学位論文要旨



No 115133
著者(漢字) 坂井,真一郎
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,シンイチロウ
標題(和) 電気自動車の新しい車両運動制御に関する研究
標題(洋) Advanced Vehicle Motion Control of Electric Vehicle
報告番号 115133
報告番号 甲15133
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4628号
研究科 工学系研究科
専攻 電気工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀,洋一
 東京大学 教授 曾根,悟
 東京大学 教授 桂井,誠
 東京大学 教授 中谷,一郎
 東京大学 教授 仁田,旦三
 東京大学 教授 藤田,博之
 東京大学 助教授 藤岡,健彦
内容要旨

 本論文では、電気自動車における新しい車両運動制御に関して研究を行った。電気自動車における駆動源はモータであり、これはエンジンと比べると遥かに制御性能が高い。また、電気自動車においては、回生ブレーキに代表されるように、制動も電気モータと油圧ブレーキの併用によって行われており、あるいは電気モータのみによる制動の可能性も考えられる。現在制動用アクチュエータとして用いられている油圧ブレーキと比較しても、モータの制御性は遥かに高いものである。具体的に本論文では、制御面でのモータ利点として以下の3点に注目している。

 1.トルク指令からトルク出力までの応答速度が速い。エンジンと比べて二桁程度、油圧ブレーキと比べても一桁程度高速である。また、出力されるトルクは非常に正確にトルク指令値に一致する。

 2.出力トルクの大きさを正確に把握することが容易である。エンジンの場合は、温度や回転数に応じて出力トルク値が変動する。また非線形性も強く、駆動トルクの大きさを推定するのはそれほど容易ではない。油圧ブレーキも同様に、油圧系統やブレーキシューにおける不確かさのため、同様に制動トルクの正確な把握は容易ではない。

 3.モータは小型化が可能であるので、各輸に分散配置することができる。これにより、左右輪の間に駆動力差を生じて車両運動を制御するアクチュエータとすることが容易である。

 1.や2.の様な特性は、モータ制御における高速な電流制御の適用によって実現されていると考えられる。たとえばモータにおける電流制御周期は、今日では数10{s}程度などである。

 本論文では、このようなモータの高い制御性能を活用する方策を探るため、様々な検討を行った。論文の前半では、タイヤの空転防止制御に関して議論している。タイヤの空転防止は、車両の横方向運動の安定性を確保し、かつ制動時であれば制動距離を短くできる点などから非常に重要であり、従来の自動車でも盛んに研究が行われている。従来このような制御は、制動時にはABS(Anti Skid Brake System)、駆動時にはTCS(Traction Control System)という様に、別個に論じられてきたが、電気自動車においてはモータが駆動と制動を同様に行えるため、両者を統一的に扱うことができる。そこで、より盛んに研究も行われて性能も高く、また実用化も広く進んでいる油圧ブレーキによるABSをとりあげ、これとモータによる空転防止制御の比較を試みた。注目したのは、モータのトルク応答が高速であるという利点であり、これによって制御系の感度関数をより広い範囲で低ゲイン化できる。このような利点から、モータをアクチュエータとすることによって空転防止制御の性能を向上することができる。本論文ではこれをシミュレーションを用いた検討から示している(一例:図1)。この検討は、いくつかの制御手法に対して行われており、従ってこの結果はある制御手法に特有の結果ではなく、一般的なものと考えられる。また、これらの制御手法の有効性は実験によって確認されており(一例:図2)、またシミュレーションの妥当性も実験結果との比較から確認されている。

図1:各タイプのアクチュエータに対する車輪速度制御のシミュレーション結果。Type-Iがモータを模擬したアクチュエータの場合。Type-II以下はブレーキを模擬したアクチュエータの場合。モータの場合には瞬時のスリップ率上昇を有効に低減できるが、このような制御はブレーキでは難しい。図2:車輪速度制御を行って低路を加速走行した場合(実験結果及びシミュレーション結果)

 従来のタイヤの空転防止制御においては,車体速度の情報を精度よく得る必要があった。これは、車輪速度と車体速度の差にタイヤ空転の情報があるためであるが、車体速度の把握が難しい、車両旋回時の空転防止などを考えると、この点は大きな制約となる。そこで本論文では、次に車体速度情報を必要としない空転防止制御を提案している。これは、モータトルクと車輪速度の関係から空転を検出し、これに基づいて制御を行う新しい手法であり、トルクが正確に把握できるという電気自動車の利点を活かす好例ともなっている。提案している制御手法は、実際の電気自動車を用いた実験でその有効性が確認されており、従来のスリップ率を用いた制御と比べてさほど遜色ない結果が得られている(図3)。

