学位論文要旨



No 115211
著者(漢字) 桑名,一徳
著者(英字)
著者(カナ) クワナ,カズノリ
標題(和) 多孔質固体に浸潤した可燃性液体表面に沿った燃え拡がり現象に関する研究
標題(洋)
報告番号 115211
報告番号 甲15211
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4706号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 土橋,律
 東京大学 教授 幸田,清一郎
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 助教授 新井,充
 東京大学 教授 河野,通方
内容要旨 1.まえがき

 可燃性液体が漏洩すると、周囲の多孔質固体に浸潤することが多い。このとき、何らかの原因により着火が起こると、火炎は、可燃性液体が浸潤した多孔質固体に沿って燃え拡がる。そして、この可燃性液体が浸潤した多孔質固体に沿った燃え拡がりの機構は、液体燃料に沿った燃え拡がりおよび固体燃料に沿った燃え拡がりとは大きく異なる。したがって、この場合の燃え拡がり機構を解明し、火災の被害を最小限に抑えるための知見を得ることが重要である。

 多孔質固体に浸潤した可燃性液体に沿った燃え拡がり機構について知見を得るため、これまでにいくつかの実験的研究が行われてきた。これらの実験では、主に、粒子層に浸潤した可燃性液体に沿った燃え拡がりが研究対象とされ、燃え拡がり速度と粒径の関係などが調べられてきた。その結果、可燃性液体の引火温度が初期温度よりも低い場合、燃え拡がり速度が最小となる粒径が存在することが明らかにされた。即ち、粒径が比較的小さい場合は、粒径の増加にしたがって燃え拡がり速度が減少するのに対して、粒径が比較的大きい場合は、粒径の増加とともに燃え拡がり速度が増加する。この、燃え拡がり速度が最小となる粒径が存在するという実験結果は、安全工学上、重要な意味を持つ。しかしながら、粒子層内における液体の挙動が非常に複雑であるため、この現象を理論的に取り扱った研究がほとんどされていない。したがって、燃え拡がり機構には不明な点が多く残されており、燃え拡がり速度の定性的な予測さえ達成されていない。

 本研究では、粒子層に浸潤した可燃性液体に沿った燃え拡がり現象を適切にモデル化し、この現象の理論解析を行った。本研究で構築されたモデルにより得られた結果から燃え拡がり機構を詳細に検討し、また、燃え拡がり速度の理論予測を試みた。

2.理論解析の方法

 液体の引火温度が初期温度よりも高い場合、火炎が燃え拡がるためには、火炎前方の液体への熱移動が不可欠である。この熱移動は主に粒子層内を通って起こるとされている。したがって、この粒子層内の熱移動過程を詳細に検討する必要がある。

 粒子層内の熱移動は、伝導伝熱および対流伝熱により起こる。浮力および粒子層表面の温度勾配に起因する表面張力差により、粒子層中で液体が流動する。したがって、粒子層内における対流伝熱を検討する場合、これらの対流を考慮しなければならない。一方、伝導伝熱は、粒子層内における液体の乾燥の影響を受ける。これは、蒸気の熱伝導率が液体の十分の一程度であること、および乾燥領域の温度が液体の沸点よりも高くなり得ることが原因である。また、粒子層内にはっきりとした液面が存在するのではなく、空隙に液体と蒸気が共存するような領域が形成される。このような場合、毛管現象による液体の移動も考慮する必要がある。

 本研究では、これらの対流伝熱および伝導伝熱の効果に粒径依存性があることに着目し、粒径が小さい場合および大きい場合に分類してモデルを構築した。液体が粒子から受ける抵抗力は、粒径の増加にともなって減少する。したがって、粒径が大きい場合は対流伝熱の影響が大きく、逆に、粒径が小さい場合は伝導伝熱の影響が大きいと考えられる。そこで、粒径が大きい場合のモデルでは、浮力および表面張力差に起因する液体の流動の影響を考慮した。一方、粒径が小さい場合のモデルでは、粒子層の乾燥および毛管現象の影響を考慮した。

3.粒径が大きい場合のモデル

 粒径が大きい場合のモデルでは、浮力および表面張力差による液体の流動を考慮した。一方、液体の乾燥による液面の後退および毛管現象の影響は無視した。また、この現象では、粒子層内の現象が重要であるため、気相では流れ場に一様流を仮定し、基礎方程式の単純化を行った。これらの仮定に基づいた気相および粒子層の非定常基礎方程式を適切な境界条件のもとに解き、数値解を得た。図1に代表的な計算結果を示す。また、火炎先端位置の移動速度から燃え拡がり速度を求めた結果、粒径の増加にともない燃え拡がり速度が増加する傾向が予測された。この傾向は、実験結果と一致している。また、気相の流速を適切に与えると、燃え拡がり速度の予測値が実験結果と良く一致することが示された。

 粒子層内では、渦を伴った流れが予測された(図1(c))。この流れにより、火炎から供給された熱が、前方の液体へと移動する。粒径の増加とともに、この渦の大きさも増加することが示された。これは、粒径の増加にしたがって、液体が粒子から受ける抵抗力が減少するためである。粒径の増加にしたがい液体の流動が盛んになった結果、粒子層内の対流伝熱量が増加し、燃え拡がり速度が増大する。

図1 計算結果

 本モデルにより、液体の流動の主な駆動力に関しても検討を行なった。浮力および表面張力の温度係数を変化させて計算を行なった結果、浮力が燃え拡がり速度および液体の流動に及ぼす影響は非常に小さいことがわかった(図2)。また、表面張力が燃え拡がり速度および液体の流動に及ぼす影響が大きいことが示され、液体の流動の主な駆動力が粒子層表面の温度勾配に起因する表面張力差であることがわかった。

4.粒径が小さい場合のモデル

 粒径が小さい場合のモデルでは、粒子層内での液体の乾燥および毛管現象による液体の移動を考慮した。本研究では、粒子層の乾燥状態を表現するために、液体含有率という変数を導入した。一方、浮力および表面張力差に起因する、液体の流動の影響は無視した。

 粒子層内での乾燥は非常に複雑な現象である。したがって、粒径が大きい場合と同様な非定常モデルによる燃え拡がり速度の予測を行う前に、定常モデルによる予備的な検討を行った。

 まず、粒子層内の単純な熱収支式から、乾燥の様子が燃え拡がり速度に及ぼす影響を検討した。このモデルでは、粒子層内での乾燥を表すため、粒子層を三つの領域に分類した。即ち、乾燥領域、二相領域(液体および蒸気が共存する領域)、および液体で満たされた領域である。図3に、このモデルから導かれる、燃え拡がり速度Vfと乾燥領域の厚さcおよび二相領域の厚さcの関係を示す。この図から、乾燥領域の厚さの増加にしたがって燃え拡がり速度が減少することがわかる。一方、二相領域の厚さの増加とともに、燃え拡がり速度が増加する。また、このモデルにより予測される温度分布は実験結果とよく一致し、粒径が小さい場合は粒子層内の伝導伝熱が支配的であることが確認された。

図表図2 燃え拡がり速度に及ぼす浮力および表面張力の影響 / 図3 粒子層の乾燥の影響

 次に、粒子層内における液体および蒸気の分布の様子を詳細に検討するために、粒子層内での液体含有率を求めるモデルを構築した。このモデルは、気相の影響を無視した定常モデルである。このモデルにより予測された、粒子層内の液体含有率分布を図4に示す。図4より、粒径の増加にしたがい、乾燥領域の大きさは増加し、二相領域の大きさが減少することがわかる。また、このモデルにより、液体含有率分布は粒径の変化に強く依存し、毛管現象が液体含有率分布を決定する支配要因であることが示された。

