学位論文要旨



No 115082
著者(漢字) 有川,太郎
著者(英字)
著者(カナ) アリカワ,タロウ
標題(和) 非線形緩勾配方程式に基づく屈折・回折・砕波変形モデルの開発
標題(洋)
報告番号 115082
報告番号 甲15082
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4577号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 玉井,信行
 東京大学 教授 渡邊,晃
 東京大学 助教授 佐藤,愼司
 東京大学 助教授 沖,大幹
内容要旨

 国土の四方を海で囲まれている国である日本において,沿岸域の持つ役割は非常に大きい.海浜変形や構造物に作用する力など,様々な現象が沿岸域では問題になる.そのような問題に対し,重要となる外力は「波」である.そのため,波浪場を精度良く予測できるようにすることは,理学的にも工学的にも大事である.波の支配方程式は,質量保存を表す連続式,表面の圧力の均衡を示す力学的境界条件,水粒子が波から飛び出さないための運動学的境界条件,および底面での運動学的境界条件からなる.連続式は線形方程式であるが,表面の境界条件は非線形であるために,古くから,厳密解の求め方をさまざまに工夫してきた.波動方程式と呼ばれる様々な方程式は,鉛直方向の関数形を既知とすることで,鉛直方向に積分を行うことにより得られる方程式である.その時,表面の境界に対し近似を施す.その施された近似の程度からモデル方程式の波浪変形に対する適用限界が得られる.

 水の性質には非線形性および分散性がある.非線形性とは,波形が尖るような性質のことをいい,分散性とは,波長により波の速度つまり波速が異なる性質のことをいう.よって,モデル方程式においても,どの程度,非線形性および分散性を表現できるかということが重要となる.Berkoff(1972)が提案した時は,分散性は表現できるものの,非線形性は表現できなかった.これに対し,非線形性に対しては2次のオーダーまで,分散性は1次のオーダーまで理論上解析可能なBoussinesq方程式が提案され,コンピュータの発達とともに,砕波付近という非常に非線形性の強い現象も,ある程度の精度まで予測可能となる.しかし,分散性が弱いため,さまざまな周波数をもつ場や水深の深いところで適用できない.また,その問題点を修正した方程式も多数提案されているが,分散性を高精度にしようとすると,高階微分を含むようになり,数値的に解きづらい方程式となる.

 このような問題を変分原理により解決したのが,本研究で採用された非線形緩勾配方程式である.この方程式は,速度ポテンシャルを未知変数とするものの,それを既知の鉛直分布関数およびそれにかかる未知の重み係数を用いて近似し,未知数である重み係数と,水面変動に対する変分をとることで,定式化される連立方程式である.この方程式では級数の項数を無限にとれば,理論上,任意の分散性と非線形性を有する方程式となる.そこで,本研究では,この方程式を用いて,屈折・回折・砕波変形といった様々な現象を解析するために必要な数値計算方法およびモデルを開発し,その妥当性を検討することを目的とした.

 まず,本方程式のこれまでの定式化では,底面の境界条件を無視する形であり,さらに,遡上域を含めて計算をする場合,合理的な取り扱いが困難であるため,それを解消するために,用いる鉛直分布関数形を変えて再定式化を行った.このようにすることで,底面の境界条件を非常に良い精度で満たすようになる.

 砕波を含めた計算を可能にするために,本方程式に適した砕波減衰項を導出した.これは,基礎方程式のひとつである,水面変動の変分が力学的境界条件と等価であることを用いて,表面の圧力と砕波によって起こるReynolds応力が均衡するための条件より,砕波減衰項を導出した.その際,砕波により失う波のエネルギーを正しく見積もるためには,減衰項にかかる減衰係数を正確に評価することが重要となる.そこで,本研究では,その減衰率を,砕波により発生する大規模渦のエネルギー変換率,乱れエネルギーへの変換率,および熱となって散逸する散逸率を用いることで評価する.その概念図を載せる(図(a)).乱れエネルギーなどの評価は乱流で用いられる1方程式モデルを用い,また大規模渦のエネルギーに関しては,それに似た方程式で定式化し,それぞれ時々刻々計算をおこない,減衰係数を求める.これから得られる減衰係数を用いて砕波波浪変形を計算し,一様勾配斜面での実験と比較したところ,波高の減衰や波形の変形などはある程度精度良く求められるものの,平均水位に関しては良い結果が得られなかった.さらに,砕波した波は,一様勾配斜面のような場では,砕波し続け,エネルギーが0になるものの,潜堤背後のように水深がまた深くなるような場では砕波後,波が再生を行う.これまでは,そのような場では条件分岐して減衰係数を0にするという方法を採っていたが,本研究の方法では,自動的に大規模渦や乱れのエネルギーが0になることにより再生を表現できることになる.それを実験と比較したところ,波高や波形に関し,良い一致を示し,この方法により,これまでのように,経験則を用いることなく,再生場を含めて,砕波波浪変形予測を可能にした.

 波の汀線部の速度ポテンシャルおよび水面変動を直接求め,汀線部の格子間隔を伸縮させることで,精度の良い波の遡上計算方法を提案した.ただし,伸縮が大きいとかえって離散誤差が大きくなるため,それを防ぐために格子数を増減させる.その方法で砕波しない条件での遡上計算を行い,それと解析解とを比較したところ,非常によく一致しており,本方法が妥当であることがわかる.そこで,砕波を含めた計算を行うと,やはり平均水位,特に砕波によって起こる平均水位の上昇が過小評価された.

 そこで,平均水位についての考察を行う.Boussinesq方程式では,断面積分した流量を未知数にとる方法と,ある水深における流速を未知数にとる方程式の二つのタイプがある.このとき,両方に2階微分を用いた拡散型の減衰項を付加し,同じ減衰係数を用いても,流量を用いる方程式では,平均水位の上昇はみられるのに,流速を用いるタイプの方程式では,平均水位の上昇が過小評価されることが知られている.本方程式はBoussinesq方程式の分類でわけるなら後者のタイプであり,同様に平均水位がうまく得られなかった.そこで,平均水位の空間分布はラディエーションストレスとのバランスによって得られるため,それを表す平均運動量方程式を数値的に比較することにより,原因を追及した.砕波現象は跳水現象と同じであるので,エネルギーが減少するが,砕波によって運動量は保存されるため,平均水位は上昇する.ところが,流速を用いたタイプでは,方程式そのものを時間平均しても,運動量は保存されているのであるが,水深方向に積分すると,運動量が保存されなくなることが判明した,その結果,平均水位の上昇も過小になることになる.原因は波の波峰部が過ぎるときと波の谷の部分が過ぎる時の全水深の差が大きいために,減衰項が有意に運動量式に関わるためであることがわかった.この問題を解決するために,摩擦型の修正項を加えることにより,平均水位の上昇を得られることを明らかにした.

 本方程式の最大の魅力は,砕波のような非線形性の強い現象を精度良く表現できる方程式であるとともに,任意の精度で分散性においても考慮できることである.よって,現実の海のような多方向で不規則な波も理論上,精度良く計算できるはずである.ところが,本方程式において,精度良くまた効率的な平面計算方法は提案されていない.時間微分項が扱いづらいように方程式に含まれていることが原因である.そこで,それらをうまく処理できるように方程式を組み直すことで,精度の高い平面計算方法を提案した.またその時に,2段階法とADI法を組み合わせることにより,より効率的に計算できるようにした.

 その計算精度の確認としてMach反射という,非常に広い領域を精度良く計算する必要のある現象を対象とした.周期的な波によるMach反射は,非線形性が強くなり入射角度が小さくなるほど,強く現れる.また,その際Stem波という壁に沿う波が発生する.そのStem波に関する見解では,これまで,入射角が20度以下ではStem波の波高は低くなり,またその波高は伝達しても変動しないという見解と,入射角が15度あたりでピークを持ち,またその波高は壁を伝達するに従って変動するという見解がある.本研究では,領域におけるエネルギーの保存を確認することで,これまでの見解を検討した.結果,Stem波の波高は入射角が25度あたりでピークを持ちそれより小さいと波高も小さくなるということ,およびその波高の変動も線形理論より緩やかであるものの変動するということである.また,エネルギーの保存は十分満たされていることからこの計算結果が妥当であることを確認した.図(b)にその形成過程の計算結果を示す.白い部分が波峰である.図の上側が壁である.壁に沿って波峰が延びるというstem波の特徴がよく現れている.

図表(a)砕波によるエネルギーの流れ / (b)Mach反射とStem波の形成過程

 最後に,消波するような護岸も扱えるように,任意の反射率を持つ境界を開発した.ある幅に強制的に波を減衰させる領域を設ける.波を強制的に減衰させるとき,反射波が生じる.それを利用し,強制的に減衰させる係数をうまく調整することで,反射率を制御する.この方法により,反射率がほぼ0から1まで取り扱えるようにした.また,このとき,Mach波のような現象が生じるかどうかということはこれまだで調べられていないために,反射率が0.5程度の壁に入射角が15度および45度の計算を行ったところ,15度の時には,45度と違ってMach反射のような結果が得られ,消波壁の場合でもMach反射のような現象が起こることを示した.

