学位論文要旨



No 115168
著者(漢字) 武内,修
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,オサム
標題(和) Ag/Si(001)表面における単一ドメイン化2×3構造の形成過程とその構造
標題(洋)
報告番号 115168
報告番号 甲15168
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4663号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡野,達雄
 東京大学 教授 前田,康二
 東京大学 助教授 福谷,克之
 東京大学 助教授 高橋,敏男
 東京大学 助教授 長谷川,幸雄
内容要旨

 Si上にAgを薄膜成長した際に形成される急峻な界面は金属・半導体界面の典型例と考えられ、ショットキーバリアの界面構造依存性など、最新のトピックを解く足がかりになると期待されている。このためSi(111)面上のAg薄膜成長初期過程(界面の形成過程と考えられる)は盛んに研究され、すでに原子構造などの基本的な知識が得られている。一方、Si(001)面上のAg成長に関しては、1993年にX.Lin等により、Stranski-Krastanov様式の成長が確認され、さらに、中間二次元相が温度によって異なる超周期を持つことが報告された。これまで、中間二次元相の構造として、不完全2x2、c(6x2)、2x3の3つの超周期が現れることが報告されているが、それぞれの原子構造は未だ決定されていない。

 本研究は1995年4月に始められ、Si(001)上のAg薄膜成長の初期過程全般を広く研究してきた。本研究で得られたSi(001)-Ag二次元相の出現条件を図1にまとめる。室温に近い温度領域は、これまで不完全な2x2周期を持つ構造が成長するとされていたが、さらに、約50℃を境に2x2ユニット内部の構造が異なる2x2及び2x2の2つの相に細分されることが分かった。この温度領域ではもとの基板に存在するダイマー欠損欠陥がAg薄膜成長後もそのままの形で残るため、表面の周期性が乱されるが、これらの欠陥はAg薄膜の三次元的な成長にも大きな影響を与える。これに対して基板温度が100℃程度を超えると、基板Si原子のボンドの組替えを伴う構造が形成される。このような構造としてc(6x2)及び2x3構造がこれまで報告されていたが、さらにc(6x2)よりも低温側で3x2をユニットとする局所構造が形成されることが新たに分かった。2x2、2x2、3x2構造の周期は局所的なもので、超周期に対応する回折スポットを測定できるほど大きなドメインサイズを得ることはない。室温で0.5ML以上蒸着した表面を200℃程度に加熱すると、長距離秩序(ドメインサイズ〜l0nm)を持つc(6x2)構造が形成される。STMによる観測では占有準位像で1つ、空準位像で2つの輝点が単位格子中に見られ、それぞれ基板1x1のtopサイト及び4-fold hollowサイトにあたる。低温では不変だった基板の欠陥構造はc(6x2)構造の成長に伴い解消されるが、各種のドメインバウンダリによりc(6x2)表面は10nm程度のドメインサイズに分断される。以上すべての構造は基板温度を250℃以上にすると2x3構造に変化し、その後温度を下げてももとには戻らない。この意味で、Si(001)-Ag系における最安定な二次元構造は2x3構造であり、他の構造はメタステーブルな構造であるといえる。また、他の構造が基板欠陥の影響などにより大きなドメインを形成することがないのに対し、2x3構造は長距離秩序を形成しうる唯一の相である。このようなことを踏まえ、研究の最終的な目標としては、走査トンネル顕微鏡(STM)、微小入射角X線回折(GIXD)、低速電子線回折(LEED)による結果を総合し、2x3構造の原子配列を決定することとした。

 2x3構造は二倍周期方向に鏡面対称性を持たないという著しい特徴を持つ。STMによる観察では単位格子中に3つの輝点を持ち、それぞれ基板最上原子面の4-fold followサイト、及び2つのbridgeサイトに位置する(図2)。これらの輝点は占有順位像、空順位像の両者でほぼ同じ位置に観測される。2x3構造成長時のAg蒸着量から、2x3構造の第一原子層は単位格子中に3ないし4個のAg原子を含むことが分かるが、図2のようなSTM像のみからこれらの原子配置を直接決めることはできない。しかし、これまでの報告どおりこの表面では3倍周期の位相が隣同士でずれるドメイン境界が頻繁に見られ、2倍周期の完全性に乏しく、STMなど顕微鏡的手法以外の実験手法-例えばLEEDを適用することは難しい。

