内容要旨 | | 計算機を用いて流れを解析する場合,これまで一般に用いられてきたのは差分法に代表される数値解法である。これらの手法は流れという物理現象の連続的な運動を記述した偏微分方程式,すなわちNavier-Stokes方程式を離散化して差分方程式に変換し,それを数値的に解くという手法である。空気のみ,あるいは水のみといった単成分の流体が単純な形状の管内を流れるような現象については非常に効率良く解くことができ,現在は数値的な安定性や近似の精度,空間分解能の向上などを目指して精力的な研究がなされている。しかし我々が工学分野で直面する問題の多くは,平均場の近似では捉えきれない分子レベルでの相互作用が卓越した流れや,多相,多成分が混在し複雑な幾何学形状の界面生成を含むような流れである。このような非一様性を無視できない複雑な流れに対する新たな挑戦として,分子動力学法に代表されるミクロな視点からのアプローチが盛んに行われるようになってきている。ただし実際の原子・分子を用いたシミュレーションでは計算量があまりにも膨大になり過ぎ,マクロな流れを議論できるだけの時間空間的スケールを確保することは困難である。そこで流れの物理を保持したまま,しかも分子論的な背景を残したまま計算効率を高めることが重要になってくる。そして生まれたのが格子ガス法である。 格子ガス法はセルオートマトンの一種であり,時間や空間,粒子の持つ性質などが極めて抽象化された流体モデルである。格子ガス法では空間は単位格子で離散化され,空間を飛び交う粒子の運動は格子点と格子点を結ぶリンク上に束縛されている。粒子は結合された格子間を単位時間ステップで隣の格子に移動し,移動した先の格子点で他の粒子と衝突を行い速度方向を変化させる。衝突には質量と運動量を保存するような状態遷移ルールが用いられる。この移動と衝突の計算を多数の粒子について繰り返し行うことで,格子ガス法のシミュレーションは行われる。 ただしこのように空間を離散化した格子ガス法にはいくつかの問題点が存在する。一つには3次元計算が困難である点が挙げられる。これは格子空間の対称性への要求がシビアであることによる。例えば格子ガス法の3次元モデルとしてFCHCモデルと呼ばれるモデルがあるが,これは4次元格子を3次元に投影して得られるような複雑な格子であり,衝突のルールに変更を加える際には格子の対称性に十分な配慮をする必要がある。もう一つにはガリレイ不変性の問題がある。単相の格子ガスモデルでは,リスケーリングと呼ばれる操作を施すことでNavier-Stokes方程式を回復することができたが,例えば色付き2流体モデルでは界面の速度をリスケーリングできないなどの問題が報告されている。このような欠点は,すべて空間を離散化し,粒子の速度ベクトルを制限したことによるものである。空間の高い抽象化が格子ガス法の最大の特徴であるとともに,また制限ともなっている。この従来の格子ガス法の欠点を克服するものとして,DSMCに類似した衝突スキームを導入することによって,柔軟性に欠けたエクスプリシットな格子空間を不要にしたモデルが実数型の格子ガス法である。 実数型の格子ガス法ではその名前の通り粒子の速度情報が実数値を用いて表される。時間に関しては従来の整数型と同様,単位時間ステップを用いる。粒子は整数型の格子ガス法とは異なり,あらゆる速度状態をとることができる。粒子の移動は現在の位置に速度ベクトルを加えることによって行われ,したがって格子と格子を連結するリンクというものも存在しない。また,粒子の衝突は同一格子点上に存在するすべての粒子の運動量をその重心の周りで回転させるという操作で表される。このようなアルゴリズムにより,実数型の格子ガス法は,(1)格子空間の離散化に伴う対称性の制限がないために3次元計算が容易である,(2)従来の格子ガスモデルと比較した場合により高いレイノルズ数の計算が可能である,(3)粒子の速度分布関数が自然な形でMaxwel-Boltzmann分布に従う,(4)速度の離散化にともなう非物理項が存在しない,といった特徴を持っている。 本論ではこの大きな可能性を秘めた実数型格子ガス法を,混じり合わない2成分流を扱えるモデルへと拡張する方法について提案する。 実数型の格子ガス法においてその基本となる計算手順は,従来の格子ガス法と同様,多数の粒子の移動と衝突という2つの基本的なプロセスの繰り返しである。移動過程は,粒子nの現在の位置xnに粒子の速度nを加えるという単純な操作で行われる。つまり となる。x’nは移動後の粒子の位置である。粒子の速度は移動過程の前後で変化しない。衝突過程では空間を分割した各セル内で複数の粒子が同時に衝突を行い,その運動量と運動エネルギーを交換する。いま体系を単位セルで分割し,粒子nが含まれるセル内の全粒子の平均速度をV,ランダムな回転行列群の中から任意に選んだ行列演算子をとおくと,衝突は と定義される。n,’nはそれぞれ衝突前後の粒子の速度である。粒子の位置は衝突の前後で変化しない。この衝突スキームは質量,運動量および運動エネルギーをセル内でローカルに保存する。また衝突マトリクスとして を満足するようなを用いることで,モデル固有の粘性が最小になることが解析的に示されている。 この実数型格子ガス法の粒子に新たに色の情報を加え,異なる色の粒子間に反発力,同色粒子間には引力を加えることで,従来の単相のモデルを自発的に分離する非混和の2成分流体モデルへと拡張する。これはRothman教授らが非混和な2成分流を模擬するためにFHP格子ガスモデルに導入した方法と同じアプローチである。基本的な考え方は単純であるが,現実の物理を非常に抽象的に表していること,実装がシンプルであること,相界面が明確に現れることなどからも,混じり合わない2成分の流れを表現する有効な手法の一つである。以下では非混和の2成分モデルで用いる衝突ルールについてその定式化を行う。 セルxおよびそのi方向に隣接するセルxiを考え,xからxiへのベクトルをciとおく。iは隣接セルのインデクスであり,2次元の場合は前後左右の4近傍,あるいは斜めも含めて8近傍,3次元の場合は前後左右上下の6近傍,斜めも含めれば26近傍となる。また粒子nの色をKn,色の重みを表す変数Cnを と定義すれば,セルxiの赤と青の粒子数の差iは と表される。Niはセルxi内の粒子総数である。またセルx自身の色の勾配q(x)を と定義しカラーフラックスと呼ぶ。さらにセルxにおける隣接セルの状態から求まる色の勾配f(x)を と定義しカラーフィールドと呼ぶ。q,fの値は体系の時間発展の中で具体的に求まる。ここで を満足する回転マトリクス*を衝突マトリクスとして用いることで,ミクロなレベルで同色粒子は集合,異なる色の粒子は分離するという傾向を持ち,結果としてマクロなレベルで2流体の自発的な分離が行われる。図1に3次元での実際の計算例を示す。これは3次元体系に赤青粒子を完全に混合した状態で初期配置を行った場合の,赤青相界面の時間発展の様子。2相が速やかに分離する様子が観察できる。 この相分離スキームが表面張力を正しく模擬しているかどうかはラプラス則によって確かめることができる。ラプラス則は という関係式で与えられる。これは円環状に閉じた相界面の曲率と円環内外の圧力差の関係を示す。ここでが表面張力の大きさを表す。数値実験においていくつかの曲率について圧力差のプロットを行ったところ,すべての点がほぼ原点を通る直線に乗ることを確認した(図2)。このことから,実数型格子ガス法に基づく色付き2流体モデルが表面張力を正しく模擬できていることが示される。 非混和2成分モデルの応用例として,青粒子で満たされた3次元管内に赤粒子からなる液滴を配置し,赤粒子に上向きの重力を加えることで,3次元管内を上昇する液滴挙動のシミュレーションを行った。上昇する液滴のスナップショットを図3に示す。図中のグレースケールの変化は圧力の等値面,リボンは流れ場を示す。液滴の後方で流れ場が乱れている様子,液滴の前面で圧力が高く,側面では速い流れ場のために圧力が低くなっている様子などを観察することができる。また,液滴の上昇する軌跡を3次元的に見ると,液滴が螺旋状に旋回しながら上昇していく様子を観察することができる。このような非対称な挙動は自然な形で統計ノイズを含んだミクロなレベルでのダイナミクスからもたらされるものであり,従来の数値解法では現れて来ない挙動である。 もう一つの応用例としてミルク・クラウンの再現を試みた。ミルク・クラウンとは液滴が自由界面に衝突するときに現れる王冠に似た界面形状である。これについては,衝突により隆起した界面がKelvin-Helmholtz不安定性によって細かな液滴へと分裂することによって生じるという説明がなされている。ここでは100倍の密度差を持った赤青2相により液滴と自由界面を模擬し,液滴を自由界面に落下させた場合の界面形状の変化を計算した。図4に界面の時間発展を示す。 図表図1.スピノーダル分解 / 図2.ラプラス則 / 図3.3次元管内を上昇する液滴 / 図4.ミルク・クラウンの形成 本論文では,提案されて間もない流体解析手法である実数型の格子ガス法を,多相流に応用する手法について提案した。明らかになったことは,色情報による非混和のアルゴリズムにより表面張力が発生すること,多成分が混在する流れへの適用が可能であること,3次元への適用も容易であることである。本論で提案した実数型格子ガス法の色付き2流体モデルは,3次元における複雑な混相流動現象の解析を行う上で有効な手段であると考える。 |