GaAs窒化表面は、GaNとGaAsとのあいだの20%にも及ぶ大きな格子不整合を利用した量子ドット自己形成、GaAs表面のパッシベーション効果など、特異な性質をもつ表面として注目されている。こうした応用を効果的に実現するためには、この系の窒化現象の物理を正しく理解する必要がある。しかしながら、その基礎となるGaAs窒化現象の原子レベルでの研究はあまりなされておらず、窒化初期の表面原子構造や初期窒化過程はほとんど分かっていない。本論文では、「RHEED/STM/XPSによるGaAs(001)表面の窒化初期過程の解明」と題し、GaAs表面窒化における初期過程および窒化初期表面における原子構造を明らかにすることを目的に行った研究をまとめたものである。 第1章「研究の背景と目的」では、本研究の対象であるGaAs窒化表面およびそれに関連する予備知識および従来の研究報告をまとめ、本研究の目的を述べている。 第2章「実験方法」では、本研究を遂行するために用いた実験装置・解析方法についてその原理と実験手順について述べ、さらにGaAs窒化表面を作成するための出発基板となるGaAs(001)-2(2x4)表面の作成手順とその評価結果を述べている。 第3章「実験結果と考察」は本研究の核心となるもので、本研究で得られた実験結果が述べられ、その考察が行われている。 第3章1節「窒化量と表面構造の相関」では、窒化時間とともにGaAs窒化表面構造がどう変化するかに関し述べている。 窒化中のin situ RHEED観察の結果、窒化にともなう表面構造変化には異方性が存在し、中間状態として(3x4)構造が形成されることを明らかにしている。また、窒化表面のSTM観察をの結果から、窒化は初期2(2x4)から(2x4),(3x4),(3x3)構造が混在した状態を経て、(3x3)最終構造へ変化することを示している。表面構造変化の異方的成長はSTM観察においても観察され、(2x4)構造における[-110]方向の原子列が一次元的に3倍周期に変化した痕跡と解釈できる構造が見出されることを指摘している。さらに、(3x3)最終構造には、今まで知られていた(3x3)構造以外に、STM像で明確に異なる別の(3x3)構造が存在することを新たに明らかにしている。 RHEEDおよびSTM実験の結果から、(3x4)中間構造は、2(2x4)構造では[-110]方向に2倍周期で並んだ表面砒素ダイマー対が3倍周期で再配列したものであるとの構造モデルを提案している。また、2つの(3x3)構造に対しては、従来の2つの表面ダイマーによって構成される構造((3x3)-2D)モデルと、1つの表面ダイマーによって構成させる新しい構造((3x3)-1D)モデルを提案している。 第3章2節「3x4窒化中間構造の振舞い」では、(3x4)中間構造の異方的成長の原因と、(3x4)中間構造の安定性について述べている。 [-110]方向に最初に成長する1次元的な3倍周期列構造の長さ分布を調べ、窒化量によらずある特定の長さで出現頻度が最も高くなることを明らかにし、その理由を3.1節で提案した(3x4)表面構造モデルを用いエネルギー的な考察にもとづき説明している。 (3x4)中間構造は、窒化時間が60秒とごく短いばあいは、窒化後放置すると(2x4)構造に戻ることを示し、これを窒化後放置中の残留砒素と窒素の置換効果によって説明している。さらに、このような構造回復は(3x3)構造からは起きないことを示し、この事実は、(3x4)構造とはちがい(3x3)構造では下地ガリウム原子の配列が(2x4)構造と異なることを考えると理解できることを論じている。 第3章3節「窒化表面(3x3-1D/2D構造)の解析と制御」では、2つの(3x3)構造の安定性に対する砒素分圧の影響について述べている。 窒化処理中の砒素分圧を変化させることにより、形成された表面構造と砒素圧の関係を系統的に調べた結果、砒素圧が10-9Torr以下であれば表面はほぼ(3x3)-1D構造になるが、砒素圧上昇に伴って(3x3)-2D構造の比率が増加することを見い出した。また、(3x3)-1D構造に砒素の暴露を行った結果、砒素暴露によって(3x3)-1D構造が(3x3)-2D構造に変化することを確認した。これらの事実より、(3x3)-2D構造と(3x3)-1D構造は砒素圧と窒素供給量の比によって可逆的に入れ替わること、(3x3)-2D構造は砒素圧の高いときの安定構造、(3x3)-1D構造は砒素圧の低いときの安定構造であることを指摘している。さらに、(3x3)-1D構造における表面ダイマーを構成する原子種に関しても考察を行い、(3x3)-2D構造における2つのダイマーが同等である事実、またSTM像においてこの2つのダイマーが(2x4)構造の砒素ダイマーと同じコントラストを示すことから、(3x3)-2D構造の表面ダイマー、さらに(3x3)-2D構造の表面ダイマーも砒素からなると結論している。 (3x3)-1D構造における窒素の原子位置を明らかにするためXPS測定を行い、表面窒素含有量を0.2±0.1MLと評価した。また窒化表面ではGa-N結合が存在することも確認し、窒素は砒素と置換する形で導入されていると結論した。これらの結果と(3x3)-1D構造における表面対称性、表面砒素ダイマーのSTMコントラストから、(3x3)-1D構造における窒素原子の吸着サイトを考察し、窒素位置に関する構造モデルを提案している。 第3章4節「窒化過程における構造変化の原子論的モデル」では、第3章1〜3節で明らかになった実験事実および考察によって提示した表面構造モデルを用いて、窒化過程における構造変化の駆動力を原子論的に考察している。 その骨子は、(1)窒素原子はガリウム原子の表面ダングリングボンドへ吸着したのち、Ga-Nの結合エネルギーがGa-Asのそれによりボンドあたり約2eV大きいため、第1層のダイマーを構成する砒素とではなく第3層砒素原子と置換する、(2)Ga-N結合長がGa-As結合長よりも20%短いため格子歪みが発生し、GaAs(001)-2(2x4)構造の異方性によって、窒化初期では歪みが[-110]方向に伝播し[-110]方向の再構成が起き、(3)そののち、[-110]に直交する[110]方向の歪み伝播を阻害していた表面トレンチがGaの拡散によって埋められることにより、[110]方向にも再構成が進行する、というものである。 第4章「結言」では、以上の研究の結論が要約されている。 以上を要約すると、本研究は、GaAs窒化表面の応用を目指して、GaAs表面の窒化現象において特に重要とされる窒化初期過程を原子レベルで解明し多くの知見を得たものであり、物理工学の発展に寄与する所が大きい。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |