1986年の金属多層膜における巨大磁気抵抗(Giant Magnetoresistance;以下GMRと略)の発見以来、その物理的起源の解明とその応用が注目を集め、精力的に研究がなされてきた。GMRの物理的起源が界面やバルクにおけるスピンに依存する散乱であることが実験的、理論的にわかってきたが、報告されるGMRの値に大きく差があったため、最近は界面構造とGMRの相関について研究するグループが増えてきた。界面構造とGMRの相関について調べるため、人工的に薄膜の成長や異種物質界面構造を制御しようという試みがなされてきているが、界面構造を変化させることの難しさからいまだ界面構造とGMRの関係については不明な点が多く、さらなる研究が必要である。 一方、1989年にCopelらが半導体の結晶成長において島状成長から層状成長に成長様式を変化させるサーファクタントエピタキシーという手法を発見した。金属薄膜では1992年にvan der Vegtらがサーファクタントエピタキシーを試みたのを発端にそのメカニズムの解明や新しい系での構造制御の試みなど盛んに研究されてきている。ところが、そのメカニズムは、半導体と金属で異なり、さらに金属の中でも基板と成長層の組み合わせによって異なることが最近分かってきており、結晶成長の複雑さはその解明を遅らせている。 本研究は、最近金属薄膜分野で関心が高まっている二つの分野の研究、即ち、GMR効果にサーファクタントエピタキシー法を利用したことに意味がある。薄膜の成長様式を島状成長から層状成長に変える手法であるサーファクタントエピタキシー法を用いて、GMRを示す金属多層膜に対して、金属多層膜のヘテロ界面の構造を原子レベルで制御すると共に、金属多層膜の構造と物性との相関関係についての知見を得ることが本研究の目的である。そこで、本研究では、GMRを示す代表的な系であるCo/RuとFe/Cr多層膜においてPbをサーファクタントとして用い、その成長を制御することにより急峻な異種金属界面を有する多層膜を作製することを一つの目的とした。また、作製したCo/RuとFe/Cr多層膜の界面構造を解析することにより測定した磁気抵抗との相関について知見を得ることを目的とした。 本論文の構成とその内容は以下の通りである。 第1章では、金属多層膜におけるGMRのこれまでの研究やその発現機構、GMRを示す材料などを簡単に紹介した。次に薄膜の成長に関する理論や実際の研究の例を紹介した後、成長制御方法であるサーファクタントエピタキシー法について今までの研究の例を紹介することによりその理論とメカニズムを紹介した。 第2章では、本研究で用いた金属多層膜の作製法であるMBEの原理や装置について簡単に紹介した。本研究で主に界面構造の分析に利用した反射高速電子線回折(Reflection High-Energy Electron Diffraction;以下RHEEDと略)とX線回折の原理について詳しく説明した。最後に物性の評価方法について説明した。 第3章ではサーファクタントエピタキシー法を用いてCo/Ru多層膜を作製し、その構造の変化を調べた。また、界面構造の変化に伴うGMRの変化を示し、界面構造とGMRとの関係について概論した。 Co/Ru多層膜は大きな反強磁性結合をもっているため大きなGMRが予想されるが、CoとRu間に大きなミスマッチが存在するため、その成長を制御することが困難である。そこで、本研究ではPbをサーファクタントとして用いて成長の制御を試みた。成長を制御して作製したCo/Ru多層膜に対してX線回折、RHEED、磁化曲線により分析した界面構造と測定した磁気抵抗の関係について調べた結果、次のような結論が得られた。 サーファクタントを使わずに作製したCo/Ru多層膜の構造をX線回折とRHEEDパターンで観察した結果、室温でPbを使わずに作製したCo/Ru多層膜はひずみの存在と周期の増加に伴う島のサイズの増加などが原因で多結晶膜になった。これに対してサーファクタントとしてPbを蒸着して作製したCo/Ru多層膜はすべて単結晶になっていた。このことからサーファクタントは成長様式を変える効果以外にも、ひずみエネルギーの緩和効果があると思われる。また、Pbなしで作製したCo/Ru多層膜は300℃以上の温度で相互拡散が起こることがX線回折やRHEEDパターンから分かった。これに対してPbを蒸着して作製したCo/Ru多層膜は相互拡散を抑制し、均一な膜厚分布をもつ多層膜の作製ができた。図1(c)と(d)は各々200℃で作製したAl2O3(0001)/Ru100Å[Co30Å/Ru8Å]20多層膜に対してサーファクタントを使わなかった場合とサーファクタントとしてPbを使った場合の成膜後のRHEEDパターンである。サーファクタントを使わずに作製したCo/Ru多層膜はスポット状のパターンを示していたが、Pbを使った場合は比較的にストリーク状を維持していた。これはサーファクタントを使って成長させたCo/Ru多層膜の成長モードが島状成長から層状成長に変化していることを意味する。また、20周期蒸着後もPbのRHEEDパターンである(4×4構造)が観察されており、Pbは最表面層まで偏析することが分かった。サーファクタント効果が一番大きかったのは1MLのPbをRuバッファー層上に一回だけ蒸着して作製したCo/Ru多層膜であった。このことから、Co/Ru多層膜におけるサーファクタントエピタキシーの機構はサーファクタントがステップでのエネルギー障壁を減少させたためと思われる。即ち、ステップに位置したサーファクタント原子がエネルギー障壁を減少させ、表面に到達した原子がステップを降りやすくなり、層状成長が促進されたと思われる。 図1.200℃で蒸着したAl2O3(0001)/Ru100Å[Co30Å/Ru8Å]20多層膜のRHHEDパターン。(a)Ruバッファ層 (b)Ruバッファ層上にPbを1ML蒸着した後 (c)はPbを使ってない場合、(d)はサーファクタントとしてPbを使って成長させた場合 図2はPbなしで作製した多層膜とPbを1ME蒸着して作製した多層膜のMR測定結果である。Pbを使わずに作製したCo/Ru多層膜のMR曲線は0磁場付近で山型の曲線(ある磁場まで抵抗が増加して、そのあと減少する現象)を示していた。これはPbなしで作製したCo/Ru多層膜は界面がラフになり、界面付近のスピンが低磁場で反転しにくくなったためである。これに対してサーファクタントとしてPbを蒸着して作製したCo/Ru多層膜は山型の曲線を示さず、本来のMR曲線の形をしていた。また、MR値もサーファクタントとしてPbを蒸着して作製したCo/Ru多層膜の方が大きかった。 図2.200℃で作製したAl2O3(0001)/Ru100Å/Pb1ML/[Co30Å/Ru8Å]20多層膜のMR曲線。MR測定温度は(a)室温、(b)20Kである。 以上の結果を総合して見ると、サーファクタントエピタキシー法を利用することにより成長モードを島状成長から層状成長に変化させたと同時に、ひずみエネルギーの緩和効果や相互拡散の抑制効果が現れ、より急峻な界面を持つCo/Ru金属多層膜の作製ができた。MR測定結果、急峻な界面をもつ方がより大きいGMRを示すことが分かった。 第4章ではFe/Cr金属多層膜に対してサーファクタントエピタキシー法を用いて作製することにより、成長様式の制御ができることを示し、作製した多層膜の構造が変化することを示した。RHEED強度振動を通じてCr表面上のFeの成長様式やFe表面上のCrの成長様式に関する知見を得ることができた。また、サーファクタントとしてPbを用いてその結晶成長様式を制御することができた。サーファクタントエピタキシー法でFe/Cr金属多層膜を作製し、作製した金属多層膜の構造解析やその物性を観察することにより金属多層膜の界面構造とGMRとの関係に関する知見を得ることができた。 図3は100℃の温度でFe(100)バッファ上にCrを20Åの厚さまでヘテロエピタキシャル成長させた場合のRHEED強度振動の時間変化である。Fe(100)上のCrの成長はRHEED強度振動を観察した結果、約4回まで振動することが確認された。また、そのRHEEDパターンも20Å蒸着後には完全にスポット状に変わることが観察され、Fe(100)上のCrの成長はSK modeであることが分かった。これに対してサーファクタントとしてPbをFe(100)上に0.2〜2.4Å(1ML)蒸着し、その上にCrを蒸着した場合はPbの量が0.2〜0.8Åの時Pbなしで成長した場合に比べ、約2〜3倍の8回〜12回の振動が観察された。また、そのRHEEDパターンも比較的ストリーク状を維持した。しかし、1MLのPbを先蒸着した後、蒸着させたCrの成長ではRHEED振動が観察されず、RHEED強度は持続的に減少した。そのRHEEDパターンも完全なスポットパターンを示したことから成長様式は島状成長であると思われる。このことから層状成長を促進させる最適値があることが分かった。Pbを蒸着して成長させたCrのRHEED強度振動の振幅が小さいことからPbはFe上に成長するCrの2次元島のサイズを減少させたと思われる。 図3.100℃でFe(100)バッファ上にCrを20Åの厚さまでヘテロエピタキシャル成長させた場合のRHEED強度振動の時間変化。 Pbなしで作製したFe/Cr多層膜と作製した後アニールを行った多層膜に対して中角度のX線回折分析を行った結果、メインピークとサテライトピークから計算した周期は水晶振動子で制御した膜厚より大きくなっていた。これはPbなしで作製した多層膜が島状成長したため、膜厚の分布が不均一になったためと思われる。これに対してPbを使って作製した多層膜の場合は水晶振動子で制御した膜厚を得ることができた。このことからPbを使って作製した多層膜は層状成長し、多層膜全体において膜厚の分布も一定であると思われる。 Pbなしで作製した多層膜に比べてPbありで作製した多層膜はMr/Msが小さかった。このことから界面が急峻であるほど反強磁性結合が強くなることが分かった。MR測定結果、Pbなしで作製したFe/Cr多層膜よりPbを用いて作製したFe/Cr多層膜の方がMRが大きかった。このことから界面が急峻になると反強磁性結合が増加し、また界面でのスピン依存散乱の割合が増加したためMRが増加したと思われる。 以上の結果を総合してみるとFe上のCrの成長を制御することにより急峻な界面をもつFe/Cr多層膜の作製ができた。Fe/Cr多層膜では界面で原子レベルのラフネスが存在する場合は界面での追加的なスピン依存散乱が発生し、MRも増加する。しかし、ラフネスが原子レベル以上になると反強磁性結合が減少し、MRも減少した。このように界面構造はGMRの大きさを決定する重要なファクタであり、界面でのスピン依存散乱がGMRの主な原因であることが分かった。 第5章では本論文の結論であり、Co/Ru金属多層膜とFe/Cr多層膜に対するサーファクタントエピタキシー法の機構を解明すると同時に界面構造とGMRとの関係について議論した。 |