学位論文要旨



No 115151
著者(漢字) 林,稔晶
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,トシアキ
標題(和) x87V-V族希薄磁性半導体GaMnAsおよびGaMnAsベース・ヘテロ構造の基本物性研究
標題(洋) Study of the fundamental properties of III-V based diluted magnetic semiconductor GaMnAs and its related heterostructures
報告番号 115151
報告番号 甲15151
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4646号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 田中,雅明
 東京大学 教授 西永,頌
 東京大学 教授 岡部,洋一
 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 柴田,直
 東京大学 助教授 平川,一彦
内容要旨

 現在エレクトロニクスは物性物理の中でもっとも成功した分野の一つと言える。しかしここ四半世紀の間、エレクトロニクスは電子の持つ電荷のみに着目し、スピン情報を完全に無視してきた。その理由は、半導体におけるスピン緩和は非常に速く、スピン偏曲した状態を保持することが難しいからである。しかし、半導体デバイスの急激な微細化により、量子効果が著しくなるにつれ、あらためて電子スピンの効果が見直されるようになってきた。我々はこれを半導体スピン・エレクトロニクスと呼んでいる。これは電子デバイス、光デバイス、そして磁性デバイスを融合する新しい分野である。

 半導体スピン・エレクトロニクスの実現のためにいくつかの方法が提案されている。近年の結晶成長技術の進歩に伴い、磁性金属間化合物あるいは磁性半導体と半導体の良質なエピタキシャル・ヘテロ接合の作製が可能になってきた。特にIII-V族希薄磁性半導体(DMS)はキャリアと局在モーメントとの協力現象によって様々な特徴的物性を示すものとして注目されている。そこで本研究者は新しいIII-V族希薄磁性半導体であるGaMnAsに注目し、その作製および基礎物性の研究を行ってきた。

 そもそも希薄磁性半導体の研究はCdMnTeに代表されるII-VI族ベースのものに限られていた。この理由は磁性を担う遷移金属のIII-V半導体における固容度が低いためである。CdMnTeは大きな磁気光学効果を示すことから、透明な光アイソレーターの材料として注目されている。しかし、II-VI族ベースの磁性半導体はキャリア制御が困難であり、電子デバイスとして応用することが難しい。

 我々は低温成長分子線エピタキシー法(LT-MBE)を用いて、新しいIII-V族強磁性半導体(Ga1-xMnx)Asのエピタキシャル薄膜の成長に成功した。成長の基板温度を低く保つのはMnの表面偏析を押さえるためである。最高でMn濃度x=0.78までドーピングが可能であった。適当な成長条件の下で成長した均一なGaMnAsは、GaAsの閃亜鉛型結晶格子中のGa副格子をMnでランダムに置き換えた三元混晶であることがわかった。このようなGaMnAsはp型伝導(キャリア濃度は1019〜1020cm-3)を示し、低温でホール誘起の強磁性(現在までの最高のキュリー温度Tcは約100K)を示す。これはMnイオンの局在モーメントをそろえることによってホールの伝導性を回復し、その運動エネルギーを得するためである。よって、GaMnAsはII-VI族ベースの希薄磁性半導体とは異なり、その磁気伝導測定から磁気特性を調べることができる。さらに我々はGaMnAsが大きな磁気光学効果を持つことを示した。

 上述のように、GaMnAsはGaAsと同じ閃亜鉛構造であり、GaAs/AlAs系との格子整合がよい。また、成長の初期段階に観測されるRHEED振動から、成長が二次元的に進行していくことがわかった。我々はこれらの特徴を生かし、LT-MBE法を用いて磁性(GaMnAs)/非磁性(AlAs)半導体超格子の成長に成功した。このようにして得られたGaMnAs/AlAs超格子は、X線回折測定によって、明瞭なサテライト・ピークを観測することができた。これはGaMnAs/AlAs超格子が非常に急峻な界面を持つことを意味している。さらにこのことは断面TEM観測によっても確認された。比較的井戸幅の広い超格子(GaMnAs膜厚>70Å)試料は伝導性が高く、低温で強磁性を示した。一方、比較的井戸幅の狭い試料は絶縁体的で、低温においても強磁性転移を観測することができなかった。これは界面揺らぎによるキャリアの局在が影響していると考えられる。このことからGaMnAs強磁性発現には少なくとも1x1019cm-3のホールが必要であると見積もられる。

 また、磁気光学測定において閉じ込め効果によるブルーシフトを観測した。このシフトは、クローニッヒ・ペニーモデルを用いて計算されるエネルギーシフトにほぼ一致することからGaMnAs/AlAs超格子における量子準位の形成を確認した。

 ところで、金属磁性の分野ではFe/Cr多層膜における巨大磁気抵抗効果(GMR)の発見以来金属磁性多層膜やグラニュラー系の磁気抵抗効果が盛んに研究されている。GMR効果はハード・ディスクの磁気ヘッドとして既に応用されている。このような磁性多層膜の研究の中で、強磁性金属/酸化膜/強磁性金属トンネル接合におけるスピン依存トンネル磁気抵抗効果(TMR)は基礎物性物理の点からGMRよりも早く提案され、研究されてきた。また最近ではTMR効果を用いたMRAM(磁気ランダム・アクセス・メモリー)への期待からデバイス応用の動きが活発化している。しかしそこでは酸化物トンネル障壁やその界面の結晶性が問題となっている。

 一方、強磁性半導体GaMnAsをベースとした急峻な界面を持つ磁性半導体ヘテロ構造を作製できると言うことは、より制御されたGaAs/AlAs系ヘテロ構造において、GMRやTMRなどのスピン依存伝導を研究することを可能にすると考えられる。近年我々はLT-MBE法を用いてGaMnAs/AlAs/GaMnAs三層構造を作製し、4.2Kにおいて非常に大きな負のTMRを測定した。一般に磁気抵抗比はMR=(Rap-Rp)/Rpと定義される。これを用いると、このトンネル接合における観測された磁気抵抗比は44.4%と見積もられる。

 一般にTMR比は強磁性電極のフェルミ・エネルギーでのスピン偏極度Pに強く依存する。よりPの大きな強磁性体をトンネル電極に用いることにより、より大きなTMR効果が期待できる。そこで我々は強磁性量子井戸における量子準位に注目した。強磁性量子井戸では界面に垂直方向の波数kzはスピンに依存して量子化される。トンネル効果では電子の全エネルギーと界面に平行な方向の運動量は保存されるので、スピン・スプリットした量子準位は高い偏極度を示すと考えられる。このようなバンド・エンジニアリング的アプローチは従来の金属磁性多層膜にはない、急峻な界面を持つヘテロ構造を作製できる磁性半導体特有のものであると言える。

 我々はトランスファー・マトリックス法を用いて磁性二重障壁共鳴トンネルダイオード構造GaMnAs/AlAs/GaMnAs/AlAs/GaMnAsにおける電子の透過確率を計算した。ここで両電極の磁化方向はお互いに平行で、磁性量子井戸の磁化方向のみが電極の磁化方向に対し変化すると仮定した。このことはGaMnAsの保磁力の膜厚依存性から容易に実現できると期待される。各磁性層における磁化方向の違いから生じる量子化軸の急峻な変化を考慮し、スピノール変換を用いて波動関数を接続した。計算された透過確率の共鳴ピークは、磁性量子井戸の磁化方向によってバンド・シフトに相当するエネルギー分だけシフトすることがわかった。このことは磁性量子井戸が通常言われるエネルギー・フィルターとしての機能だけでなく、スピン・フィルターとしても機能することを意味する。

 次にLT-MBE法を用いて実際に二重障壁トンネル接合を作製し、その電気的、磁気的特性を測定した。4.2KにおいてTMR測定を行い、低磁場にヒステリシス構造を持つ非常に大きな負のTMR効果(MR比は約170%)を観測した。しかし残念ながら今回の測定では微分負性抵抗を観測することができなかった。このメカニズムを詳細に調べるためにコンダクタンスの二回微分を計算した。d2I/dV2-V曲線は0.5V付近に大きなピークを持ち、それが大きな外部磁場によって低バイアス側にシフトすることが分かった。また、低磁場では高磁場には見られない付加的なピークが1.3V付近に観測された。これらのことから、この二重障壁トンネル接合における大きなTMR効果の一部は、共鳴トンネル効果が寄与しているものと思われる。

審査要旨

 本論文は、「Study of the fundamental properties of III-V based diluted magnetic semiconductor GaMnAs and its related heterostructures」(III-V族希薄磁性半導体GaMnAsおよびGaMnAsベースヘテロ構造の基本物性研究)と題し、英文で書かれている。本論文の目的は、新しいIII-V族ベースの磁性半導体材料GaMnAsとそのヘテロ構造を形成し、その基本物性を明らかにすることである。本論文は、筆者らが開発した新しいIII-V族ベースの磁性半導体材料GaMnAsとその量子ヘテロ構造の結晶成長と構造評価、および磁性、電気伝導、磁気輸送特性、磁気光学効果等についての包括的な研究結果を記述しており、全6章より構成されている。

 第1章は「Introduction」(序論)であり、半導体エレクトロニクスで使われる材料並びにデバイスに磁性あるいはスピン機能を付加・融合させようとする"半導体スピンエレクトロニクス"に関する研究の背景を述べ、近年急速に関心が高まりつつあるこの新分野の動向を概説するとともに、本論文で行った研究の位置づけと目的を記している。

