学位論文要旨



No 115181
著者(漢字) 渡邉,崇
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,タカシ
標題(和) シアニン色素J会合体の構造の制御及びそのキャラクタリゼーション
標題(洋)
報告番号 115181
報告番号 甲15181
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4676号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石榑,顕吉
 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 助教授 浅井,圭介
 東京大学 講師 長谷川,秀一
内容要旨 1.緒言

 本研究の目的は、シアニン色素J会合体1を実用デバイスへ応用するために必須な基礎的知見を獲得することである。

 これまで実用化されてきた多彩な電子材料の多くは無機材料が中心であり、有機材料はただ絶縁材料としてのみ利用されることが多かった。しかし、近年、半導体的性質や金属的性質を示す有機材料の創成や有機分子一つ一つの有する機能を生かした分子レベルで動作可能な分子素子やバイオ素子が提案され、有機物の電子材料としての利用価値が認められる様になってきた。

 J会合体と呼ばれる特異な会合体を形成するシアニン色素はメソスコピックフレンケル励起子系としての特長として無機材料にはない顕著な非線形光学特性や協調現象による超高速応答性を示すことが理論的に予見され、さらに、それを実証する実験結果も報告されるようになってきた2。そこで、これらの性質を非線形光学デバイスや光電変換デバイス等の実用デバイスへ応用するための研究が活発に行われている。

 しかし、既知のJ会合体材料の多くについて機械的強度の不足や化学的な不安定性等の理由から、実用デバイスに適用可能な材料形態が模索されてきた。

 これは明確なJ会合体の形成条件が未だ把握されておらず、J会合体の調製は経験的であり、偶然による発見に依存した知識に基づき行われてきたからである。

 そこで、本研究においてシアニン色素の対アニオンに着目し、「会合体形成や双極子形成を制御するための重要なパラメータの一つがシアニン色素分子の対アニオンである」という考えに基づき各章は互いに結びつけられる。具体的には、単分子膜を積層化するための一手法であるLangmuir-Blodgett法(LB法)によるJ会合体薄膜の作製と、ゾルゲル法によるシリカ薄膜へのJ会合体のドーピングとにより、J会合体形成の条件の探索とデバイス作製に適したJ会合体材料の開発を試みた。その過程で、光及びイオンビームをプローブとして用いて、気液界面におけるシアニン色素分子の解離定数を評価や光学特性の評価を行った。その結果、イオン性のシアニン色素の解離挙動に関する知見を得た。また、ゾルゲル法により極めて大きな非線形光学特性を発現するJ会合体ドープシリカ薄膜を合成することにも成功した。本研究は主に(1)気液界面上単分子膜及びLB膜中のシアニン色素J会合体ドメイン構造の制御、(2)シアニン色素会合体形成に及ぼす対アニオンの効果、(3)PIXEを用いたシアニン色素LB膜の組成分析、(4)シアニン色素ドープシリカ薄膜の合成と非線形光学効果により構成される。図1はシアニン色素の構造式の一例を示す。

図1 シアニン色素の構造式。R1、R2はアルキル鎖。X-はBr-、I-、ClO4-等。
2.気液界面上単分子膜及びLB膜中のシアニン色素J会合体ドメイン構造の制御

 シアニン色素分子は気液界面に展開され、適度な表面圧力が加えられると、LB膜の前駆体であるLangmuir膜(L膜)を形成する。そのL膜内で、色素分子はJ会合体を形成し、それらがさらに結晶粒へと成長し、やがてJ会合体のドメイン構造を形成する。この結晶粒のサイズを成長させることにより、L膜を積層して得られるJ会合体LB膜の秩序性の向上が期待される。

 従来のLB法において無視されきた展開手順や圧縮手順がLB膜の前駆体である気液界面上の単分子膜(L膜)の構造に及ぼす効果を、蛍光顕微鏡法を用いた直接観察により明らかにした。得られた知見から、従来のLB法を改良し、膜中の結晶性を向上させる製膜法(展開圧縮同時法)を開発した3

 L膜中の結晶粒成長メカニズムは次の通りである。(1)色素分子を気液界面への展開する。(2)表面圧力が加えられると、結晶核が形成される。(3)結晶核はその周囲に存在する単量体の色素分子を次々に取り込んで、結晶粒へと成長する。(4)気液界面上の全色素分子数には限りがあるので、結晶粒への組み込み可能な色素分子(単量体)が無くなると、結晶粒の成長は停止する。従来のLB膜作製法はこの結晶核の生成やその成長の制御を行っていない。

 結晶粒を大きく成長させるためには、(1)結晶核数を少なくするか、(2)特定の結晶核を選択的に成長させることになる。

 本研究で提案する展開圧縮同時法は展開操作と圧縮操作を交互に行うことにより、特定の結晶核を選択的に成長させることにより結晶粒の成長を促す。この手法で作製したLB膜中の結晶粒(およそ30m)は、従来の方法で作製したLB膜のそれ(およそ10m)に比べて、大きく成長することが明らかになった。また、結晶粒サイズ以外の属性、例えばJ会合体の吸収スペクトルにおける線幅等は変化しない。これは、ドメイン構造を構成する構成単位としてのJ会合体そのものに対して変化を与えずに、結晶粒のサイズだけを向上させたことを意味する。

3.シアニン色素J会合体形成に及ぼす対アニオンの効果

 発色団がカチオンのシアニン色素のL膜について、表面圧力と色素分子の占有面積の関係を示す曲線(-A等温曲線)とドメイン構造に及ぼす対アニオンの効果を調べた。下層水中に存在するアニオン種が気液界面上のシアニン色素単分子膜の-A等温曲線とそのJ会合体ドメイン構造に対して、著しい影響を与えることが明らかになった。また、それらの効果を発色団カチオンとアニオンとの間の解離挙動に基づいて説明することを試みた。

 -A等温曲線の測定と気液界面上の単分子膜の観察にはLB膜作製装置に搭載された表面圧力測定装置と蛍光顕微鏡を用いた。

 対アニオン種と下層水中のアニオン種の組み合わせにより-A等温曲線の形が変化し、それらの-A等温曲線は低表面圧力型と高表面圧力型の2つの型に分類されることが明らかになった。ドメイン構造の形成については、低表面圧力型は分子占有面積が100Å2/分子以上の大占有面積でありながら、J会合体ドメイン構造を形成する。一方、高表面圧力型は分子占有面積が約50Å2/分子以下まで圧縮されたとき、初めてJ会合体ドメイン構造の形成を開始する。

 気液界面上の色素分子の面密度が小さいとき色素分子が解離すると、発色団間で斥力が生じると考えられる。この解離した色素分子で構成されるL膜が圧縮され、色素分子の面密度が上昇すると、発色団と下層水中のアニオンは塩を形成し、色素分子間に分子間引力が働きJ会合体を形成し、さらにそれらがドメイン構造を形成すると考えられる。こうした表面圧力と面密度の間の関係は発色団とアニオン間の解離定数によって決定付けられる。

 高表面圧力型-A等温曲線ついて、色素分子の解離を仮定したモデルを導入し、-A等温曲線の電気化学的導出を試みた。このとき、色素分子は気液界面上で完全に解離していると仮定する(全解離モデル)。解離により生じるカチオンとして振る舞うシアニン色素の発色団と下層水中のアニオンが電気二重層を形成すると考える。この全解離モデルにより、J会合体ドメイン構造が形成される以前の表面圧力のアニオン種による差違について、電気化学的な説明を試みた。色素膜の極近傍ではSternの理論を適用し、そこからバルクに向けてはGouy-Chapmanの拡散二重層の理論を適用して表面圧力を計算した。elをStern理論の基づく表面圧力項とし、elをGouy-Chapmanの理論に基づく項とすると、観測される全表面圧力はこれらの和(el+el)で表される。

 高表面圧力型-A等温曲線ついて、この全解離モデルは「下層水中のアニオンを点電荷と見なし、その分布はボルツマン分布に従い、気液界面上の色素は全解離し、色素分子が正の一様な電荷密度の平行平面を構成する」と仮定する。を気液界面からバルクへのポテンシャル、0を気液界面におけるポテンシャル、0を気液界面における電荷密度とすると、Gouy-Chapmanの理論から、

 

 と書ける。気液界面から下層水中バルクヘ向かっての深さをxとすると、Poisson方程式から、0

 

 と表示される。(1)式と(2)式とから、

 

 が導かれる。ここで、は誘電率、kはボルツマン定数、Tは温度、C0は気液界面における濃度、eは電気素量を示す。一方、アニオンについてはアニオン種によりそれぞれ水和イオン半径が異なる。アニオンはその水和イオン半径の程度までしか気液界面に近づけない。水和イオン半径をrとすると、表面圧力のSternの理論に基づく項は

 

 である。(3)式と(4)式とにより、表面圧は

 

 となる。図2は(5)式の計算から見積もられた-A等温曲線を示し、図3は実験値を示す。下層水中のアニオンがCl-、Br-、F-の場合の-A等温曲線の理論値と実験値について比較すると、両者の間での曲線の上下の配置関係が広分子占有面積側で一致することがわかった。

図表図2 (5)式の計算から得られた-A等温曲線(理論値)。 / 図3 実験から得られた-A等温曲線(実験値)。

 一方、低表面圧力型-A等温曲線ついては、色素分子の発色団カチオンとアニオン間の解離定数の議論が必要となる。

4.PIXEによるシアニン色素LB膜の組成分析

 表面圧力の他、ドメイン構造の生成や成長を議論する場合、気液界面上におけるシアニン色素分子の解離定数の把握は重要である。

 そこで、様々な条件で作製したLB膜の膜中のアニオンに関する組成分析を、イオン励起X線分析法(PIXE)により行い、発色団カチオンとアニオンとの間の解離定数を見積もった。

 試料は、下層水中におけるアニオンの種類とその濃度を系統的に変えて、Si基板上に形成させたシアニン色素LB膜を用いた。イオンビームについてはPIXEスペクトルにおいて低エネルギー領域のバックグラウンドの少ないHe2+の2.5MeVを用いた。

 下層水中のアニオンの種類と濃度に応じて、アニオンは膜中に取り込まれる。しかし、それぞれのアニオン種は発色団との解離度が異なるため、下層水中の濃度比と同じ比率で単純にLB膜中に取り込まれない。

 Cy+をカチオン性色団、X-をアニオンとすると、色素の解離CyX=Cy++X-は、解離定数

 

 表現できる。2種類のアニオン1及びアニオン2を含む下層水を用て作製したLB膜の場合、これらの解離定数の比は

 

 と書ける。ここで、xは下層水中のアニオン1とアニオン2の濃度比、yは膜中のアニオンの濃度比を示す。は気液界面上で解離しているCy+の割合を示し、表面圧力に直接寄与していると考えられる。一方、残りの(1-)の色素分子はドメイン構造を形成していると考えれられる。

 ここで、3節において示した表面圧力の電気化学的議論で用いたモデルと同様の電気二重層モデルを導入し、を求めると、

 

 と書ける。x、yについて実験値へのあてはめを行うと、具体的に解離定数を評価することが出来る。即ち、色素のカチオン性発色団とアニオンの解離定数を電気化学的に議論できる。

 図4は下層水中のアニオンの濃度比とLB膜中のアニオンの濃度比の関係を示す。図(a)は下層水にClO4-とI-の含む系(ClO4-とI-あわせて0.1mM)で作製したLB膜のデータを示す。この場合、K1=16mol/dm3及びKClO4=1.3mol/dm3が得られた。図(b)は下層水にBr-とI-の含む系(Br-とI-あわせて0.1mM)で作製したLB膜のデータを示す。KBr=440mol/dm3を得た。

図4 下層水中のアニオンの濃度比とLB膜中のアニオンの濃度比の関係。(a)ClO4-とI-を含む(ClO4-とI-あわせて0.1mM)下層水を用いて作製したLB膜に関する関係。(b)Br-とI-を含む(Br-とI-あわせて0.1mM)下層水を用いて作製したLB膜に関する関係。曲線は理論式を実験値にあてはめて得られた。

 こうして得られた解離定数を用いれば、2次元的結晶粒構造の形成を考慮したより精密な-A等温曲線の議論を行うことが出来る。

5.シアニン色素ドープシリカ薄膜の合成と非線形光学効果

 シアニン色素J会合体を非線形光学材料として実用化するためには、非線形光学特性を有することのみならず、(1)薄膜化が可能であること、(2)J会合体の高密度な充填が可能であること、(3)合成が容易であること、そして(4)J会合体が媒体内で安定に存在すること等の条件が満たされねばならない。既に、シアニン色素J会合体を含有する材料形態としては、溶液4、LB膜5、結晶6、ポリマー分散膜7.8等が知られている。しかし、これらの材料形態について克服すべき短所があり9、4つの条件を十分に満たす理想的な材料形態が現在も模索されている。そこで、上述の要件を満たすべく、ゾルゲル法によりシアニン色素J会合体をシリカ薄膜中に高密度に均一にドープすることを試みた。このシリカ薄膜の合成方法は極めて簡便でありながら、シリカマトリックス中に高密度に室温で安定なJ会合体を均一にドープできることがわかった。

 ゾル溶液の調製は以下の手順で行った。(1)テトラエトキシオルソシリケイト(TEOS)とエタノールを十分に攪拌し、(2)その溶液に少量の希塩酸を加え攪拌した。(3)さらに、シアニン色素を加えて十分に攪拌し、ゾル溶液を調製した。(4)次に、ゾル溶液を石英基板上に適量滴下し、基板を高速回転することにより、石英基板上にシアニン色素J会合体ドープシリカ薄膜を形成させた(スピンキャスティング法)。

 膜のキャラクタリゼーションは紫外可視吸収スペクトル法により行った。さらに、パルス幅180フェムト秒の超短パルス幅のレーザービームを1kHzで繰り返し発振するレーザー装置を用いて、Z-scan法10により非線形光学特性を測定した。測定は液体窒素により冷却しながら真空中で行った。

 図5はゾル溶液とJ会合体ドープシリカ膜の吸収スペクトルを示す。このゾル溶液の吸収スペクトルには会合体の形成を示すピークが全く現れず、ゾル溶液中で色素分子が会合体を形成しないことを示している。膜の色の変化はスピンキャスティング過程の回転過程中に起こり、この回転過程中の色の変化がJ会合体の形成を示す。

図5 吸収スペクトル。(a)ゾル溶液。(b)シアニン色素J会合体ドープシリカ膜。

 シリカ膜中のJ会合体形成効率はスピンコーターの回転速度とゾル溶液中の色素濃度に依存することがわかった。スピンコーターの回転速度が速いほどJ会合体は形成されやすく、ゾル溶液中の色素の濃度が濃いほどJ会合体は形成されやすい。

 スピンキャスティング法による膜作製におけるゾル溶液からシリカ膜形成に至る過程において、主に(1)EtOHの蒸発、(2)色素の凝集、(3)TEOSの縮重合反応の3反応が競合すると考えられ、これらの反応の優劣はゾル溶液の濃度、温度、溶液のpH等に依存し、最終的に生じるシリカ膜中の色素の会合状態が異なると考えられる。

 図6は吸収スペクトルと|(3)|の波長依存性を示す。J会合体吸収ピーク付近の波長577nmでの(3)の絶対値は5×10-7esuであり、吸収飽和に由来する強い非線形光学特性を示す。

図6 シアニン色素J会合体ドープシリカ膜の吸収スペクトルと|X(3)|。

 この値はシリカとシアニン色素とで構成される色素ドープシリカ膜の値である。そこで、膜中の色素の体積比から正味の(3)の絶対値を見積もると、(3)の絶対値は4×10-6esuとなる。この値は既知の非線形光学材料と比べても極めて大きな値である。

 シアニン色素にJ会合体を形成させる方法として様々な方法が考案させているが、実用材料として用いることが可能な材料形態は極めて少ない。このシアニン色素ドープシリカ薄膜の合成方法は極めて簡便な方法でありながら、シアニン色素分子のJ会合体を高密度にシリカ膜中に均一に形成させることが可能である。さらに、この膜が持つ3次の非線形感受率の絶対値は5×10-7esu(真空中)という極めて高い値を有することから、ファブリ-ペロー共振器構造型素子や、非線形光学効果の逆転現象を利用した排他的論理和回路素子11などの実用光素子開発実現への道が大きく開けるだろう。

 今後の課題としては、(1)(3)と応答速度は会合数に依存することから、会合分子数の評価と会合数の制御が必要である。(2)また、シリカマトリックスの組成を工夫することにより、J会合体の耐光性をさらに向上を改善できるであろう。

参考文献1E.E.Jelly,Nature,138(1936)109;139(1937)631.2F.C.Spano and S.Mukamel,Phys.Rev.A40(1989)5783.3T.Watanabe,K.Asai and K.Ishigure,Thin Solid Films,322(1998)1884B.Kopainsky,J.K.Hallemeier and W.Kaiser,Chem.Phys.Lett.87(1982)7.5J.Terpstra,H.Fidder and D.A.Wiersma,Chem.Phys.Lett.179(1991)349.6A.P.Marchetti,C.D.Salzberg and E.I.P.Waoler,J.Chem.Phys.64(1976)4693.7K.Misawa,H.Ono,K.Minoshima and T.Kobayashi,Appl.Phys.Lett.63(1993)577.8S.De Boer and D.A.Wiersma,Chem.Phys.131(1989)135.9T.Kobayashi(eds.),J-Aggregates,World Scientific Publishing,1996,p49.10M.Sheik-Bahae,A.A.Said,T.Wei,D.J.Hagan and E.W.Van Stryland,IEEE.J.Quantum Electron.26(1990)760.11電総研ニュース,525(1993)l;化学工業日報,1999年7月5日,4面.
審査要旨

