学位論文要旨



No 115171
著者(漢字) 前園,涼
著者(英字)
著者(カナ) マエゾノ,リョウ
標題(和) ペロブスカイト型マンガン酸化物の軌道自由度に関する理論的研究
標題(洋)
報告番号 115171
報告番号 甲15171
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4666号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 藤原,毅夫
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 三浦,登
 東京大学 助教授 吉澤,英樹
内容要旨

 巨大磁気抵抗物質として知られているペロブスカイト型マンガン酸化物A1-xBxMnO3(A=La,Pr,Nd,Sm;B=Ca,Sr,Ba)及び、A2-2xB1+2xMn2O7の物性機構の解明を目的として、主に基底状態における軌道自由度の役割について、理論的研究を進めてきた。

 マンガン酸化物における、7桁にも及ぶ巨大磁気抵抗効果の起源は、目下、世界中の研究者を巻き込んだ大論争の的となっている。そこでは、動的な格子歪みの形成や、金属相/絶縁体相の相分離、軌道自由度の関与といった機構が提案されているが、我々は軌道自由度と電子間相互作用に着目し、マンガン酸化物特有の軌道縮退と軌道異方性の自由度が物性に反映されるシナリオを探求してきた。我々の着眼点は、この物質系の基底状態における磁気構造が、混晶比によって著しく変化するという実験事実で、これは、この系に対する従来の磁性記述のアプローチでは説明出来ない現象である。我々は、こうした、磁気構造の組成依存性を念頭においた新しい定式化を行なった。その結果、軌道自由度が系の運動エネルギーを最適化するように組成によって配向秩序を変化させ、これに伴って磁気構造が変化する様子を記述する事に成功した。

 平均場理論によって得られた磁気構造の相図(→Fig.1)は、層状反強磁性金属相、及びロッド状反強磁性相が出現を予見し、これらは時期を同じくして実験的にも観測されている。こうした磁気構造の出現をもたらしている本質的な機構は、縮退した軌道自由度が、強い電子間斥力の為に偏極する(すなわちキャリアが縮退軌道のうちの1つを選択的に占有する)という、「軌道自由度と、強い電子間斥力のinterplay」である。我々の得た結果は、混晶を行なった金属領域でも、軌道偏極という描像が物性を理解する上で重要である事を示している。

Fig.1 平均場理論によって得られる立方ペロブスカイト(A1-xBxMnO3)の磁気および軌道構造の相図。横軸は混晶比、縦軸は局在スピン間の反強磁性相互作用の大きさである。

 このような大きく偏極した軌道自由度という描像を基づいて、この系で観測される物性の理論的考察を行った。上記の立方ペロブスカイト(A1-xBxMnO3)の、混晶による磁気構造転移に加え、そこでの伝導異方性、層状反強磁性相の安定出現といった実験事実が、軌道偏極によって理解される。

 層状ペロブスカイト構造(A2-2xB1+2xMn2O7)に対する解析も行ない、そこでの混晶による磁気構造転移、金属キャント相の出現、磁気異方軸の1次転移などの起源を偏極軌道秩序という描像から解明した。この系では、層状の結晶構造による2次元的な伝導が、(x2-y2)の対称性をもった扁平な軌道を安定化する。この系で観測される金属キャンティングの出現には、(x2-y2)-軌道が磁気転移の前後で持続する事が必要条件となる事を明らかにした。これを実現しているのが層状結晶構造であり、立方ペロブスカイト系とは対照的である。この系で観測される磁気転移と、その過程における磁気異方軸の転移、格子歪みの変化、及び、金属キャント出現は、平均場理論によって得られた相図によって理解する事が出来る(→Fig.2)。

Fig.2 層状ペロブスカイト系の平均場相図(概念図)と実験との対応。縦軸、横軸はFig.1と同じ。

 そこでは、層状構造を反映した(x2-y2)-軌道に加え、c軸方向に伸長した格子歪みの混晶比による変化が磁気転移を理解する上での重要な要素となっている。このように、層状ペロブスカイト構造では、軌道偏極起源の次元性と、層状結晶構造の次元性との絡み合いが物性を支配している。

