内容要旨 | | ホールをドープしたペロフスカイト型Mn酸化物R1-xAxMnO3(Rは3価の陽イオン,Aは2価の陽イオン)は巨大磁気抵抗効果を始めとする多彩な物性を示すことで近年注目されている系である。その複雑な物性は強磁性的二重交換相互作用によって定性的に説明されてきたが、近年、ヤーンテラー効果などの格子との相互作用,電荷整列,軌道縮退(Mnイオンの2つのeg軌道,すなわちd(3z2-r2)軌道とd(x2-y2)軌道間の縮退)が重要な役割を果していると考えられるようになり,スピンと軌道と電荷の自由度が結合した系としてさらに盛んに研究されている。そこで,これら各作用のうち,特に電荷整列と軌道整列がMn酸化物の物性に及ぼしている影響を明らかにするため,中性子散乱実験による磁気構造・結晶構造の解析,スピン揺らぎの測定を行なった。 対象とした物質はNd1-xSrxMnO3,Pr1-xSrxMnO3,Pr1-xCaxMnO3の単結晶および粉末試料である。単結晶試料はFZ(floating zone,浮遊帯域溶融)法で作成した。粉末試料はFZ法でmeltgrownしたものを粉砕して粉末状にして作成した。中性子散乱実験には日本原子力研究所改造3号炉に設置してある東京大学物性研究所の三軸型中性子分光装置GPTAS,HQR,HER,及び東北大金属材料研究所の中性子粉末回折装置HERMESを使用した。 ペロフスカイト型Mn酸化物では電荷・軌道・スピンの様々な秩序状態が出現する。なかでもNd1-xSrxMnO3はホール濃度によって軌道状態と磁気構造が系統的に変化し,それによる多彩な物性が観測されるため,Mn酸化物の電荷・軌道・スピン状態を研究する上で最適な物質と言える。そこでまず始めにNd1-xSrxMnO3のホール濃度を系統的に変えた試料(x=0.49〜0.75)を対象に,各電荷・軌道・スピン秩序相の種類およびそれらの関係について調べた。 まず図1にNd1-xSrxMnO3のホール濃度xに対する相図を示す。相図は結晶構造の違いによって大きく二つに分けることができる。図中でx=0.54〜0.61に太い縦線で示した線がその境界で,ホール濃度の低濃度側では結晶構造は斜方晶となり,高濃度側では正方晶となる。格子定数の大小関係も両相で異なり,斜方晶相ではc軸が最も短かく,正方晶相ではc軸が最も長い。以後前者の斜方晶相をO’相,後者の正方晶相をT’相と呼ぶことにする。一方,基底状態の磁気構造は,ホール濃度を高くしてゆくとx〜0.48を境に強磁性から反強磁性へと変化する。したがって今回研究の対象にした試料(0.49x0.75)はすべて最低温で反強磁性体となる試料である。結晶構造の変化に対応して磁気構造も変化し,O’相,T’相での反強磁性秩序はそれぞれA型,C型と呼ばれる構造である。さらに,x=0.5のごく近傍ではMn3+とMn4+の1:1の整列(電荷整列)を伴なうCE型と呼ばれる反強磁性構造が出現する。各反強磁性相におけるスピン配列の様子を図2に示した。 図表図1:Nd1-xSrxMnO3の相図。PM:反強磁性相,FM:強磁性相,A:A型反強磁性相,CE:CE型反強磁性相,C:C型反強磁性相,CO-I:電荷整列絶縁体相,CAF:キャント反強磁性相,O’:斜方晶相,T’:正方晶相。 / 図2:各反強磁性相での軌道整列の模式図。矢印はスピンの向きを表す。(a)CE型反強磁性相,(b)A型反強磁性相,(c)C型反強磁性相。 異方的なeg軌道の整列はMnイオンとOイオンの距離にも異方性を生じさせる。そのため軌道整列の様子は結晶構造,特にMnO6八面体の形に反映されると考えられる。そこで,Rietveld法によって粉末回折のデータをフィッティングし,構造パラメータを求めた。