学位論文要旨



No 115200
著者(漢字) 津田,正宏
著者(英字)
著者(カナ) ツダ,マサヒロ
標題(和) 希土類イオン含有ガラスの発光特性
標題(洋)
報告番号 115200
報告番号 甲15200
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4695号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牧島,亮男
 東京大学 教授 桑原,誠
 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 助教授 近藤,高志
 無機材質研究所 主任研究官 井上,悟
 東京大学 助教授 井上,博之
内容要旨

 希土類イオン含有ガラスは,希土類イオンのf-f電子遷移を用いた,波長変換素子,光増幅素子,固体レーザーなどのための光機能性材料としての応用が期待されている.ガラス中の希土類イオンの発光特性の短波長化,高効率化,高出力化については,これまでに輻射・非輻射理論に基づいた数多くの研究がなされている.希土類イオンの4f軌道エネルギー準位間での遷移過程には,主に電気双極子遷移過程・磁気双極子遷移過程・多フォノン緩和遷移過程・エネルギー移動遷移過程が存在する.これらの過程に含まれる,Judd-Ofeltパラメーター,還元行列要素,屈折率,電子-フォノン結合強度,温度,希土類イオン間距離,吸収断面積といった数多くの因子が複雑に関与して光物性に影響を及ぼしているため,発光メカニズムを正確に解釈することが困難なものとなっている.例えばYb3+/Tm3+系のアップコンバージョン現象で見られるように,温度を低くしていくと発光効率は向上するが,ある温度以下では反対に発光効率が下がるといった挙動が報告されている.このアップコンバージョンとは光の波長を短波長に変換する現象のことで,希土類イオンの離散的な電子エネルギー準位間を複数の光子が関与する過程において発生する.これは,温度が低くなると多フォノン緩和遷移速度が小さくなるため発光効率が上がるが,ある温度以下ではシュタルク分裂した各準位間のスペクトル形状変化に伴い,エネルギー移動遷移速度が変化たために発光効率が落ちたと説明されている.短波長化,高効率化,高出力化を実現するためには,それぞれの因子が発光特性にどの程度影響を与えているかを統一的に把握する必要があると考えられる.諸理論から導かれた値をレート方程式に代入し,物性値を予測することが可能となれば,得たい発光特性に最も影響を与える因子を見出しそれを操作することで物性値を改善するといった,材料設計を行うことができると思われる.

 電気双極子遷移過程,磁気双極子遷移過程および多フォノン緩和遷移過程を定量的に取り扱った研究例は多いが,エネルギー移動遷移過程を定量的に取り扱った研究例は少ない.本研究ではエネルギー移動過程を考慮したレート方程式をアップコンバージョン発光現象に適用し,レート方程式の有用性を確かめること,アップコンバージョン発光機構における未解明な部分を定量的に説明すること,またエネルギー移動遷移速度値の信頼性を確かめることを目的としている.

 第3章ではEr3+を単独ドープしたZrF4系ガラスにおいて,エネルギー移動過程を考慮したレート方程式を用いてEr3+アップコンバージョン発光機構を評価した後,550nmアップコンバージョン発光強度がEr3+濃度の1乗で大きくなる要因について検討した.得られた知見を以下に示す.

 (1)Er3+イオンがcubic構造に分布していると仮定してレート方程式を用いて,Er3+:550nm/660nmアップコンバージョン発光強度のErF3濃度依存性を計算したところ,実験結果をよく再現することが分かった(Fig.1).エネルギー移動過程を考慮したレート方程式は,アップコンバージョン発光強度を計算するのに有効であることが分かった.

FIG.1.Dependence of the ratio of upconversion emission intensities around 660 nm to those around 550nm(I(5,1)/I(6,1))on ErF3 concentration.

 (2)800nm励起下での550nm/660nmアップコンバージョン発光機構を定量的に評価した(Fig.2).800nmから660nmに変換される過程を次に示す.(1)GSA過程によってEr3+4I15/2準位から4I9/2準位に励起される(2)多フォノン緩和過程によって4I11/2準位に失活する.ErF3濃度が5mol%以下のとき,(3)Er3+イオンはエネルギー移動過程により4I11/2準位から4F7/2準位に励起される(4)多フォノン緩和過程により2H11/24S3/2準位を経て4F9/2準位に失活する(5)660nmアップコンバージョン発光が起こる.ErF3濃度が6mol%以上のとき,(3)Er3+イオンは非共鳴エネルギー移動過程により4I11/2準位から直接4F9/2準位に励起される(4’)660nmアップコンバージョン発光が起こる.800nmから550nmに変換される過程を次に示す.(1)GSA過程によってEr3+4I15/2準位から4I9/2準位に励起される(2)多フォノン緩和過程によって4I11/2準位に失活する(3)エネルギー移動過程により4I11/2準位から4F7/2準位に励起される(4)多フォノン緩和過程により2H11/2準位を経て4S3/2準位に失活する(5)550nmアップコンバージョン発光が起こる.

Fig.2.Schematic energy state diagram and upconversion mechanism of Er3+ under 800nm excitation:(a)from 800 to 660 nm at the ErF3 concentration less than 5.0 mol and(b)from 800 to 660 nm at the ErF3 concentration more than 6.0 mol and(c)from 800 to 550nm.

 (3)ErF3濃度が1mol%以上において,アップコンバージョン励起過程は励起状態吸収過程よりもエネルギー移動遷移過程によるとこるが大きい.550nmアップコンバージョン発光強度がEr3+濃度の1乗で増大したのは,エネルギー移動過程で4I11/2準位から4F7/2準位に励起されるEr3+イオン数と2H11/2準位から4I9/2準位に失活するEr3+イオン数がうまくバランスをとったからである.

 第4章ではEr3+/Yb3+を共ドープしたZrF4系ガラスにおいて,エネルギー移動過程を考慮したレート方程式を用いてアップコンバージョン発光機構を評価した後,励起波長付近にYb3+の吸収帯がないのにも関わらずYb3+添加によるEr3+アップコンバージョン発光強度向上の要因について検討した.得られた知見を以下に示す.

 (1)Er3+イオンがcubic構造に分布していると仮定してレート方程式を用いて,Er3+:550nm/660nmアップコンバージョン発光強度のYbF3濃度依存性を計算したところ,実験結果をよく再現することが分かった.エネルギー移動過程を考慮したレート方程式は,アップコンバージョン発光強度を計算するのに有効であることが分かった.

 (2)800nm励起下での550nm/660nmアップコンバージョン発光機構を定量的に評価した(Fig.3).800nmから550nmに変換される過程を次に示す.(1)GSA過程によって4I15/2準位から4I9/2準位に励起される(2)多フォノン緩和過程によって4I11/2準位に失活する(3)Yb3+イオンはEr3+イオンからのエネルギー移動過程により2F5/2準位に励起される(4)Er3+イオンはYb3+イオンからのエネルギー移動過程により4I11/2準位から4F7/2準位に励起される(5)多フォノン緩和過程により2H11/2準位を経て4S3/2準位に失活する(6)550nmアップコンバージョン発光が起こる.800nmから660nmに変換される過程を次に示す.(1)Er3+イオンは550nmアップコンバージョン発光機構で4S3/2準位に励起される(2)多フォノン緩和過程により4F9/2準位に失活する(3)660nmアップコンバージョン発光が起こる.

FIG.3.Schematic energy state diagram and upconversion mechanism under 800 nm excitation:(a)of Er3+ and Yb3+ and(b)of Er3+.

 (3)Yb3+添加により,4S3/2準位のエネルギー状態にあるイオン数を増やす励起過程は,エネルギー移動過程4I11/24I15/2(Er3+):4I11/24F7/2(Er3+)からエネルギー移動過程2F5/22F7/2(Yb3+):4I11/24F7/2(Er3+)にシフトしていく.Yb3+:2F5/22F7/2遷移過程における還元行列要素U2の値はEr3+:4I11/24I15/2遷移過程におけるU2の値に比べて大きくなり,またEr3+とYb3+イオン間距離はEr3+とEr3+イオン間距離に比べて小さくなるため,共ドープ試料におけるET(13,12:3,8)過程のエネルギー移動遷移速度は単独ドープ試料におけるET(3,1:3,8)過程のそれに比べて大きくなる.Yb3+が励起光を吸収しないのにも関わらず発光強度が向上したのは,4I11/24I15/2(Er3+):4I11/24F7/2(Er3+)エネルギー移動過程に比べて効率よくEr3+を上準位に励起するエネルギー移動過程2F5/22F7/2(Yb3+):4I11/24F7/2(Er3+)の効果によることが分かった.

 第5章では,レート方程式を用いてZrF4系ガラスにおけるEr3+:4S3/2準位のエネルギー移動遷移速度を計算し,寿命測定から得られたエネルギー移動遷移速度実験値と比較し,エネルギー移動遷移速度の計算方法について検討した.得られた知見を以下に示す.

 (1)cubic構造モデルはbcc,fccモデルに比べてエネルギー移動遷移速度を計算するのに適していた(Fig.4).

FIG.4.Dependence of the calculated and measured total transition rates on the ErF3 concentration.

 (2)Er3+濃度が6mol%以上において,cubic構造モデルで計算したエネルギー移動遷移速度は実験値とよく一致することが分かった.

 (3)Er3+濃度が2mol%以下においては,エネルギー移動遷移速度計算値は実験値に比べて小さくなった.これは,Er3+イオン間距離の見積もりが不正確だったことに起因すると考えられる.エネルギー移動遷移速度を計算する際には,低濃度ではcubic構造におけるイオン間距離に比べて短い距離を用いる必要があることが分かった.

審査要旨

 レート方程式を用いてアップコンバージョン発光機構を定量的に理解することは,材料設計を行う上で重要な課題の一つであり,本論文では,実験およびレート方程式を用いた計算の両面からEr3+含有ガラスのアップコンバージョン発光機構を定量的に理解すること,また詳しくは分かっていないエネルギー移動過程に関する知見を得ることを目的としたもので,全6章よりなる.

 第1章では,本研究の背景および計算の必要性について述べた.希土類イオンの4f軌道エネルギー準位間における遷移過程は数多く存在し,これらの過程に含まれるJudd-Ofeltパラメーター・還元行列要素・屈折率・電子-フォノン結合強度・温度・希土類イオン間距離・吸収断面積といった多くの因子が複雑に関与して光物性に影響を及ぼしているため,発光メカニズムを正確に解釈することが困難なものとなっている.短波長化,高効率化,高出力化を実現するためには,それぞれの因子が発光特性にどの程度影響を与えているかを統一的に把握する必要があると考えられる.アップコンバージョン発光機構を定量的に把握するためには,数多くの因子を考慮に入れたレート方程式計算を用いる必要性があることを示した.

 第2章では,希土類イオンの4f軌道エネルギー準位間での遷移過程における遷移速度計算式と,レート方程式計算方法について言及した.

 第3章ではEr3+を単独ドープしたZrF4系ガラスにおいて,エネルギー移動過程を考慮したレート方程式を用いてEr3+アップコンバージョン発光機構を評価した後,550nmアップコンバージョン発光強度がEr3+濃度の1乗で大きくなる要因について検討した.まず,Er3+イオンがcubic構造に分布していると仮定してレート方程式を用いて,Er3+:550nm/660nmアップコンバージョン発光強度のErF3濃度依存性を計算したところ,実験結果をよく再現することが分かった.エネルギー移動過程を考慮したレート方程式は,アップコンバージョン発光強度を計算するのに有効であることが分かった.次に,800nm励起下での550nm/660nmアップコンバージョン発光機構を定量的に評価した.この結果から,550nmアップコンバージョン発光強度がEr3+濃度の1乗で増大したのは,エネルギー移動過程で4I11/2準位から4F7/2準位に励起されるEr3+イオン数と2H11/2準位から4I9/2準位に失活するEr3+イオン数がうまくバランスをとったからであることが分かった.

 第4章ではEr3+/Yb3+を共ドープしたZrF4系ガラスにおいて,エネルギー移動過程を考慮したレート方程式を用いてアップコンバージョン発光機構を評価した後,励起波長付近にYb3+の吸収帯がないのにも関わらずYb3+添加によるEr3+アップコンバージョン発光強度向上の要因について検討した.まず,Er3+イオンがcubic構造に分布していると仮定してレート方程式を用いて,Er3+:550nm/660nmアップコンバージョン発光強度のYbF3濃度依存性を計算したところ,実験結果をよく再現することが分かった.エネルギー移動過程を考慮したレート方程式は,アップコンバージョン発光強度を計算するのに有効であることが分かった.次に,800nm励起下での550nm/660nmアップコンバージョン発光機構を定量的に評価した.Yb3+添加により,4S3/2準位のエネルギー状態にあるイオン数を増やす励起過程は,エネルギー移動過程4I11/24I15/2(Er3+):4I11/24F7/2(Er3+)からエネルギー移動過程2F5/22F7/2(Yb3+):4I11/24F7/2(Er3+)にシフトしていく.Yb3+:2F5/22F7/2遷移過程における還元行列要素U2の値はEr3+:4I11/24I15/2遷移過程におけるU2の値に比べて大きくなり,またEr3+とYb3+イオン間距離はEr3+とEr3+イオン間距離に比べて小さくなるため,共ドープ試料におけるET(13,12:3,8)過程のエネルギー移動遷移速度は単独ドープ試料におけるET(3,1:3,8)過程のそれに比べて大きくなる.Yb3+が励起光を吸収しないのにも関わらず発光強度が向上したのは,4I11/24I15/2(Er3+):4I11/24F7/2(Er3+)エネルギー移動過程に比べて効率よくEr3+を上準位に励起するエネルギー移動過程2F5/22F7/2(Yb3+):4I11/24F7/2(Er3+)の効果によることが分かった.

 第5章では,レート方程式を用いてZrF4系ガラスにおけるEr3+:4S3/2準位のエネルギー移動遷移速度を計算し,寿命測定から得られたエネルギー移動遷移速度実験値と比較し,エネルギー移動遷移速度の計算方法について検討した.cubic構造モデルはbcc,fccモデルに比べてエネルギー移動遷移速度を計算するのに適していることが分かった.また,Er3+濃度が2mol%以下においてエネルギー移動遷移速度計算値は実験値に比べて小さくなったのは,Er3+イオン間距離の見積もりが不正確だったことに起因すると考えられることを示した.

 第6章では,本研究の成果を総括した.

 以上を要するに,本研究は希土類イオン含有ガラスの発光特性に関する有益な知見を提示した.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求諭文として合格と認められる.

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