図3:提案した車体速度情報不要の空転防止制御の実験結果。滑べりやすい路面で最大加速走行を行っても、過大なスリップ率上昇を防止することができる。

 本論文の後半では、車両の2次元運動に拡張して議論を進めている。インホイールモータなどの使用により、駆動輪毎にモータを取り付けることが可能である。この場合、左右駆動輪での駆動力差によって車両運動を制する、DYC(Direct Yaw Moment Contro)と呼ばれる制御をより効果的に適用できる可能性がある。本論文ではまず、DYCを行う場合に、各輪に制駆動力を制御入力として加えることで、タイヤの性能が限界に達し,かえって安定性が損なわれる可能性を指摘した。

 この問題に対する検討として、本論文では各輪独立に実装された空転防止制御が、車両2次元運動にどうよな影響を与えるかを検討している。通常車両2次元運動は車体すべり角のような、センサでの検出の難しい変数に基づいで行われている。そこでこれをオブザーバなどで推定するのが一般的であるが、非線形が強いなどの理由から、その設計は容易ではない。従って、各輪独立の空転防止制御によって、車体すべり角などに頼らずに、車両の2次元運動制御の性能が向上できるなら、その利点は大きいと考えられる。

 また本論文では、同様に車両2次元運動制御中に各輪が限界に達する問題を回避すべく、各輪への駆動力配分を最適化するアルゴリズムを提案している。例えばインホイールモータを4輪に用いた車両では、車両制御のためのヨーモーメントを生じる駆動力の配分には、大きな自由度がある。この自由度を活かし、各タイヤの負担を均等化するのが提案している手法である(図4)。

図4:動的駆動力配分の効果。最適化を考慮せずに配分した場合のタイヤの負担の最大値と比べた比を、様々なヨーモーメントと車体加減速力に対して示しており、値が小さい程効果が大きいことになるので、駆動力ベースで比較して最大で約1割程度タイヤの負担を減少できていることが分かる。

 以上の様に、本論文では電気自動車の新しい車両運動制御に関して、様々な観点から論じたものである。これにより、前後方向の運動に関する制御である空転防止制御について、モータの利点をいかに活用すればよいかを、またそれによってどのように制御性能などが向上するのかを、明確にすることができた。また、2次元運動の制御に関しても議論を進め、電気自動車において新しく生まれる利点を活用するための、いくつかの有益な知見を得ることができたと考えられる。

審査要旨

 本論文は, 「電気自動車の新しい車両運動制御に関する研究」と題し,電気モータ駆動の特長を生かした新しい車両運動制御法を提案し,シミュレーションによる検討と実車製作を通じて得た研究成果をまとめたものである。

 第1章(序論)では,研究の背景や目的を述べている。電気自動車の駆動源は電気モータであり,エンジンと比べるとトルク応答が格段に速く,回生ブレーキを用いたモータのみによる制動が可能であるなど,基本的な制御性能に優れることを指摘し,具体的には,制御面でのモータの利点として以下の3点に注目したことが述べられている。

 (1)トルク指令からトルク出力までの応答速度が速いこと。エンジンと比べて二桁程度,油圧ブレーキと比べても一桁程度高速である。

 (2)出力トルクの大きさを正確に把握することが容易であること。エンジンの場合は,温度や回転数に応じて出力トルク値が変動し非線形性も強いので,駆動トルクの大きさを推定するのはそれほど容易ではない。油圧ブレーキも,油圧系統やブレーキシュー特性の不確かさのため,制動トルクの正確な把握は容易ではない。

 (3)モータは小型化が可能であるので,各輪に分散配置することができること。これにより,左右輪の駆動力差を利用した車両運動制御が容易になる。

 論文の前半では,このような電気モータの高い制御性能を活用し,タイヤの空転防止制御に関する提案と検討を行っている。

 第2章(タイヤの空転防止制御におけるモータの優位性)では,ガソリン車でも盛んに研究が行われ実用化も進んでいる油圧ブレーキによるABS(Anti Skid Brake System)をとりあげ,提案する電気モータによる空転防止制御との比較を行っている。従来車では,制動時にはABS,駆動時にはTCS(Traction Control System)と別個に論じられてきたが,電気自動車においては,駆動と制動を継ぎ目なく行えるため両者を統一的に扱うことが可能である。モータの高速トルク応答を生かせば制御系の感度関数をより広い範囲で低ゲイン化できることから,モデルフォロイング制御などの高性能な空転防止制御が実現できることをシミュレーションを用いた検討によって示している。さらにいくつかの制御手法を提示し,この性質が特定の制御法に固有のものではなく,電気自動車では一般的に可能であることを示している。

