半導体表面における金属薄膜の初期成長過程の研究は、マイクロデバイスの配線用コンタクトの形成やショットキーバリア特性と界面構造の関連等を表面・界面物理の立場から解明する上での重要な基礎研究テーマとみなされてきた.しかしながら、金属-半導体界面の代表的な組合せである銀-シリコンにおいても、表面構造が精密に決定されているのは、シリコン(111)に限られており、より工業的にも重要なシリコン(001)表面上での銀の表面構造に関しては、いくつかの構造モデルが提唱されている段階で未だに決着がついていない状況にある. 本研究では、走査トンネル顕微鏡観察により著者が発見した長距離秩序を持つAg/Si(001)二次元相を試料として、走査トンネル顕微鏡、低速電子線回折法、微小角入射表面X線回折法等を複合的に使用した表面構造の研究を行っている. 本論文は7章よりなる。 第一章は序論であり、Ag/Si(001)系に関するこれまでの報告をまとめ、本論文の位置付けを明らかにしている. 第二章では、本研究において使用した走査トンネル顕微鏡(STM)、低速電子線回折法(LEED)、微小角入射X線回折法(GIXD)などの実験手法を評価し、本研究の対象である銀-シリコン系への適用に当たって個々の特長を発揮するための複合化手順について論じている. 第三章では、Ag/Si(001)系の二次元相に関して行われたLEEDおよびSTMによる観察とそれに基づく二次元相の決定について論じている.250℃以下の基板温度では、2x2、2x2、3x2の3つの相に分離できることを発見し、従来の報告の矛盾点が,本研究で発見された40℃付近に存在する構造転移の存在により解消できることを示した. 第四章は、Ag/Si(001)系の最安定構造である2x3構造の成長過程に関して行われたSTM「その場」による研究結果である.平坦基板上での2x3構造の成長過程の観測により、二次元相形成において銀原子による基板シリコン原子の引抜き過程が本質的な役割を果たすことと、2x3構造中のシリコン原子密度が0.5MLであることが明らかにされた.この知見に基づき、ステップ基板を用いることにより、Si(001)基板上で結晶学的に等価な4つの配置が可能な2x3構造を、単一ドメイン化することが可能であることを見出し、従来に比べ一桁以上広いドメイン寸法の2x3表面を形成しうることを実証した. 第五章では、前章で形成過程が明らかにされた長距離秩序を有する2x3構造の原子構造を決定するために行われた微小角入射X線回折実験について論じている.平坦表面を対象とする表面X線回折理論をステップ表面上のドメイン構造での回折過程に拡張し、この理論に基づいた測定強度の補正方法を考案することにより、測定された回折点強度から、2x3単位格子中での銀原子の面内配置が決定された. 第六章では、単一ドメイン化2x3表面を対象とした低速電子線回折実験とその解析について論じている.著者の開発した低速電子回折強度の自動解析プログラムを適用することにより、多数の回折点での加速電圧依存特性(I/V曲線)が高い信頼性で得られた.これらの実験データに対する動力学的低速電子回折理論による解析は、微小角入射X線回折による銀原子モデルに整合する結果を得た. 第七章は、考察と結論である.本論文で提案した2x3構造モデルを、Si原子密度、残存ダングリングポンド密度、STM観察結果との対応などの点から他の研究で報告された構造モデルと比較し、提案されたモデルの優位性を論じている.また、この表面層の構造をオングストローム以下の精度で決定するための今後の課題が示されている. 以上を要するに、本研究はAg/Si(001)表面構造の形成とその構造解析を、いくつかの表面解析手法を複合的に使用して行ったものであり、実験・解析の両面においてオリジナルな考究がなされている.研究の成果である単一ドメイン化2x3構造形成条件の発見と同構造における銀原子配置の決定は、表面物理と表面工学における重要な貢献と評価できる. よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |