天然物等のような複雑な構造の化合物を合成する際、複数の官能基や置換基をもつ第4級炭素やスピロ炭素を創り出すステップが重要になることが多い。なかでも、4級中心やスピロ環をもつ多価カルボン酸誘導体は、キラル化合物やデンドリマー等のビルディングブロックとして特に注目されている。それゆえ、そのような第4級炭素やスピロ炭素をもつ化合物の、入手しやすい原料からの簡便かつ効率の良い合成法が必要とされている。 バイオマスから得られるイタコン酸誘導体は比較的安価な化合物である。なかでも無水イタコン酸は、exo-メチレン基や5員環酸無水物基などといった様々な反応に利用可能な構造をもつ興味深い化合物である。しかしながらこの無水イタコン酸は、高温下、塩基存在下などで容易に無水シトラコン酸へと異性化するため、その骨格を活かした化学的高度利用はこれまでほとんど行われていない。 本研究では、イタコン酸誘導体の化学的高度利用の一環として、無水イタコン酸から第4級炭素やスピロ炭素をもつ種々の多価カルボン酸誘導体を合成し、その周辺反応や高分子精密合成への応用について検討することを目的とした。 第1章では、序論として、本研究の背景について述べるとともに、本研究の目的とその意義を明らかにした。 第2章では、6,6員環のスピロ構造をもつ脂肪族テトラカルボン酸二無水物の合成とその13CNMRスペクトルにおけるカルボニル炭素の異常な高磁場シフトについて述べた。 無水イタコン酸とブタジエンのDiels-Alder反応とそれに続く硝酸酸化によってすでに合成されている非対称テトラカルボン酸(TCA)は、熱的脱水・化学的脱水のいずれの方法によっても5員環酸無水物-ジカルボン酸(TCAn)のみを与えるとされていた。しかしこのTCAには、分子内脱水の際、閉環するカルボキシル基の組み合わせによって、5員環酸無水物だけでなく6員環や7員環の酸無水物が生成する可能性があると考えられた。そこで脱水条件を検討したところ、過剰の無水酢酸を用いた脱水(100℃、20分)により、今までのTCAnとは別の化合物が得られた。 得られた化合物の1R、1HNMR、2DNMR(COSY-FG,HMQC-FG,HMBC-FG)、MSの各スペクトルと元素分析は、6,6員環のスピロ構造をもつ脂肪族テトラカルボン酸二無水物、2,9-ジオキサスピロ[5.5]ウンデカン-1,3,8,10-テトラオン(TCDAn)の構造を支持する結果を示した。しかしながら、13CNMRスペクトルにおいてカルボニル炭素と帰属されるべきピークのうち一本が、高磁場側に大きくシフトした124.3ppmに観察された。この化合物の周辺反応について詳細に検討した結果もTCDAnの構造を支持した。また、この周辺反応の結果をふまえてTCDAnの生成機構について考察した。すなわち、まずTCAの一分子脱水により5員環酸無水物が生成し、さらに残りのカルボキシル基に無水酢酸が作用して環の巻き直しが起こってTCDAnになると考えた。 次に、TCDAnの13CNMRスペクトルにおけるカルボニル炭素の異常な高磁場シフトを説明するために、最適化構造の計算を行った。その結果、TCDAnは2種類のコンホメーションをとり得ることが判ったが、2DNMR(PNOESY-FGZZ)スペクトルでNOE相関を見ることにより、そのうちの一方のみのコンホメーションをとっていることが示唆された。このようなコンホメーションでは、高磁場シフトを示したカルボニル基の酸素原子と対称6員環のアキシアル位のプロトンが非常に近い位置にあるために、立体圧縮効果によってこのカルボニル炭素の異常な高磁場シフトが起こっていると考えた。 第3章では、イタコン酸誘導体とイソプレンからの4級炭素やスピロ炭素をもつ種々の多価カルボン酸誘導体の合成と、そのうちの1つである5,6員環のスピロ構造をもつ脂肪族テトラカルボン酸二無水物とアミンとの環の巻き直し反応について述べた。 まず、無水イタコン酸とイソプレンのDiels-Alder反応により、1stepでスピロ炭素をもつ成環付加物(酸無水物型、パラ体:メタ体=4:1)を得た。また、ルイス酸を用いたイタコン酸ジメチルとイソプレンのDiels-Alder反応では、短時間で成環付加物(ジエステル型、パラ体のみ)が得られた。これらの反応では、無水イタコン酸の異性化に由来する生成物は観察されなかった。成環付加物(酸無水物型またはジカルボン酸型)を硝酸酸化すると炭素数が2つ少ないテトラカルボン酸が得られ、これを脱水することにより5,6員環のスピロ構造をもつ脂肪族テトラカルボン酸二無水物、2,8-ジオキサスピロ[4.5]デカン-1,3,7,9-テトラオン(TCDA)を得た。 