学位論文要旨



No 115204
著者(漢字) 周,耀民
著者(英字)
著者(カナ) シュウ,ヨウミン
標題(和) セラミックス人工格子とそのハードコーティングへの応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 115204
報告番号 甲15204
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4699号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 教授 菅野,幹宏
 東京大学 教授 七尾,進
 東京大学 助教授 寺嶋,和夫
 東京大学 助教授 森,実
内容要旨

 モノ創りの長い歴史のなかで、材料と材料が接触する部分の摩擦・摩耗現象は、避けて通ることができないがゆえに常に関心が払われてきた。摩擦・摩耗を生じるような相対運動する材料表面を保護する方法の一つとして、薄膜コーティングが挙げられる。薄膜コーティングに関する研究は、原子レベルでの結晶成長制御を可能にした近年の薄膜作製技術の発展にともなって、ミクロンオーダの薄膜からナノメートルオーダの超薄膜、そして原子・分子のレベルでの膜構造の制御へと向かいつつある。なかでも、二種またはそれ以上の金属、半導体、セラミックス等を単原子層から数十原子層ずつ交互に積層した人工格子はその代表的なものである。人工格子は、結晶構造の周期性に加えて人工的な積層周期による一次元長周期構造を有すること、および通常の材料に比べて単位体積当たりの界面が多く存在することから、人工格子固有の特性を発現することが期待される。本研究で注目する力学的性質における異常な振る舞いなどが見いだされてきた。セラミックス人工格子の力学的性質においては、強度・硬度が異常に増大する現象が発見され、人工格子をハードコーティング膜に応用することが期待されている。

 ハード・コーティングの摩擦磨耗特性が改善される可能性があるため、遷移金属セラミックス人工格子の硬度異常性などの機械特性に関する研究が注目されている。スパッタ法で成膜したセラミックス人工格子の界面における混合層厚が薄いほど、高い硬度増大が得られるが、表面と界面のラフネスは、セラミックス人工格子系によってどうなるかわかっていない。また、セラミックス人工格子に関する成長モードおよび界面・表面ラフネスは機械特性に影響を及ぼすと考えられる。

 薄膜のトライボロジーは近年注目を集め、一つの分野を形成しつつあるが、人工格子薄膜のトライボロジーについてはまだ研究が始まったばかりであり課題が多い。人工格子が強度・硬度の異常増大を示すこと、および異種物質界面を持つ層状物質であることから、トライボロジーにおいても人工格子特有の現象や性質が期待される。人工格子をハードコーティング膜として応用するにはトライボロジーに関する研究は不可欠であり、興味深い分野であるといえる。

 本研究では以上のように、まずセラミックス人工格子(TiN/CrN、TiN/TaNおよびTiN/ZrN)の構造解析を行ない周期構造および結晶構造を調べた後、多結晶セラミックス人工格子における硬度の増大機構を明らかにすること、高分解能X線全反射率法により人工格子における界面ラフネス、混合層、成膜モードなどを解析すること、およびトライボロジー特性を調べ摩擦・摩耗機構を明らかにすることを目的とした。

 三つの人工格子系TiN/CrN,TiN/ZrN,およびTiN/TaNについて高分解能小角X線回折実験およびAFM測定を行った。図1に示すX線反射率のフィッティング曲線により、セラミックス人工格子の膜厚、積層周期、界面ラフネスを詳細に解析した。TiN/TaN人工格子はTiN/CrN,TiN/ZrNより大きい界面・表面ラフネスを示した。TiN/TaN人工格子の大きな界面ラフネスは累積機構によるものと考えられる。

図1 異なるセラミックス人工格子の全反射率曲線の比較

 X線反射率法でセラミックス人工格子の界面に存在する混合層の厚さを測定した。TiN/TaN、TiN/CrN、TiN/ZrN系の混合層厚は、それぞれ、2〜3ML,3〜5ML、4〜7MLであることが分かった。混合層が薄いほど、界面の整合性が高いため、それに応じた人工格子の硬度増加が著しいと考えられる。一般的にTiN/ZrN人工格子における硬度増大効果は少ないと言われており、この理由はTiN/ZrN多層膜では厚い混合層を持つためであると考えられる。

 TiN/TaNの表面ラフネスの結果は積層周期に依存し、(=0.5)に従うことが分かった。TiN/TaN系に対する大きな表面ラフネスは、界面ラフネスの累積機構とスパッタリング原子Taの低い移動度により、影響を及ぼされていると考えられる。TiN/ZrNおよびTiN/CrN人工格子の表面のラフネスは(=0.5)に従わないことが確認され、動力学成長式によるラフネスに比べ、かなり低い値を示した。この理由はTiN/ZrNおよびTiN/CrN人工格子の成長は動力学以外には、熱力学的影響も受けていることからである。

 多結晶人工格子における硬度増大の起源としてKoehler効果およびHall-Petch効果を考えた。特に、本研究で注目したのは、Koehlerの理論で指摘されたように、弾性率の差が大きい物質を組み合わせると転位は弾性率の低い層に存在すると考えられることから、硬度が弾性率の低いCrN層の厚さに依存すると考えられる。TiN/CrN人工格子の硬度は積層周期に依存し、積層周期15.5nmにおける硬度が最大になった。セラミックス人工格子の弾性率は、ブリルアン散乱法による結果がほとんど変化しないというものであるが、ナノインデンテーション法による測定結果は積層周期との依存性を示し、硬度の変化傾向とほぼ同じであった。

 窒化物系セラミックスとその人工格子の超低負荷押し込みにおける硬度、弾性率および塑性変形仕事などの力学物性異常の原因解明を試みた。図2に示すように、すべてのTiN/CrN人工格子の塑性変形仕事はTiNおよびCrN単体膜より、かなり小さい値を示した。積層周期が21nm以下における人工格子の塑性変形抵抗はあまり変化せず、塑性変形による仕事は小さい。積層周期の増加とともに、塑性変形仕事は緩やかに増加し、積層周期が37nm以上になると、一定の値に維持する。低い硬度に対するCrN単体膜の塑性仕事が最大値を示した。すなわちCrN単体膜の塑性変形抵抗が低いことがわかった。TiN/CrN人工格子の塑性変形抵抗が単体膜と比べ改善されることにより、ハードコーティングとしてのTiN/CrN人工格子の耐摩耗性は塑性変形により改善できると期待される。

図2 TiN、CrN単体膜およびTiN/CrN人工格子の塑性変形仕事

 CrN、TiN、TiN/CrNおよびTiN/TaN人工格子のフレッティング摩擦摩耗実験を行い、これら膜の摩擦係数、耐摩耗性および摩耗機構を検討した。TiN単体膜では摩擦係数は繰り返し数が103以上になると緩やかに増加した。CrN単体膜の摩擦係数は、TiN単体膜に比べて、減少し一定値に収束した。TiN/CrN人工格子の摩擦係数はCrN単体膜と同様な傾向を示すが、その大きさはTiN、CrN両単体膜の間の値を示した。磨耗量の測定からTiN単体膜よりもCrN単体膜の方がより高い耐磨耗性を示すことがわかった。TiN/CrN人工格子の磨耗量は、人工格子の硬度異常性と逆の傾向を示した。すなわち最大硬度に対応する磨耗量は最低であった。TiN/CrN人工格子の優れたフレッティング特性に反し、TiN/TaN人工格子のフレッティング摩擦摩耗特性はTiNおよびTaN単体膜の摩擦特性よりも劣化した。

 膜の純磨耗量と摩擦痕の観察より、TiN/CrN人工格子の摩擦痕面積は単体膜より小さく、塑性変形量もCrN単体膜より小さかった。TiN/CrN人工格子にすることにより磨耗特性が改善された。

 TiN、CrN単体膜、TiN/CrNおよびTiN/TaN人工格子のすべり回転摩擦摩耗特性、化学トライボロジー特性、摩耗機構を検討した。TiN単体膜の摩擦係数は初期には0.8であり、100m以降から安定して0.9となった。CrN単体膜と基板の結合力が弱いため、基板から剥離しやすい。CrN膜で良い摩擦特性(低摩擦係数)を発揮するには、膜と基板との結合力が重要だと考えられる。TiN/CrN人工格子の摩擦係数はどの積層周期においてもTiNおよびCrN単体膜の摩擦係数よりも小さい値となり、積層周期が11nmにおいて最も小さい値となった。TiN/CrN人工格子の摩擦係数曲線は平坦であり、摩擦係数の変動幅は0.03であった。TiN/CrN人工格子の摩擦係数が低減されたため、耐磨耗性が向上し、摩擦によるエネルギー損失が減少した。

 摩擦磨耗に伴う膜の酸化はハードコーティングにおける重要な磨耗機構であると考えられる。TiN/CrN人工格子では、硬度の増大と塑性変形抵抗の増加のため、低摩擦係数である緻密なCr2O3とCrO3酸化物の生成が促進された。さらに、酸化層の緻密化により破片の排出機構が変化するため、摩擦係数の減少や磨耗量の低減が起こると考えられる。TiN単体膜摩擦表面では生成したNx-Ti-Oyは緻密ではないため、垂直負荷や接線力のもとで、クラックが発生しやすく、膜が摩耗され、摩耗寿命が短かくなった。CrN単体膜の主な摩擦摩耗機構は塑性変形機構と考えられる。

 セラミックス人工格子の成膜モードがハードコーティングの磨耗特性に影響を及ぼす。界面・表面ラフネス累積機構で成膜したTiN/TaN人工格子の結晶が粗大先端細り柱状であるため、垂直負荷、特に接線力の作用のもとで、膜表面が削られ、深刻な摩擦摩耗が発生した。したがって、TiN/TaN人工格子の高い硬度増加率を発揮し、ハードコーティングとする場合を考えれば、TiN/TaN人工格子の新しい成膜プロセスを発展させ、結晶整合性をよくするべきだと考えられる。

 本研究では従来、提唱されていた人工格子の界面が急峻になるほど、硬度と機械特性が高くなるという理論に基づいて、セラミックス人工格子のハードコーティングへの応用に対する新しい評価理念を提示した。TiN/TaN人工格子の界面の整合性は構成する層の間での熱力学的性質に依存する。また、急峻な界面では積層回数の増大とともに、界面および表面のラフネスが相関累積機構で増加し、粗い表面と先端細り粗大柱状結晶となることを明らかにした。急峻な界面における粗い表面と先端細り粗大柱状結晶は、垂直負荷と水平接線力の作用の下で膜の表面を摩擦摩耗すると、人工格子の硬度異常性を発揮せず、膜が完全に摩耗されてしまう。

 TiN/CrN人工格子は適度な界面ラフネスを持つこと、結晶粒界が整合成長すること、硬度と塑性変形抵抗が増加すること、緻密な酸化物層を形成、界面によるクラック進展率が低減することから、摩擦磨耗特性が向上すると考えられ、実用化が期待できる。

審査要旨

 ハードコーティングの摩擦磨耗特性の改善が期待されるため、遷移金属セラミックス人工格子の硬度異常性等、機械的性質に関する研究が注目されている。スパッタリング法で成膜したセラミックス人工格子は界面における混合層厚が薄いほど、高い硬度増大が得られることが知られているが、機械的性質及び摩擦磨耗特性に対する薄膜の成長モード、界面・表面ラフネスの影響については、解明されていない。本研究はKoehler効果及びHall-Petch効果を考慮することにより、多結晶セラミックス人工格子における硬度の異常増大機構について研究し、そのハードコーティングへの応用について検討したものである。