 このように,任意の非線形性および分散性を持つ非線形緩勾配方程式を用いて,遡上,砕波,平面における計算手法を提案し,さまざまな計算条件に適用することによりその妥当性を確認した.

審査要旨

 海岸における諸現象において通常最も支配的な外力となるのは波浪であり、海岸の防災、利用、生態系保全を進めるためには、波浪の予測が不可欠である。深海において発生、発達した波浪は、浅海域で顕著に変形する。波浪変形現象は、浅水変形、屈折、回折、反射、砕波などに分類されるが、浅海域においてはこれらが複合して起こる。また、波浪の有する特性として、不規則性と非線形性がある。したがって、浅海域における諸現象を取り扱う際には、波浪の不規則性と非線形性を考慮して、波浪変形の諸要素を同時に取り入れた解析が必要となる。本研究は、そのような解析を可能とするような方程式系を誘導した上で、それに基づく数値モデルを構築し、さらに数値計算を実行して実験結果と比較することなどによりその有効性を検討した上で、マッハ反射などの現象の検討を行ったものである。

 歴史的には、浅海域における波浪変形の解析は、微小振幅の規則波を対象として、浅水変形、屈折、回折などを単独に取り扱うことから始められた。しかし、特に水深が変化する海域に構造物が設置された場合などに見られるように、屈折と回折が同時に起こる場合も多く、波浪変形の諸要素を総合的に取り扱う手法の開発が望まれていた。これを背景として1972年にはBerkhoffによって緩勾配方程式が提案され、数値計算により屈折と回折を同時に考慮した波浪変形計算を行うことが可能となった。しかし、この方程式は微小振幅の規則波を取り扱うものであり、不規則性や非線形性の取り扱いの問題が残った。その後、不規則性については適用範囲を拡張した方程式が提案され、非線形性についても弱い非線形性であれば考慮することのできる方程式が提案されたが、もとになる考え方からして十分なものとは言えない。他方、基本的な誘導過程において不規則性および非線形性をそれぞれ限られた範囲で取り入れた方程式がブシネスク方程式であり、取り扱える周波数範囲の拡張も行われているが、内部流速場の表現などに問題が残る。

 そこで最近、不規則性と非線形性を完全に取り入れることのできる方程式が提案された。その1つが非線形緩勾配方程式であり、従来の方程式に比べて高精度の波浪変形予測が可能となると期待されるが、まだモデルとして十分に確立されてはいない。特に、平面波浪変形の問題への適用や砕波の取り扱いについては、研究開発が必要である。

 本研究では非線形緩勾配方程式を改めて誘導しているが、そこでは従来考慮されなかった海底勾配の影響を含めた定式化も行っている。これにより海底勾配の2次のオーダーまでの影響が取り入れられるようになった。続いて非線形緩勾配方程式に基づいて、平面波浪場の数値計算手法を提案している。緩勾配方程式は空間的に楕円型の連立編微分方程式であるために、通常の差分法では計算時間が膨大となる。そこで、空間に関してはADI法を適用し、時間に関しては2段階法を用いて、安定で精度良くしかも計算時間を節約できるようなアルゴリズムを開発した。それをマッハ反射の問題に適用して、数値計算を行ったが、その結果、実験的に確認されているような、反射面に直角方向の波峰線が再現された。そして、マッハ反射によってできるステム波の波高が、入射角25度程度でピークとなり、また反射面に沿う波高変動が微小振幅波によるものに比べて緩やかとなる結果を得た。また、反射面の反射率を任意にするような境界処理を組み込んで計算したところ、15度の入射角の場合にはマッハ反射と同様の現象が起こることなどが確認された。

 次に、非線形緩勾配方程式に適した砕波減衰項を理論的に導出した。波浪エネルギーの変換先として、大規模渦エネルギー、乱れエネルギー、および熱エネルギーを考え、これらへの変換過程を乱流モデルの導入などによって定式化した。これに基づいて非線形緩勾配方程式に砕波減衰項を導入し、砕波減衰が取り扱えるようにした。これは、従来緩勾配方程式やブシネスク方程式において行われている方法と異なり、砕波変形実験による定数を用いる必要がない。砕波減衰項を導入した方程式を用いて、砕波変形を計算したところ、波形の前傾化などを含めて、実測結果を良く再現する結果が得られ、その妥当性が検証された。ただし、2次的な微小量として同時に計算される平均水位の上昇量については、過小評価された。これは、波峰通過時と波谷通過時の水位の違いにより、砕波減衰項の1周期平均値に微妙な偏差を生じてしまうことが原因となっていることを明らかにした。

 以上のように、本論文は非線形緩勾配方程式に基づく非線形・不規則波浪の変形モデルの構築を行ったものであり、海岸工学において貴重な成果である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54780