学位論文要旨



No 115157
著者(漢字) 今吉,崇博
著者(英字)
著者(カナ) イマヨシ,タカヒロ
標題(和) RHEED/STM/XPSによるGaAs(001)表面の窒化初期過程の解明
標題(洋)
報告番号 115157
報告番号 甲15157
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4652号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前田,康二
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 岡野,達雄
 東京大学 助教授 福谷,克之
 東京大学 助教授 高橋,敏男
 産業技術融合領域研究所 首席研究官 徳本,洋志
内容要旨

 窒化ガリウム(GaN)に代表される窒化物III-V族化合物半導体は直接遷移型のワイドギャップ半導体として、次世代の光デバイス・ハイパワー電子デバイス材料として非常に注目を集めている半導体材料である。デバイス応用の立場から、既に広く実用化されている化合物半導体である砒化ガリウム(GaAs)上でのGaN成長は早くから研究されていたが、近年ではGaAs表面の窒化による表面パッシベーションの効果やGaAs表面保護を目的とした表面窒化膜の形成など、GaAs表面の窒化に関する研究も盛んに行われている。このようなGaAs上のGaN成長やGaAs表面窒化の過程を考える上で重要なことは、その初期段階であるGaAs表面第1層の窒化現象とそれに伴う表面構造の変化を原子レベルで正しく理解することである。そこで我々は、GaAs表面の窒化初期過程を原子レベルで解明することを目的として研究を行った。

 研究で用いたGaAs表面には、応用で最も広く利用されており、表面の構造解析も進んでいるGaAs(001)面の砒素終端2(2x4)最構成表面を用いることとした。GaAs(001)面の窒化過程に関しては多くの研究報告がなされているが、窒化の初期段階において(3x3)構造に再構成することがRHEED観察などの結果から明らかになっている。この(3x3)構造に対して更に窒化を行うと、基板温度に応じて表面近傍がアモルファス状態のGaAsN混晶やGaN結晶膜になっていくことが知られている。我々の研究対象である窒化初期過程としては、初期GaAs(001)-2(2x4)表面から窒素誘起GaAs(001):N-(3x3)表面の形成までが対応する。窒化実験では活性窒素源としてECR窒素プラズマを用いた。窒化条件のうち、窒素ガス分圧1.5x10-5Torr、マイクロ波供給電力265W、GaAs基板温度525℃は常に固定とし、その他の条件は実験の主旨に応じて変化させた。

 GaAs(001)-2(2x4)初期表面から窒素誘起GaAs(001):N-(3x3)終表面への構造変化を考察するために窒化過程における時間分解in-situ RHEED観察を[-110]方向と[110]方向の2つのビーム方向について行った(図1)。先に[-110]方向に2倍から3倍周期への構造変化が起こり(窒化時間60〜120秒)、その後に[110]方向に4倍から3倍周期への構造変化が起きている(窒化時間135〜180秒)ことが明らかになった。すなわち、窒化時間120秒付近では過渡的な(3x4)構造が形成されていることを示している。これは初期表面である2(2x4)構造に[-110]方向に伸びるダイマー欠損列が存在しており、窒素原子吸着の影響が先に[-110]方向に伝わるためと考察される。[-110]方向の構造変化が進み、同時にダイマー欠損列が埋まっていくことで初めて[110]方向にも構造変化が起きるようになると考えられる。窒素原子の吸着箇所はこの実験からは特定できないが、[-110]方向に構造変化の駆動力を伝えていることを考慮すれば、[-110]方向に結合がある第3層砒素原子と置換していると考えると理解しやすい。

図1:時間分解in-situ RHEED強度の窒化時間に対する変化左:RHEEDビーム[-110]方向 右:RHEEDビーム[110]方向

 更に窒化時間依存性を詳しく知るために、窒化時間を変化させたGaAs窒化表面に対してRHEED及びSTM観察を行った。短い窒化時間(60秒)の表面は窒化直後はRHEED観察で[-110]方向に3倍周期を示すものの時間経過とともに2倍周期に戻っていくことが明らかになった。一方、充分な窒化時間(150秒)の表面では時間が経過してもRHEEDスポットの変化は見られず、STM観察すると(3x3)構造に(3x4)、(2x4)構造が混在している様子が確認できた。これは、窒化初期に形成される過渡的な(3x4)構造が不安定な構造であり、窒化後に雰囲気中の砒素や温度の影響で窒素が抜けることで容易に(2x4)構造に再構成してしまうため、と考えられる。

 RHEED観察では窒化時間180秒でほぼ完全な(3x3)構造を示しているが、STM観察の結果は(2x4)、(3x4)構造が混在した(3x3)最構成面である。更に窒化時間を長くしていくと窒化時間300秒でかなり綺麗に整列した(3x3)構造のSTM像が得られた(図2)。従来のGaAs(001)窒化面では2つのダイマーから構成される(3x3)構造が観察されていたが、図2ではダイマー2つからなる構造(A)は非常に少なく、むしろダイマー1つからなる構造(B)が数多く観察されている。この構造(A)と(B)のダイマー原子種を考えるために図2の窒化表面に砒素の曝露を行うと、構造(A)の数が増加することが確認された。この結果から、構造(A)と構造(B)を構成するダイマーは同種の原子で構成され、砒素ダイマーである、ということが示された。

 図2で示した窒化表面に対して窒素被覆量と窒素の位置を確認するためにXPS観察を行ったところ、窒素被覆量として約0.2MLという結果が得られた。また、窒素位置の確認では最表面に窒素が存在したほうが相応しい計算結果となっていたが、前述したように砒素曝露の結果を考えると表面のダイマーはむしろ砒素原子によると考えたほうがよい。一方、構造(A)は窒化が進むにつれて存在が減少することから考えて「より窒化されていない」(3x3)構造であると考えられる。上記の結果やダイマーの対称性や高さの比較と考察を背景に、構造(A),(B)について原子配置モデルを提案する(図3)。このモデルでは窒素原子は第3層砒素原子を1つあるいは2つを置換した形で存在しており、砒素ダイマーに関して対称に分布している。

図2:窒化時間300秒のGaAs(001):N-(3x3)表面のSTM像 filled state image(3.0V;0.7nA)図3:窒素誘起GaAs(001):N-(3x3)構造の原子配置モデル左:(3x3)-1ダイマーモデル 右:(3x3)-2ダイマーモデル

 ここで、2(2x4)構造から(3x3)構造への構造変化について再び考察する。前述したようにダイマー欠損列わきの第3層砒素原子列に窒素原子が入っていくと考える。Ga-Nの短い結合によって主に[-110]方向に歪みが加わり、窒素原子の吸着位置が3倍周期で安定になるとすれば、表面構造はその影響から(3x4)構造に変化する。次にステップなどからガリウム原子が供給されてダイマー欠損列を埋めていくと、窒素原子は表面内部に閉じ込められ、Ga-N結合による歪みは[110]方向にも伝播していく。この結果、[110]方向の構造変化が生じて最終的に(3x3)構造になる。閉じ込められた窒素原子の直上に安定な砒素ダイマーが形成されて、(3x3)-2ダイマー構造になると考えられる。そして、更に窒化が進むことで(3x3)-1ダイマー構造へと変化すると考えられる。

 以上、GaAs(001)-2(2x4)表面の窒化初期過程の解明を目的として、RHEED/STM/XPSを用いた研究を行った。構造の一部に不明な部分を残すものの、従来観察されてきた(3x3)構造と新たに発見した(3x3)構造の両者について比較を行い、それぞれの構造モデルを提案した。さらに、提案したモデルを用いて、GaAs(001)-2(2x4)表面の窒化初期過程における構造変化の仕組みを説明することができた。

審査要旨

 GaAs窒化表面は、GaNとGaAsとのあいだの20%にも及ぶ大きな格子不整合を利用した量子ドット自己形成、GaAs表面のパッシベーション効果など、特異な性質をもつ表面として注目されている。こうした応用を効果的に実現するためには、この系の窒化現象の物理を正しく理解する必要がある。しかしながら、その基礎となるGaAs窒化現象の原子レベルでの研究はあまりなされておらず、窒化初期の表面原子構造や初期窒化過程はほとんど分かっていない。本論文では、「RHEED/STM/XPSによるGaAs(001)表面の窒化初期過程の解明」と題し、GaAs表面窒化における初期過程および窒化初期表面における原子構造を明らかにすることを目的に行った研究をまとめたものである。

 第1章「研究の背景と目的」では、本研究の対象であるGaAs窒化表面およびそれに関連する予備知識および従来の研究報告をまとめ、本研究の目的を述べている。

 第2章「実験方法」では、本研究を遂行するために用いた実験装置・解析方法についてその原理と実験手順について述べ、さらにGaAs窒化表面を作成するための出発基板となるGaAs(001)-2(2x4)表面の作成手順とその評価結果を述べている。

 第3章「実験結果と考察」は本研究の核心となるもので、本研究で得られた実験結果が述べられ、その考察が行われている。

 第3章1節「窒化量と表面構造の相関」では、窒化時間とともにGaAs窒化表面構造がどう変化するかに関し述べている。

 窒化中のin situ RHEED観察の結果、窒化にともなう表面構造変化には異方性が存在し、中間状態として(3x4)構造が形成されることを明らかにしている。また、窒化表面のSTM観察をの結果から、窒化は初期2(2x4)から(2x4),(3x4),(3x3)構造が混在した状態を経て、(3x3)最終構造へ変化することを示している。表面構造変化の異方的成長はSTM観察においても観察され、(2x4)構造における[-110]方向の原子列が一次元的に3倍周期に変化した痕跡と解釈できる構造が見出されることを指摘している。さらに、(3x3)最終構造には、今まで知られていた(3x3)構造以外に、STM像で明確に異なる別の(3x3)構造が存在することを新たに明らかにしている。