Rietveld解析から得られたMn-O結合長を比較すると,各反強磁性相におけるMnO6八面体の形には以下のような特徴があることがわかった。A型反強磁性相及びCE型反強磁性相では,c軸方向のMn-O結合長dMn-O(1)はab面内の2本のMn-O結合の長さdMn-O(2)に比べて短かく,八面体はc軸方向に縮んだ形をしている。一方,T’相ではO’相とは逆にc軸方向のMn-O結合がab面内の2本のMn-O結合に比べて長く,八面体はc軸方向に伸びた形をしている。この八面体の形の特徴から,Mnイオン上のeg軌道の状態を推測することができる。その結果,図2のような各反強磁性状態と各軌道整列状態の対応関係がわかった。すなわち,A型反強磁性相では図2(b)のようにeg軌道は2次元的なd(x2-y2)軌道で占められ,この軌道はab面内に整列していると考えられる。また,C型反強磁性相のeg軌道はロッド状の形をしたd(3z2-r2)軌道で占められ,この軌道はc軸方向を向いて整列していると考えられる。一方,x1/2で現われるCE型反強磁性構造ではロッド状のd(3x2-r2)およびd(3y2-r2)がab面内でジグザグに整列していると言われている(図2(a))。軌道がab面内に整列していればc軸方向のMn-O結合はab面内のMn-O結合の平均よりも短かくなるはずであるので,構造解析の結果はCE型反強磁性ともコンシステントである。 以上で,Mn酸化物で見られる電荷・軌道整列と磁気構造の種類,およびその対応関係が明らかになった。以下では電荷・軌道整列がスピン揺らぎに及ぼす影響について述べる。 A型反強磁性相では二次元的なd(x2-y2)軌道がある面に整列し,その面内のスピンが強磁性的に揃うが,この軌道状態と磁気構造の二次元性は,トランスポートや磁性にも異方性をもたらすと予想される。実際,最近そのような異方性がNd0.45Sr0.55MnO3のA型反強磁性相で報告されている。そして,上述のようにA型反強磁性相の結晶構造には二次元的軌道整列を反映した異方性が存在している。しかし,強磁性相,常磁性相においても反強磁性相に比べて小さいながらも同様の異方性が認められた。そのため,強磁性相,反強磁性相においても空間的,時間的に揺らいだ軌道整列が存在し,それによって磁性に異方性が現われる可能性がある。そこで,強磁性相と常磁性相におけるスピン揺らぎを測定し,果して強磁性相,常磁性相でも軌道整列の影響が存在するのか調べた。対象とした物質はA型反強磁性が現われるPr0.5Sr0.5MnO3とNd0.5Sr0.5MnO3の単結晶である。反強磁性スピン配列の伝播ベクトルの方向はこれら2つの物質では90°異なり,Pr0.5Sr0.5MnO3では[110]方向でNd0.5Sr0.5MnO3では[001]方向である。 まずは強磁性相における磁性に異方性が生じているか確かめるために,強磁性相でスピン波の分散を測定した。図3は(a)Pr0.5Sr0.5MnO3,(b)Nd0.5Sr0.5MnO3の強磁性相でのスピン波の分散を強磁性のブリルアンゾーンの中心からゾーンの境界まで測定した結果である。[110]方向と[001]方向の2つの方向に伝播するスピン波のエネルギーを測定したが,明らかに異方性が認められる。Pr0.5Sr0.5MnO3では[001]方向,Nd0.5Sr0.5MnO3では[110]方向のスピン波の方がエネルギーが高い。分散のエネルギーが高い方向は2つの物質ともA型反強磁性相での強磁性面の方向に対応している。面内方向の方が交換相互作用のエネルギーが高いということは,強磁性相においてもA型反強磁性特有のd(x2-y2)二次元的軌道整列の影響が大きいためと考えられる。 図3:(a)Pr0.5Sr0.5MnO3,(b)Nd0.5Sr0.5MnO3の強磁性相でのスピン波の分散。黒:[110]方向の分散,白:[001]方向の分散。丸は175K,四角は220Kのデータ。 次に,常磁性相のスピン揺らぎについて調べた。常磁性相ではスピンの長距離秩序は形成されていないが,短距離相関が存在すれば幅の広い散慢散乱が観測されるはずで,その幅は相関の強さ(相関長)に反比例する。したがって,反強磁性相,強磁性相で見られたような軌道整列による交換相互作用の異方性が存在すれば,それは散慢散乱のプロファイルの幅の違いとして観測できるはずである。 E=2meVで[110]方向及び[001]方向の散乱プロファイルを測定したところ,反強磁性相での強磁性面間方向に相当する方向のプロファイルにはピーク構造が現われなかった。一方,面内方向のプロファイルにはピーク構造が観測された。このことは面間方向にはスピンの相関が無く面内方向では相関があるということを意味している。この常磁性相におけるスピン相関の二次元性から,常磁性相におけるスピン相関にもやはりd(x2-y2)軌道の整列が影響していると考えられる。 次にCE型反強磁性秩序およびそれに伴なう電荷整列と軌道整列がスピン揺らぎに及ぼす影響について調べた。対象とした物質はCE型秩序相が0.3x0.6の広い濃度範囲に亘って存在するPr1-xCaxMnO3(0.35x0.5)である。この物質では電荷と軌道の整列は同じ温度(TCO〜230K)で起こり,反強磁性秩序はそれより低温(TN〜160K)で生じる。 ホールをドーブしたMn酸化物ではホールの運動が媒介する二重交換相互作用という強磁性的な相互作用が強く働く。この二重交換相互作用のために,Pr1-xCaxMnOxでもその基底状態は反強磁性であるにもかかわらず,常磁性相では強磁性スピン揺らぎが存在する。ホールが動けず,磁性が反強磁性である電荷整列相は二重交換相互作用と競合するため,電荷整列と反強磁性秩序の形成によってスピン揺らぎの興味深いスイッチングが観測された。 図4(a)は電荷秩序と反強磁性秩序による超格子反射強度の温度変化である。電荷整列と反強磁性秩序がそれぞれ230Kと160Kで起きていることがわかる。図4(b)と図4(c)はそれぞれPr1-xCaxMnO3の強磁性揺らぎと反強磁性揺らぎ(散慢散乱強度)の温度変化である。T>TCOでは強磁性揺らぎが存在し,温度の低下とともに増加する。ところがそれは電荷整列の形成によって急激に減少し,かわって反強磁性揺らぎが発達しはじめる。これは電荷・軌道整列によってホールのホッピングが抑えられたためにホールの運動が媒介する二重交換相互作用が抑えられ,代わって図2(a)のようなCE型反強磁性の相関が発達することを示している。 図4:(a)x=0.35における電荷整列及びCE型反強磁性秩序による反射強度の温度変化。(b)x=0.35,0.4,0.5における強磁性スピン揺らぎによる散慢散乱強度の温度変化。(c)x=0.5の反強磁性スピン揺らぎによる数慢散乱強度の温度変化。 ここで興味深いことは,強磁性揺らぎは電荷整列によって減少するものの完全には消えず,反強磁性長距離秩序の出現によってようやく完全に消えるという2段階の変化を示していることである。ホールの移動が抑えられ,図2(a)のような軌道整列が安定に存在すれば強磁性相関は存在しないはずである。したがってTN<T<TCOで強磁性揺らぎが存在し,それがTNで完全に消失するということは軌道の整列はTCOではまだ不完全であり,反強磁性長距離秩序の形成によってはじめて安定化されることを意味している。すなわち,この物質における電荷整列現象は,Wigner結晶のような電荷がクーロン斥力によって整列するという単純なものではなく,軌道やスピンとの結合を必然的に伴なう現象であることが明らかになった。 |