図表図1.Si(001)-Ag蒸着条件と二次元構造 / 図2.Si(001)-Ag-2x3構造STM像Vs=1.5V

 そこで、原子構造についてのさらなる知見を得るため、また、長距離秩序を持った表面を得る条件を探索するなめ、2x3構造成長過程のSTMによるその場観察を行なった。その結果、550℃以上ではAgがSi(001)上に吸着しないこと、基板温度が高い場合に二次元島のサイズは大きくなるが、島の中でのドメインバウンダリ密度は温度が低い場合に比べて高くなること、2x3構造の第一層原子層に含まれるSiの濃度が0.5MLであることが分かった。さらに、表3の条件で非常に良く整った2x3表面-単一ドメイン2x3表面-が得られることを発見した。Si(001)面はその結晶構造上、1原子層ステップにより隔てられたテラス同士が90度回転した表面構造を持つ。このため、ミスカット角が4度以下のSi(001)基板には2つの異なる方向のドメインが共存する。さらに2x3構造は二倍周期方向に鏡面対称性を持たないため、基板の各ドメイン上でさらに2つの配置を取ることができ、表面全体では4つの異なる向きの2x3ドメインが共存することになる。表3の条件で得られる表面は、このうち1つの方向を向いた2x3構造のみが全表面にわたり成長し、なおかつ二倍周期方向のドメインサイズも〜15nm程度まで大きくなる。このような表面を単一ドメイン2x3表面と呼ぶことにする。

 単一ドメイン2x3表面の成長様式を図4に解説する。基板に0.5度のミスカットを持ったものを使うため、表面には[110]方向を向く1原子層ステップが約15nm間隔で整然と並ぶ。このとき、テラスの表面構造との関係からSAタイプとSBタイプと区別される2種類のステップが交互に現れることになる。(a)蒸着されたAg原子は表面上で最も活性なサイトであるSBステップ端で2x3構造を形成するが、2x3構造中のSi原子密度が0.5MLであるため、上段の最表面Si原子の半数がこの反応に使われる。残り半数のSiは表面へ放出される。(b)放出されたSi原子は2x3島の下方ステップ端まで移動しそこでAg原子と反応する。(c)このような過程で2x3島はSBステップの上方・下方にそれぞれ同じ速度で成長しSBステップを上方へと移動させる。(d)2x3構造が表面全体を覆う時点では、元のSBステップは上方のSAステップと結合しDAタイプの2原子層ステップを作る。2原子層ステップによって区切られた表面では、基板の表面構造がすべてのテラスで同一となるのに加え、個々のテラス上で2x3構造の向きがステップとの相互作用により1種類に限られるため、結果として表面全体が同一のドメインで覆われた、単一ドメイン表面が得られる。

図表表3.シングルドメイン2x3表面成長条件 / 図4.シングルドメイン2x3表面成長様式

 原子構造の解析にはGIXDとLEEDとを用いた。GIXDの実験では実験装置の制約上、単一ドメイン表面を得ることができなかったが、この手法には、(1)整数次のスポットの強度を利用しない、(2)二倍方向の鏡面対称性が失われている効果が現れない、という特徴があるため、スポット強度が半分に落ちてしまう以外、表面上に複数のドメインが存在する悪影響はない。GIXDでは1回散乱の近似が良く当てはまるため、スポット強度からPatterson関数を使って直接的に面内方向の原子位置の自己相関図を得ることができる。今回得られたPatterson図を図5に示す。Siの散乱振輻はAgに比べ数分の一と小さいので第一近似としてこれを無視すれば、図5中で見られる輝点は、2x3単位行使中でのAg原子同士をつなぐベクトルと考えることができる。図5に示した4本のベクトルを再現するモデルとしてたとえば図6が考えられる。このモデルでは、3つのAg原子が三量体を形成し、残りの1つが離れて存在する。このようなモデルは他にも考えることができ、さらに、この手法は表面に垂直な原子位置に関する情報を提供しない。

図表図5.Patterson図 / 図6.Ag原子配置モデルの例

 これを補うため、LEEDスポット強度の動力学的解析を行った。LEEDは表面に垂直な原子位置にも敏感な手法であるが、その出発点として妥当な構造モデルが必要となる。GIXDによりLEED計算で必要になる原子配置モデルを構築することで強力な原子構造解析手法となる。LEEDによる解析には、単一ドメインの2x3表面は非常に望ましい。LEEDにおいて、異なるドメインが表面に共存する場合には、実験で得られるスポット強度は各ドメインからのスポット強度が平均化されたものとなってしまうためだ。各モデルの妥当性に関する議論は本文を参照されたい。

 以上、本研究ではSi(001)上のAg薄膜成長の初期過程をSTM、LEEDにより観察し、200℃以下の基板温度でこれまで報告されていない2x2、2x2、3x2の各相を発見した。これらに加え、c(6x2)、2x3相も含めSTMによる詳細な観察を行った。2x3構造の成長をSTMによりその場観察し、単一ドメイン2x3表面の成長条件を発見した。2x3表面についてGIXDおよびLEEDによる構造解析を行い、種々の原子構造モデルに対して妥当性を検討した。

審査要旨

 半導体表面における金属薄膜の初期成長過程の研究は、マイクロデバイスの配線用コンタクトの形成やショットキーバリア特性と界面構造の関連等を表面・界面物理の立場から解明する上での重要な基礎研究テーマとみなされてきた.しかしながら、金属-半導体界面の代表的な組合せである銀-シリコンにおいても、表面構造が精密に決定されているのは、シリコン(111)に限られており、より工業的にも重要なシリコン(001)表面上での銀の表面構造に関しては、いくつかの構造モデルが提唱されている段階で未だに決着がついていない状況にある.

 本研究では、走査トンネル顕微鏡観察により著者が発見した長距離秩序を持つAg/Si(001)二次元相を試料として、走査トンネル顕微鏡、低速電子線回折法、微小角入射表面X線回折法等を複合的に使用した表面構造の研究を行っている.

 本論文は7章よりなる。

 第一章は序論であり、Ag/Si(001)系に関するこれまでの報告をまとめ、本論文の位置付けを明らかにしている.

 第二章では、本研究において使用した走査トンネル顕微鏡(STM)、低速電子線回折法(LEED)、微小角入射X線回折法(GIXD)などの実験手法を評価し、本研究の対象である銀-シリコン系への適用に当たって個々の特長を発揮するための複合化手順について論じている.

 第三章では、Ag/Si(001)系の二次元相に関して行われたLEEDおよびSTMによる観察とそれに基づく二次元相の決定について論じている.250℃以下の基板温度では、2x2、2x2、3x2の3つの相に分離できることを発見し、従来の報告の矛盾点が,本研究で発見された40℃付近に存在する構造転移の存在により解消できることを示した.

 第四章は、Ag/Si(001)系の最安定構造である2x3構造の成長過程に関して行われたSTM「その場」による研究結果である.平坦基板上での2x3構造の成長過程の観測により、二次元相形成において銀原子による基板シリコン原子の引抜き過程が本質的な役割を果たすことと、2x3構造中のシリコン原子密度が0.5MLであることが明らかにされた.この知見に基づき、ステップ基板を用いることにより、Si(001)基板上で結晶学的に等価な4つの配置が可能な2x3構造を、単一ドメイン化することが可能であることを見出し、従来に比べ一桁以上広いドメイン寸法の2x3表面を形成しうることを実証した.

 第五章では、前章で形成過程が明らかにされた長距離秩序を有する2x3構造の原子構造を決定するために行われた微小角入射X線回折実験について論じている.平坦表面を対象とする表面X線回折理論をステップ表面上のドメイン構造での回折過程に拡張し、この理論に基づいた測定強度の補正方法を考案することにより、測定された回折点強度から、2x3単位格子中での銀原子の面内配置が決定された.

 第六章では、単一ドメイン化2x3表面を対象とした低速電子線回折実験とその解析について論じている.著者の開発した低速電子回折強度の自動解析プログラムを適用することにより、多数の回折点での加速電圧依存特性(I/V曲線)が高い信頼性で得られた.これらの実験データに対する動力学的低速電子回折理論による解析は、微小角入射X線回折による銀原子モデルに整合する結果を得た.

 第七章は、考察と結論である.本論文で提案した2x3構造モデルを、Si原子密度、残存ダングリングポンド密度、STM観察結果との対応などの点から他の研究で報告された構造モデルと比較し、提案されたモデルの優位性を論じている.また、この表面層の構造をオングストローム以下の精度で決定するための今後の課題が示されている.

 以上を要するに、本研究はAg/Si(001)表面構造の形成とその構造解析を、いくつかの表面解析手法を複合的に使用して行ったものであり、実験・解析の両面においてオリジナルな考究がなされている.研究の成果である単一ドメイン化2x3構造形成条件の発見と同構造における銀原子配置の決定は、表面物理と表面工学における重要な貢献と評価できる.

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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