学位論文要旨



No 115117
著者(漢字) 小林,英津子
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,エツコ
標題(和) 腹腔鏡下手術支援用内視鏡マニピュレータシステムの開発
標題(洋)
報告番号 115117
報告番号 甲15117
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4612号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土肥,健純
 東京大学 教授 稲田,紘
 東京大学 教授 辻,隆之
 東京大学 教授 中村,仁彦
 東京大学 助教授 佐久間,一郎
内容要旨 1.背景

 低侵襲手術において術者に課せられる様々な制約を工学的に解決するために、手術支援ロボットの開発が注目されてきた。しかしながら、現状では技術的には目的とする機能が実現しても、安全性や清潔性、装置の大型化等の課題が残され、普及には至らない。よって術中使用に適したロボット開発において考慮すべき点を明確にし、それらを踏まえた設計を行うことが肝要である。

 一方、低侵襲手術の代表ともいえる腹腔鏡下手術では、術者とは別にカメラ助手が腹腔鏡を操作していることから,手ぶれや術者の望む位置を素早く提示できないという問題がある。この問題の解決には、術者自らが腹腔鏡操作を可能とする手術支援ロボットつまり,腹腔鏡マニピュレータシステムが有効だと考えられる.

 さらに、これは広い作業範囲を要求する・術中に操作者の意図により自由に移動するといった、遠隔手術支援ロボット等の、今後盛んに研究開発が進むと予想される手術支援ロボットと共通の特長を有す。ゆえに術中使用に適した腹腔鏡マニピュレータシステムを実現することは、手術支援ロボット開発の第一段階としても非常に重要である。

2.目的

 本研究では手術中使用に適したロボットの開発を行うにあたり、根元的な問題である臨床使用を考慮したロボティックシステムの設計指針を明らかにする。そのための第一段階として腹腔鏡マニピュレータシステムの開発を行い、臨床における評価を行う。

3.手術調査と要求仕様の決定

 腹腔鏡マニピュレータシステムは,腹腔鏡マニピュレータとマン・マシンインタフェースから構成される。術中使用に適したシステムの開発のために,腹腔鏡下手術の調査・分析を行い,安全性、清潔の維持,機能、手術作業との適合性、の4カテゴリに対する要求仕様を決定した。

 安全牲:手術支援ロボットにおいては、ソフトウエアの暴走時にも術者・患者を傷つけないといった安全対策が肝要であり、ハードウエア面に重点を置いて安全設計を行うべきである。具体的には、駆動範囲の機械的制限、冗長な自由度をなくす、患者/術者との空間的な分離、といった機構対策が必要である。また、マン・マシンインタフェースに関しては、ソフトウエアの誤作動と術者(操作者)よる誤入力を極力避ける。

 清潔の維持:マニピュレータの駆動機構部は極力滅菌すべきである。しかし、ベアリング等の複雑な機構部品は埃がたまりやすく、モータ等の電子部品は耐久性の問題があり滅菌には不適である。よってマニピュレータの機構部分は単純な機構で極力滅菌可能とし、電子部品部は機構部とは明確に分離する。

 機能に関する要求仕様:挿入孔を中心とした回転の2自由度と画面の拡大縮小の2自由度を要する。またその駆動範囲は調査結果を参考にし、25度を含む可変な駆動範囲とする。

 手術作業との適合性:狭い手術室内でも使用可能なように小型であること、腹腔鏡の画質に影響を及ぼさないこと、手術作業の妨げにならないために離れて設置されることとする。マン・マシンインタフェースは、操作に使用する体躯の選択、簡便かつ直感的であること、他の手術機器の操作手段との混同回避を考慮すべきである。

4.腹腔鏡マニピュレータシステムの開発4.1腹腔鏡マニピュレータ

 腹腔鏡の前後動はズームレンズを用い光学的に画面の拡大縮小を実現する。また腹腔鏡を挿入孔で機械的に固定し、離れた位置で5節リンク機構により2次元平面上の位置決めを行うことにより角度を制御する(図1)。