図4 粒子層内の液体含有率分布

 最後に、気相の影響を考慮した非定常モデルを用いて、燃え拡がり速度の予測を行った。粒子層のモデルには、先の定常モデルで構築したものを用いた。気相のモデルは、粒径が大きい場合と同じものを用いた。この非定常モデルにより、粒径の増加にしたがって燃え拡がり速度が減少するという、実験結果と一致した予測結果が得られた。粒径が小さくなるにしたがって、高温な二相領域が燃え拡がりの方向に広がってゆき、その結果、火炎前方の領域への伝導伝熱量が増大し、燃え拡がり速度が増大する。また、粒径が大きい場合のモデルと同様に気相流速を与えた場合、予測された燃え拡がり速度は実験による測定値とよく一致した。本研究で構築されたモデルにより予測される燃え拡がり速度および実験により測定された燃え拡がり速度を図5に示す。

図5 燃え拡がり速度の予測結果*a 粒径が小さい場合のモデル *b 粒径が大きい場合のモデル *c,*d これまでの実験結果
5.燃え拡がり速度が最小となる粒径

 本研究では、燃え拡がり速度が最小となる粒径の見積もりを行った。

 これまでの検討結果から、粒径が小さい場合は粒子層内の伝導伝熱が重要であり、粒径が大きい場合は粒子層内の対流伝熱が重要であることがわかった。したがって、燃え拡がり速度が最小となる粒径においては、伝導による熱移動量および対流による熱移動量が同程度であると考えられる。この考えに基づき、燃え拡がり速度が最小となる粒径dminを以下の式で表すことができた。

 

 この式を用いて、dminを見積もることができる。この式により見積もられるdminは、実験結果とほぼ一致した。この式により、粒子および液体の物性値がdminに及ぼす影響も見積もることができる。また、dminは、本研究で構築した粒径が小さい場合および大きい場合の各モデルの適用限界に相当すると考えられる。

6.まとめ

 本研究では、粒子層に浸潤した可燃性液体表面に沿った燃え拡がり現象について理論検討および数値計算により調べた。粒径が小さい場合および大きい場合のそれぞれに対してモデルを構築し、粒子層に浸潤した可燃性液体に沿った燃え拡がりの解析を行なった。これらのモデルにより予測された燃え拡がり速度は、実験により測定された結果とほぼ一致した。

 粒径が大きい場合は、粒子層内の対流伝熱が重要である。粒径の増加に伴い、液体が粒子から受ける抵抗力が減少する。したがって、粒径の増加とともに粒子層内での液体の流動が盛んになり、対流伝熱量が増大する。このため、粒径の増加とともに燃え拡がり速度が増大する。

 粒径が小さい場合は、粒子層内の伝導伝熱が重要である。粒径が小さくなると、液体と蒸気が共存する高温の領域が燃え拡がりの方向に広がってゆき、その結果、火炎前方の領域への伝導伝熱量が増大する。したがって、粒径が小さくなるにしたがって、燃え拡がり速度が増大する。

 以上のように、本研究では、燃え拡がり速度が最小値となる粒径を境として、燃え拡がり速度の粒径依存性が変化する様子を計算することができた。また、燃え拡がり速度が最小値となる粒径を粒子および液体の物性値を用いて見積もることができた。

審査要旨

 本論文は、「多孔質固体に浸潤した可燃性液体表面に沿った燃え拡がり現象に関する研究」と題し、可燃性液体が浸潤した多孔質固体表面に沿った燃え拡がり現象の解明を目的として、特に球形粒子を充填した多孔質層の粒子直径の変化が燃え拡がり挙動に与える影響について理論と数値計算から調べた結果をまとめたものであり、6章からなっている。

 第1章は、「序論」で、燃え拡がり現象に関する研究の必要性ならびに可燃性液体が浸潤した多孔質固体に注目した理由について述べ、本研究の位置づけを行っている。

 燃え拡がり現象は、火災の拡大速度を支配する安全工学上重要な現象であり、かつ固体の燃焼現象の解明においても重要である。多孔質固体に浸潤した可燃性液体表面に沿った燃え拡がり現象は、気相で起こる燃焼化学反応や熱・物質の輸送現象のみならず、固液混合相における輸送現象が全体の挙動に大きな影響を与える多相にわたる複雑な現象であり、解決すべき問題が多数残されている。ガラスビーズ層を用いた過去の実験から、ビーズ粒径が変化すると燃え拡がり速度が変化し、燃え拡がり速度が最小となる粒径を境に傾向が逆転することが報告されているが、その原因については解明されていない。本研究では、粒径により燃え拡がり速度が変化する現象の解明を主眼とした。