 RHEEDおよびSTM実験の結果から、(3x4)中間構造は、2(2x4)構造では[-110]方向に2倍周期で並んだ表面砒素ダイマー対が3倍周期で再配列したものであるとの構造モデルを提案している。また、2つの(3x3)構造に対しては、従来の2つの表面ダイマーによって構成される構造((3x3)-2D)モデルと、1つの表面ダイマーによって構成させる新しい構造((3x3)-1D)モデルを提案している。

 第3章2節「3x4窒化中間構造の振舞い」では、(3x4)中間構造の異方的成長の原因と、(3x4)中間構造の安定性について述べている。

 [-110]方向に最初に成長する1次元的な3倍周期列構造の長さ分布を調べ、窒化量によらずある特定の長さで出現頻度が最も高くなることを明らかにし、その理由を3.1節で提案した(3x4)表面構造モデルを用いエネルギー的な考察にもとづき説明している。

 (3x4)中間構造は、窒化時間が60秒とごく短いばあいは、窒化後放置すると(2x4)構造に戻ることを示し、これを窒化後放置中の残留砒素と窒素の置換効果によって説明している。さらに、このような構造回復は(3x3)構造からは起きないことを示し、この事実は、(3x4)構造とはちがい(3x3)構造では下地ガリウム原子の配列が(2x4)構造と異なることを考えると理解できることを論じている。

 第3章3節「窒化表面(3x3-1D/2D構造)の解析と制御」では、2つの(3x3)構造の安定性に対する砒素分圧の影響について述べている。

 窒化処理中の砒素分圧を変化させることにより、形成された表面構造と砒素圧の関係を系統的に調べた結果、砒素圧が10-9Torr以下であれば表面はほぼ(3x3)-1D構造になるが、砒素圧上昇に伴って(3x3)-2D構造の比率が増加することを見い出した。また、(3x3)-1D構造に砒素の暴露を行った結果、砒素暴露によって(3x3)-1D構造が(3x3)-2D構造に変化することを確認した。これらの事実より、(3x3)-2D構造と(3x3)-1D構造は砒素圧と窒素供給量の比によって可逆的に入れ替わること、(3x3)-2D構造は砒素圧の高いときの安定構造、(3x3)-1D構造は砒素圧の低いときの安定構造であることを指摘している。さらに、(3x3)-1D構造における表面ダイマーを構成する原子種に関しても考察を行い、(3x3)-2D構造における2つのダイマーが同等である事実、またSTM像においてこの2つのダイマーが(2x4)構造の砒素ダイマーと同じコントラストを示すことから、(3x3)-2D構造の表面ダイマー、さらに(3x3)-2D構造の表面ダイマーも砒素からなると結論している。

 (3x3)-1D構造における窒素の原子位置を明らかにするためXPS測定を行い、表面窒素含有量を0.2±0.1MLと評価した。また窒化表面ではGa-N結合が存在することも確認し、窒素は砒素と置換する形で導入されていると結論した。これらの結果と(3x3)-1D構造における表面対称性、表面砒素ダイマーのSTMコントラストから、(3x3)-1D構造における窒素原子の吸着サイトを考察し、窒素位置に関する構造モデルを提案している。

 第3章4節「窒化過程における構造変化の原子論的モデル」では、第3章1〜3節で明らかになった実験事実および考察によって提示した表面構造モデルを用いて、窒化過程における構造変化の駆動力を原子論的に考察している。

 その骨子は、(1)窒素原子はガリウム原子の表面ダングリングボンドへ吸着したのち、Ga-Nの結合エネルギーがGa-Asのそれによりボンドあたり約2eV大きいため、第1層のダイマーを構成する砒素とではなく第3層砒素原子と置換する、(2)Ga-N結合長がGa-As結合長よりも20%短いため格子歪みが発生し、GaAs(001)-2(2x4)構造の異方性によって、窒化初期では歪みが[-110]方向に伝播し[-110]方向の再構成が起き、(3)そののち、[-110]に直交する[110]方向の歪み伝播を阻害していた表面トレンチがGaの拡散によって埋められることにより、[110]方向にも再構成が進行する、というものである。

 第4章「結言」では、以上の研究の結論が要約されている。

 以上を要約すると、本研究は、GaAs窒化表面の応用を目指して、GaAs表面の窒化現象において特に重要とされる窒化初期過程を原子レベルで解明し多くの知見を得たものであり、物理工学の発展に寄与する所が大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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