線高度の高度差、緯度、氷体方位)を作成した。

 5章では、現成氷河の氷河表面最高点標高(Hmax)と氷河表面高度と雪線高度の高度差(DH)の関係から、現成水河は両者の相関が見られないタイプ(タイプ1)と強い相関が見られるタイプ(タイプ2)に区分され、タイプ1は雪線分布が積雪量などの気温以外の要因によって規定される「気温独立型氷河」であり、タイプ2は雪線高度が気温に強く規定される「気温依存型氷河」であると推論した。この現成氷河の2類型区分を中部山岳地域の最終氷期の氷河に適用すると、飛騨山脈では最終氷期極相期には海抜約2700m以上、晩氷期新ドリアス期には約3000m以上、木曾・赤石山脈では最終氷期極相期には約3000m以上の山稜に分布する一部の氷河は「気温依存型氷河」と判断されるが、その以外のほとんどの氷河は「気温独立型氷河」に分類される。さらに、本地域の「気温独立型氷河」に分類される氷河の地形的雪線高度は稜線高度がら250m程度の高度帯に集中し、季節風に対する風背側斜面にあって、冬季の強い季節風による西側斜面からの雪の移流により降雪量以上の積雪がもたらされ、氷河の維持・発達に有利な条件であった。また、「気温依存型氷河」の気候的雪線高度の分布から、最終氷期極相期には日本海側に比べ太平洋側での雪線降下量が小さく現在より降雪量が減少していたこと、赤石山脈における氷河の方位分布から、最終氷期極相期には北西季節風の勢力範囲が赤石山脈まで及んでいたが、晩氷期ドリアス期には南岸低気圧による降雪の影響が推定された。

 以上のように、本論文は日本列島中部山岳地域の最終氷期の氷河分布、編年および分布要因について詳細に研究し、とくに新期氷河地形の晩氷期における氷河前進期についてわが国ではじめて具体的な数値年代を明らかにした。本論文で得られた成果は、日本における氷河地形研究のみならず第四紀後期における古気候の理解にも貢献するものであり、地理学、とくに自然地理学・地形学への学術的寄与が大きいと判断される。

 なお、本論文3章の一部は今村峯雄および朝日克彦との共同研究であるが、論文提出者が主体となって調査を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認められる。

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