 第2章は、「理論解析の方法」で、現象のモデル化および数式化の方法について述べている。

 燃え拡がりに影響を及ぼす要因を数え上げ、その数式化について検討している。計算を実現可能にするためにモデル化をおこなっている。粒子層は適切な流体抵抗、熱伝導率を与えることで均一な層として取扱うこと、気相では流速を一定とすることなどの仮定について説明している。各要因の影響を検討した結果、粒子層内での対流伝熱が無視できる粒径が小さい場合と、液体の乾燥を無視できる粒径が大きい場合とに大きく分類できることが明らかになり、2種類のモデルを用いて検討を進める方針が示されている。

 第3章は、「粒径が大きい場合のモデル」で、表面張力と浮力による液体の流動を考慮し、粒子層の乾燥を無視したモデルによる解析結果について述べている。

 粒径が大きい場合には、主に粒子層内の液体の流動により熱が移動する。この領域では、粒径が小さくなると抵抗力が増加するため流動が抑制され、熱移動が減少し燃え拡がり速度は低下する。気相の流速を適切に設定すると、予測された燃え拡がり速度は実験結果と良く一致する。また、液体の駆動力について検討し、表面張力が主要な駆動力であり、浮力の効果は非常に少ないという結論を得ている。

 第4章は、「粒径が小さい場合のモデル」で、粒子層の乾燥および毛管現象について考慮し、表面張力や浮力による液体の流動について無視したモデルによる検討結果について述べている。

 粒子層の乾燥は液体含有率という新しい変数を導入することで表現している。計算の結果、粒径が小さくなると火炎下部の粒子層内に乾燥領域および液相と気相が混在した領域(二相領域)が発生し、そのために粒子層内に液体の沸点を超える高温の領域が生じることが示されている。粒径を小さくすると、この高温の領域は燃え拡がりの方向に拡がってゆき、その結果、火炎前方の領域への伝導伝熱量が増大し、燃え拡がり速度が増大する。粒子が大きい場合のモデルと同様に気相の流速を設定した場合、計算された燃え拡がり速度は実験による測定値と良く一致している。二相領域の大きさを決める支配要因を明確にするため、定常モデルを用いて検討をおこない、二相領域の大きさは粒径の変化に強く依存し、毛管現象が二相領域の大きさを決定する支配要因であることを示している。さらに、計算結果の定量的妥当性について確認するため、計算に使用したモデルおよび物性値により生ずる誤差について検討している。

 第5章は、「燃え拡がり速度が最小となる粒径」で、燃え拡がり速度が最小値をとる粒径および本研究で用いた2つのモデルの適用限界について考察している。

 本研究の2つのモデルでの検討結果より、粒径が小さい場合と大きい場合の伝熱の支配要因である、伝導伝熱と対流伝熱の効果が同程度となる粒径で燃え拡がり速度が最小となることを示している。この粒径は、液体や粒子層の物性値を用いて見積もることが可能であり、実験結果ともほぼ一致することを示している。

 第6章は、「結論」で、本研究の結果を総括している。

 以上要するに、本研究では、多孔質固体に浸潤した可燃性液体表面に沿った燃え拡がり現象について理論検討および数値計算により調べ、多孔質層の固体粒子径の変化が、抵抗力の変化および毛管吸引力の変化として燃え拡がり現象に影響を及ぼす機構を明らかにし、これらの効果を考慮して燃え拡がり速度を数値計算により予測することに成功している。この結果は、可燃性液体の安全管理をおこなう上で大いに役立つものであり、火災科学、燃焼学ならびに化学システム工学の進展に貢献するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54739