学位論文要旨



No 115192
著者(漢字) 作野,裕司
著者(英字)
著者(カナ) サクノ,ユウジ
標題(和) 衛星リモートセンシングによる宍道湖のクロロフィルa濃度及び一次生産量のモニタリングに関する研究
標題(洋)
報告番号 115192
報告番号 甲15192
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4687号
研究科 工学系研究科
専攻 地球システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 六川,修一
 東京大学 教授 藤田,和男
 東京大学 教授 金田,博彰
 東京大学 助教授 徳永,朋祥
 東京大学 教授 安岡,善文
内容要旨

 近年、地球温暖化問題に関連して地球規模の物質循環研究がさかんであるが,ローカルな視点でみると沿岸域や湖沼における物質循環研究はまだ不十分といわれている。一方,島根県東部に位置する宍道湖は淡水と海水が入り交じる汽水域と呼ばれる特殊な湖沼で,沿岸の物質循環研究のテストサイトとして期待されている。また宍道湖はシジミをはじめとする水産資源の宝庫としても知られている。そしてそのシジミの懸濁物質(汚濁物質)捕食作用が,宍道湖水質の浄化に大きな役割を果たしていることがわかってきた。これに関連して最近宍道湖における夏季の物質循環モデル(窒素収支モデル)が作成され,シジミによる水質浄化能力が宍道湖の有機物生産能力(一次生産量)に匹敵することが明らかになった。しかし,これらの物質循環モデルに使われた一次生産量の値は,植物プランクトン量(クロロフィルa濃度(以下Chl.aと呼ぶ)を指標とする)や水温などに依存し,時間的・空間的な変動が激しいと言われている。また,従来の一次生産量推定法では測定などに手間がかかり,調査自体が漁業の妨げになるなどの理由で,湖の一部のデータしか得ることができなかった。

 以上のような背景から,筆者は非接触で広域の情報を比較的安価で入手できる衛星データを用いて,宍道湖のChl.aや一次生産量の時空間的な変動を把握するシステムの実現/実用化のための研究を行った。宍道湖スケール(東西約20km,南北約5km)の現象を解明するために使用できる衛星センサはSPOT/HRV(High Resolution Visible sensor,解像度20m)やLandsat/TM(Thematic Mapper,解像度30m)等,本来陸域の現象を解析するために設計されたセンサしかない。しかし,現状では汽水域の時空間的な変動を把握するための方法として衛星データを利用する以外の良案は少ない。従ってこれらの高解像度センサのデータを利用して汽水域でChl.aや一次生産量を推定する試みがなされてきた。これらの努力にもかかわらず,依然いくつかの問題点が残されており,衛星データによるChl.aや一次生産量推定の実利用を妨げている。本論文では従来解決されていない問題点を明らかにし,宍道湖のChl.aや一次生産量モニタリングに利用するためのアルゴリズムや関係式を提案した。1、2章では研究の背景、目的、理論をまとめた.

 3章では,懸濁物質濃度(以下,SSと呼ぶ)の影響を抑えたChl.aの推定法について検討した。一般に無機懸濁物質濃度(SS)の高い湖沼におけるChl.a推定は難しいと言われている。一方,SSの影響が少ない外洋ではChl.aの吸収帯である青の波長帯(以下バンドと呼ぶ)とChl.aの吸収がない緑バンドの反射率比を求めることによって,衛星データからChl.aを推定することが可能となっている。宍道湖はSSが多い湖沼であるが,湖水の反射率を現場で測ってみると赤バンドに強いChl.a吸収帯があることが確かめられた。従って,本論文では宍道湖のChl.a吸収帯がある赤バンドとChl.aの非吸収帯である緑バンドの反射率比をとることにより,SSの影響を抑えたChl.aの推定ができると考えた。そこでSPOT/HRVデータや衛星飛来時間帯と同期した現場のChl.a及びSSデータ等を宍道湖で取得してこれを検証した。その結果,データを取得した日におけるHRVの緑バンド(XS1)と赤バンド(XS2)の比は,SSの影響を抑えたChl.a推定ができることが検証された。ただし,より精度のよいChl.a推定を行うためには衛星データのデジタル値(DN)から適切なオフセットを除去しなければならないこともわかった。

 さらに3章では宍道湖の統計値のみからオフセットを推定し,湖のChl.a推定処理をより効率的に行う方法も考案した。多時期の衛星データを扱ってChl.a推定処理を行う場合,適切なオフセットを除去する方法は必ずしも確立されていない。オフセットの除去処理法で最も広く使われている方法の一つに,暗画素法がある。暗画素法とは,同一画像内の水域ではオフセットは一定であり,Chl.aやSSが十分に低い水域における各バンド暗画素はオフセットに相当すると仮定し,オフセットを推定・除去する方法である。宍道湖のChl.a推定では宍道湖よりもChl.aやSSが低く,同一画像内に位置する日本海等の暗画素が利用できると考えられる。しかし,宍道湖と日本海では数10km程度離れており,常に大気や水面反射光の影響が一様とは限らず,オフセットを一様とする仮定が崩れる場合も考えられる。また,大量の衛星データを処理する場合,宍道湖以外の水域を使用すると,データが膨大となるためデータ処理時間が多くなる。そこで,宍道湖内のDNの平均値と標準偏差値を使ってオフセットを推定するモデル(このモデルで推定したオフセットをEOFと呼ぶ)を考案して,筆者が収集した6時期の衛星(SPOT/HRV)・現場データセットを使ってこれを検証した。その結果,6時期の[XS1/XS2]とChl.aが最も相関がよくなる時のオフセット(OOFと呼ぶ)とEOFは高い相関があり,DNにして2カウント以下の精度でオフセットを推定することが可能であることが明らかになった。

 4章では宍道湖表層Chl.aの鉛直分布特性を調べるとともに,表層Chl.aから補償深度を推定する方法を考案した。水域の一次生産量をより正確に推定するためには,Chl.aデータの鉛直分布や補償深度(総一次生産量が正の値を示す層の下端水深)を知る必要がある。しかし,衛星データでは表層の情報しか得られないため,予め表層と鉛直の関係を知っておかなければならない。そこでChl.aの鉛直分布特性や補償深度を推定する方法を考案し,1997年10月〜1998年10月の5時期に宍道湖で取得したChl.a,照度データを用いて検証した。その結果,宍道湖の鉛直Chl.aは約5g/lの変動幅(表層Chl.aと補償深度以浅の深度の平均Chl.aのRMS誤差)で均一であることがわかった。また,考案した表層Chl.aによる補償深度推定モデルでは,0.5mのRMS誤差で相対照度1%深度(補償深度に相当)を推定できることが確認された。

 5章では,Iを使うことなく衛星飛来時間帯における宍道湖の一次生産量を求める方法を考案した。一次生産量推定過程において重要なパラメータとして,Chl.a以外にChl.aあたりの総一次生産量(PB)がある。PBは一般に最大一次生産速度(PBm)と水中に入射する光の照度(I)の関数であるが,Iは時間的な変動が激しく推定が難しい。そこで宍道湖では衛星飛来時間帯付近ではPBが最大になることを利用して,PB=PBmと仮定し一次生産量を推定する方法を考案した。またPBmは水温の関数であり,かつ湖沼の表層平均水温(Tw)は気温に対応していることが知られていることから,日平均気温(Ta)からTwを推定する方法も考案した。PBmとTwの関係及びTaからTw推定モデルの検証には國井が宍道湖湖心で収集したPBとIのデータ,筆者が1995年〜1998年に収集した24日分の水温データ,宍道湖に隣接する松江地方気象台の気温データを使用した。検証の結果,Twは2℃のRMS誤差でTaから推定できた。またPBmは水温の関数として3mgC/mg Chl.a/hrのRMS誤差で推定可能であることがわかった。さらに,これらのモデルを用いて推定した宍道湖全域の総一次生産量は20〜500mgC/mg Chl.a/hrであり,従来現場測定された値の範囲内であった。また,衛星データから推定されたChl.aと気温データを使って推定された水温データを使って求めた一次生産量と現場測定したChl.aと水温データを使って求めた一次生産量では20〜30%の差があった。

 以上の結果から宍道湖全域のChl.a及び一次生産量は,衛星データのみを使ってあらゆる時期において,効率よく求めることが可能となった。よって衛星(HRV)データのみから宍道湖のChl.a及び総一次生産量をモニタリングすることができると結論した。

審査要旨

 近年,環境問題に関連して地球規模の物質循環研究がさかんであるが,沿岸域や湖沼における物質循環研究はまだ不十分である。宍道湖はシジミをはじめとする水産資源の宝庫としても知られているが、そのシジミの懸濁物質(汚濁物質)捕食作用が,宍道湖水質の浄化に大きな役割を果たしていることがわかってきた。このような現象に対して最近宍道湖における夏季の物質循環モデル(窒素収支モデル)が作成され,シジミによる水質浄化能力が宍道湖の有機物生産能力(一次生産量)に匹敵することが明らかになった。しかし,一般に汽水域の一次生産量は,時間的・空間的な変動が激しいため、湖全体の一次生産量データを素早く測定することは困難であった.

 以上のような背景から,本論文では衛星データを用いて,宍道湖全域のChl.aや一次生産量の時空間変動を把握するシステムの実現/実用化のための研究を行っている.宍道湖全域(東西20km,南北5kmの広さ)を瞬時に繰り返し観測できる衛星リモートセンシングはChl.aや一次生産量をモニタリングするための方法として有効な技術である.現時点ではこのようなスケールの水域を専門に観測するセンサはないが,これまで陸域を観測するために設計された高解像度センサのデータを利用して湖のChl.aや一次生産量を推定する試みがなされてきた。これらの努力にもかかわらず,依然いくつかの問題点が残されており,衛星データによるChl.aや一次生産量推定の実利用を妨げている。そこで本論文では従来解決されていない問題点を明らかにし,宍道湖のChl.aや一次生産量モニタリングのためのアルゴリズムや関係式を提案している。

 まず、一般に無機懸濁物質濃度(SS)の高い湖沼におけるChl.a推定では、SSの影響が少ない外洋と同様の方法でこれを推定することは難しい.本研究では、宍道湖上における、水面直上分光反射率測定の結果,赤バンド(670nm)に強いChl.a吸収帯があることが確かめられた。そこでこの赤バンドとChl.aの非吸収帯である緑バンドの反射率比をとることにより,Chl.aの推定を行う方法を提案している.さらに実際のSPOT/HRVデータや衛星飛来時間帯と同期した現場のChl.a及びSSデータを用いてこの方法の有効性を検証している.その結果,HRVの緑バンド(XS1)と赤バンド(XS2)の比は,SSの影響を抑えた実用的なChl.a推定手法であることを明らかにしている.

 さらに宍道湖の統計値のみからオフセット(主に大気のパスラジアンス)を推定し,湖のChl.a推定処理をより効率的に行う方法も考案している。それは多時期の衛星データを用い、宍道湖内のDNの平均値と標準偏差値を使ってオフセットを推定する方法である.この方法の有効性は6時期の衛星(SPOT/HRV)データおよび現場データセットによって検証されている。

 一方、一次生産量の推定に関連しては、宍道湖表層Chl.a(Csurf)と有光層平均Chl.a(Ceu)の関係を調べるとともに,Csurfから補償深度を推定する方法を考案した。水域の一次生産量をより正確に推定するためには,Chl.aデータの鉛直分布や補償深度(総一次生産量が正の値を示す層の下端水深)を知る必要がある。しかし,衛星データでは表層の情報しか得られないため,予め表層と鉛直の関係を知っておかなければならない。そこでChl.aの鉛直分布特性や補償深度を推定する方法を示し,1997年10月〜1998年10月の5時期に宍道湖で取得したChl.a,照度データを用いてこの方法の可能性を示している.

 以上の方法論を総合して、衛星データと水温データを使った宍道湖の一次生産量推定方法を考案し、本研究で得たアルゴリズムを使えば,衛星データのみから宍道湖全域のChl.a及び一次生産量を効率よくモニタリングすることができると結論している.

 これら一連の研究を通じ、本論文は衛星データによる汽水域のChl.a及び一次生産量のモニタリングに関する技術的発展に多大な貢献をしたと考えられる.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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