高齢社会において、高齢者に対するモビリティを確保し、高齢者が容易に外出できる交通環境を整備することは、高齢者の社会参加を促進する上での前提条件のひとつとして重要である。ノーマライゼーションさらにはユニバーサルデザインの理念の基に、交通施設や車両のバリアフリー化をはじめとして、誰にもやさしい交通サービスを目指した整備・開発は徐々に進んできている。 一方で、高齢者の交通行動のメカニズムに関する分析や、交通政策の定量的な評価に関する研究は非常に遅れている。詳細な制約条件の把握と制約条件緩和による交通行動変更の予測には、従来のトリップベースの分析ではなく、一日の活動決定の一貫として交通選択を捉えるアクティビティベーストアプローチが有効であるものと考えられる。近年、活動スケジュール決定ミクロシミュレーションモデルの開発が盛んに行われており、特にTDMシミュレーションとしてスケジュール管理施策評価の枠組みは提供されている。 ここで、高齢者は非高齢者と比較して、身体能力の低下により、歩行が困難な人や公共交通を利用する際に困難を感じる人、また自動車を運転できない人も多く家族に送迎してもらう場合も多いなど、外出に対する制約が強い。さらに健康維持のため、または長年の習慣により規則的な生活パターンを送っているなど、身体的制約のみならず習慣的な面での制約、さらには財政面での制約も強い。一方で、非高齢者と比較すれば自由時間が多いことから時間価値が低いこともわかっている。以上の様々な要因により、高齢者の毎日の生活活動と交通行動を考えた場合に、選択肢集合からのベストチョイスというプロセスよりも、利用可能な活動パターンの選択肢集合の選定プロセスで、選択肢集合が非常に限定されることが予想される。よって、高齢者の交通行動分析には、まさにアクティビティベーストアプローチが適しているものと考えられる。 しかし、高齢者の交通行動にアクティビティから迫ろうとする研究は、あまり盛んに行われていない。よって、高齢者の生活と交通の関連、ライフスタイルと交通行動との関係についてはほとんど未知である。高齢者交通の研究が、ある断片的な側面からの分析にとどまりがちなのも、高齢者に対する調査の困難さに伴い、個人や世帯を取り巻く環境や、毎日の生活活動および交通行動に関して、詳細で信頼性の高いデータ収集が難しいという点が一つの大きな要因と考えられる。 一方、近年、情報通信分野の技術開発の進歩は目覚しく、パソコンやインターネットの普及は新たなメディアを提供し、携帯電話やPHSなどの移動体通信システムも、ここ数年の間に急速に我々の日常生活に浸透してきた。これらの新たな情報通信技術を活用して、被験者が所持するだけで相当なデータを収集できる機器を活用したRPデータ収集、パソコンやインターネットを活用し、より視覚に訴えることで、より現実に近い仮想的な状況を提示してのSPデータ収集など、被験者への負荷を軽減し、より詳細な行動データを収集するという新たな調査手法の実用化の可能性は高い。またGISの普及により、交通GISデータの整備も途につき、詳細な環境空間情報が比較的容易に手に入るようになった。TDMや高齢者対策などのマーケットセグメントを考慮した、きめ細かな政策の評価の必要に迫られている現在、従来にも増して、きめ細かく精度の高いデータを用いて、様々な側面における制約条件を考慮した、より詳細な分析モデルが求められている。 以上の背景をもとに、本研究は、最新の情報通信技術(GPS、PHS)とGISを利用して得られる詳細で精度の高い、交通需要サイド、交通供給サイド、活動機会サイドのデータを用いて、アクティビティベーストアプローチの視点から詳細な制約条件を把握し、特に活動パターンの選択肢集合の生成に着目した分析手法の開発を行い、退職後の無職高齢者を分析対象として、生活活動と交通行動との関係を分析することを目的とする。具体的には、 1)一日の活動の時空間制約を明示的に考慮して、スケジュール変更を考慮した時空間プリズムの概念を提案し、時空間アクセシビリティに関わる分析と政策評価を行う。 2)高度情報通信技術(GPSおよびPHS)を利用して、交通行動時空間データ収集・分析システムを開発し、調査票記入形式調査との比較により交通行動調査への適用可能性を検討する。 3)世帯員間の相互作用、複数日単位での活動パターンを考慮して、同乗利用可能性を含めた活動パターンの選択肢集合生成モデルの開発と、そのモデルをGISとリンクすることで、GIS上で応答型調査が可能なツールを開発し、訪問面接調査を行い、制約条件の変化による複雑な行動変更を引き起こす政策評価に対する有効性を示す。 の3点を目的とする。以下では、本研究を通じて得られた結論をまとめる。 第2章では、まず、高齢社会における都市交通計画の課題を整理し、高齢者交通分野の研究をレビューすることで、特に高齢者の生活活動と交通行動に関する分野の研究についての蓄積が少なく、今後の高齢社会において個々人の需要に応じたきめ細かな政策を評価する上では、この分野の研究の必要性があることを示した。そして、高齢者の生活活動と交通行動を分析する上では、交通は活動の派生需要であるという概念に基づいたアクティビティベーストアプローチが有効であるとの認識から、近年までのアクティビティベーストアプローチに基づいた活動交通分析に関する研究の動向についてレビューした。さらに、特に高齢者の交通行動分析に際して、分析の入力データの主要な部分を占める交通行動データの収集手法の重要性を認識し、交通行動データ収集に関する研究のレビューを行った。 第3章では、活動交通パターンの選択肢集合を考慮する上で、非常に重要となる時空間パスと時空間プリズム、および時空間アクセシビリティの概念の基礎理論と、時空間アクセシビリティに影響を与えると考えられる制約条件を整理した。さらに、本研究において新たに提案する「スケジュール変更を考慮した時空間プリズムと時空間アクセシビリティ」の概念について説明した。この概念を用いることで、スケジュール調整により活動機会での利用可能時間を最大にできること、二人の活動スケジュールの制約を考慮した時に、両者のスケジュール調整を考慮して送迎という交通行動を明示的に考慮できることを示した。 第4章では、第3章で提案したスケジュール変更を考慮した時空間プリズムと時空間アクセシビリティの概念を用いて、実際の都市圏におけるアクセシビリティの分析を行った。まず、総合病院での通院活動のアクセシビリティの分析を行い、総合病院が郊外部へ移転に際して、公共交通サービスの改善など交通供給サイドの施策のみならず、サービス時間帯の変更や待ち時間の減少など活動機会サイドの施策の影響を評価することができた。また、プリズムにおける外出活動在宅活動選択モデルの構築により、自由目的外出活動選択に時空間アクセシビリティ変数が、より影響を与えることが確認できた。 第5章では、交通供給サイドや活動機会サイドのデータに関しては、GISの進展により、詳細で正確なデータが得られるが、交通需要サイドのデータに関しては、アンケート調査に依存しているために、データ精度に問題があることに着目した。そこで、GPSやPHSといった高度情報通信機器を用いて、非アンケート形式での行動時空間データの収集可能性を確認した。その結果、現時点ではGPSはパーソントリップデータ収集には、携帯性、操作性、電源、メモリーなどの問題があり不向きであるが、自動車トリップのデータ収集には非常に有効であり、出発時刻、旅行時間、移動経路、速度の詳細なデータを得られることで、TDMやITSの評価に有効に機能する可能性があることが確認できた。また、パーソントリップデータの収集には、GPSよりもPHSが有効であり、アクティビティダイアリー調査でも抜け落ちるトリップが存在することが確認でき、時刻の誤差も存在することが確認できた。特に高齢者の交通行動データ収集に有効に機能する可能性があることを示した。 第6章では、高齢者の交通行動を考える際には、同乗という交通手段を明示的に考慮できる分析手法が必要であるとの認識から、二人の活動スケジュールの時空間制約を考慮して、交通手段に同乗を含んだ代替活動パターン生成モデルを開発した。ここでは、一週間のダイアリーデータを利用することによって、複数日単位での外出活動のトレードオフを考慮した。さらに、本モデルをGISとリンクして、時空間制約、世帯員間の相互作用、複数日単位での活動の変更を考慮して、応答型調査が可能なツールSMAPを開発した。このツールを用いて訪問面接調査を行うことで、詳細な個別の制約条件を把握でき、制約条件の変化による活動パターンの変更可能性に関して、従来の調査では把握することが困難な、複雑な行動変更を引き起こす政策評価に対する有効性を示した。 最後に第7章で、本研究全体を通して得られた結論と、今後の課題と展望についてまとめた。 大規模な交通プロジェクトの長期的な交通需要予測のために、平均的な個人を仮定した交通需要予測モデルが求められていた時代から、個人の多様性を認識し、個々人のニーズに対応したきめ細かで比較的短期の政策の評価が望まれる時代にさしかかっている。本研究には、残された課題も数多いが、従来の概念の拡張と最新の情報通信技術を取り入れて、詳細なデータを用いたきめ細かな分析の枠組みを提供し、さらに非常に幅広い発展可能性を秘めており、都市交通計画の研究分野に大きな影響を与えるものと考えられる。 |