初めに/序 本論文では、建築の環境における〈かげ〉という現象に対して、ある文化が、集合的にいかに対応しているか、とりわけ日本の伝統的な住まいにおいて〈かげ〉はいかに取扱われてきたか、について論じる。
建築の分野で、光とかげについて議論する場合、必ずといってよいほど、〈かげ〉に対する日本独特の意識について言及されてきた。なかでも、谷崎潤一郎の『陰影礼讃』は、近代日本の〈かげ〉の美意識について最も影響を与えた文字の代表作品として認められてきた。彼の知的な貢献によって、戦後になってはじめて、日本の住まいにおける〈かげ〉というものへの美意識について注目されるようになり、論争されたのである:
だが、いったいこう云う風に暗がりの中に美を求める傾向が、東洋人にのみ強いのは何故であろうか、、、
われわれの好む色が闇の堆積したものなら、西洋人等の好むのは太陽光線の重なり合った色である、、、
われわれの思素のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える、、、
というように彼は論じている。
日本の建築における光と影、建築家的観点から、<かげ、闇>というものはどのように扱われてきたかについて調べた。この調査を踏まえて、深く議論すべきものを見出すことが第一章の目的である。〈かげ〉について論ずる人々の考えは、大きく三つにわけられる。一つめは、かげと光の対立関係について、一次元・二次元・多次元といった概念的な光の捉えかたを行なっている。ついで、自然論的解釈があげられる。「奥」の概念も光と影の議論に相通ずるものがあるのではないかと考えられる。三つめは、哲学と空間論から説明することである。このように、様々な観点があるが、共通点として、〈かげ、闇〉を肯定的に捉えているということがあげられる。また、宗教的建築のみならず、一般家屋においても〈かげ、闇〉が美的・心理的必要性から意識的に保護されてきたように思われる。さらに言えば、日本人は、〈かげ〉に対して特別な美学を発展させてきたことがよく示されている。
一方、どのように日本人が<かげ>というものを歴史的に発展させたのかについて、特に建築の分野では、客観的な観点からの意匠研究はまだ十分ではく、さらに研究する必要があると思われる。ここで浮上してきた問題は、〈かげ〉の概念は意識的に保持されてきたのか、それとも構造や素材、気候などの外的条件による限界の単なる結果なのか、という点である。この問題にこたえるために、〈かげ〉を議論するための基本的予備的調査として、第二章では、まず歴史的な建築と光についての先行研究で採られた方法を調べ、様々な学問分野の方法と比較検討しながら、本研究にふさわしい方法を探究した。これまで、工学的(定量的、理論的)、哲学的(象徴的、詩的)あるいは人類学的なアプローチによる研究が行われてきたが、これら一つ一つを別々に考察しても、<かげ>というものに対する総合的な理解は得られされなかった。そこで本研究ではこれら様々な観点を各章において調査、分析し、それらを組み合わせることによって、伝統的な住まい環境における<かげ>への取り組み、あるいは<かげ>をより詳細にどのように発展させたかを捉えることにした。
第三章では、空間の中の光と〈かげ〉のありかたを理解するため、日本の民家15件を実地に調査し、照度分布を実測した。その結果、現代の標準的家屋の最低照度でも30-40lxであるのに対し、民家の空間は、その中心部において0.1-5lxの範囲で、照度が低いことがわかった。その主な原因は、庇と四間取り空間の配置である。
このように、中心部の空間は〈かげ〉に支配されているわけだが、部屋を構成する要素を変えることによって、〈かげ〉を減らそうとした場所と、そのまま〈かげ〉を受け入れようとした場所の、ふたつあることが明らかになった。それは土間空間と座敷空間である。つまり、内部に生じる〈かげ〉のかたまりに対して、日本人は二つの態度を持っていたと考えられる。ひとつは生活空間の〈かげ〉の「受容」【または「肯定」。「適応」より英語の元の意味に近い】(=土間空間)であり、もうひとつは〈かげ〉の「忌避」【または「肯定」に対して「否定」。「抑制」は成長するものを抑えること】(=座敷空間)である。このふたつの態度、すなわち「受容」と「忌避」は、様々な形で歴史的に発展していく。その発展過程を、貴族の住まいにおいて検討したのが第四章である。
第四章では歴史的背景、すなわち日本の代表的な住まいの配置構成の発展とかげとの関係を考察した。対象となる建築は、主に古代、中世、近世時代の貴族の代表的なすまいである。古代においても、家を模した埴輪や家屋紋鏡に窓の多いものと全くないものとがあることからも、すでに建物内部の〈かげ〉に対する二つの態度が存在していたことがわかる。
寝殿から書院への平面構成の発展をふまえて、第三章で定義した〈かげ〉の「受容」と「忌避」という意識を、貴族の住宅の多数の空間構成から読み取ろうとた。代表例として、紫辰殿と清涼殿を取り上げた。紫寝殿ではいかにかげを減らすか、解放感を生み出すかと言うことに注意が払われているのに対し、清涼殿では<かげ>の固まりのなかに相応しい機能を入れている、その機能とは寝室空間で、塗籠である。この他にも、窓のない部屋や四方を他の部屋で囲まれた部屋の空間構成は各時代の代表的な住まいにみられる。その使用方法を分析したところ、その機能には二つの方向があることがわかる。
ひとつは寝室という個人的な空間、ふたつめは収納や女中部屋などの空間である。中でも、前者における〈かげ〉は、単に暑さから避けるためだけではなく、精神的・肉体的な防衛という意味を持つものであり、後者は残余の使いにくい空間として捉えられ補助的用途に使用されたものである。
第三章と四章では空間の〈かげ〉に対する態度/意識を論じた。第五章では装飾として使われた〈かげ〉について論じた。日本の建築の特徴の一つとして、全体がかたまりとしてではなく、様々な層や断片の集まりとして構成されている、という点が上げられる。これらの層の重なりの中に、〈かげ〉もひとつの層となる。鴟尾、宝珠、堅魚木など、光を反射させるディテールがある一方、日本の家屋のディテールには、〈かげ〉をつくる要素が数多く見られる。特に屋根の鬼瓦、懸魚、破風板、そして外にたいしては格子、庇、暖簾、また内部では垂れ壁や小壁/落とし掛けなどである。これらは当初は構造的な機能的な必要性から生じたものだが、時代を経るにしたがって装飾として<かげ>を意識的に取り入れるための仕掛に変っていったと考えられる。
日本の建築に最も影響を及ぼした国のひとつは、隣国の韓国である。第六章では、比較研究として、韓国の住まいを取上げた。Seoul、Andou、Kyoungjyungで実地調査を行ない、また、庶民や貴族の家屋の平面図や写真、室内の仕上などを調べ、韓国では光に対して、それらがどのように配置されているかを調べ、日本のそれと比較した。その結果、指摘できることは、韓国の住宅の平面構成が線的であるのに対して、日本では面的な広がりがあること、韓国の間仕切が持ち上げ型であるのに対し、日本では引戸が多いこと、日本の軒は固定型であるのに対し、韓国では取り外し型の例も見られること、などである。最も注目すべきことは、居間において、日本では土や木で仕上げているのに対し、韓国のオンドル部屋は、庶民、貴族ともに、室内壁、床、天井全てを紙で仕上げ白一色にしていることである。日本では室内に囲炉裏があるため白い仕上は難しいのに対して、オンドルという床暖房は煙が外付けの煙突を通して外に出て行くので、この白い仕上が可能になったとも言えるが、それ以上に大きな要因は、両国民の美意識の差異ではないだろうか。
第七章では、〈かげ〉の意味や観念を、日本語の言葉からから考察した。それは、「陰」と「影」との区別があいまいだということである。つまり、人に対して〈かげ〉という場合には、ふたつの相反する意味をもつことである。昔から、かげは日常生活に非常に密接な関係があり、〈かげ〉に関する言葉は数多くある。例えば「寄らば大樹の蔭」のかげはよい印象だが、「陰口」では悪い意味であるなど、同じ〈かげ〉であっても、正反対の態度が存在していること。
第八章では、居住空間を描いた日本の絵画、絵巻物と水墨画、影浮世絵を題材として、そこに表れた光源と建築およびその影の表現方法を分析し、〈かげ〉に対する認識の変遷を抽出することを試みた。絵巻物では、源氏物語の「橋姫」で雲間を破って照っている月影のように、〈かげ〉が具体的に描かれている。水墨画では、様々な自然の〈かげ〉が描かれるが、家屋には〈かげ〉が描かられなかった。例えば、芸阿弥の山水画には、自然の量感を表現するために、陰は描かれているが、画中の家屋の中に当然みられるはずの影が描かれておらず、家屋は絵の中で明るく表現されている。つまり影の表現はない。同様の方法は、他の多くの山水画にもみられる。
浮世絵では、日本のかげに対する美意識はさらに発展し、日本の絵画表現で影が描かれた。特徴的なことは、描かれる<かげ>は、強い光よりはむしろ、月、雪、虹、提灯、蝋燭などの淡い光の状態において、様々な形に発展するということである。それは影法師であったり、障子に映る影であったり、シルエットであったり、ぼかしなどである。しかし屋内の<かげ>についてみると、西洋では明暗法tenebrism、濃淡画chiaroscuroによってより現実的かつ積極的に<かげ>を描いているのに対し、日本の絵画においては家屋の空間の中の<かげ>を避けようとする傾向があった。
つまり映った<かげ>と室内の<かげ、闇>にたいしては明らかに日本人は異なる態度を示しており、前者を発展させ、後者については忌避するか、表現をさけようとした。
結論 日本の住居における<かげ>は,住まいの構造、場、天候、木材などの条件による制限から存在しただけではなく、<かげ>に対する意識的な態度によるものである。韓国の例との比較から分かるとおり、日本でも可能なはずであったにもかかわらず、あえて<かげ>を避けることはしなかったのである。日本の代表的なすまいである民家では、土間空間と座敷空間との二つの中心があるが、<かげ>に対して、前者では「受容」、後者では「忌避」するものであり、二つの異なる態度があることが明らかとなった。
古代につくられた家型の埴輪には、窓の全くないものと、窓が作られたものの2通りがあり、前者はかげに適応し、後者は内部に発生するかげを除去している。つまり後者では<かげ>を回避し、<かげ>に対する抑制をあらわしている。また、中世貴族の住宅にも<かげ>対する受容/忌避がみられる。ここでの<かげ>の適応の仕方には、<かげ>をさらに建て具で囲み、物理的、空間的に全体の中心となる方法と、ひとつの空間に極端と陰陽をつくりだす方法とがあり、また〈かげ〉を装飾物一つとして取り扱ってきた。一方<かげ>の抑制としては、空間の輻を狭め、光を取り入れる部分を増加させ、さらに建物の中に光の取りこみとして庭を配置したり、平面配置を無秩序なように凸凹させるなどしていた。
〈かげ〉に対する態度に受容/忌避のアンビヴァレンスが存在するように、<かげ>に関する用語には、正反対の意味を示すものが数多くある。谷崎は、日本人の家屋の<かげ>に対する意識を美意識としてだけとらえた一元論をのべていた。しかし極端な例として日本の絵画においては家屋の<かげ>の表現を回避する傾向がみられる。つまり日本人の<かげ>への態度には、肯定/否定、受容/忌避といった、相反する二面性があるのであり、むしろ二元論として捉えることができる。