このTCDAと2倍モル量の種々のアミンとの反応・脱水を行ったところ、アミンの炭素骨格によって2つのタイプの生成物が得られた。すなわち、アミノ基の隣りに1級炭素をもつアミンとの反応では、期待通り2分子のアミンが反応したような5,6員環ジイミドが得られた。一方、芳香族アミンやアミノ基の隣りに2級・3級炭素をもつアミンとの反応では、予想に反して、アミンが1分子のみ反応したような5員環イミド-6員環酸無水物が得られた。 この反応についていろいろなモデル反応を行って詳細に検討し、以下のような反応機構により2つのタイプの化合物が生成すると考えた。まず、6員環酸無水物をアミンが攻撃し、アミド酸-5員環酸無水物が生成する。ここで、芳香族アミンやアミノ基の隣りに2級・3級炭素をもつアミンの場合、分子内で5員環酸無水物との環の巻き直しが起こって5員環イミド-ジカルボン酸となり、さらに脱水により5員環イミド-6員環酸無水物となる。また、アミノ基の隣りに1級炭素をもつアミンの場合、環の巻き直し反応が起こる前にもう一分子のアミンが5員環酸無水物に反応し、その後の脱水により5,6員環ジイミドとなると考えた。 第4章では、前章で述べた5,6員環のスピロ構造をもつ脂肪族テトラカルボン酸二無水物(TCDA)の特徴的なアミンとの環の巻き直し反応の応用として、精密に構造制御された、すなわち完全交互かつhead-to-head(tail-to-tail)の構造をもつ脂肪族共重合ポリイミドの合成とその物性評価について述べた。 まず5,6員環二酸無水物(TCDA)と環の巻き直し反応が起こると考えられるジアミンとの反応・脱水により、種々の5,5員環ジイミド-6,6員環二酸無水物を得た。得られた二酸無水物は、ポリイミド合成の一般的な重合溶媒であるN,N-ジメチルアセトアミド(DMAc)やN-メチルピロリドン(NMP)などの非プロトン性極性溶媒に良溶であった。さらにこのジイミド-二酸無水物と種々のジアミンとの重合・脱水により、脂肪族共重合ポリイミドを得た。このポリイミドは、ジアミン由来部分に着目すれば完全交互体、イミド環部分に着目すればhead-to-head(tail-to-tail)体である。また、本法は、これまでに例のないジイミド-二酸無水物を経由する方法であり、種類の豊富なジアミン類から2つを自由に組合せて重合体を合成できるなどのメリットがある。 このようにして得られたポリ(イミド-アミド酸)の固有粘度は0.15-0.54dL/gであり、N,N-ジメチルホルムアミド(DMF)に可溶なポリ(イミド-イミド)の数平均分子量・重量平均分子量は、それぞれ29300-69700、36800-84400であった。ポリ(イミド-イミド)フィルムは一部を除いて全てフレキシブルであり、DMFなどの非プロトン性極性溶媒だけでなく、m-クレゾールやピリジンにも溶解または膨潤した。全脂肪族ポリ(イミド-イミド)は、期待に反して比較的溶媒溶解性が低かった。ポリ(イミド-イミド)の1HNMRスペクトルと13CNMRスペクトルにより、重合・イミド化の際に副反応やアミド交換反応などを起こさず、完全交互かつhead-to-head(tail-to-tail)の構造をもつ共重合ポリイミドが生成していることを確認した。 紫外・可視吸収スペクトルにより、得られたポリ(イミド-イミド)フィルムの無色透明性を評価した。市販のKaptonフィルム(黄色)が500nm以上の波長域の光を透過したのに対し、今回得られたポリ(イミド-イミド)フィルムは300nm以上、特に、全脂肪族のものは250nm以上の波長域の光を透過した。フィルムの実際の色は、ほとんどが完全に無色透明であった。TCDA由来の非平面的な脂肪族スピロ骨格によって、分子内・分子間のCT相互作用が抑制されているために、このような優れた無色透明性を示すと考えられる。 得られたポリ(イミド-イミド)フィルムの耐熱性(熱物性)を熱分析(DSC,TG-DTA)により評価した。ガラス転移温度(Tg)は、ほとんどが200℃台後半であったが、例外として直鎖アルキル基をもつヘキサメチレンジアミン(HMDA)を用いた系では200℃前後の低い値を示した。5%重量減少温度(T5)、分解温度(Td)はそれぞれ300℃台後半、400℃前後であった。炭化率(Yc)は最高で38%を示し、全芳香族ポリイミドであるKaptonの25%と比べても高い値を示した。これらの結果から、脂肪族スピロ骨格をもつにもかかわらず、優れた耐熱性を示すことがわかった。 第5章では、総括として、本研究の成果について要約した。 |