 第3章(電気自動車における各種のタイヤ空転防止手法とその実験的検討)では,第2章で提示した諸種の制御法の有効性とシミュレーションの妥当性を,自ら製作,改良を行った実験車両を用いて確認している。また,とくに車輪速度のみを用いたフィードバック制御によって空転を緩和する手法については,提案手法の空転防止効果が,空転現象の時定数を増大させるものとして理解できることなどを示している。

 第4章(車速情報不要の新しい空転防止制御手法の実現)では,車体速度情報を必要としない空転防止制御を新しく提案している。従来のタイヤ空転防止制御では,車体速度情報を精度よく得る必要があったがこれは一般には容易でなく,とくに車両旋回時の空転防止制御では大きな制約となる。提案手法は,モータトルクと車輪速度のみを用いて空転を検出し,制御を行う新しい手法であり,トルクが正確に把握できるという電気自動車の利点を活かす好例となっている。提案法は,実際の電気自動車を用いた実験でその有効性が確認されており,従来のスリップ率(すなわち車体速度情報)を用いた制御と比べても遜色ない結果が得られている。

 論文の後半では,電気自動車によって可能になる車両の2次元運動に議論を拡張している。電気自動車では,インホイールモータの使用により,駆動輪ごとにモータを取り付けることが可能である。この場合,左右駆動輪での駆動力差によって車両運動を制御するDYC(Direct Yaw Moment Control)と呼ばれる制御をより効果的に適用することが可能になる。

 第5章(電気自動車における車両2次元運動制御の研究の必要性)では,まず,DYCを行う場合に,各輪に制駆動力を制御入力として加えることで,タイヤの性能が限界に達し,かえって安定性が損なわれる可能性を指摘している。

 この問題に対し,第6章(各輪独立の車輪速度制御による車両2次元運動の安定化)では,インホイールモータを用い各輪独立に実装した空転防止制御が車両2次元運動にどのような影響を与えるかを検討している。その結果,空転防止を目的とした速度制御系を各車輪ごとに構築しておくことで,旋回制動時の車両挙動を安定化できることを示している。通常,車両の2次元運動は,車体すべり角のようにセンサによる検出の難しい変数にもとづいて行われているため,これを才ブザーバなどで推定する必要があるが,非線形が強いなどの理由から,その推定器の設計は容易ではない。従って,各輪独立の空転防止制御によって,車体すべり角に頼らずに,車両の2次元運動の制御性能や安定性が向上できるなら,その利点はきわめて大きいと考えられる。

 第7章(最適駆動力配分アルゴリズムの提案)では,車両2次元運動制御中に各輪が限界に達する問題を回避すべく,各輪への駆動力配分を最適化するアルゴリズムを提案している。インホイールモータを4輪に用いた車両では,車両制御のためのヨーモーメントを生じる駆動力の配分には大きな自由度がある。ここでは余った自由度を活かし,各タイヤの負担を均等化する手法を提案し,シミュレーションによってその効果を示している。

 第8章(結論)は結論であり,研究の成果と今後の課題をまとめている。さらに,付録として,各種の電気自動車の調査とその普及に関する展望,実験用電気自動車東大三月号で行った電源電圧昇圧などの改良とその効果,製作中の新しい実験車両東大三月号の概要,タイヤモデルやその計算のために開発したMatlab ToolBoxという4項目について補足している。

 以上を要約するに,本論文は,電気自動車における運動制御性能の向上を目的として,電気モータの高速で正確なトルク応答特性を生かした独自の制御法とその応用を検討したものであって,まず,タイヤの空転防止制御のためにモデルフォロイング制御や車速情報を必要としない独自の空転検出法を提案し,これにもとづく制御機構を装備した実験車両を製作してその有効性を実証し,さらに,4輪独立駆動車を対象とし,すべりやすい路面上での旋回時に急速制動を行った際の走行定性改善を目的として,4輪への最適駆動力配分法およびそれに関する制御法などを提案し,シミュレーションによってその有効性を検証することによって2次元運動特性の大幅な安定性向上の可能性を示したものであって,電気工学,特に電気自動車制御工学の分野において貢献するところが多い。よって,本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/1825