学位論文要旨



No 115104
著者(漢字) 中村,みやこ
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ミヤコ
標題(和) RT-PCR法による水中RNAウイルスの損傷の検出
標題(洋)
報告番号 115104
報告番号 甲15104
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4599号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 松尾,友矩
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 古米,弘明
 東京大学 助教授 滝沢,智
内容要旨

 近年、水の再利用など水資源の多様化が進んでいる。水の微生物学的安全性を確保するためには、病原ウイルスの監視が必要である。しかし、培養法での検出が困難なウイルスも多く、培養可能であっても作業に危険を伴い検出に長時間(数週間)を要する。分子生物学的手法のひとつであるPCR(Polymerase Chain Reaction)法は、ウイルスを安全かつ迅速(数時間)に検出する手法として有望視されている。しかしながら、PCR法の欠点の一つとして、不活化したウイルスを陽性と判定する、誤陽性の問題がある。水処理消毒システムにおいて、PCR法を用いて病原ウイルスのモニタリングを行う場合、この誤陽性は重要な問題となる。PCR法では、ウイルスの核酸の一部分(標的とする部分)に、分解(鎖の切断や塩基部分の分解)のような特定の損傷がある場合に限って、陰性と判定する。よって、ウイルスの損傷部位が、外套タンパクやPCR標的領域外の核酸部位である場合や、核酸の損傷の種類によっては、ウイルスが不活化していても陽性と判定してしまう。消毒剤のウイルスに対する作用(核酸やタンパクに与える損傷の種類や程度)は、未解明な部分が多い。PCR法でウイルスの活性の有無を正しく判定できるかどうかという点において、消毒におけるウイルスの損傷の受け方を調べる必要がある。

 本研究では、消毒による水中RNAウイルスの損傷を調べることを目的とした。様々な条件でRNAウイルスの消毒実験を行い、消毒剤がウイルスに与える損傷を検出した。また、RT(逆転写)-PCR法の測定値が、ウイルスの不活化をどの程度反映するかを調べた。次に、RT-PCR法を応用した「RNase処理RT-PCR法」を開発し、ウイルスの損傷検出手法として適用した。以上の実験結果から、ウイルスの消毒効果モニタリング手法としての、RT-PCR法の有効性とその課題について考察を行った。本研究で得られた主な知見を、各章ごとに記す。

第4章「ゲルろ過法によるウイルス原液の精製手法の開発」

 3種類のウイルスの原液、すなわち大腸菌RNAファージQ高濃度液、ポリオウイルス(ワクチン株)高濃度液、およびポリオウイルス部分精製液を、ゲル担体が充填されたマイクロスピンカラムを用いて精製した。その結果、いずれのウイルス原液も、短時間(30分程度)で、実験に差し支えない程度まで十分に塩素消費物質を除去することができた。また、すべてのウイルス原液について、73〜89%と高いウイルス回収率を得ることができた。

第5章「消毒におけるウイルスの不活化と核酸の損傷の測定」

 Qおよびポリオウイルスを対象ウイルスとして、塩素消毒実験を行った。生残ウイルス濃度をプラック法で、RNA濃度をRT-PCR法で測定した。測定結果から、遊離塩素はQおよびポリオウイルスを不活化し、RNAも分解することが明らかになった。結合塩素はQを不活化するが、RNAの分解の程度は、逆転写領域の長いRT-PCR法を用いても検出できないほど少ないことがわかった。結合塩素はポリオウイルスを不活化しにくく、RNAも分解しにくいことがわかった。その理由として、ポリオウイルスは反応液中で凝集していることが示唆された。リン酸緩衝水溶液中のQは、精製水中の場合に比べて塩素消毒で不活化しにくく、RNAも分解しにくいことがわかった。

 低圧紫外線ランプを光源とした、二酸化チタン光触媒による消毒実験を行った。対照実験として行った、光触媒を加えない紫外線のみによる消毒では、RNAの分解を認めることはできなかった。しかし光触媒を加えると、RNAは分解されることがわかった。

 本章の実験結果から、RT-PCR法は、ウイルスのRNAを検出するだけではなく、RNAの損傷の種類や程度を調べる手法としても有効であることが明らかになった。

第6章「塩素消毒におけるウイルスタンパクの損傷の検出」

 Qの塩素消毒実験を行い、Qを構成するタンパク分子をSDSポリアクリルアミドゲル電気泳動法で検出した。その結果、Qのタンパク分子の一次構造は遊離塩素で分解するが、結合塩素では分解しにくいことがわかった。

第7章「RNase処理RT-PCR法の開発」

 RT-PCR法において、ウイルスのRNAの損傷だけでなく、外套の損傷も同時に検出することを目的とした「RNase処理RT-PCR法」を開発した。RNAの加水分解酵素であるRNaseは、ウイルスの外套が損傷を受けて亀裂ができると、内部に入り込みRNAを分解する。RNase処理RT-PCR法は、ウイルス試料にRNaseを添加して接触させたあと、ウイルスからRNAを抽出してRT-PCR法を行う方法である。ウイルスの外套に亀裂があればRNaseがRNAを分解し、その結果はRT-PCR法測定値の低下として観測されると想定した。

