学位論文要旨



No 115163
著者(漢字) 金井,要
著者(英字)
著者(カナ) カナイ,カナメ
標題(和) 共鳴逆光電子分光によるCe化合物の研究
標題(洋)
報告番号 115163
報告番号 甲15163
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4658号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 辛,埴
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 教授 石川,征靖
 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 助教授 吉澤,英樹
内容要旨

 高エネルギー分光は物性物理学の分野において多大な貢献をしてきた。特に、高輝度光源の建設や電子分光技術の発展による近年の光電子分光の発展にはめざましいものがある。強相関電子系物質の電子構造の研究においてその重要性は日々増している。良く知られた様に光電子分光は物質の占有電子構造に関する直接的な情報を与える。最近の光電子分光の実験においては極めて良いエネルギー分解能が実現されており、フェルミ準位近傍の微細な電子構造を観測することが可能になった。一方で逆光電子分光は光電子分光に相補的に物質の非占有電子構造の情報を与え、並んで重要な実験であるが、その発展は前者に比べて大きく遅れていると言わざるを得ない。その大きな要因は発光強度の微弱さによる実験的困難にある。長い間この困難を克服すべく、多くの努力が払われ幾つかの重要な報告もなされてきた。近年になって、スイスのBaerらのグループによってCe化合物のCe3d内殻閾値付近における共鳴逆光電子分光が報告された。[1]これは共鳴光電子分光と相似な方法であり、4f軌道からの寄与を選択的に共鳴増大させて観測する事が出来る方法である。彼らの論文では、共鳴効果により逆光電子過程の発光強度が劇的に増大する事が述べられている。本論文では、Ce化合物のより浅い4d内殻閾値における共鳴逆光電子分光を行った。

 (1)逆光電子分光における共鳴効果:図1にCeRh3の共鳴逆光電子分光スペクトルを示した。励起エネルギーEexを上げていき、約121eV付近で、4fスペクトルが著しく共鳴増大するのがわかる。(図中で116、121eVのスペクトルは16分の1に縮小して示している。)

 これは共鳴光電子過程と同様、通常過程と内殻電子励起を伴う共鳴過程との量子力学的な干渉によって起こる4fスペクトルの共鳴増大である。ここで共鳴過程の中間状態は離散準位と考えられるが、4f電子間のフント結合と4d内殻正孔との交換相互作用によって大きく分裂する。これは強い4d内殻正孔と4f電子間の相互作用のために起こると考えられる。よって、共鳴の振舞いはこの中間状態の多重項分裂によって著しいEex依存性を持つ事になる。図中のf2ピークは複数の構造からなっており、これらは一緒に示した原子多重項で良く説明されるのが分かる。また、それらの強度や形状はEexによって大きく変化する事が観測された。これらの共鳴の振舞いを理解するために論文中では多重項分裂を考慮した不純物アンダーソンモデルによる計算結果(大阪府大、魚住孝幸氏によるもの)との比較を行い、良い一致が得られた。

 図1の結果は4d→4f光吸収スペクトルの巨大吸収帯に対応する励起エネルギーで行ったものである。本論文ではさらに吸収端以前に見られる非常に弱い(吸収端前)吸収領域において、共鳴逆光電子スペクトルの観測を行った。図2にCePd3吸収端前領域におけるの結果を示した。Eex=105eV付近でf1ピークが強く共鳴しているのが分かる。この鋭い共鳴に注目すると、これは4G中間状態を経る事により起こる事が分かった。4Gは図1(巨大共鳴)でf1ピークの共鳴過程を与える中間状態2Gとスピン・軌道相互作用を通じて混じるために2F終状態へ放射遷移可能となるわけである。本論文ではこの4G中間状態の共鳴励起エネルギーを用いてCePd3共鳴逆光電子スペクトルを測定する事により、比較的バルクに敏感な測定を行える事を示した。これは表面における共鳴過程の中間状態がバルクのそれに比べて、比較的高エネルギー側に位置する事、その上それらの寿命幅が比較的狭いためにバルクのスペクトルを比較的強く共鳴励起する事が可能なためによるものである。

 (2)高濃度近藤系の電子状態:次に、典型的な価数様動系CePd3について前述のような方法を用いて共鳴逆光電子スペクトルの温度依存性を測定した。この結果を図3に示した。相対的なf2ピーク強度rfはその始状態との対応から大まかに平均4f電子数nfを反映し、その変化に大変敏感である。低温で一定値を保っていたrfは約210K付近から急激に上昇する事が観測された。これは、低温で価数揺動状態にある系が特性温度以上でキユリー・ワイス則に従う局在モーメント系へ変化する事を反映しているものと考えられる。ここでの特性温度は近藤温度TKである。本研究においてはTKは212Kと見積もられた。この値は中性子非弾性散乱実験から見積もられた近藤効果によるスピン揺らぎに特徴的な温度TSF=232Kと良く一致する。[2]図2で見られた強いf1ピークの共鳴増大はこの高いTKにコンシステントである。LawrenceらはCePd3の電気抵抗の測定から、そのコヒーレンスが約40K付近から発達することを指摘したが、[3]本研究においてrfに変化は見られなかった。この事は単サイトの近藤効果からコヒーレントな近藤効果へのクロスオーバーにnfの明らかな変化を伴わないことを示している。一方でBucherらは光学伝導度の測定から80Kより低温でフェルミ順位付近の状態密度が減少し、約1eV付近に現れるバンド間遷移に対応する構造へ移っていくことを報告した。[4]これはコヒーレンスの発達に伴って、フェルミ順位近傍の4f電子構造が変化してゆくことを示している。本論文ではCePd3の基底状態を調べるために前述の共鳴逆光電子分光の測定に加えて、より低温まで高分解能光電子分光を行った。これによれば、約80K程度から、フェルミ順位直下に非常に狭い擬ギャップが形成されてゆくことが観測された。これはBucherらの光学伝導度の結果を支持するものと考えられる。我々は、コヒーレンスの発達した低温でバンド理論が系を良く記述することを期待する。YanaseらのCePd3のバンド計算の結果からは非常に小さなフェルミ面が報告されており、前述の光電子分光の結果にコンシステントである。[5]良く知られた近藤半導体CeNiSnでは伝導電子と4f電子間の異方的な混成が低温で.の擬ギャップの形成を説明すると考えられているが、等方的なCePd3でどのようにして擬ギャップが形成されるかは近藤半導体の混成ギャップの形成に関してユニークな問題を与える。

図表図1:CeRh3のN4,5吸収端における共鳴逆光電子分光スペクトル。図中の数字は励起エネルギーを表す。f1(f2)ピークは4f0→4f1(4f1→4f2)遷移に対応する。 / 図2:CePd3のN4,5吸収端前領域における共鳴逆光電子分光スペクトル。図中の数字は励起エネルギーを表す。図3:CePd3の共鳴逆光電子スペクトルの温度依存性。rfは相対的なf2ピーク強度である。rf=I[f2]/(I[f1]+I[f2])、I[fn]はfnピークの積分強度を表す。励起エネルギーは球種端前の4Gの共鳴励起エネルギー(104.7eV)を用いている。

 次に擬三元系CeCoGe3-xSixの共鳴逆光電子分光を行った。この物質ははSi濃度xが増加するに従い格子定数が減少し、近藤効果が強められて行く。その結果CeCoGe3(x=0)の基底状態の反強磁性秩序は臨界濃度x=1.25で非磁性になる。この物質の磁気相図はDoniachの相図で良く説明される。本研究ではこの物質のrfのx及び温度依存性を測定し、TKのx依存性を測定した。この結果を図4に示す。高Si濃度域におけるTKは電気抵抗から見積もられたよりはるかに低く、x=1.25付近へ向けて減少して行く。非フェルミ液体的振る舞いの見られるx=1.5でも高Si濃度域と同様にTKで4f電子数がスケールされる。これはx=1.5における非フェルミ液体的基底状態がフェルミ液体の基底状態から反強磁性秩序へ緩やかに接続して行く領域に位置することを意味している。

図4:CeCoGe3-xSixの特性温度。TKは本研究で見積もった近藤温度、は比熱から求められた近藤温度、はワイス温度である。[6][1]例えば、P.Weibel,et al.,Phys.Rev.Lett.,72 1252(1994).[2]E.Holland-Moritz,et al.,Phys.Rev.B 25 7482(1982).[3]J.M.Lawrence,et al.,Phys.Rev.Lett.,54(1985)2537.[4]B.Bucher,et al.,Phys.Rev.B,53(1996)R2948.[5]A.Yanase,J.Magn.Magn.Mat.70 73(1987).[6]D.H.Eom,et al.,J.Phys.Soc.Jpn.67 2495(1998).
審査要旨

 軟X線領域の分光法は物質の電子状態を観測するのに適した分光法であることはよく知られている。軟X線領域の光電子分光は、これまで、固体の占有電子状態を解明する上で極めて重要な役割を演じてきた。近年、分解能は数meV近くに達し、物質にとって重要なフェルミ面付近の情報を得る上で画期的な進歩があった。一方、物質の非占有電子状態を知る方法として、逆光電子分光があるが、この実験方法は強度が極めて弱いために、精度が悪くほとんど研究がなされていないのが現状である。本研究では、共鳴逆光電子分光法の開発を行い、その手法を用いてCe化合物の電子物性の研究を行った。

 本研究の第一の目的は、まず、共鳴逆光電子分光装置を作成することにある。これまで軟X線領域の逆光電子の共鳴効果は850eV付近で行われるだけであった。本研究では世界で初めて50-200eV付近で、共鳴効果を測定することに成功した。それによって、Ce化合物の4fレベルのみを抽出する事ができた。また、強度が著しく増大したために、スペクトルの精度が上がり、分解能も向上した。第二に共鳴効果について調べた。不純物アンダーソンモデルにより、共鳴効果について解析した。第三に混合原子価であるCePd3の逆光電子スペクトルの温度変化が、近藤温度でスケールされることを明らかにした。第四にCeCoGe3-xSixの共鳴逆光電子分光実験を行い、シリコン濃度とともに変化する電子物性について議論を行った。

 第1章では、共鳴逆光電子分光の概念を明らかにした後に、本研究で用いた共鳴スペクトルの計算方法について述べた。

 第2章では、作製した実験装置について述べた。電子源である電子銃について述べた後、発光分光器の仕組みについて述べた。発光分光器は回折格子と検知器、スリットをローランド円上にのせることにより高分解能を得ることができた。

 第3章では、CePd3、CeRh3、CeSn3を中心に逆光電子分光の4d→4f共鳴効果を調べた。巨大共鳴領域及び吸収端前の励起により、f1ピーク及びf2ピークの著しい共鳴が観測された。著しい強度の増大とともに多重項構造が観測された。不純物アンダーソンモデルにより計算された共鳴逆光電子スペクトルは、表面の効果を考慮することにより、実験の構造をよく再現しており、これらの物質のfレベルのエネルギー位置やhybridizationの大きさが決定された。

 第4章は、大きく分けて2つに分かれており、前半ではCePd3の逆光電子分光と高分解光電子分光の温度変化を観測し、逆光電子分光ではf1とf2の強度比が近藤温度を境に著しく変化する事を明らかにした。この変化は近藤温度を境に4f電子数が変化するというCePd3の電子物性とよく一致することがわかった。一方、近藤状態のコヒーレンスが形成されるにしたがって、40K付近のコヒーレンス温度以下で、フェルミ準位近傍の4f状態密度が減少することが光電子分光で観測された。後半は4元系のCeCoGe3-xSixの共鳴逆光電子分光と電子物性との関係が議論された。この物質はGe濃度が増加するに伴い、格子定数が増大し、近藤効果が弱められるため反強磁性が出現する相図を持っている。逆光電子分光による4fピーク強度の温度変化から4f電子数の温度変化が観測され、近藤温度との関係を議論した。第4章では電気伝導度、赤外吸収、磁性等の他に実験手段で得られる電子物性との詳細な比較を論じ、逆光電子分光が何を観測しているかを明らかにした。

 最後に第5章では本研究で得られた結果をまとめ、今後の課題を挙げた。

 以上、本研究では50-200eV付近の軟X線領域において、世界で初めて共鳴逆光電子分光実験を成功させた。共鳴効果により、精度が上がり、4f成分のみを抽出する事ができ、高分解能を達成することができた。詳細なCe化合物の電子物性を実験的に明らかにしており、物性物理学の発展に寄与するところが極めて大きいものと考えられる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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