 この機構の利点としては、術者の作業領域を侵さない、臓器との衝突に関して一番懸念される腹腔鏡の前後動を行う必要がない,駆動範囲の機構的限定、腹腔鏡上部空間の確保、モータ等の駆動部を下部に設置できるため、上部リンク部が小型軽量化され、滅菌・洗浄が可能といった点が挙げられる。さらに、5節リンクの手首位置にフレキシブルアームを搭載した。これにより、マニピュレータのサイズを小型のまま、離れた位置からでも腹腔鏡を保持することができ、駆動範囲を手術毎に自由に設定可能である。

 マニピュレータの制御に関しては、術者は腹腔鏡画面を元に操作することから、画面の座標系からマニピュレータの姿勢への座標変換を行った。その際、腹腔鏡の結像系を単純な集光系に置き換え,光学モデルを設定した。図2に作成したマニピュレータを示す。サイズは300(L)x200(W)x500(H)mm、繰り返し精度は0.4mmであった。

図表図1 腹腔鏡マニピュレータの機構 / 図2 腹腔鏡マニピュレータ
4.2マン・マシンインタフェース

 マン・マシンインタフェースの基本構成は方向指示部とマニピュレータの駆動スイッチ、腹腔鏡画面上に表示されるインジケータから成る(図3)。術者が指示した方向は,常にインジケータにより腹腔鏡画面上に提示され、術者はこれを確認後、駆動スイッチによりマニピュレータを駆動するため常に腹腔鏡画面上で入力コマンドを確認でき、誤入力を防ぐ。さらに、操作法としては直接腹腔鏡の3自由度に対応したコマンドにより指示するランダムアクセス(RA)方式とコマンドの入力時間の差により多種の命令を出すシーケンシャルアクセス(SA)方式を考案し、コマンドの種類が少なく、簡便な操作法と考えられるSA方式を採用した。つまり、SA方式ではインジケータの左右回転と停止を指示することにより方向指示する。

図3 マン・マシンインタフェースの基本構成

 以上の基本構成において、術者の指示に頭部と手を用いる2種のインタフェースを開発した。

 頭部の動きを利用した駆動方法としては、頭部搭載ジャイロセンサ、膝スイッチからなるシステム(ヘッドマウスシステム、以下HM)を開発した。この方式は、手術作業の妨げとならない頭部を使用する、膝スイッチは他の足元のスイッチとの混同回避できる、頭の動きがインジケータの動きに対応しているので、直感的であるといった利点を有する。

 術者の手を使用した操作法としては鉗子に取り付けた手元スイッチを開発した。これは5つのスイッチつまり、ズームイン・アウトの指示(2)、インジケータの左右回転指示(2)、駆動指示(1)から構成される。これらのON/OFF情報は赤外線により転送する。手元の微妙な操作を必要とせずに、2つのスイッチのみで任意方向への指示が可能であるためシンブルである、赤外通信を行うことによりコード類がなくなるので作業の妨げにならない、といった利点がある。

 HMと手元スイッチの操作性とSA方式の操作性を検証するために、これらに音声認識のRA/SA方式を加え、操作時間・回数評価を、5人の被験者に対して行った。その結果を図4に示す。操作時間では音声認識のRA方式が最も多く、手元スイッチのSAとHMのRA方式がやや早かった。操作回数では、HMのRA方式はやや多く,手元スイッチのSAがやや少ないという結果であった。これにより、音声認識による操作は時間を要すること,懸念されていたSA方式の操作の長時間化がHM・手元スイッチにおいては小さく、この2操作法に関してSA方式が有用であることが確認された。