 RNase処理RT-PCR法の開発においては、溶媒として全てBroth(Q培養液)を用いた。まず、RNaseによるRNAの分解特性を調べた。Qから抽出したRNAとRNase Aを接触させ、RT-PCR法でRNAを検出した。10ng/mlのRNaseと接触させると、RNA(1×108/ml)は3log以上分解することがわかった。次に、RNaseの活性を抑制する方法を調べた。RNaseと接触させた後の試料を、ウイルスからRNAを抽出するために加熱する時は、RNase Inhibitor(RNaseの活性を阻害する構造タンパク)とDTT(Dithiothreitol)の両方を試料に添加することにより、RNase濃度が10ng/ml以下では活性を抑制できた。RNAを加熱抽出した試料を冷却するときは、氷冷によりRNaseの活性温度領域(15〜70℃)を短時間で通過することとした。次に、RT反応において、RT-PCR反応液に含まれるRNase Inhibitorは、RNaseの活性を十分に抑制することを確認した。

 以上の実験結果から決定した、RNase処理RT-PCR法のプロトコールは次のとおり。[ウイルス試料100lにRNase Aを10ng/mlになるように加え、37℃で60〜90分接触]→[RNase Inhibitor 120UおよびDTT lmMを添加]→[ウイルスからRNAを加熱抽出し、75℃以上で保持]→[試料を氷冷により急冷、15℃以下で保持]→[RT-PCR法でRNAを検出]。

第8章「RNaseを用いたウイルスの損傷の検出」

 本章では、消毒によりQが受ける損傷をRNaseを用いた手法で測定した。Qの消毒実験はすべてリン酸緩衝水溶液中で行った。まず消毒実験を行う前の対照として、リン酸緩衝水溶液中のQをRNase処理RT-PCR法で測定した。その結果、RNase処理による抽出したRNA(1×107/ml)の分解効率は1logであり、Broth溶液中の場合(3log以上)と比較して小さいことがわかった。Broth溶液中の方がリン酸緩衝水溶液中よりもRNAが分解されやすい理由としては、共存物質が多いためRNAが凝集しにくいことが考えられる。

 次に、RNase処理RT-PCR法およびRNase処理プラック法(プラック形成能力はあるが外套に亀裂のあるウイルスを検出する手法)を用いて、加熱消毒および塩素消毒におけるQの損傷を検出した。Qの加熱消毒実験において、RNase処理プラック法の測定結果から、消毒後もプラック形成能力を維持しているQのほとんどは外套に亀裂があることが明らかになった。一方、RNase処理RT-PCR法では、加熱消毒によるQの外套の亀裂は検出されなかった。この理由としては、(リン酸緩衝水溶液中での)RNaseとの接触によるRNAの分解が、RT-PCR法測定値が低下するのには不十分なことが考えられる。Qの遊離塩素消毒実験においては、RNase処理プラック法による外套の亀裂は検出されなかった。同じ試料にRNase処理RT-PCR法を適用した結果、外套の亀裂は検出されなかった。そしてRNAの分解については、通常のRT-PCR法と同程度の検出感度が得られた。

第9章「RT-PCR法およびRNase処理RT-PCR法の手法適用範囲と課題」

 以上の実験結果から、ウイルスの消毒効果モニタリング手法としての、RT-PCR法の有効性とその課題について考察を行った。(通常の)RT-PCR法を消毒効果のモニタリング手法として適用できる可能性があるのは、ウイルスのRNAが分解される消毒方法に限られる。本研究では、遊離塩素消毒と光触媒消毒のモニタリングには、RT-PCR法を適用できる可能性があることがわかった。一方、結合塩素消毒や紫外線消毒、および加熱消毒については適用が難しいことがわかった。

 RNase処理RT-PCR法は、ウイルスのRNAの損傷だけでなく、外套の損傷も同時に検出することを目的として開発したものである。実験結果から、RNAの損傷(分解)については、通常のRT-PCR法と同程度の検出感度が得られた。外套の損傷(亀裂)を検出する感度は、RNaseによるRNAの分解効率に依存する。RNAの分解効率は、Broth溶液中では高いが、リン酸緩衝水溶液中では低かった。RNase処理RT-PCR法の今後の課題は、どのような溶媒においても、外套の損傷を十分な感度で検出することである。そのためには、RNase処理によるRNAの分解効率を高める工夫が必要である。

審査要旨

 本論文は、「RT-PCR法による水中RNAウイルスの損傷の検出」と題し、水の微生物学的安全性を確保するため、水中病原ウイルスの監視に、分子生物学的手法のひとつであるPCR(Polymerase Chain Reaction)法およびその新しい改良法の開発および適用を目的とした研究である。同手法を用いて、消毒による水中RNAウイルスの損傷機構も明らかにしている。本研究で得られたおもな知見は以下の通りである。

 第1章は、「序論」であり、本研究の必要性の背景と論文の構成を示している。

 第2章は、「既存の研究」であり、既存の知見を整理して示している。

 第3章は、「研究に用いた基礎的な実験手法」であり、本研究に用いた大腸菌RNAファージQおよびポリオウイルスI型弱毒株について、ウイルス培養法、各種ウイルス検出法などを取りまとめて示している。

 第4章は、「ゲルろ過法によるウイルス原液の精製手法の開発」に関する結果である。大腸菌RNAファージQ高濃度液、ポリオウイルス高濃度液、およびポリオウイルス部分精製液を、それぞれゲル担体を用いた精製法を検討し、実験に差し支えない程度まで十分に塩素消費物質を除去することができること、また、73〜89%と高いウイルス回収率を得ることができることを示している。

 第5章は、「消毒におけるウイルスの不活化と核酸の損傷の測定」に関する成果である。Qおよびポリオウイルスを対象ウイルスとして、塩素消毒実験を行い、生残ウイルス濃度をプラック法で、RNA濃度をRT-PCR法で測定している。測定結果から、遊離塩素はQおよびポリオウイルスを不活化し、RNAも分解することを明らかにしている。結合塩素はQを不活化するが、RNAの分解の程度は、逆転写領域の長いRT-PCR法を用いても検出できないほど小さいことを遊離塩素との比較から明らかにしている。低圧紫外線ランプを光源とした、二酸化チタン光触媒による消毒実験についても検討を行い、光触媒を加えない紫外線のみによる消毒では、RNAの分解を認めることはできないが、光触媒を加えると、RNAが分解されることを明らかにしている。以上より、RT-PCR法は、ウイルスのRNAを検出するだけではなく、RNAの損傷の種類や程度を調べる手法としても有効であることを示している。

 第6章は、「塩素消毒におけるウイルスタンパクの損傷の検出」についてである。Qの塩素消毒実験を行い、Qを構成するタンパク分子をSDSポリアクリルアミドゲル電気泳動法で解析している。その結果、Qのタンパク分子の一次構造は遊離塩素で分解するが、結合塩素では分解しにくいことを示している。

 第7章は、「RNase処理RT-PCR法の開発」に関する章である。ウイルスのRNAの損傷だけでなく、外套の損傷も同時に検出できる「RNase処理RT-PCR法」を開発している。RNase処理RT-PCR法は、ウイルス試料にRNaseを添加して接触させたあと、ウイルスからRNAを抽出してRT-PCR法を行う方法である。ウイルスの外套に亀裂があればRNaseがRNAを分解し、その結果はRT-PCR法の測定値の低下として観測される。本章の成果として得られた、RNase処理RT-PCR法のプロトコールは次の通りである。[ウイルス試料100lにRNase Aを10ng/mlになるように加え、37℃で60〜90分接触]→[RNase Inhibitor 120UおよびDTT1mMを添加]→[ウイルスからRNAを加熱抽出し、75℃以上で保持]→[試料を氷冷により急冷、15℃以下で保持]→[RT-PCR法でRNAを検出]。

 第8章は、「RNaseを用いたウイルスの損傷の検出」に関する成果である。RNase処理RT-PCR法およびRNase処理プラック法(プラック形成能力はあるが外套に亀裂のあるウイルスを検出する手法)を用いて、加熱消毒および塩素消毒におけるQの損傷の検出を試みている。加熱消毒後もプラック形成能力を有しているウイルスでも、外套に亀裂があるものが存在していることを明らかにしている。

 第9章は、「RT-PCR法およびRNase処理RT-PCR法の手法適用範囲と課題」と題し、ウイルスの消毒効果モニタリング手法としての、RT-PCR法の有効性とその課題について考察している。通常のRT-PCR法を消毒効果のモニタリング手法として適用できる可能性があるのは、ウイルスのRNAが分解される消毒方法に限られるとしており、例えば、遊離塩素消毒と光触媒消毒のモニタリングには、RT-PCR法を適用できる可能性があると結論している。一方、結合塩素消毒や紫外線消毒、および加熱消毒については適用が難しいとしている。加えて、RNase処理RT-PCR法の外套の損傷(亀裂)を検出する感度は、RNaseによるRNAの分解効率に依存すること、そのRNAの分解効率は、Broth溶液中では高いが、リン酸緩衝水溶液中では低いことを示している。RNase処理RT-PCR法の今後の課題は、どのような溶媒においても、外套の損傷を十分な感度で検出できるようにすることであると指摘している。

 第10章は、「本研究のまとめ」である。

 以上のように、本研究は、水中ウイルスの検出法と消毒による損傷機構解明について新しい試みの提案とその成果を示したものであり、水環境工学の進展に大きく貢献するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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