 論文は全8章から成っている。

 第1章ではハードコーティング材の発展の歴史を概観し、特に新世代のハードコーティング材として実用化が期待されるセラミックス人工格子についてまとめている。

 第2章ではスパッタリング法により作製した薄膜の成長モード及びセラミックス人工格子の硬度異常性、界面構造解析手法などを整理している。

 第3章では薄膜のトライボロジーに関する弾塑性変形基礎理論、凝着摩擦、トライボロジー化学及びトライボロジーの応用について述べている。

 第4章では三つのセラミックス人工格子系TiN/CrN、TiN/ZrN及びTiN/TaNについて、高分解能微小角X線回折実験およびAFM測定を行い、X線反射率曲線のフィッティングにより、セラミックス人工格子の膜厚、積層周期、界面・表面ラフネスを詳細に解析している。

 TiN/TaNはTiN/CrN、TiN/ZrNより大きな界面・表面ラフネスを示した。TiN/TaN人工格子の大きな界面・表面ラフネスは累積機構とスパッタリング原子Taの移動度の低い結果であると考えられる。TiN/TaN系の表面ラフネス()は積層周期(∧)に依存し、(動力学スケール因子=0.5)に従うことが分かった。TiN/TaN、TiN/CrN、TiN/ZrN系の界面の混合層厚は、それぞれ、2〜3ML,3〜5ML、4〜7ML(ML:一原子層)であることが分かった。混合層が薄いほど、界面の整合性が高いため、それに応じた人工格子の硬度増加が著しいと考えられる。

 第5章では窒化物系セラミックスとその人工格子の超低負荷押し込み試験における硬度、弾性率および塑性変形仕事などの異常原因を解明している。

 すべてのTiN/CrN人工格子の塑性変形仕事はTiNおよびCrN単体膜より、かなり小さい値を示している。低い硬度を有するCrN単体膜の塑性仕事が最大となっており、CrN単体膜の塑性変形抵抗が低いことを示している。TiN/CrN人工格子の塑性変形抵抗が単体膜と比べ改善されることにより、ハードコーティングとしてのTiN/CrN人工格子の耐摩耗性が改善できると期待される。

 第6章ではCrN、TiN、TiN/CrNおよびTiN/TaN人工格子のフレッティング摩擦摩耗実験を行い、これらの膜の摩擦係数、耐摩耗性および摩耗機構を検討している。

 TiN/CrN人工格子の摩擦係数はCrN単体膜と同様の傾向を示すが、その大きさはTiN、CrN両単体膜の中間の値を示している。TiN/CrN人工格子の磨耗量は、予想通り硬度異常性と逆の傾向を示した。すなわち最大硬度の人工格子に対応する磨耗量は最低であり、人工格子構造にすることにより磨耗特性が改善された。

 第7章ではTiN、CrN単体膜、TiN/CrNおよびTiN/TaN人工格子のすべり回転摩擦摩耗実験を行い、これらの膜の耐久性、化学トライボロジー特性、摩耗機構などが論じられている。

 TiN/CrN人工格子の摩擦係数はいずれの積層周期においてもTiN及びCrN単体膜よりも小さい値となった。TiN/CrN人工格子の摩擦係数が低減されたため、耐磨耗性が向上し、摩擦によるエネルギー損失が減少した。TiN/CrN人工格子では、硬度の増大と塑性変形抵抗の増加のため、摩擦中に摩擦係数の低い緻密なCr2O3とCrO3酸化物の生成が促進された。

 TiN/CrN人工格子の優れたフレッティング及びすべり回転摩擦磨耗特性に対し、界面ラフネス累積機構により成長したTiN/TaN人工格子は結晶が粗大先端細り柱状であるため、垂直負荷、特に接線力の作用のもとで、膜表面が削られ、深刻な摩擦摩耗が発生した。したがって、TiN/TaN人工格子の高い硬度増加率を生かして、ハードコーティングへ応用するためには、TiN/TaN人工格子の新しい成膜プロセスを開発し、結晶整合性を改善すべきだと考えられる。

 第8章では論文の結果を総括している。

 以上を要するに、本論文はセラミックス人工格子の構造及び機械的特性について研究し、TiN/CrN人工格子の摩擦磨耗特性がTiN、CrN単体膜のそれより大幅に改善、実用化の期待できることを示したものであって、材料工学に寄与するところがきわめて大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク