最近、半導体デバイスなどのサイズの縮小に伴い、結晶表面の構造を原子スケールで制御、および評価する技術の開発に関する研究が盛んに行われている。しかしながら、結晶表面付近の深さ方向の電子密度のような重要な情報でさえ、これまでの実験手法では非破壊で直接観察するといったことは不可能であった。本研究は、X線回折の手法により、このような表面付近の電子密度を直接求める新しい手法の開発を目指したものである。 X線回折によって結晶表面・界面の原子配列を調べることは、1980年代以降、シンクロトロン放射光のような強力なX線源の出現によって、有力な実験手法として認められるようになったものである。結晶の表面に平行な面内での2次元周期性によって生じる回折波は、表面において結晶の3次元周期性が切断されることによってはじめて存在するもので、’CTR(Crystal Truncation Rod)散乱’と呼ばれている。通常、X線によって表面付近の構造に関する情報を得るには、表面から垂直にのびるこの’Crystal Truncation Rod’に沿った強度分布を測定すればよいことが知られている。しかしながら、実験によって得られるのは回折強度、すなわち散乱振幅の絶対値の2乗のみであり、このとき散乱振幅(あるいは構造因子)の位相の情報は失われてしまう。もし何らかの方法で位相の情報を回復できれば、散乱振幅をFourier変換することにより、究極的には表面付近の電子密度をモデルフリーに求めることが可能になる。このような表面X線回折における位相問題の研究は世界的にも始まったばかりであり、結晶表面の3次元構造をモデルフリーに求めたという報告はまだない。 私の研究は、この表面(あるいは界面)X線回折の、いわゆる’位相問題’の解決を、Bragg反射の励起に伴うCTR散乱の変調を利用して試みたものである。Bragg反射の励起により、他の方向に散乱されるCTR散乱の強度が変調を受けるという現象は、3波に拡張されたDarwinの動力学的回折理論の数値計算によって、高橋らが1995年にはじめて予想したものである[1]。この現象自体、私の長い間の研究テーマであり、表面構造を調べるための新しい実験手法としての応用可能性について研究してきた。本研究ではこの現象を、Si単結晶上に成長した自然酸化膜からの散乱波の位相を実験的に求めることに応用した。このことにより、結晶表面に垂直な方向の電子密度分布をモデルフリーに求めることができる可能性を示した。 私の研究の出発点は、上記のBragg反射励起に伴うCTR散乱の変調に結晶表面の構造がどのように反映されるかということであった。CTR散乱の強度そのものが表面構造の情報をもっているため、CTR散乱の変調のプロファイルにも何らかの表面構造の情報が現れることが予想されたからである。実際、結晶表面の1原子面を仮想的に変位させた場合の変調のプロファイルを、3波のDarwin理論により数値計算したところ、原子面の変位が敏感に反映されることが分かった(図1)。これにより、この現象を結晶表面の構造を調べるための実験手法として応用する可能性が開けた。 このようなCTR散乱の強度の変調は実験により実際に観測された(図2)。実験は高エネルギー物理学研究機構のAR(Accumulation Ring)の実験ステーションであるNE-3で行った。多波回折の実験であるため、波長分散の効果を小さくした高分解能の実験が必要があった。そのため、ARのアンジュレータからの高輝度放射光によってはじめて実現されたものである。 図表図1 Bragg反射励起に伴うCTR散乱強度の変調に現れる結晶表面の構造の影響(数値計算)。 Si(001)単結晶の004Bragg反射励起下での50ロッドに沿ったCTR散乱強度を3波に拡張されたDarwinの動力学的回折理論により計算した(=1.3Å)。 表面第一層を表面に垂直な方向(結晶内から表面に向かう向き)に変位させた場合の例。図中の%は004格子面間隔に対する変位量を表している。 / 図2 Si(001)の555Bragg反射励起に伴う00ロッド(004Bragg反射付近)のCTR散乱の変調。 ○:Bragg反射強度(exp.)。 ●:00ロッドCTR散乱強度(exp.)。 破線:Bragg反射強度(calc.)。 実線:00ロッドCTR散乱強度(calc。)。 点線:00ロッドCTR散乱強度(calc.)。基盤結晶の長距離微小歪みを考慮。 しかしながら、上記の数値計算において、変調のプロファイルと表面構造の対応関係は必ずしも自明ではなく、実際に実験データから表面構造を一意的に決めるのは困難と言わざるを得なかった。そこでまず、変調の物理的な意味を明らかにする必要があった。そして、この現象を遠回り反射の概念から半運動学的に理解できることを示した。この定式化により、変調のプロファイルが表面の構造因子の位相と直接関係したものであることが分かり、プロファイルの解釈がより明瞭となった。 このことを積極的に利用し、Si単結晶上の自然酸化膜に応用した。Bragg反射励起に伴う鏡面反射(00ロッドに沿ったCTR散乱)の強度の変調から、表面の酸化膜からの散乱波の位相を実験的に求めることを試みた。実験は高エネルギー加速器研究機構のPF(Photon Factory)のBL14Bと、SPring-8のBL09XUで行った。PFで行った予備的な実験では、変調のプロファイルが表面の酸化膜の存在により説明できることを示した(図3)。また、SPring-8では、入射X線の波長を変えていくつかの同様な実験を行い、変調のプロファイルか00ロッドに沿って変化することが示された(図4)。これは、表面の酸化膜からの散乱波の位相の00ロッドに沿った変化を直接反映したものである。これらのプロファイルは表面層の電子密度として適当なモデルを仮定することにより、無矛盾に説明された。これらのことにより、表面からの散乱波の位相を実験的に求める方法として有効であることが示された。そして、このことは結晶表面に垂直な方向の電子密度を実験によりモデルフリーに求めることができる可能性を示している。 図表図3 113Bragg反射励起に伴う00ロッドのCTR散乱強度の変調(=1.48Å)。 ○:Bragg反射強度(exp.) ●:鏡面反射強度(exp.) 破線:Bragg反射強度(calc.) 実線:鏡面反射強度(calc.) 右図はCTR散乱のフィッティングに用いた電子密度のモデル。 得られた酸化膜の平均の膜厚(T)はエリプソメーターにより得られた値(46Å)とほぼ一致した。 / 図4 224Bragg反射励起に伴う00ロッドのCTR散乱の変調。 図中のシンボルは図3と同じ定義。 図3のTとの違いは自然酸化膜の成長によるものと考えられる。 [1]T.Takahashi and S.Nakatani,Surf.Sci.326,347(1995). |