 第2章は「Fundamental properties of GaMnAs」(GaMnAsの基本物性)と題し、新しいIII-V族ベースの磁性半導体材料GaMnAs薄膜のエピタキシャル成長、構造評価、磁性、電気伝導、磁気輸送特性、磁気光学効果についての様々な研究結果を述べており、本論文の前半の中心部分を成している。まず、200〜300℃の低温で分子線エピタキシー(MBE)成長を行い通常の結晶成長に比べて強い非平衡成長条件を実現することによって、GaAs中に最大8%もの高濃度で磁性イオンMnを添加した磁性混晶半導体Ga1-xMnxAs薄膜をエピタキシャル成長できることを示し、その結晶構造が閃亜鉛鉱型でありGaAsとの格子不整が0.4%以下とわずかであること、すなわちGaAs等のIII-V族化合物半導体と構造的な整合性が良いことを示している。さらに、GaMnAsは強いp型伝導を示し正孔濃度は1018〜1020cm-3台であること、低温で強磁性を示し(典型的な転移温度は60K程度)磁化容易軸は面内にあること、大きな異常ホール効果と磁気抵抗効果を示すこと、大きな磁気光学効果を示すことから強いpd交換相互作用をもつ二と、磁気光学スペクトル形状からバンド構造は閃亜鉛鉱型半導体と類似であることなど、その基本物性を明らかにしている。また、GaMnAsの電気伝導に関しては不純物添加した半導体中の金属-絶縁体転移との関連性を議論し、GaMnAsのpd交換相互作用についてはこれまで報告された本論文および他グループの種々の実験データを検討し批評したうえで、独自のモデルを提案している。

 第3章は「GaMnAs/AlAs superlattices」(GaMnAs/AlAs超格子)と題し、強磁性半導体GaMnAsと非磁性半導体AlAsから成る超格子の研究について記述している。まず低温成長MBEにより、強磁性半導体(GaMnAs)と非磁性半導体(AlAs)から成るIII-V族ベースの磁性半導体超格子構造を成長し、X線回折および透過型電子顕微鏡(TEM)断面観察により、急峻な界面をもつヘテロ構造が形成できることを示している。さらに磁気光学スペクトルにおいて、量子準位間のバンド間遷移に相当する波長で強度の増大を観測し、ピーク位置がクローニッヒペニーモデルによる理論値に良く一致することから、(GaMn)As超薄膜中に量子準位が形成されることを実証している。これらの実験により、III-V族ベースの強磁性半導体において、ヘテロ構造を用いたバンドエンジニアリングが可能であることを示している。超格子の磁性と伝導は、(GaMn)As量子井戸の膜厚Lwに強く依存し、Lwが7nmより厚いときは金属的で強磁性、Lwが7nmより薄いときは絶縁体的で常磁性であることを示し、この実験結果を量子準位のゆらぎに起因する正孔の局在によって説明している。

 第4章は「Spin-polarized electron tunneling」(スピン偏極電子トンネリング)と題し、GaMnAsのトンネル分光実験とフェルミ準位付近の電子状態について述べている。まず、トンネル分光の一般的な原理を説明し、続いてAu/Al2O3/GaMnAs接合を作製してトンネル分光実験を行った結果、GaMnAsのフェルミ準位付近において小さなエネルギーギャップの存在を見出したことを述べ、そのエネルギーギャップはソフトクーロンギャップによるものと解釈している。さらに、電極に超伝導体(Al)を用いたトンネル分光実験でGaMnAsのスピン偏極度を見積もる試みについても言及している。

 第5章は「Tunneling magnetoresistance of GaMnAs based heterostructures」(GaMnAsベースヘテロ構造のトンネル磁気抵抗効果)と題し、GaMnAs/AlAs超薄膜量子ヘテロ構造を用いた強磁性トンネル接合におけるトンネル磁気抵抗(TMR)効果について記述している。まず、GaMnAs/AlAs/GaMnAsから成る単一障壁強磁性トンネル接合を作製し、4.2Kにおいて44%のTMR比を示す大きなTMR効果が得られたことを述べている。続いて、GaMnAs/AlAs/GaMnAs/AlAs/GaMnAsから成る二重障壁の強磁性トンネル接合を提案し、そのトンネル確率とトンネル電流を解析した結果、二重障壁構造が共鳴トンネル効果によってエネルギーフィルターとしてのみならずスピンフィルターとしての役割を果たすことを明らかにしている。実際に上記の強磁性二重障壁構造を作製して4.2KにおいてTMR効果を測定したところ、共鳴トンネル効果は電流-電圧特性の2次微分にわずかにその兆候が現れたのみで明瞭には観測されなかったものの、170%という大きなTMR比をもつTMR効果が観測されたことを述べ、この大きなTMR効果の主たる要因は、強磁場において伝導に寄与する正孔の局在が解け波動関数が広がるために障壁を介したトンネル確率が飛躍的に増大したためとしている。さらに、強磁性二重量子井戸構造(三重障壁構造)を提案し、トンネル過程でキャリアの面内方向の運動量(ktt)が保存されるならば、材料のスピン偏極率に関わらずきわめて大きなTMR比が得られることを予言し、実験的な試みについても言及している。

 第6章は[Concluding Remarks」(結言)であり、本論文の結論を総括するとともに、GaMnAsヘテロ構造の研究の将来展望についても述べている。

 以上のように本論文は、新しいIII-V族ベースの磁性半導体GaMnAsとその量子ヘテロ構造をエピタキシャル成長によって形成し、その構造評価、磁性、磁気光学効果、電気伝導、磁気輸送特性、トンネル磁気抵抗効果等についての包括的な研究を行うことにより、その基本物性およびデバイス応用可能性を明らかにしたものであって、電子工学上寄与するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/1897