農業活動に伴い農地の水系中の硝酸態濃度の増加が進行している。硝酸態窒素は健康に与える影響が懸念されており、環境基準が近年導入されたが、その発生源が点源でないこともあって、対策が進んでいない。一方、自然界や水田などではこれらの硝酸態窒素を脱窒として除去する反応が進んでいる。この反応自体は硝酸態窒素汚染の解決に資するものであるが、その反応の過程で温室効果ガスである亜酸化窒素が発生する。本論文は、亜酸化窒素の発生を抑制しつつ硝酸態窒素の除去を脱窒で行わせるために、農地の土壌中に硫黄を埋め込むという、これまでに考えられていない方式の可能性を実験的に検討したものである。 本論文は「農地水系における硫黄脱窒を用いた硝酸態窒素除去及び亜酸化窒素の抑制」と題し、全9章からなる。 第1章「研究の背景及び目的」では、本研究の背景、目的、意義を述べている。 第2章「既存の知見の整理」では、まず地球温暖化の問題の中での温室効果ガスとしての亜酸化窒素の役割と硝酸態窒素汚染に関する既存の知見を整理する一方で、農地をはじめとした自然界での窒素と硫黄のサイクル、亜酸化窒素の発生について既存の研究をレビューしている。 第3章は「分析方法」である。本研究で特に着目している亜酸化窒素の分析、また分子生物学的手法であるFISHについて、特に詳しく説明している。 第4章は「硫黄の有効性評価」である。この章ではそもそも硝酸態窒素を土壌中で脱窒するに当たって硫黄を埋め込む方式が可能であるかどうかを実験的に検討している。ここでは、水田を模擬するためにカラムを用い、そこに土壌と硫黄を混合して充填し、硝酸態窒素を含む水を流す実験を行っている。ここで得られた硝酸態窒素除去速度は水田の脱窒能力調査結果に比べ大きいことを示している。更に重要なことは、亜酸化窒素の生成が実際の水田に比べ遙かに小さいことであり、注目される結果である。 第5章は「硫黄脱窒への影響因子の把握」である。硝酸態窒素の除去と亜酸化窒素の発生の抑制は土壌中のさまざまな因子によって影響を受ける。含水率、pH、脱窒に利用可能な電子供与体が主たる因子であり、これらと反応の進行の関係をバッチ実験によって検討している。まず、含水率については、湛水した水田土壌のように水を多く含む場合には、脱窒が良好に進行しまた亜酸化窒素の発生量も小さいが、含水率が小さくなると脱窒速度が低下する一方で亜酸化窒素への転換が多くなることを示している。このことは、亜酸化窒素の生成を伴わずに硝酸態窒素を除去するには畑地よりも水田のような環境の方が望ましいことを示している。次に、土壌のpHを中性に保つために炭酸カルシウムを添加することが亜酸化窒素の発生防止に大きな効果があることを新たに明らかにしている。更に、様々な物質を電子供与体として与える実験では、グルコースやセルロースなどの有機物を添加すると、硝酸態窒素の除去は大きい速度で進行するが、その一方で亜酸化窒素の生成が大きいこと、これに対して硫黄を用いた脱窒あるいは硫化物を用いた脱窒では亜酸化窒素の発生を抑制しつつ、一定程度の硝酸態窒素の除去速度が得られることを示している。これらのことを総合し、高含水率で無酸素条件に保ち、炭酸カルシウムによって土壌を中性に保った状態で硫黄を土壌に混合することが、亜酸化窒素の発生を抑制した硝酸態窒素の除去にもっとも適していることを明らかにしている。このように、本法を実際の土壌に適用するにあたっての条件を明らかにしている点は大きく評価される。 第6章は「副次的影響の評価」であり、いくつかの関連事項を取り上げている。まず一酸化窒素(NO)の生成については、亜酸化窒素に比較してその発生は極めて少ないが、含水率が低い場合に多く発生する傾向を見いだしている。次に、硫化物による阻害についてであるが、硫黄を添加する方式に比較して、硫化物を添加した場合には阻害が起きやすいことを示しており、硫化物よりも元素状の硫黄が望ましいことを示している。更に、現実への応用を考えて、10センチメートルの厚さで土壌中に硫黄を埋め込む実験を行ったところ、そのゾーンのみで十分な脱窒が起きることを示している。 第7章は「FISHによる硫黄脱窒の評価」である。これまで硫黄脱窒細菌に対してFISHを適用した例はなく、プローブの設計から検討を開始し、それを土壌中に含まれる硫黄脱窒細菌計測に実際に適用しており、この点が評価される。 第8章は「最適な硝酸態窒素除去法の提示」であり、農地の実地調査の結果と本研究で得られた結果を比較し、さらに現場への適用可能性を検討している。 第9章は「結論」で、研究成果を総括すると共に、今後の課題を抽出している。 本研究は、農地水系における硝酸態窒素汚染と、温室効果ガスである亜酸化窒素の問題を視野に置き、これらの問題を防止する技術を農地水系に適用する可能性を示したものであり、その独創性、得られた成果には大きなものがある。本論文は環境工学の発展に大きく寄与するものであり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |