内容要旨 | | 薄板ガラスは透明性,硬さ,耐熱性,化学的安定性,絶縁性,成形性などの特性を有することで,いろいろなところで基板材料として用いられている.これらのガラス基板には2つの共通点がある,(i)板厚は1mm以下で薄く,面積あたりの重さは軽いため静電気力で十分とハンドリングできること,(ii)平面精度は高く,特に,電極パターンを付ける面には傷や塵埃微粒子による欠陥は素子の性能を大きく劣らせること.この目的に用いられるガラス基板は電極パターンの微細化に伴って,ハンドリングや搬送時における接触支持に起因する傷付けや塵埃微粒子の付着は問題となる.また,これらのガラス基板の内,液晶ディスプレイ用ガラス基板はその面寸法は広くなる一方で,来年からでも面寸法が平方メータに近いガラス基板が現場に導入される.その上,この液晶用ガラス基板は面寸法が広くなるだけではなく,板厚も現状での0.7mmから0.5mmに薄くなる. 本研究はこのような状況に応じて,薄状ガラス板を非接触で搬送できるシステムを開発する.研究目的は,以下の2つの部分を含む.(1)広く薄いガラス板を浮上ハンドリングできる図1の様な静電浮上ハンドリングチャックを開発すること.(2)チャック形式ではなく,長距離な非接触搬送に向く搬送手法を開発すること. 薄くて広い基板をハンドリングするには,従来の静電浮上ハンドリングの様に,ハンドリング対象物を剛体とし,その中心部の浮上ギャップ,Roll角,そして,Pitch角を制御するでは,安定浮上は得られない.本論文では,これらの薄くて広い基板を柔軟体と見なし,その各局部に作用する静電気吸引力を独立に制御できるようなシステムを構築した.図1の電極面の様に電極面を細かく多数個の電極ユニットに分割し,各局部の浮上ギャップを対応する電極ユニットで制御するようにした.また,ハンドリング対象物の面寸法が大きくなるに伴って,浮上ハンドリング時において,ハンドリング対象物と電極面との間に存在する,空気の出入りによるダンピング力が急激に増大する.この空気ダンピング力の働きで,各電極ユニットへの印加電圧をアナログ制御せずに,単純なオンオフ制御で,充分と安定浮上が得られる.本研究では,図1のようなチャックを試作し,各電極ユニットへの印加電圧をオンオフ制御することで,385mm×130mm×0.7mmのソーダ石灰ガラス板を浮上ハンドリング出来た.750Vの直流電圧をオンオフ制御することにより,前記ガラス板を浮上ギャップ200mで電極の下に吊り下げた形で浮上ハンドリング出来た.ガラス板の振動振幅は±8mで,位置センサーとして用いたリミットセンサーのヒステリシスに近い値であった. 図1.薄く広い板を非接触的にハンドリング・搬送する装置 また,同じハンドリング原理で,極めて薄くて柔軟な,278mm×78mm×0.05mmのアルミ薄板をも浮上ハンドリング出来た. しかし,ハンドリング対象物の面積が広くなるにつれ,それに比例して前記した静電浮上ハンドリングチャックの面寸法は大きくなり,水平面上の作業面積が広くなる.本研究では,図2の様に,薄状ハンドリング対象物の下方あたりを機械的に支持し,ハンドリング対象物が自重で倒れないように,また挫屈しない様に,静電気吸引力を用いて,ハンドリング対象物を斜めから吸引支持する,ハンドリング手法を提案した.面寸法は385mm×l30mm,厚みは0.7mmのソーダ石灰ガラスを同手法を用いて,面に接触せずに,斜めから安定支持することに成功した.また,ハンドリング対象物の下方あたりを機械的に支持する固定部材の代わりにベルトコンベアを用いると,広く薄いハンドリング対象物を斜め縦に支持しながら搬送できると考えられる. 図2.薄く広い板を斜め縦に静電ハンドリングするチャック 薄いガラス基板を長距離浮上搬送することに適する"空気圧ベアリングと静電気力推進とを組み合わせた搬送システム"を開発した.このシステムは下方から空気を噴出し,ガラス基板を空気圧で浮上させ,浮上しているガラス基板を静電気力で駆動搬送する.この時,問題になるのは二点ある.(1)どうすればガラス基板を高速に駆動搬送できるかである.電界に置かれた薄板ガラスには表面電荷が誘導されるが,ガラスの高い表面抵抗で一度誘導された電荷は瞬時に移動できないため,移動電場内では,印加電圧との間に位相遅れが生じて推進力が生じる.この現象を利用して,薄板ガラスを非接触駆動する.しかし,逆に,電界に置かれたガラスに表面電荷が誘導されるが,導体や半導体に較べて,誘導が定常状態になるまで時間がかかり,電荷誘導に時間を要する.条件によっては,電荷誘導が定常状態になるまでには数時間がかかる.この電荷誘導の遅れで,移動電場内に置かれた薄板ガラスに誘導される電荷量は少なく,駆動力は小さい.その上,搬送速度を上げるためには,移動電場の周波数を上げる必要はあるが,周波数の上昇に伴って,誘導される電荷量は減り,静電気推力が小さくなる.故に,薄板ガラスを安定して高速に搬送するには,表面電荷を素早く誘導させる電極形状の設計が重要な鍵となる.実際,表面電荷を如何にして速く誘導するかと言うのは前記した静電ハンドリングチャックの設計にあたっても,浮上の安定性から見て,不可欠な要素である.(2)駆動搬送時において,ガラス基板を搬送軌道から逸らさずにきちんと搬送経路に沿って駆動搬送するには,何らかの横方向の拘束力は必要であるが,この横方向の拘束力を如何にして誘起するかは問題である.本研究では,ガラス板を静電気力で駆動するのに適する電極形状を提案した.当電極形状を図3に示す.この電極形状は,従来の静電モータに用いられてきたスリット型電極要素から構成される電極形状に比べて,ガラス表面に素早く電荷を誘導できるため,移動電場内において誘導する静電駆動力は従来の電極形状のそれより遥かに強い.一例として,大気湿度は30%RHで低く,ガラス板の表面抵抗が高い場合では,提案した電極形状は従来のスリット型電極形状に比べて,最大推力は3倍程度となる.また,提案した電極形状は推力と同時に強い横方向の拘束力を誘起するため,ガラス板を搬送経路沿いに,左右揺らさずに,駆動搬送できる.図4に駆動搬送されている52mm×52mm×0.7mmのソーダ石灰ガラスの横の振れを示す.図から分かる様に,"スリット電極"の場合では,ガラス板は左右に大きく振れながら推進されているのに対して,"Vドット電極"の場合では左右のゆれは比較的に小さい.結果的に,"スリット電極"の場合では,ガラス板が搬送経路から完全に逸れてしまうこと無く搬送できる最大速度は35mm/s(gap=130m)以下であった.これに対して,"Vドット電極"の場合では,搬送速度は150mm/s(gap=130m)の時において,左右の振れは±0.5mm以内であった.電極への印加電圧は0.9kV0-pの3相交流であった. 図3.ガラスのような誘電体材料の直進駆動に適する電極形状図4.駆動搬送されているガラス板の横方向の変位.搬送速度:48mm/s"dot_V":図3の電極面の場合."slit":従来の静電モータの電極 また,ガラス板の搬送速度は印加電圧周波数に比例し,1組の電極要素群の幅(3×電極要素ピッチ)と印加電圧周波数との積となっている.つまり,一周期の電圧を印加すればガラスは3ピッチ移動することになる.この特性により,ガラス板の搬送距離,速度,そして,停止位置は,印加電圧の周期数と周波数によって簡単に制御できる. ガラスディスクを非接触に高速回転駆動できる電極形状を提案した.その電極形状を図5に示す.超音波浮揚力により浮上ギャップ100mで浮上されているガラスディスクを当電極で回転駆動したところ,最大2000rpmの回転速度が得られた.駆動条件は,印加電圧は1kV0-pの3-相交流電圧,湿度は35%RHであった.また,直進駆動の場合と同じように,回転速度は印加電圧の周波数に比例している.3相に分割されている電極群は26組あり,26周期分の電圧を印加することに伴って,ガラスディスクが-回転する.この様に,ガラスディスクの回転角速度は印加電圧周波数と電極ビッチ角から精確に決められる.磁気ディスクの基板としてガラス基板は用いられつつあること,及び,ガラス基板の表面に何らかの電極を構成することなく静電気力でガラス基板に回転トルクを働かせるため,磁気ディスクの回転駆動への利用が期待されている.磁気ディスクの上下方向の変位を何らかの手段(機械ベアリングや動圧空気ベアリング)で支持し,磁気ディスクに対向する両面に僅か数十mの厚みの電極を形成して,電極に電圧を印加して回転電場を形成するだけで,ガラス基板に回転トルクが働き磁気ディスクを直接かつ高速に回転駆動できる.この様にして,従来,磁気ディスクを回転駆動するのに用いられる電磁モータを無くして,HDDの厚みを大幅に薄くできる.現在,回転駆動の最高角速度は2000rpmで,現存HDDの7000rpmに較べて,十分な回転角速度ではないが,実際,(1)ギャップを20程度に小さくしトルクを上げること,(2)ガラスの片面にのみではなくガラスに対向する両面に電極面を設けて駆動力を上げること,(3)ガラスの表面抵抗をやや小さくすることなどで,実際実用範囲まで回転角速度を上げることは不可能ではない. 図5.ガラスのような誘電体材料の回転駆動に適する電極形状 |
審査要旨 | | 本論文は「静電気力を用いたガラス板の浮上ハンドリング及び駆動に関する」と題し,操作力として静電気力を利用した,薄板ガラスを主な対象とする非接触搬送機構の開発について行った一連の研究をまとめたものである. 液晶ディスプレイはじめとするフラットパネルディスプレイは薄板ガラスを基板として利用している.フラットパネルディスプレイの製造工程において,薄板ガラスの搬送や位置決めを如何に高速かつ確実に行うかが重要な技術課題となっている.特に,電極パターン形成面への傷や塵埃微粒子による欠陥を極力無くすことが要求されいる.また,ディスプレイの大画面化に伴い,ガラス基板は大きくなり,1m平方に近いガラス基板が導入されようとしている.さらに,機器の軽量・薄型化の要求により,ガラス基板の板厚が現状の0.7mmから0.5mmに移行することが検討されている.このような搬送の対象とする薄板ガラスの大型化,薄型化に対して従来の把持機構では,大きなたわみを生じるなどの問題を生じ,安定な搬送を行えなくなってきている. 本研究はこのような状況に応じて,薄状ガラス板を静電気力を利用して非接触で搬送できるシステムを開発することをその研究目的として実施されたものである. 本論文は以下の8章で構成されている. 第1章「序論」では,本論文の研究の背景と研究目的を述べている.まず,何故,薄板ガラスのハンドリングに機械的接触を伴わない非接触ハンドリング技術が求められているかについて述べ,つぎに,磁気浮上技術,音波浮揚技術,空気圧浮上技術,静電浮上技術等の非接触搬送技術の開発の歴史と現状を纏めている.そして,本論文の研究目的を,薄板ガラスを対象とする非接触搬送システムの開発とし,具体的な開発課題として,大型薄板ガラスを対象とする廉価な静電浮上把持機構の開発と,空気ベアリングと静電力推進による非接触長距離搬送機構の開発とすることを述べている. 第2章「電極形状の設計」では,目的に応じた静電力をガラス板に作用させるためには,いかなる形状・寸法の電極にすべきかについて論じている.その検討の結果,ガラス表面への帯電を早めるために,電界密度が高くなる境界を多く作ることが重要であるとの知見を得,従来の格子状電極と比較して格段に推力・保持力を大きくできるドット型電極を考案しており,その効果を推力測定の基礎実験装置を用いて検証している. 第3章「広いガラス板の静電浮上ハンドリング」では,薄く広い板の浮上の方法として,分散独立制御系を構成することの優位性を論じた後,多分割電極構造と安価なギャップセンセーとで構成した非接触把持機構を試作し,空気中においてオンオフ制御によるソーダガラス板の安定吸引浮上に成功しており,実用化の目処を得ている. 第4章「超薄板の静電浮上ハンドリング」では,今後のガラス基板の薄型化と種々の材料のフィルムの非接触ハンドリングへの静電浮上技術の展開を目的として,0.05mm厚のアルミニュウム箔の静電吸引浮上に取り組み,第3章で構成した制御システムが同様に有効に機能することを確認している. 第5章「下方支持された薄板の静電ハンドリング」では,ガラス薄板の一端のみを機械的に支持し,倒れないように板を直立に近い形で静電力によって支持する新しいハンドリング手法を提案し,試作装置により,安定支持を容易に実現できることを実証している.この方法は,限定された部分の接触を伴うが,構成が容易になり,板の変形を小さくできる特徴があり,製造工程での利用が比較的早期に始まる可能性があると判断できる. 第6章「ガラス板の浮上高速搬送システム」は薄板ガラス基板の長距離非接触搬送を目的として行った開発あり,空気圧浮上によってガラス基板を浮上させ,静電力により駆動と案内を行うシステムを提案し,プロトタイプの試作を行い,その有効性を実証している.大きな推力を得るだけでなく,横方向の運動のふらつきを劇的に軽減できる電極パターンを見出すとともに,従来の空気圧のみ搬送機構では不可能であったガラスの精密な位置決めを可能とする技術の基礎を確立した. 第7章「ガラスディスクの回転駆動装置」では,静電力によって薄いガラス円板を非接触回転することを目的として行った研究を纏めている.非接触の支持方法としては,超音波浮揚力を利用し,駆動に静電力を用いた.直径100mmのガラス円板を2000rpmで非接触駆動することに成功している.そして,さらに高速回転を得るための方策について論じている. 第8章「総括」は結論であり,本論文を適切にまとめると同時に,本論文で得られた重要な知見を整理し,本論文で開発した技術および関連技術の将来展望を述べている. 以上をまとめるに,本論文では,ドット型の電極構造を考案することによりガラスに対して高応答で大きな作用力を静電気によって発生させることに成功し,これを静電浮上と静電駆動に利用し,薄板ガラスの非接触ハンドリンクと搬送技術を開発している. 本論文で開発した新しい技術は,液晶ディスプレイを始めとする各種フラットパネルディスプレイの製造工程における搬送技術の発展に大きく寄与するものと言え,工学的に優れているだけでなく,産業界における自動化技術の発展への貢献も極めて大きい. よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる. |