 J会合体と呼ばれる特異な会合体を形成するシアニン色素は、非線形光学特性や協調現象による超高速応答性を示すことが理論的に予見され、非線形光学デバイスや光電変換デバイス等への応用が期待されている。しかし、J会合体の形成条件については、未だ充分杷握されておらず、安定した特性を有する会合体を再現性よく形成する手法は確立されていない。本研究はラングミュア・ブロジェット法(LB法)によるJ会合体膜の作製を行ない、ゾルゲル法を用いてシリカ膜へJ会合体をドーピングする手法を開発して、デバイス作製に適したJ会合体形成の最適条件を探るとともに、得られたJ会合体材料の物性の評価を試みたもので、全体は6章からなる。

 第1章は序論であり、オプトエレクトロニクス用の材料として求められる色素材料の機能について述べている。

 第2章では、気液界面上に展開されるシアニン色素(S120)が形成する単分子膜(L膜)の2次元的結晶粒塊を蛍光顕微鏡で直接観察して、シアニン色素溶液の展開手順や圧縮手順がL膜の構造に及ぼす効果を明らかにし、2次元結晶粒を大きく成長させるために、従来のLB法を改良した展開圧縮同時法を開発している。この手法は、色素溶液を気液界面上へ展開して、表面圧を加え結晶成長を促した後、溶液の展開操作と圧縮操作を繰り返し、結晶粒の成長をはかるものである。従来のLB法で作製した結晶粒塊の3〜4倍(30〜40m程度)の大きさを持つものを作製でき、得られたLB膜においては、J会合体の吸収スペクトルの線幅等の変化はなく、結晶粒塊の結晶性だけを向上したものであることを明らかにしている。

 第3章においては、カチオン性シアニン色素のL膜について、-A等温曲線と2次元結晶粒構造の形成に及ぼす対アニオンの効果について検討している。色素分子の対アニオンと下層水中のアニオン種の組み合せにより、-A等温曲線の形が異なり、分子占有面積が100A2/分子以上の大きな値でありながら、J会合体の2次元的結晶粒構造を形成する低表面圧力型と分子占有面積が約50A2/分子以下に圧縮されて初めてJ会合体の2次元的結晶粒構造を形成し始める高表面圧力型に分けられることを明らかにしている。この相違は色素分子の解離の有無によって生ずるものと考察し、色素分子が完全に解離している場合について、色素膜と下層水中のイオンが電気二重層を形成すると考え、電気化学理論を用いて導出した-A曲線が実験結果とある分子占有面積の範囲で比較的良く一致することを示している。

 第4章では種々の条件で作製したLB膜中のアニオンの組成分析をイオン励起X線分析法(PIXE)によって行ない、シアニン色素の解離定数を求めている。下層水中のアニオンの種類と濃度を系統的に変えて作製したシアニン色素LB膜中のアニオン組成の分析値とシアニン色素の解離を想定して理論的に導いた組成とを比較し、理論曲線のシミュレーションから異なったアニオンに対するシアニン色素の解離定数を求め、過塩素酸、ヨウ素、臭素イオンに対して、各々1.3,16,440mol・dm-3の値を算出して、アニオンの水和イオン半径の大きいもの程解離定数が小さく、解離が起りにくいことを示している。

 第5章では、シアニン色素J会合体を非線形光学材料として実用化するために必要な、J会合体が高密度に充填された安定な薄膜を得る目的で、ゾルゲル法によりシリカ薄膜中にシアニン色素をドープすることを試みている。その一つの手法としてシアニン色素を加えたテトラエトキシ・オルソシリケートを含むゾル溶液を石英基板上にスピンキャストして、シアニン色素会合体をシリカ膜中に高密度に導入することに成功している。シアニン色素の構造と対アニオンの組み合せによって、ドープされたシアニン色素がJ会合体あるいはH会合体を形成することができ、これらの会合体はスピンキャスティング過程中に形成されるものであることを明らかにしている。得られたJ会合体を含むシリカ薄膜につきZ-スキャン法により3次の非線形感受率(3)の測定を行ない、J会合体の吸収ピークの波長である577nmで5×10-7esuの値を得ている。この値は既に報告されている非線形光学材料と比べても非常に大きな値であり、光素子の実用化に向けて大きな可能性を示すものであるとしている。

 第6章では総括であり、本論文のまとめを行っている。

 以上要約すれば、本論文は、シアニン色素のJ会合体を中心とする組織構造を、溶液展開手順やサブフェーズ中のアニオンを変えることによって、制御できることを明らかにし、更にゾルゲル法によりシリカ薄膜中にJ会合体をドープすることに成功して、その非線形光学特性が優れていることを示したものであり、システム量子工学に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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