学位論文要旨



No 115180
著者(漢字) 山根,敏志
著者(英字)
著者(カナ) ヤマネ,トシユキ
標題(和) 決定系に対する非線形確率モデル
標題(洋) Non-linear stochastic modelling for deterministic systems
報告番号 115180
報告番号 甲15180
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4675号
研究科 工学系研究科
専攻 計数工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡部,靖憲
 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 助教授 村重,淳
 東京大学 助教授 駒木,文保
 東京大学 講師 堀田,武彦
内容要旨

 70年代にMayによって単純な非線形差分方程式がカオス的な振舞を示すことが発見されて以来,カオスに関する様々な研究がなされてきた.例えば,複雑な現象が小数の変数の力学系によって生み出されるという意味において時系列解析の研究にも多大な影響を与えるに至った.すなわち,複雑な振舞を示す時系列の背後に決定論的な力学系を探ろうという観点にたった時系列解析が研究されるようになったのである.一方,確率論や統計学の立場にたって,複雑な時系列の起源をノイズのランダムネスに求め,データのモデリングを行うという研究が伝統的に存在する.この両者の立場は複雑現象のモデリングという観点からは2つの両極をなしているが,両分野の関係や接点に焦点を当てた研究は少ないのが現状である.そこで,本論文では両者の立場を踏まえ,確率論的な立場から決定論的なシステムのモデリングを行うこと,またその逆に決論的なシステムの研究における知見を確率的なモデリングに導入することによって2つの立場の融合を目指す.具体的には本論文は主に以下の3つの研究より構成される.

 第一の研究は,KM2O-ランジュヴァン方程式論に基礎を置き,与えられた2つの確率過程の間の因果関係を調べる因果解析の手法を与えることである.二つの確率過程の間の線形因果関係を定量的に判別するための手法がKM2O-ランジュヴァン方程式論の立場から,岡部-井上(Naoya Math Journal,1994)によって与えられていた.それは,与えられた確率過程に対してKM2O-ランジュヴァン方程式を構成し,そこから得られるKM2O-ランジュヴァンデータを用いて,因果値を計算するというものであった.本論文では,Masani-Wienerの非線形予測理論に基づき,これを非線形な因果関係に対して拡張し,線形の因果解析を一般化する,具体的には,一般には非線形の予測空間への射影を元の確率過程の多項式による非線形変換の作る線形の部分空間への射影によって近似するというものである.この部分は岡部-山根の論文(Nagoya Math Journal,1998)に基づいている.次に,上記の因果解析を実際の時系列に対して適用し,与えられた2つの時系列の間の因果関係を判定するための,統計的な基準Test(CS)を与える.まず,与えられた時系列データから見本因果関数を計算し,それを時間に対してプロットすることによって系のダイナミックスに寄与する変数について調べる.具体的には,次数mを固定してY(n)を結果とし,X(n)を原因とする因果関係を表すモデル

 

 を考え,最終予測誤差の考えに基づいて予測能力が最も高い次数M’を選ぶ.従来の因果解析では信頼できる相関関数の個数をMとしたとき,m=Mでの見本因果関数の値を見本因果値としていたが,この点を改め,m=M’における見本因果値を改めて見本因果値と定める.本論文では,この因果解析の統計学的な信頼性を高めるために,見本因果値の信頼区間を構成することを試みる.その際,統計的データ解析で従来から用いられている,ブートストラップ法を一般の時系列の場合に適用することによって,この問題を解決する.具体的には,見本因果値は二つの確率過程のある次元の同時分布が確定すれば決まる量であることに着目して,この同時分布を経験分布によって推定する.そして,この経験分布からのリサンプリングによって統計的な解析を行う.最後に,問題となっている見本因果値の信頼区間と因果がないという状況のもとでの見本因果値の分布を比較して,両者が明らかに異なっている場合に「二つの時系列の間には因果が存在しない」という帰無仮説を棄却する.因果がないという状況としては,原因として物理乱数とった場合が考えられる.この場合,物理乱数を取り換えることによって見本因果値の分布を作成することができる.さらに,この因果解析に基づいて,時系列に潜む決定性を判定する基準を与えることができる.そして,以上の方法をSugihara & Mayの論文でも扱われたニューヨーク市で発生した麻疹と水ぼうそうのデータに対して適用する.彼等の研究では麻疹の時系列はカオスであるが,水ぼうそうの時系列はカオスでないということが結論されていた.本研究では,カオスであるかどうかの以前の問題として,これらの時系列が力学系に由来するものとみなせるのかどうが.ダイナミックスに非線形性が関与しているのかどうが,といった基本的なことがらを問題とする.数値実験によって,両者の時系列に潜む種々の定性的な性質を明らかにし,最終的にSugihara & Mayの結論を支持する結果を得た.

 第二の研究は決定論的な時系列解析において従来より用いられているリヤプノフ指数の推定手法を応用することによって,時系列の決定性を判定する手法を提案し,いくつかの例を用いてその有効性を示すことである.先に述べた因果解析に基づく決定性の判定は,統計的な解析に基づくものであったが,この手法は決定論的な時系列のもつ「局所的な均質性」とでも呼ぶべき性質に基づくものである.すなわち,決定論的な時系列は局所的にみれば,背後にある連続なベクトル場のために,ある秩序だった構造をもっているということであり,これが単なる雑音と決定論的な時系列とを区別する拠り所となっているのである.基本的な考え方は次のように要約される.

 1.もし時系列がある連続なベクトル場によって支配される決定論的なシステムに由来するものならば,リヤプノフ指数の推定値を微小パラメータの様々な値に対してプロットしても,そのグラフは平坦である,すなわち,には依存しないであろう.なぜならば,背後のベクトル場が連続なため,近接した初期値は十分短時間の後にはやはり,近接した2点へと写像されるからである.

 2.一方,時系列が単なる雑音の場合,初期値がいくら近接していてもそれらの像の間には何の相関もないので,次の時刻には大きく離れてしまうであろう.こうして,リヤプノフ指数の推定値をに対してプロットするとが小さい程,その値は大きくなる傾向が見られることになる.

 この手法はさらに,埋め込み次元の推定に応用することができる.まず,決定論的であることはわかっているが,埋め込み次元が不明であるような時系列が与えられたとしよう.もし,埋め込み次元が小さすぎると,再構成されたアトラクターはつぶれることになる.従って,本来離れているはずの2点が再構成されたアトラクターの上では一見近接しているかのように見えてしまう.すると,一見近接した2点が離れた2点へと写されるために,無相関なノイズと同じ効果がつぶれたアトラクターの上に引き起こされる.すなわち,リヤプノフ指数の推定値をに対してプロットすると,の小さい所でリヤプノフ指数の推定値が爆発するという傾向が見られることになる.しかし,こうした傾向は埋め込み次元が高くなり,再構成アトラクターがその本来の姿を取り戻すにつれて消滅する.こうして,埋め込み次元の増加に伴ってリヤプノフ指数の推定値がに依存しなくなったときの埋め込み次元を適切な埋め込み次元として選択することができる.

 第三の研究は,決定論的な非線形力学の研究で知られているオンオフ間欠性の概念を時系列解析へと導入することである.On-off間欠性とは対等な2つのカオス的振動子を対称に結合させた系における同期現象とその破れをいい,その標準的な形は同期状態の近傍で次のように線形化される.

 

 このオンオフ間欠性を示す標準的な形より出発して,ARモデルを拡張する形で次のような時系列モデルが導入できる.

 

 この時系列モデルにおいてq=1としたとき,on-off間欠性との間に次のような対応関係があることがわかった.まず,上記のモデルを無限次のMA過程として表現したとき,そのMA過程が二乗平均の意味で収束することが,on-off間欠性において,不変多様体が安定であることと対応している.さらに,この収束のための必要条件が≡E[logx(n-i)2]<0であることから,がon-off間欠性における横断リヤプノフ数の対応物であることがわかった.次に本論文では最小二乗法およびカルマンフィルターによってデータからパラメータを推定するための方法等について議論した.これらの方法において,二乗誤差及び対数尤度の最適化を最急降下法を用いて実行している,さらにこれらの手法を東京における雨量データに適用し,時系列モデルを実際に推定し,時系列データの予測を行った.以上により,突然の変化を示すような時系列データに対して適用可能な時系列モデルが得られたことになる.

審査要旨

 1970年代にMayによって単純な非線形差分方程式がカオス的な振舞いを示すことが発見されて以来、複雑な振舞いを示す時系列の背後に決定論的な力学系を探る観点にたった時系列解析が研究されるようになった。一方、確率論や統計学の立場にたって、複雑な振舞いを示す時系列の背後に確率論的な時間発展に従う確率過程が存在するとして、時系列データのモデリングを行う研究が伝統的に存在する。この両者の立場は複雑現象のモデリングという観点からは2つの両極を成しているが、両分野の関係や接点に焦点を当てた研究は少ないのが現状である。

 本論文「Non-linear stochastic modelling for deterministic systems(決定論的システムに対する非線形確率モデリング)」と題し、6章からなり、両者の立場を踏まえ、確率論的な立場から決定論的なモデリングを行うことと決定論的なシステムの研究における知見を確率論的なモデリングに導入することによって、2つの立場の融合を目指している。

 第1章「Introduction」では決定論的なシステムに対して何故確率論的なモデルが必要であるかを時系列の背後にある複雑さの起源に立ち戻って論じている。

 第2章「Test of determinism based on the causality analysis」ではKM2O-ランジュヴァン方程式論に基づき、2つの確率過程の間の因果関係の有無を調べる因果解析の手法と1つの確率過程のダイナミクスが決定的であるかどうかを調べる決定解析の手法を提案している。2.1節では具体的な時系列の解析に適用する理論の前提条件を検証することを憲法とするKM2O-ランジュヴァン方程式論の哲学に触れている。2.2節ではKM2O-ランジュヴァン方程式論の中で線形理論の基本的な概念である定常性をもつ流れを定量的に特徴付ける揺動散逸定理と非線形理論の基本である非線形情報解析を復習し、2.3節では時系列の定常性を検証するTest(S)を復習している。Nagoya Math.J.に発表した岡部靖憲との共著の論文「The theory of KM2O-Langevgin equations and its applications to data analysis(III):Deterministic Analysis」に従って、2.4節では2つの確率過程の間の非線形因果性を因果関数を用いて特徴づける基本定理を証明し、2.5節では2つの時系列間の因果関係の有無を判定するTest(CS)を提唱し、2.6節では1つの時系列の決定性を判定するTest(D)を提唱している。

 第3章「The result of numerical experiments」では第2章の因果解析と決定解析の手法を麻疹、水ぼうそうの疫病データと地球大気の温暖化と関連する気象データに適用している。3.1節では上記のNagoya Math.J.に発表した論文に従って、ニューヨーク市で発生した麻疹と水ぼうそうの時系列データのSugihara-Mayの研究で得られた結論「麻疹の時系列はカオスであるが、水ぼうそうの時系列はカオスでない」を支えるのみならず、水ぼうそうの時系列は決定的ではないことを示した。3.2節ではエルニーニョ、リマでの気温と気圧、ダーウインでの気圧、タヒチでの気圧の時系列データを扱い、エルニーニョとタヒチでの気圧がリマでの気温に影響を与え、リマでの気温はダーウインでの気圧とリマでの気圧と共に因果関係の意味で閉じたダイナミクスを構成していることを示した。このことはエルニーニョが南太平洋の国々の気候に影響を与え、タヒチでの気圧が南太平洋の国々での気候に重要な役割を果たしていること示している。専門家との議論が待たれる。

 第4章「Test of determinism based on the continuity of the vector field behind the data」では、決定論的な時系列解析において従来より用いられているリヤプノフ指数の推定手法を応用して、時系列の決定性を判定する手法を提案している。確率論的な解析に基づく第3章のTest(D)は時系列のダイナミクスを推定できるが、この章での手法は決定論的な時系列のもつ局所的な均質性に基づくものであり、埋め込み次元の推定に応用できる。

 第5章「On-off intermittency and non-linear time series model」では、突然の変化(バースト)を示す時系列データに対して適用可能な確率過程を構成することを目的として、決定論的な非線形力学の研究で知られているオンオフ間欠性の概念を時系列解析へ導入する。そのために、AR(1)過程Xとそれを係数にもつAR(1)過程YからなるモデルACA(1,1)を考える。そこで、XとYの揺動項は互いに独立な同分布の確率過程とする。Xを用いたある無限級数からなる確率変数の可積分性の条件の下に,確率過程Yの弱定常過程としての存在性を示すと共に、オンオフ間欠性における横断リヤプノフ指数の対応物を導いている。さらに、最小二乗法およびカルマンフィルターによって時系列データからパラメタを推定する方法を提案し、Test(D)をバーストが現れている東京における雨量データに適用し、決定性が成り立たない事を確かめたあと、これらの手法を用いて時系列モデルを実際に推定し、時系列モデルの予測を行い、バーストが現れていることを示している。

 第6章「Conclusions and future problems」では全体の総括にあてられ、本研究の学問的な位置づけと今後の問題に触れている。

 以上を要するに、本論文は確率論の理論であるKM2O-ランジュヴァン方程式論に基づく定常解析・因果解析と決定論的力学理論で大切なカオス・リヤプノフ指数・オンオフ間欠性等の諸概念を用いて、「データからモデル」の立場で確率論的な立場から決定論的なモデリングを行うと共に、決定論的なシステムの研究における知見を確率論的なモデリングに導入することによって、時系列解析における確率論的立場と力学的立場の融合を行い、数理工学上の貢献が顕著である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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