学位論文要旨



No 115106
著者(漢字) ヴィジャヤコーン スレン ルーシャン ジョーン
著者(英字) Wijeyekoon Suren Lucien John
著者(カナ) ヴィジャヤコーン スレン ルーシャン ジョーン
標題(和) 水理学的条件および基質負荷が生物膜の形成とその構造に及ぼす影響
標題(洋) EFFECTS OF HYDRODYNAMICS AND SUBSTRATE LOADING ON DEVELOPMENT AND STRUCTURE OF BIOFILMS
報告番号 115106
報告番号 甲15106
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4601号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 教授 松尾,友矩
 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 助教授 滝沢,智
 東京大学 助教授 佐藤,弘泰
内容要旨

 生物膜を利用した生物学的廃水処理は100年以上前から行われている。しかし、その実際への応用が限られてしまっているのは、生物膜法の機構やプロセス制御についての理解が乏しいためである。生物膜の中で起こっているミクロな過程の複雑さや動態については、現在に至るまで、広く受け入れられるような形での模式化やモデル化はされていない。生物学的処理プロセスにおいて主要な制御プロセスは、制限因子となる栄養素の物質移動速度とその利用速度である。栄養素の利用は、バクテリアの生理状態と基質の利用可能性に密接に関係している。物質移動の速度はリアクターの運転条件と生物膜の中の輸送メカニズムにより決定する。生物膜の外側における物質移動制御のメカニズムは良く知られているものの、動力学についての予測、すなわち内部における物質移動や基質摂取の速度とメカニズムとの関係はほとんど分かっていない。生物膜の構造とその中でのバクテリアの生理状態について十分な知見が得られてこなかったことが、生物膜法の動力学を表現することが遅れてきた主な理由である。

 近年、新しい分析・観察道具の開発により、非常に多くの研究が生物膜の構造について重点を置いて行われてきている。こうした研究により、生物膜の構造について詳細に表現されているが、このことが次のようにさらなる混乱を招いている。生物膜の構造は非常に種々雑多なものであり、これまで3次元の移流過程を表現するために必要とされてきた均一構造の仮定とは相反するものであった。そうした混乱に加えて、数多くの構造様式が生物膜のモデルとして提唱されている。

 本論文の第一の目的は、水理学的条件と基質負荷が生物膜の形成とその構造に与える影響を調べることにある。この主な点に加え、生物膜中の硝化細菌の空間的構造を明らかにすることを試みた。さらに、新しい非破壊糖類染色法を初めて廃水処理生物膜に用い、生物膜における単糖類と分布を見た。細胞外多糖類を化学的に定量し、菌体外ポリマーへの栄養源制限と増殖との関係を調べた。全体の結論に基づき、運転条件と生物組成を考慮に入れた生物膜の構造についての概念モデルを提唱した。

 まず、管を用いたリアクター3つをそれぞれ層流、遷移状態、乱流の条件で運転し、水理学的条件が生物膜の増殖と微小構造に与える影響についてさらに詳しく調べた。生物膜の垂直構造は、凍結し担体と垂直方向に薄切片を作成し、共焦点レーザー顕微鏡により観察した。生物膜の増殖は空間密度により定量し、拡散は比電子伝達鎖活性により間接的に表した。

 生物膜の増殖速度は水理学的条件と密接な関係が見られた。撹乱が増大することで、生物膜の増殖は促進された。これは、比較的薄い濃度境界層を通過する基質フラックスが増大するためである。ただし、極端な撹乱は生物膜を剪断するため、全体として増殖は遅くなった。このことより、拡散制限が細胞密度が高いときには優位であり、増殖速度が遅くなるのではないかと考えられた。比電子伝達鎖活性は細胞密度に反比例し、拡散は密な生物膜では大きく妨げられるということを明確に示した。

 生物膜の初期における構造は、3種類の流速条件ともに形態学的に類似していたが、これは担体近くの定常的な水理学的境界層の存在によるものであろう。生物膜の厚さは同じであったものの、空間密度を測定したところ遷移状態のときには細胞密度がかなり高いことがわかった。しかし、成熟した生物膜では対照的な形態を示しており、水理学的条件が膜の構造に及ぼす影響を明確に示していた。層流下の生物膜は均一で、表面はなめらかであり、層流のなめらかな流れに一致していた。乱流では生物膜は層状になり、基底部は密な層でその上に糸状の構造が形成された。これは、乱流下において担体近傍では層流層が存在し、その上に乱流の渦があって絶えず表面を穿っているためと考えられた。こうした観察に基づいて、生物膜への拡散はその内部構造と生物膜厚に大きく依存する、ということが提唱できる。

 撹乱が強くなると、基質フラックスが増加し、硝化速度が促進される。硝化細菌は、乱流及び遷移状態では生物膜の上部に存在していた。この現象は、増殖の速い生物がまず基底部に棲みつき、そのあとに増殖の遅いものが棲みつくという通説に一致する。しかし、アンモニア酸化細菌が生物膜の表面にいることは、より増殖速度の大きいものが基質により近い場所に棲みついて硝化細菌を駆逐する、という、増殖速度に基づいた理論とは相反する。

 異なる水理学的条件下における廃水処理生物膜の、菌体外糖類モノマーの生成と分布について、新しい非破壊的な方法で調べた。糖類は、生物膜中の密なフロックの中で生産されることが示された。しかし、糖類が菌体から出されるものなのか、死細胞の加水分解の結果生成されるものなのかは分からなかった。糖類の生産は、生物膜の増殖速度と相関していた。このことは、生物にとって不利な条件における生体の反応と解釈することができるだろう。すなわち、細菌は菌体外ポリマーを増強することによって、周囲の流れによるより強い水理学的条件から身を守るのである。撹乱が強いとき、生物膜の密度と見かけの付着強度が大きくなり、比活性が下がることは、活性のある細菌がこうした糖類を代謝しているためである。

 次に、基質の表面負荷の生物膜の成長と構造への影響を、化学的、生化学的、また顕微鏡観察により調べた。3つの管リアクターを一定のC/N比(C/N=0.1)となるようにし、負荷をアンモニア態窒素で0.8,0.4,0.2mg-N/cm2/dayと変えて運転した。生物膜の増殖速度は表面密度の経時変化を取ることで定量した。INT脱水素酵素活性を用い、生物膜の比呼吸活性を定量的に示した。またこの方法を用いて、生物膜中の生理活性のある菌体の分布も調べた。顕微鏡観察によりこれらの測定を補完し、また異なる負荷条件における膜構造の違いを明らかにした。

 生物膜の成長速度は基質負荷と正の相関があった。増殖の速さは境界層を通過する基質フラックスの大きさにより支えられており、それは基質濃度勾配が大きいことが影響していた。基質が十分にあることにより、密な生物膜が形成された。基質濃度が最も小さいものでは、生物膜の構造は、上部が空隙に富んだものであった。構造の空隙度は基質制限によるものと言える。

 比代謝活性は構造密度と基質濃度に関係していると考えられた。活性は一般的に細胞令と細胞密度の増加とともに減少し、基質濃度には正の影響を受けていた。空隙の多い構造を持つ成長の遅い生物膜は比活性が高く、空隙率が低いと生物膜内での拡散速度は減少するという説明のいい例となる。低い基質負荷のもとで成熟した生物膜では、活性を持つ大部分の菌体が生物膜の底部近くに分布していた。このことは、これらの生物が生物膜底部にある菌体外糖類を使っていることを示唆している。不活性な細胞は表面に位置していて、空隙率の高さに部分的に寄与している。

 C/N比が一定であっても、硝化は基質負荷が高い方で抑制されていた。高い負荷条件の時、有機炭素がより多く利用可能で、増殖が速くなって硝化細菌の定着を妨げていた。しかし、低い基質負荷では硝化が完全に行われたことから、硝化細菌と従属栄養細菌による空間の競合が安定した硝化の制限因子となっていることが確かめられた。

 窒素を制限することにより、菌体外ポリマーに比べ高い割合の糖類が生産された。低基質負荷下では糖類の80%が有機態炭素であった。このことは微生物が窒素源なしで炭素を代謝できないことに起因し、したがって菌体外ポリマーの形で炭素を放出することになるのである。増殖の速い状況下では、死細胞の加水分解産物が糖類の主な起源と思われる。生理活性の高い菌体は単糖類が密に存在しているところから離れて存在していたことから、これらの菌体は単糖類を排出しないか、単糖類をすぐには代謝しないといえる。

 最後に、本研究における結論、また実験上確実に生物膜の構造に影響を及ぼす因子に基づき、生物膜の構造と組成についての概念モデルを提唱した。このモデルは、リアクターの条件や微生物の特徴、菌体外ポリマーの生成とその転換に着目した微生物の生理状態について考慮に入れたものである。モデルでは、水理学的撹乱が大きくなると、層状構造が形成され、密な基底層と粗い表面構造を持つ疎な表層となることを基礎においている。生物密度は撹乱が大きくなるに従い増加するものの、水理学的境界層が薄くなるに従い密な基底層の厚さは小さくなる。層状化は極端な撹乱のもとではより明確である。基質表面負荷が大きくなると、菌体密度は増加して生物膜の空隙は小さくなる。基質を制限すると上部構造の空隙率が大きくなる。剪断力と基質負荷の比が大きくなると、モデルでは、層状構造がすすみ、撹乱が大きいときと形態が似た生物膜が形成されるものの、基質負荷が小さいために構造的には疎なものとなるという仮説をたてた。この概念モデルは生物膜の構造に焦点を当てた実験行う際に大いに役立つものである。

審査要旨

 担体表面に付着して生育する微生物(生物膜、Biofilm)を利用した水処理(生物膜法)は100年以上の歴史を持ち、微生物滞留時間を長く維持することが容易なために増殖速度の遅い微生物を用いたプロセス(硝化プロセスや二次処理水の高度処理プロセス)としてしばしば用いられている。生物膜法を工学的に制御し設計や運転管理を体系化するためには、生物膜内で生じている現象やその形成過程を記述できるモデルの構築が必須である。生物膜は担体表面に次第に成長してゆき、その内部への基質輸送が深部ほど拡散抵抗による制約を受けるので、生物膜の構造自体が本質的に不均一になることが知られている。そのような系で、ミクロな環境条件の影響を強く受ける生物膜内での微生物群集構造の動態を見ることは技術的にも困難が多く、これまで一般性の低いモデルや多くの仮定をもとにしたモデルしか開発されてこなかった。プロセス設計や制御にまで利用できる一般性を保証できるモデルを構築するためには、生物膜を構成する個別の機能を持った微生物群集ごとの生物膜内での挙動や膜形成への寄与を正しく理解し、生物膜の微生物学的な構造を記述することができなくてはならない。

 本研究は、生物膜を用いた水処理において生物膜の形成に影響する重要な要素である水理学的条件および基質負荷量という二つの因子が、生物膜の形成過程や構造にどう影響するかを実験的に調べたものである。とくに硝化反応のための生物膜を取り上げ、その微生物学的な構造を理解しモデル構築のための基礎的な情報を集めることを目的として行われたものである。その特徴は、近年実用的に利用できるようになった新しい技術として、微小サンプルの立体構造の把握に威力を発揮する共焦点走査レーザー顕微鏡、遺伝子プローブによる微生物検出法である蛍光ハイブリダイゼーション法、生物膜内の生物由来糖類を特異的に検出するレクチン染色法の3つを導入することにより、新しい視点で生物膜構造を解析した点にある。本研究は、「EFFECTS OF HYDRODYNAMICS AND SUBSTRATE LOADING ON DEVELOPMENT AND STRUCTURE OF BIOFILMS(水理学的条件および基質負荷が生物膜の形成とその構造に及ぼす影響)」と題し10章からなる。

 第1章は「Introduction」であり、上に述べたような本研究の背景および目的が述べられている。

 第2章は「Literature Review」であり、生物膜、硝化反応、その研究手法に関する既存の研究成果をレビューしている。

 第3章は「Materials and Methods」である。この章では本研究を通じて用いた分析法や実験手法について解説し、その手順を述べている。

 第4章「Biofilm Structural Development on Planar Substratum」では、スライドガラス上に生物膜を形成させ、その過程を共焦点走査レーザー顕微鏡で観察することを試みた。生物膜の深さ方向の不均一さを可視化し、その特性を記述した。また、バイオフィルムが小さなクラスターからネットワーク状に成長することを確認した。

 第5章「Effects of Hydrodynamics on Tubular Biofilm Structure」では、管路形の生物膜リアクターを開発し、これを層流、遷移状態、乱流の各条件で運転し、水理学的条件が生物膜の増殖と微細構造に与える影響について調べた結果を述べている。

 第6章「Effects of Substrate Loading on Tubular Biofilm Structure」では、5章と同じ管路形リアクターを用いて、基質中の炭素:窒素の比を一定にした上でその基質の総負荷量を変化させてその生物膜構造への影響を調べた結果を述べている。5章・6章を通じ、リアクター担体として用いた塩ビのチューブを生物膜ごと凍結しチューブと垂直方向に薄切片を作成した後、共焦点レーザー顕微鏡により観察するという斬新な手法を開発することにより、生物膜の深さ方向の構造を解析している。

 第7章は「In Situ Identification of Extracellular Carbohydrate Fractions」と題し、第5章・6章の実験で用いたリアクターにおいて、レクチン染色法を用いて生物膜内の生物由来糖類を特異的に検出することを試みた結果をまとめている。

 第8章は「A Conceptual Model for Biofilm Structure」であり、第4章から7章までで得られた結果を用い、とくに実験上確実に生物膜の構造に影響を及ぼす因子に基づき、生物膜の構造と組成についての概念モデルを提唱している。この概念モデルは、今後生物膜数学モデルの構築の基礎として、また生物膜の構造に焦点を当てた実験行う際の実験計画のための情報として大いに役立つものである。

 第9章は「Conclusion」である。硝化細菌の特徴・菌体外ポリマーの生成とその転換に着目し微生物の生理状態について考慮に入れたモデルを構築したこと、水理学的条件と負荷条件の影響を総合した上で剪断力と基質負荷の比が大きくなると層状構造がすすみ撹乱が大きいときと形態が似た生物膜が形成されるものの基質負荷が小さいために構造的には疎なものとなるという仮説をたてている点が特記すべきことがらである。

 第10章は「Recommendation」であり、本研究全体を総括し結論をまとめた上で今後行うべき研究について提言している。

 以上をまとめると、本研究は、廃水処理における重要なプロセスである硝化をおこなう生物膜の形成過程とその構造について、全く新しい手法を導入することにより実験的に解析し、定性的にではあるが水理学的条件および負荷条件の生物膜構造への影響を示す概念モデルを構築した。この結果は硝化生物膜のみならずきわめて一般性の高い概念を包括するものであり、また用いた手法も様々な生物膜構造の解析のために広く用いることができる可能性を持つものである。これらは、今後、生物膜の形成過程についてより定量的な情報を得て一般性が高く工学的に利用価値のあるシミュレーションモデルを構築してゆく上で貴重な情報を与えている。以上のような観点から、本研究は都市工学とりわけ環境工学の発展に大きく寄与するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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