学位論文要旨



No 115102
著者(漢字) 大野,浩一
著者(英字)
著者(カナ) オオノ,コウイチ
標題(和) 地域内の個人曝露量調査に基づいた大気汚染物質の曝露量分布の推定とリスク評価への適用
標題(洋)
報告番号 115102
報告番号 甲15102
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4597号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,和夫
 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 尾張,真則
 東京大学 講師 荒巻,俊也
内容要旨

 本論文は、5km四方大の地域に住む集団の大気汚染物質への個人曝露量の分布形やばらつきの大きさについて実測調査を行い、健康リスク評価において個人曝露量に分布を考慮することの重要性について検討を行った研究の内容を記したものである。本論文は8章から構成されており、第1章で序論を、第2章で既存の知見の整理と研究の目的を述べた。第3章において調査に使用する捕集器具(以後、サンプラーとする)に対する検討、第4章では予備調査を行い、得られた知見を示した。第5章においては、曝露量調査の内容と結果をまとめ、曝露量の分布形やばらつきに対する考察を行った。第6章では曝露量の特性について解析し、第7章で個人曝露量の分布をリスク評価へ適用しリスク評価に個人曝露量の分布を考慮することの意義を示した。最後に第8章において総括を行った。

 第1章では、日本において主に1960〜70年代に経験してきた公害問題と近年の環境汚染問題の違いを記し、環境汚染問題におけるリスク評価の必要性について述べた。また、リスク評価の際、リスクを平均値だけではなく、リスクがもつ変動や不確実性の大きさについても考慮することが最近の課題として挙げられることを述べた。

 第2章では、現在のリスク評価手法および大気汚染物質に対する既存の曝露量調査についてまとめ、研究の目的を述べた。毒性が既知の物質に対するリスク評価においてはほとんどの労力が曝露量評価に割かれていること、また大気汚染物質に対する曝露量評価の際には、環境大気中濃度の実測値やモデルによる推定値が個人曝露濃度として利用される場合が多いことを記した。さらに、既存の曝露量調査においては、曝露量の分布や個人差などについて測定を行った調査がほとんどなく、曝露量の分布について考察を行っている調査においても対象となる個人を選択する際において、対象地域の大きさや調査対象選択の無作為性についてあいまいな点が多いことが示された。

 このような認識のもと、5km四方地域内の代表的な曝露量分布に関する情報を得るための調査を行うこと、曝露量調査の結果をもとに、室内空気・屋外大気が個人曝露量に与える寄与について考察を行い、地域内の曝露量評価やリスク評価に対して分布の適用を試みることを本研究の目的とした。調査対象地域の大きさを5km四方と設定した理由は、ある地点における大気汚染物質の実測値が代表できる地域の大きさが5km四方であると考えられたためである。また、適切な調査対象を選択するために、5km四方の地域を1km四方大の25地区に分割し、各地区から調査対象を選択することで、調査対象家庭の空間的なばらつきが等しくなるようにした。また、調査対象は無作為に選択することとした。

 第3章においては、使用するサンプラーの決定とその信頼度について検討を行った。サンプラーは大別して、ポンプにより直接空気を吸引することで物質を捕集するアクティブサンプラーと、物質の拡散の性質を利用することでポンプを使わずに物質を捕集するパッシブサンプラーに分類できる。本研究においては、携帯性や操作性に優れているパッシブサンプラーを使用することとした。使用するサンプラーは二酸化窒素(NO2)用と揮発性有機化合物(VOCs)用の2種類であり、VOCsの対象物質は、ベンゼン・トルエン・エチルベンゼン・m,p-キシレン・o-キシレンの5種類である。

 一般的にパッシブサンプラーは、アクティブサンプラーに比べて捕集量が格段に小さいため精度が劣るといわれることから、パッシブサンプラーの信頼性に関する検討を行った。結果として、パッシブサンプラーにおいても、気象条件が大きく異ならない限りは、数%〜10数%程度のサンプラー間誤差で測定が可能であることが示された。

 第4章においては、NO2用サンプラーを用いた予備調査を行った。5km四方地域内の大気中濃度のばらつきに関する予備調査と学生に対する個人曝露量のばらつきに関する予備調査を行った。結果として、5km四方地域内の大気中濃度の分布、および個人曝露濃度の分布には対数正規分布を適用できることが示された。また、幹線道路から50m以内の地域(沿道環境)においては、それ以外の地域(一般環境)の濃度分布から明らかに逸脱するような高濃度が測定された。よって、実際の調査においては一般環境住民を対象とした曝露量調査を行うこととした。

 第5章においては、予備調査の結果をもとに、5km四方地域の住民に対する曝露量調査を行った。調査対象地域として、人口密度や通勤環境の違いを考慮し、東京都台東区上野・千葉県柏市・茨城県つくば市周辺という3カ所の5km四方地域を選択した。各地域を1km四方のブロックに分割し、ブロック毎1家庭、計25家庭を調査対象とした。調査対象は、「父親」「母親」「子供」の3人と、調査対象家庭の「室内」「屋外」である。

 調査対象家庭の選択においては、個人曝露量測定の対象となる3人を行動パターンの違いにより、以下のように想定した。「父親」:地域外で活動する時間の長い人、「母親」:自宅にいる、あるいは地域内で活動する時間が長い人、「子供」:地域内の学校に通う人。調査対象家庭の選択に当たっては、無作為に抽出した名簿より協力依頼状を送付した。調査を希望する家庭の中から、上記の行動パターンに当てはまる家庭をなるべく選択した。

 調査結果として、個人あるいは室内・屋外における曝露量には対数正規分布を適用できることが示された。ただし多くの物質において、対数正規分布からはずれるようなかなり高い曝露を受ける家庭が1〜3家庭で見られた。

 個人曝露量の幾何標準偏差(GSD)については、NO2においてはGSDで1.3程度、VOCsについては、物質や測定対象の属性によって違いがあるが、1.4〜2.5の範囲内であった。また、「父親」「母親」「子供」という各属性間のGSDは「母親」と「子供」のおいては等しいと見なすことができた。さらに、各家庭における属性間(「父親」・「母親」・「子供」)の相関関係について調べた結果、「母親」と「子供」の曝露における相関がよく(r=0.65〜0.78)、「母親」と「子供」の曝露は行動パターンも似ていることから同じグループとして扱うことができるのではないかと考えられた。一方、「父親」は「母親」や「子供」とは相関が相対的に低く(r=0.29〜0.68)、地域外に存在する職場において、地域内にいるときの曝露とは異なる傾向の曝露を受けていることが示唆された。

 第6章においては、曝露量調査において得られた結果から曝露量を特徴づける因子に関する検討を行った。具体的には、つくば地域で使用されていた石油ヒーターの影響と、喫煙およびガス調理器具使用による影響である。石油ヒーターについては、使用していたグループと使用していないグループ間のNO2曝露濃度平均値に有意な差がみられ、1日1時間使用あたりの曝露濃度増加量は、2〜4[ppb]と推測された。一方、喫煙およびガス調理器具使用の影響の影響についてはほとんど有意な関係が得られなかった。

 また、個人曝露量に対する屋外大気と自宅室内空気の寄与率について、個人の行動を基に推定した結果、「父親」については、自宅室内空気の寄与率が約40%、対象地域外における寄与率が約60%となり、地域内の曝露量調査だけでは曝露量の推定が難しいことが示された。「母親」「子供」においては、自宅室内空気の寄与率が53%〜77%、屋外大気の寄与率が4〜10%、その他の地域での寄与率が16〜42%と推定された。「母親」と「子供」はほとんどの時間を地域内で過ごしていることから、地域内の曝露量調査だけで曝露量の推定が可能であると考えられた。

 また、室内においては、屋外大気の侵入の影響があると思われるので、屋外大気が室内空気に与える影響について考察を行った結果、室内汚染が著しく大きくない家庭においては、屋外大気濃度の約6割〜8割が室内空気濃度に寄与している可能性が示唆された。

 第7章においては、今回の調査で得られた曝露量の個人差をリスク評価に適用した際に、既存のリスク評価に比べてどのように異なるかということについて検討を行った。結果として、非発がん性物質のように量-反応関係に閾値があると仮定されている物質においては、分布を考慮しない平均曝露量からのリスク評価においてはリスクが存在しないと推定される集団においても、曝露量の個人差を考慮することによってリスクが存在すること、また、リスクの大きさの定量化が可能であることを示した。発がん性物質のような量-反応関係に閾値がない、かつ低濃度域において直線性を仮定している物質については、分布を考慮しない場合のリスクに比べて、曝露量のばらつきが大きいほど集団全体におけるリスクが大きくなることを示した。

 第8章では、本研究で得られた知見をまとめ、総括を行った。

 リスク評価を平均値だけではなく、その幅やばらつきも含めた議論を行う場合、曝露量の個人差について考慮することは重要である。これまで5km四方大の地域に住む集団に対する個人曝露量のばらつきについては、ほとんど考慮されてこなかった。本研究は、地域内の個人曝露量のばらつきに着目して曝露量調査を行い、曝露量の分布に対数正規分布が適用できることを示した。また、個人曝露量のばらつきの大きさを実測し、幾何標準偏差という形で表現した。さらに、曝露量の分布をリスク評価へ適用することにより、曝露量の平均値だけでリスクを議論する場合に比べて、リスクに関するより多くの情報を与えることができることを示した。

審査要旨

 本論文は、「地域内の個人曝露量調査に基づいた大気汚染物質の曝露量分布の推定とリスク評価への適用」と題し、5km四方大の地域に住む集団の大気汚染物質への個人曝露量の分布形やばらつきの大きさについて実測調査を行い、その詳細かつ実証的な解析に基づいて、健康リスク評価において個人曝露量に分布を考慮することの重要性を明らかにした研究である。

 本論文は8章より成る。第1章で序論である。第2章では、現在のリスク評価手法および大気汚染物質に対する既存の曝露量調査についてまとめ、研究の目的を述べている。

 第3章では、使用するサンプラーの決定とその信頼度について検討を行っている。一般市民に協力を得る実態調査であるため、携帯性や操作性を特に重視し、パッシブサンプラーを選定している。一般的にパッシブサンプラーは、アクティブサンプラーに比べて捕集量が格段に小さいため精度が劣るといわれることから、パッシブサンプラーの信頼性に関する検討を行い、パッシブサンプラーにおいても、気象条件が大きく異ならない限りは、数%〜10数%程度のサンプラー間誤差で測定が可能であることが示された。

 第4章は、NO2用サンプラーを用いた5km四方地域内の大気中濃度のばらつきに関する予備調査の結果をまとめたものである。その結果、5km四方地域内の大気中濃度の分布、および個人曝露濃度の分布には対数正規分布を適用できることが示された。

 第5章は、5km四方地域の住民に対する個人曝露量調査の結果である。人口密度や通勤環境の違いを考慮し、東京都台東区上野・千葉県柏市・茨城県つくば市周辺の3地域を調査対象地域とし、5km四方の各地域を1km四方のブロックに分割し、ブロック毎1家庭、計25家庭を調査対象として選定している。調査対象家庭の選択においては、個人曝露量測定の対象となる行動パターンの違いにより、「父親」:地域外で活動する時間の長い人、「母親」:自宅にいる、あるいは地域内で活動する時間が長い人、「子供」:地域内の学校に通う人と3つの属性に分類している。その結果、個人曝露量の幾何標準偏差(GSD)については、NO2においてはGSDで1.3程度、VOCsについては、物質や測定対象の属性によって違いがあるが、1.4〜2.5の範囲内であった。また、「父親」「母親」「子供」という各属性間のGSDは「母親」と「子供」においては等しいと見なすことができた。

 第6章においては、曝露量調査において得られた結果から曝露量を特徴づける因子に関する検討を行っている。具体的には、つくば地域で使用されていた石油ヒーターの影響と、喫煙およびガス調理器具使用による影響である。石油ヒーターについては、使用していたグループと使用していないグループ間のNO2曝露濃度平均値に有意な差がみられ、1日1時間使用あたりの曝露濃度増加量は、2〜4[ppb」と推測された。一方、喫煙およびガス調理器具使用の影響の影響についてはほとんど有意な関係が得られなかった。また、個人曝露量に対する屋外大気と自宅室内空気の寄与率について、個人の行動を基に推定した結果、「父親」については、自宅室内空気の寄与率が約40%、対象地域外における寄与率が約60%となり、地域内の曝露量調査だけでは曝露量の推定が難しいことが示された。「母親」「子供」においては、自宅室内空気の寄与率が53%〜77%、屋外大気の寄与率が4〜10%、その他の地域での寄与率が16〜42%と推定された。また、室内においては、屋外大気の侵入の影響があると思われるので、屋外大気が室内空気に与える影響について考察を行った結果、室内汚染が著しく大きくない家庭においては、屋外大気濃度の約6割〜8割が室内空気濃度に寄与していると推定された。

 第7章は、今回の調査で得られた曝露量の個人差をリスク評価に適用した際に、既存のリスク評価に比べてどのように異なるかということについて検討を行ったものである。その結果、非発がん性物質のように量-反応関係に閾値があると仮定されている物質においては、分布を考慮しない平均曝露量からのリスク評価においてはリスクが存在しないと推定される集団においても、曝露量の個人差を考慮することによってリスクが存在すること、また、リスクの大きさの定量化が可能であることが示された。発がん性物質のような量-反応関係に閾値がない、かつ低濃度域において直線性を仮定している物質については、分布を考慮しない場合のリスクに比べて、曝露量のばらつきが大きいほど集団全体におけるリスクが大きくなることが示された。

 第8章は、本研究の総括と結論である。

 以上要するに、本研究は、これまでほとんど考慮されてこなかった地域内の個人曝露量のばらつきに着目して曝露量調査を行い、その個人曝露量のばらつきを定量化し、さらに、曝露量の分布をリスク評価へ適用することにより、曝露量の平均値だけでリスクを議論する場合に比べて、リスクに関するより確度の高い情報を与えることができることを示したものであり、本論文により得られた知見は都市環境工学の学術の進展に大きく貢献するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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