電子遷移による核励起(NEET)とは、励起状態にある電子系が、通常X線やオージェ電子として放出するエネルギーを、原子核との電磁相互作用を通して原子核の励起として解放する現象である。この現象は、NEETの始状態における電子が束縛電子であることに注意すれば、励起原子核が束縛電子を外殻へ励起する内部転換の逆過程と考えることもできる。このような特殊な内部転換はElectron Bridgeと呼ばれ、その逆過程としてのNEETはInverse Electron Bridgeとも呼ばれている。現在では特に229mThや235mUで代表されるような低エネルギー核異性体の研究などの核分光学、ホットアトム効果を利用した同位体分離、あるいは放射性廃棄物処理や線レーザなどへの応用が期待されているが、これら応用に必要とされるのは、より正確な遷移確率評価である。 NEETは1973年に初めて考察され、以後理論及び実験の双方からその確率を求める研究が行われているが、それらの値には数桁ものばらつきがあり、実験から得られた値が数桁以上高い傾向がある。NEET確率の定義は単位励起原子数当たりの励起原子核数として初めて与えられ、その後求められたNEET確率の理論値及び実験値はこの定義にしたがって評価が行われている。この現象を理論的に記述する場合の重要な点は、多体系である電子系及び原子核の間の相互作用を、どのようにして2準位系の問題として近似するかということにある。注目するべき準位は電子系に関して2準位、原子核系に関して2準位であり、NEETを引き起こす電子と原子核との電磁相互作用はこれら2準位間に働くと考えられる。これらの準位はここにあらわには現われない準位あるいは電磁場と複雑な相互作用をしているが、そのような相互作用はこれら準位密度の増加あるいは減少として記述される。その代わりに注目する準位はもはや純粋状態ではなく混合状態となる。つまり系が規格化された1つの状態ベクトルでは表されなくなる。そして、これまでに提唱されているNEET確率の理論式はすべて、ある条件のもとでは物理的に破綻することも知られている。 以上の観点から、本論文では、準位の減衰率を採り入れ、物理的な破綻を起こさないNEET確率の理論式の導出と、NEETの始状態へのポンピングレートに対する終状態密度の応答についての評価、電子系と原子核との減衰率が大きく異なるために起こるみかけのNEET確率の上昇のメカニズム解明、ならびに評価済核データからのNEET可能核の整理についてまとめたものであり、全体で5章から構成されている。 第1章は、緒言であり、NEET現象に関する既往の研究とNEET発生のメカニズム、およびNEET現象の工学的応用に関して整理されまとめられるとともに、本論文の研究目的が述べられている。 第2章は、最新の評価済核データENSDFを用いてNEET可能核のサーベイが行われている。サーベイにあたって、電子の波動間数には水素様電子のDirac方程式の解が用いられている。その結果、73Geから252Cfまでの多数の原子核に対しての評価結果がまとめられている。 第3章は、NEET確率に関する解析解の導出が行われている。これまでに提唱されている森田の理論式、Hoの理論式,Tkalyaの理論式では、原子核の始状態の減衰率が0の極限などでNEET確率が発散するなど物理的に破綻していたが、2準位系においての全ての条件で物理的破綻を起こさない最初の理論式であることが確認されるとともに、先の3つの理論式との関係が比較、整理されている。 第4章は、NEET確率に対し、さらに密度行列要素の時間発展を与えることで、NEETの始状態へのポンピングレートに対する終状態密度の応答についての評価、電子系と原子核との減衰率が大きく異なるために起こる、みかけのNEET確率の上昇のメカニズム解明が行われている。つまり、新たに熱浴の状態密度の時間微分を導入し、電子系と原子核の状態関数を分離することで、電子系に対して3準位、原子核に対して2準位を考慮した、準位の分布数密度行列要素に関する方程式が導出されている。そして、実験において観測されるみかけのNEET確率がどのような物理的意味を有するかの考察を通して、実測によるNEET確率が理論値より高い値を与える理由を明らかにしている。さらには、197Auについて、NEET確率の理論値を示し、実験値との比較、検討を行っている。 第5章は、結論であり、本論文のまとめが述べられている。 以上を要するに、本論文は、電子遷移によるNEETの遷移確率に対する理論的考察を行うことで、NEET確率の理論式を導出し、NEET確率の実験値と理論値の不一致の理由を明らかにするとともに、NEET可能核のサーベイを行ったものであり、システム量子工学に奇与するところが少なくない。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |