学位論文要旨



No 115109
著者(漢字) 坪井,伸幸
著者(英字)
著者(カナ) ツボイ,ノブユキ
標題(和) 極超音速希薄流における非平衡な衝撃波/境界層干渉の構造
標題(洋)
報告番号 115109
報告番号 甲15109
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4604号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 久保田,弘敏
 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 教授 西尾,茂文
 宇宙科学研究所 教授 藤井,孝藏
 東京大学 講師 高木,周
内容要旨

 近年,半導体製造,航空宇宙工学の分野の研究開発において,希薄気体力学に関連する分野の研究が積極的に推進されている。希薄気体力学を取り扱う領域は,気体の圧力及び密度が低い為に平均自由行程が大きい,あるいは代表長さが小さい場合に相当し,その結果,代表長さより気体分子の平均自由行程が大きい状態となり,流れの状態は希薄領域となる。この領域は,流れを連続体的に取り扱えなくなる領域である。

 例えば,半導体製造は主に真空雰囲気中で行われ,プロセスガスをオリフィスから真空中に急激に膨張させる,いわゆる自由噴流の流れ場中に基盤を設置し,薄膜を成長させる方法(真空蒸着法)が主流である。一般的に蒸着材料として用いられる多原子分子を噴出させた場合,自由噴流内では分子の並進温度及び分子の内部自由度である回転温度及び振動温度すべてが異なる非平衡頷域になる。この非平衡な領域における物理的特性を取得することや,最適な製造プロセスを構築するためには,このような流れ場を研究することは非常に重要である。

 一方,近年,国内外で活発に研究開発が進められている宇宙往還機,惑星探査機及び宇宙ステーション等は,大気密度が低い高々度を飛行する。これらの飛行速度は主に音速を遥かに上回る極超音速であり,物体周りの衝撃波同士や衝撃波と境界層の干渉から受ける空気力学的,熱力学的特性は,地上付近の状態とは大きく異なる。この環境を実験的に地上で再現するためには,莫大な費用と歳月を要し,また実験精度等の技術的な困難が数多く存在する。また,近年発達がめざましい数値シミュレーション技術を使用しても,計算機容量や計算時間を要し,さらには計算手法にもさらなる改善の余地が存在する。それにも関わらず,極超音速希薄流における物体周りの流れ場の詳細な物理現象を解明することは,物理現象を把握し,さらに実機を設計する上で必須の問題である。

 本論文は,極超音速希薄流における物体周りの衝撃波と境界層の干渉に着目して実験的手法と数値解析的手法の両面から研究を実施し,数値解析法の有効性を示すと共に物理現象の解明を行った。具体的には,まず実験的手法として,ノズルから噴出する極超音速流中に鋭い前線を有する平板設置し,電子線蛍光法により回転温度分布を取得した。次に,実験と同一の条件で数値解析を実施し,平板前縁近傍の流れ場に対する計算手法の検証を行った。最後に,両者の結果を踏まえて平板前縁における衝撃波/境界層の干渉の物理現象を明らかにした。

 まず,研究対象とした平板前縁近傍の流れ場について説明する。図1に示すように,極超音速希薄流中に置かれた鋭い前縁を有する平板近傍では,急激に発達する境界層と衝撃波が強く干渉する。流れ場を連続体として取り扱うことが可能な領域では,境界層の急激な発達のため衝撃波と境界層が強く相互干渉するstrong interaction及び境界層の発達が穏やかであるため相互干渉が弱いweak interactionが平板前縁で見られるが,rarefaction parameter >0.15であるような領域では,衝撃波と境界層が融合し,その領域中の物理現象は十分に解明されていない。この領域における数値解析手法としては,流れを連続体と仮定するNavier-Stokes方程式を数値的に解く手法と,分子の移動を直接追跡するDSMC(direct simulation Monte Carlo)法がある。この様な領域では分子の並進温度と回転温度の強い非平衡現象が生じるため,非平衡現象を正確に再現するモデルは連続体モデルには存在しないこと及び流れ場を連続体的に取り扱うことが難しいことから,本研究ではDSMC法を使用した。

図1:鋭い平板前縁近傍の流れ場

 次に,上記の非平衡現象を精度良く解析するには,分子衝突時の並進エネルギーと回転エネルギーの間のエネルギー交換を正確に把握する必要がある。DSMC法で従来までよく使用されているモデルは,分子衝突時の並進エネルギーと回転エネルギーは局所平衡が成り立つとの仮定に基づいて構築されているため,本論文が対象としている非平衡が強い流れ場には適していない。そこで本論文では2原子分子の2体衝突を分子動力学法によりシュミレーションした結果を基に構築したモデルを使用した。すなわち,本DSMC法はミクロスケールとマクロスケールを合理的に結合した手法である。さらに,粒子数に応じて計算領域を分割してそれぞれのCPUに動的に割り当てる並列計算を実施し,効率的に計算時間短縮を図っている。

 上記のDSMC法の有効性を確認するため,並進温度と回転温度を同一とした圧縮性Navier-Stokes方程式の数値解と比較を行った。圧縮性Navier-Stokes方程式(NS法)は,流束計算としてHarten-Yeeの修正流束型TVD法を,時間積分として陽解法を,そして壁面滑りを考慮するため,Maxwellian速度滑り及び温度滑りを使用して解いた。計算条件は,一様流マッハ数4.9,総温690[K],0.05[m]基準のKnudsen数は0.024,同基準のReynolds数は700である。その結果,NS法はDSMC法と同程度の壁面速度滑りを算出したものの,熱流束に関しては前縁近傍でNS法はDSMC法の2倍以上の高い値を示した。さらに,DSMC法では壁面近傍で並進温度と回転温度の強い非平衡が示されたが,NS法ではDSMC法の回転温度と同様の温度分布を示した。このことから,並進温度と回転温度を同一としたNS法は非平衡流れに対する解析に限界があることを示し,さらにDSMC法の有効性を示した。

 衝撃波と境界層の干渉に関する実験は従来までに行われているものの,回転温度計測に着目して実施した実験は皆無であったため,DSMC法の検証をするためにドイツのアーヘン工科大学衝撃波研究所所有の希薄気体風洞を使用して,電子線蛍光法による平板周りの極超音速希薄流中の回転温度計測を実施した。風洞直径は最大で2.4[m]であり,そして本実験をするために新たに出口直径10[cm]のステンレス製コニカルノズルと,幅10[cm],長さ13[cm]の銅製平板を製作した。ノズルは境界層の発達を抑制するために壁面を水冷し,平板は壁面温度を一定にするために水冷している。気流条件は一様流マッハ数4.9,総温690〜1,000[K],0.05[m]基準のKnudsen数は0.024〜0,028,同基準のReynolds数は700〜500,気体成分は窒素である。そして,ノズル内部で発達した境界層の影響と流れ場中の3次元性を明確にし,流れ場が2次元性を有する領域を限定した上で平板前縁近傍の回転温度計測に成功し,詳細なデータを取得した。

 この実験結果を使用して,DSMC法の検証を実施した。その結果,総温670[K]の条件では両者は良好に一致し(図2),また並進温度と回転温度の間には100[K]以上の非平衡が存在すること,平板前縁から流れ方向に移動するするに従って非平衡は緩和することが示された。しかし総温1,000[K]の場合は,平板前縁から流れ方向に移動するに従い,DSMC法による回転温度分布は実験結果より最大で50[K]程高い値を示す傾向があった。

図2:平板上方の回転温度分布における実験結果と計算結果の比較(左:前縁から5[mm]位置;右:前縁から10[mm]位置)

 総温が高くなるに従って,DSMC法による回転温度分布が実験結果より高い値を示す理由として,(i)気体分子と平板壁面との干渉の影響(ii)一様流中の並進温度と回転温度の非平衡の存在(iii)振動励起の影響の3要因が考えられた。(i)に関しては,銅原子と窒素分子に対する壁面干渉モデルを使用した結果と比較検討した結果,壁面での散乱は拡散反射が支配的であり,この影響はほとんど存在しないことを確認した。(ii)に関しては,一様流非平衡の影響をDSMC計算により検討した結果,回転温度は実験結果に近づく傾向が見られた。しかし,ノズル内部のDSMC計算よりノズル出口での一様流中の非平衡は15[K]程度であったため,一様流中の非平衡の影響は小さいと判断した。(iii)に関しては,総温670[K]では窒素分子の振動エネルギーは回転エネルギーの1%以下であったが,総温1,000[K]では10%に達し,この影響が最も大きいことが示された。

 最後に,極超音速希薄流中の衡撃波と境界層が融合する領域の流れ場を詳細に検討した結果,前縁近傍では3方向(流れ方向,平板表面に対して鉛直方向及びスパン方向)の並進温度と回転温度の非平衡が極めて大きいこと,さらに流れ方向に垂直な断面では圧力分布が一定でないこと及び衝撃波と境界層が分離する現象を定量的にかつ詳細に把握することができた。

 そして本論文により,ミクロスケールとマクロスケールを合理的に結合した解析手法を確立し,非平衡な流れ場に対する有効性が示された。

審査要旨

 本論文は,極超音速希薄流中に配置された平板上に形成される衝撃波と境界層の干渉について,分子動力学法により構築された分子衝突モデル及び気体分子/固体表面干渉モデルを使用したDSMC計算及び実験を実施し,DSMC法の検証及び壁面近傍の並進温度と回転温度の非平衡現象を解明することを目的としている。

 衝撃波と境界層の干渉に関する研究は,人工衛星及び宇宙往還機周りの流れ場や,半導体デバイス製造装置内の流れ場等の分子流れにおける非平衡現象の解明のために重要とされている。希薄領域における衝撃波と境界層の干渉の研究は,これまで連続体モデル(NS法)や経験的な分子衝突モデルを使用したDSMC法による数値解析が主要であった。一方,これらの干渉に関して行われた実験は,希薄領域に対してはほとんど実施されておらず,実際に非平衡の存在の根拠が示されていなかった。

 本論文では,極超音速希薄流中における衝撃波と境界層の干渉に関する知見を得るため,電子線蛍光法と低密度風洞を使用した実験及び分子動力学法に基づいて構築されたDSMC法による数値解析が実施されている。試料気体として窒素分子が用いられており,澱み点温度を最大で1,000[K]まで可能な貯気槽,マッハ数5の気流を発生させるノズル及び冷却された銅製の平板を使用して実験が行われ,得られた結果を基に本DSMC法の検証が実施されている。本論文は,全5章から構成されている。

 第1章は「序論」であり,研究の目的,衝撃波と境界層の干渉の概要及び従来までの研究の概要について述べられている。

 第2章は,「DSMC及びNS解析手法による数値解析」であり,DSMC法及びNS法について詳しく述べている。そして,NS法はDSMC法に比べて前縁近傍で熱流束が最大で2倍高い値を示す等,並進温度と回転温度を同一としたNS法の限界を示している。そしてDSMC法により,熱流束は大部分が並進エネルギーであることを示した。さらに,DSMC法における計算時間を短縮するために,並列計算機を使用したプログラミングの詳細な説明の後,本並列手法は28CPUの場合でも25倍以上の速度向上が達成されたことを述べている。

 第3章は「極超音速希薄流中の衝撃波/境界層干渉の実験的把握」であり,DSMC法を検証するためドイツのアーヘン工科大学衝撃波研究所の低密度風洞を使用して平板近傍の回転温度分布を電子線蛍光法により計測した。これにより,本実験ではノズル壁面冷却がノズル内部の境界層の発達を抑制することに極めて有効な方法であること,平板前縁角度の影響は本実験条件では極めて小さいこと,流れが2次元的になる領域を限定したこと及び平板近傍の回転温度の緩和距離は平板壁面冷却の影響のために総温が変化した場合でも一定であることが示されている。

 第4章は「実験結果との比較によるDSMC法の検証」であり,本論文の最も主要な部分である。ここでは,分子動力学法により構築されたモデルを適用したDSMC計算結果を第3章で得られた検証データと比較検討した結果,総温が670[K]の場合ではDSMC計算結果は実験結果における回転温度及び非ボルツマン分布となる各回転準位の分子の存在確率を極めて正確に再現することが示されている。一方,総温が1,000[K]の場合,DSMC計算結果は実験結果よりも10%程高い回転温度を算出することが示されている。両結果の不一致の一番の理由として,回転エネルギーの10%の振動エネルギーの存在があり,振動エネルギーに移動すべきエネルギーが回転エネルギーに加算されていることが原因であることが明らかになった。そして,衝撃波と境界層が融合する領域の流れ場構造を明らかに,その領域が存在する範囲を理論解析との比較及び流れ場構造から明確にしたことが記されている。

 そして第5章が「結論」である。

 極超音速希薄流中における衝撃波と境界層の干渉に対する研究は,過去数多くの研究が実施されているが,電子線蛍光法による同干渉中の回転温度計測と,分子動力学シミュレーションに基づいたDSMC法による同干渉の詳細な機構を定量的に評価した研究は皆無である。そして,本研究はミクロスケールとマクロスケールを合理的に結合した解析手法により,同干渉の非平衡な物理現象を解明した点で特に優れていると認められる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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