図4 インタフェースの比較評価実験結果
5.動物実験と臨床応用

 ブタによる胆嚢摘出術実験を行った。本実験の目的は手術現場に極力近い環境での実験を行い、臨床使用可能性を検証することと、手術作業と並行した操作に適したインタフェースの検証である。手術は従来の腹腔鏡下胆嚢摘出術とほぼ同様の手順で行った。マニピュレータは手術台の後部に設置し、トロツカ挿入後から胆嚢摘出まで使用した(図5)。HMにおけるRA方式とSA方式において実験した結果、手術時間は、RA方式が55分、SA方式が44分となった。カメラ助手による手術の平均時間は48分である。操作時間と回数はRA方式では5.1秒・109回、SA方式は3秒・73回であり、コマンド時間・回数共にSA方式が少なかった。これにより、手術作業と平行にマニピュレータを操作した場合のSA方式の優位性が示された。また全ての手術は安全に遂行され、マニピュレータと術者との干渉はなかった。腹腔鏡の駆動範囲とズームの拡大率は十分であった。

 次に臨床応用を行った。操作は先の実験により優位性が認められたヘッドマウスのSA方式にて行った。リンクと腹腔鏡ズーム部はそれぞれ高圧蒸気滅菌法とホルマリンガス滅菌法により滅菌し、非滅菌部の駆動部と使用直前に接続した。

 マニピュレータのセットアップと片づけに合計21.3分要し、マニピュレータのセットアップ時間を合わせた合計手術時間は96.4分と従来のカメラ助手による手術時間平均よりも45分程多く時間を要した。手術時間を引き延ばす大きな原因となったセットアップでは滅菌部と非滅菌部の結合に時間を要した。また本実験において、ズームによる術野の光量不足が問題となった。このため、胆嚢頚部の処置において十分な視野が得られなかったため、手術時間を要したと考えられる。駆動範囲や術者との干渉の問題はなく、安全に手術は遂行された。

図5 動物実験
6.考察

 本研究で明らかにした設計指針は他の手術支援ロボット開発への応用可能なものである。清潔の維持つまり滅菌可能部と非滅菌部との明確な分離や、手術作業の妨とならないために小型であることは、全ての手術支援ロボットにおいて必要である。しかし一方で、駆動範囲の制限や術野との分離は、全ての手術支援ロボットに応用することは困難である。例えば、汎用性を必要とする作業を行うロボットは広範囲の駆動範囲を持ち、患者に接触して初めて機能実現を行うロボットは接触部位からロボットを離れて設置することは不可能である。このような場合、駆動範囲の制限は、ある作業単位ごとに駆動範囲を制限し、これを可変とする、また術野からの分離は、作業部位では必要最小限の装置としモータ等の位置決め部は極力離すといった対策により実現可能であると考えられる。

7.結論

 術中使用に適した手術支援ロボットの開発を目指し、腹腔鏡マニピュレータシステムの開発を行った。これは5節リンク機構と光学ズームを用いた腹腔鏡マニピュレータとイシジケータと駆動部からなるマン・マシンインタフェースから構成される。これにより、駆動範囲を胆嚢摘出術において要求される25度を含む可変かつ制限された駆動範囲をもつ機構を実現し、安全性と手術作業との適合性を実現した。また、操作法に関して,少ない操作コマンドで指令が可能なSA方式を提案し、Invivo experimentにより、手術時間・操作時間がそれぞれ、RA方式では55分、5秒に対し、SA方式では44分、3秒と少ない時間での手術遂行が可能であることが確認された。以上により、本研究において開発した腹腔鏡マニピュレータシステムは、安全性・手術作業との適合性を有したシステムであり、個々で明確化した腹腔鏡マニピュレータの設計指針は、今後発展していくであろう手術支援ロボットの開発の設計指針の基礎となるものであり、手術支援ロボット普及に大きく寄与するといえる。

審査要旨

 本論文は、「腹腔鏡下手術支援用内視鏡マニピュレータシステムの開発」と題し、8章からなる。

 手術支援ロボットは、その作業の正確・精密性、遠隔操作可能性から多く研究開発されてきているが、いずれも試験的なものに留まり、真に普及しているものがない。本論文はこのような現状を踏まえ、根元的な問題である臨床使用を考慮したロボティックシステムの設計指針を明らかにすることを目的としている。その第一段階として、腹腔鏡マニピュレータシステムを開発し、臨床における評価を行っている。

 第1章は序論として、低侵襲手術に対するロボティックシステムの貢献の将来性について,また現在研究されている手術支援ロボットの問題点について述べている。

 第2章は本論文の目的で、手術使用に適したロボットの開発を目標に、臨床使用を考慮した設計指針を明らかにすることであり、そのための第一段階として腹腔鏡マニピュレータシステムの開発を行い、臨床における評価を行うことを目的としている。

 第3章では、臨床使用を考慮したマニピュレータの設計を実現するために、従来の腹腔鏡下手術についての定性的・定量的調査を行い、これらに基づいた、安全性・清潔の維持・腹腔鏡の機能・手術作業との適合性という4つのカテゴリについての要求仕様を決定している。開発した腹腔鏡マニピュレータシステムは腹腔鏡マニピュレータとマン・マシンインタフェースとで構成される。

 第4章で述べられている腹腔鏡マニピュレータは,腹腔鏡の前後動はズームレンズを用い光学的に画面の拡大縮小を実現し、腹腔鏡を挿入孔で機械的に固定し、離れた位置で5節リンク機構により2次元平面上の位置決めを行うことにより角度を制御する。術者の作業領域を侵さない、駆動範囲の機構的限定、腹腔鏡上部空間の確保、滅菌・洗浄が可能といった利点を実現する設計がなされている。機械的位置決め評価実験では、繰り返し精度0.4mmを実現している。

 第5章ではマン・マシンインタフェースについて述べている。基本構成は方向指示部とマニピュレータの駆動スイッチ、腹腔鏡画面上で、術者の指示した方向を提示するインジケータから構成される。術者はインジケータを確認後、マニピュレータを駆動するため常に腹腔鏡画面上で入力コマンドを確認でき、誤入力が防げる。よってこれはインタフェースとしての安全性を考慮したシステムであるといえる。さらに操作法としては直接腹腔鏡の3自由度に対応したコマンドにより指示するランダムアクセス(RA)方式とコマンドの入力時間の差により多種の命令を出すシーケンシャルアクセス(SA)方式を考案し、以上の基本構成において,術者の指示に頭部と手を用いる2種のインタフェースを開発している。単純作業による定量的評価実験を行った結果、開発したマン・マシンインタフェースが、既存のインタフェースである音声認識システムに対して時間的優位性を有することが明らかになった。

 第6章ではブタによる胆嚢摘出術実験と臨床応用を行っている。動物実験では手術現場に極力近い環境で、臨床使用可能性の検証と、手術作業と並行した操作に適したインタフェースの定量的・定性的評価を行っている。3回の実験では手術時間平均が45分とヒトによるカメラ支援による手術時間平均48分と同等以下であること、ならびにマニピュレータの駆動範囲が実際の動作範囲を充分満たしていることが明らかとなった。臨床応用では、機構部の殆どが滅菌可能であり、駆動範囲や術者との干渉の問題もなく、手術は安全に遂行された。

 第7章では,全体の考察を述べている。本論文で示した設計指針は、腹腔鏡などの撮像装置のみならず、実際に処置を施す他の手術支援ロボット開発への応用可能なものである。駆動範囲の制限や術野との分離は、全ての手術支援ロボットに応用することは困難であるが、駆動範囲の制限はある作業単位ごとに駆動範囲を制限しこれを可変とすること、また術野からの分離は作業部位で必要最小限の装置としてモータ等の位置決め部を極力離すといった対策により実現可能であることが述べられている。

 第8章は結論であり、本論文は臨床における要求仕様を手術調査により求め、腹腔鏡マニピュレータシステムの開発を行うことにより、術中使用に適した手術支援ロボット開発のための設計指針を明らかにした。滅菌可能であること、機構的安全設計により、臨床のニーズを実現した本マニピュレータは、臨床応用を実現したシステムとして本邦では初めてのものである。本研究により明確化した腹腔鏡マニピュレータの設計指針は、今後発展していくであろう手術支援ロボット開発の設計指針の基礎となるものであり、手術支援ロボットの普及に大きく寄与するといえる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として認められる。

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