 この系のスピン自由度のダイナミクスである、スピン波励起について、乱雑位相近似を適用して計算を行なった。観測されるスピン波の次元性や、スピン剛性率(stiffness)が、軌道自由度の秩序に強く支配される様子が明らかにされた。また、この系に対して重要性が指摘されている動的格子歪みの形成が、スピン剛性率には反映されていない事、また、計算された剛性率の組成依存性(→Fig.3)を実験と比較する事により、この系の金属相で大きな軌道偏極が生き残っている事が結論された。

Fig.3 乱雑位相近似によって得られる、スピン波励起の剛性率の混晶比依存性

 巨大磁気抵抗が出現する強磁性金属相においては、大きく偏極した軌道自由度が、量子ゆらぎにより、その秩序を融解して等方性が回復していると思われる。この系では、スピン自由度が秩序化する最低温まで、各種物性にインコヒーレントな振舞いや異常が観測されるが、こうした異常物性は、軌道自由度の大きなゆらぎに起因していると考えられる。こうした軌道液体状態の可能性は、基底エネルギーの軌道構造依存性(→Fig.4)から示す事が出来る。

Fig.4 基底エネルギーの軌道構造依存性

 強磁性相では軌道構造の鞍点が、他の反強磁性相に比べてエネルギースケールにして1桁程度浅くなっており、軌道ゆらぎが大きくなる事を示している。

審査要旨

 ペロブスカイト型マンガン酸化物A1-xBxMnO3(A=La,Pr,Nd,Sm;B=Ca,Sr,Ba)及び、A2-2xB1+2xMn2O7は巨大磁気抵抗を示す物質として知られ今日もっとも精力的に研究されている遷移金属酸化物の一つである。本論文ではこの物質群の示す相図と物性の解明を目的として、主に基底状態における軌道自由度の役割についての理論的研究を行なった。

 マンガン酸化物における、7桁にも及ぶ巨大磁気抵抗効果の起源は、目下世界中の研究者を巻き込んだ大論争の的となっている。そこでは、動的な格子歪みの形成や、金属相/絶縁体相の相分離、軌道自由度の関与といった機構が提案されているが、本論文では軌道自由度と電子間相互作用に着目し、マンガン酸化物特有の軌道縮退と軌道異方性の自由度が物性に反映されるシナリオを探求した。母物質AMnO3ではマンガンイオンはMn3+であり,その電子配置はd4となる。この時3つの電子は3重縮退したt2g軌道に入り2重縮退したeg軌道に1つの電子が入る。Hund則によればスピンはなるべく平行になろうとするから全てのt2g軌道が占拠されるが,残りの1つの電子については2つのeg軌道のうちどちらが占拠されるかの自由度が残る。これが軌道自由度と言われているものであるが、スピンの自由度と並んで強相関電子の内部自由度として重要な役割を担う。この母物質はモット絶縁体とよばれるクーロン斥力によって電子の飛移りが禁止された特殊な絶縁体である.これに+3価のイオンB3+加える事で正孔キャリアーをドープすると電荷の自由度が誘起され一般に系は金属的な伝導を示すようになる。この状態はドープされたモット絶縁体とよばれ高温超伝導体と並んで最ら興味を集めている状態である。この電荷の自由度に上述のスピンと軌道と合わせた3つの自由度が遷移金属酸化物の電子系を記述する重要な要素となる。

 本論文では、物質群A1-xBxMnO3の基底状態における磁気構造が、混晶比によって著しく変化するという実験事実にまず着目した。これを理論的に明らかにするために軌道の対に依存する異方的なトランスファー積分,Hund結合,クーロン斥力を含んだ一般化されたハバード模型から出発し平均場理論の範囲内でスピンと軌道の構造を最適化することで混晶比xと、t2g軌道の局在スピン間の反強磁性相互作用Jsの平面で相図を明らかにした。その結果、軌道自由度が系の運動エネルギーを最適化するように組成によって配向秩序を変化させ、これに伴って磁気構造が変化する様子を記述する事に成功した。得られた磁気構造の相図は、層状反強磁性金属相、及びロッド状反強磁性相が出現を予見し、これらは時期を同じくして実験的にも観測されている。こうした磁気構造の出現をもたらしている本質的な機構は、縮退した軌道自由度が、強い電子間斥力の為に偏極する(すなわちキャリアが縮退軌道のうちの1つを選択的に占有する)という、「軌道自由度と強い電子間斥力」である。この結果は、混晶を行なった金属領域でも、軌道偏極という描像が物性を理解する上で重要である事を示している。このような大きく偏極した軌道自由度という描像を基づいて、この系で観測される物性の理論的考察を行った。上記の立方ペロブスカイト(A1-xBxMnO3)の、混晶による磁気構造転移に加え、そこでの伝導異方性、層状反強磁性相の安定出現といった実験事実が、軌道偏極によって理解された。巨大磁気抵抗が出現する強磁性金属相においては、大きく偏極した軌道自由度が、量子ゆらぎにより、その秩序を融解して等方性が回復しているという機構が提唱されている。この系では、スピン自由度が秩序化する最低温まで、各種物性にインコヒーレントな振舞いや異常が観測されるが、こうした異常物性は、軌道自由度の大きなゆらぎに起因していると考えられている。こうした軌道液体状態の可能性を調べるために、基底エネルギーの軌道構造依存性を計算した。強磁性相では軌道構造の鞍点が、他の反強磁性相に比べてエネルギースケールにして1桁程度浅くなっており、軌道ゆらぎが大きくなる可能性があることを示した。

 層状ペロブスカイト構造(A2-2xB1+2xMn2O7)に対する解析も行ない、そこでの混晶による磁気構造転移、金属キャント相の出現、磁気異方軸の1次転移などの起源を偏極軌道秩序という描像から解明した。この系では、層状の結晶構造による2次元的な伝導が、(x2-y2)の対称性をもった扁平な軌道を安定化する。この系で観測される金属キャンティングの出現には、(x2-y2)-軌道が磁気転移の前後で持続する事が必要条件となる事を明らかにした。これを実現しているのが層状結晶構造であり、立方ペロブスカイト系とは対照的である。この系で観測される磁気転移と、その過程における磁気異方軸の転移、格子歪みの変化、及び金属キャントの出現は、平均場理論によって得られた相図によって理解する事が出来た。そこでは、層状構造を反映した’(x2-y2)-軌道に加え、c軸方向に伸長した格子歪みの混晶比による変化が磁気転移を理解する上での重要な要素となっている。このように、層状ペロブスカイト構造では、軌道偏極起源の次元性と、層状結晶構造の次元性との絡み合いが物性を支配していることがわかった。

 さらに進んでこの系のスピン自由度のダイナミクスであるスピン波励起について、乱雑位相近似(RPA)を適用して計算を行なった。観測されるスピン波の次元性や、スピン剛性率が、軌道自由度の秩序に強く支配される様子が明らかにされた。また、この系に対して重要性が指摘されている動的格子歪みの形成が、スピン剛性率には反映されていない事、また計算された剛性率の組成依存性を実験と比較する事により、この系の金属相で大きな軌道偏極が生き残っている事が結論された。

 本論文は8章からなり,AからLまでの付録が詳細な計算の説明にあてられている。

 第1章では本論文の目的と内容が簡潔にまとめられている。第2章ではペロブスカイト型マンガン酸化物の構造や物性に関するレビューとともに、本論文の目的が述べられている。第3章ではモデルの導入とその経路積分による定式化がなされている。これにより平均場理論とRPA理論が見通し良く統一的に記述される。第4章から第7章までが本論文の主内容であり、結果と考察が述べられている。第4章ではモット絶縁体である母物質のスピンと軌道の秩序にかんして述べられており、クーロン斥力とヤーンテラー歪みの効果が解析されている。第5章ではA1-xBxMnO3の相図の結果が詳しく述べられ,その物理的起源にかんする考察が行なわれている。第6章では層状構造を持つA2-2xB1+2xMn2O7のスピン/軌道構造が詳述され、特にスピンキャントについて議論されている。第7章では再びA1-xBxMnO3に戻り,そのスピン波励起の計算が述べられている。とくに軌道の構造が与える影響について議論されている。第8章は得られた結論の簡潔なまとめに当てられている。

 本論文は,マンガン酸化物の電子物性における軌道の役割を平均場およびRPAという確立した理論的手法で系統的に調べた殆ど世界的にも最初の仕事であり,この分野の研究に大きなインパクトを与え,物理工学に寄与するところ大であると判断する。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54736