学位論文要旨



No 115216
著者(漢字) 小原,健博
著者(英字)
著者(カナ) コハラ,タケヒロ
標題(和) 1-フェニルエチルアミン骨格を有する不斉補助剤のデザインと応用
標題(洋)
報告番号 115216
報告番号 甲15216
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4711号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 助教授 橋本,幸彦
 東京大学 助教授 石井,洋一
 東京大学 助教授 加藤,隆史
内容要旨 1.緒言

 光学活性体は,医薬品等の様々な分野において,日々その需要は高まりつつある。これらの光学活性体の入手法にはいくつかの方法があるが,その中の一つに新たなキラル中心炭素を構築する不斉合成反応がある。これまで不斉合成反応に用いられてきた不斉補助剤,不斉配位子の多くは,天然物及びそれらの誘導体である。これらの化合物は,天然物であるがゆえに両対掌体の同等な入手が困難であったり,キラル中心炭素上の修飾が困難な場合が多い。これに対し非天然型不斉補助剤は,上記の問題を解決する有効な手段の一つである。しかしながら,最近では高い不斉誘起能を求めるがために,これらの骨格はより複雑なものとなり,合成,光学分割がより困難となってきている。そこで本研究では,最も骨格が単純な非天然型不斉補助剤の一つである1-フェニルエチルアミンに着目した。これまでに1-フェニルエチルアミンは多くの不斉合成反応に利用されてきたが,その誘導体である置換フェニルエチルアミン類は不斉合成反応に利用されていない。1-フェニルエチルアミンの芳香環上に置換基を有する1-アリールエチルアミンは,置換基による様々な効果が期待できる。そこで,本研究では,反応に応じて1-アリールエチルアミンをデザイン,合成,光学分割し,これらを不斉合成反応へ応用することを目的とした。

2.1-(2,5-ジメトキシフェニル)エチルアミンの開発

 1-フェニルエチルアミンは,不斉補助剤としてこれまでに多くの不斉合成反応に用いられてきたが,反応によっては高選択性を実現できないといった問題点がある。その中で,アミンとアルデヒドから得られるイミンに対するアルキル化反応では,それほど高い選択性が実現されていない。そこで,キレーションによる高度な立体制御を期待し,1-フェニルエチルアミンの芳香環のオルト位にヘテロ原子,特に酸素原子を有するアミンを考えた。さらに,脱不斉補助剤及び光学分割を円滑に行なえるように,さらにメトキシ基を導入した各種アミン類をデザイン,合成した。これらを用い,イミンのアルキル化反応を試み,置換基の効果を調べた。その結果,1-(2,5-ジメトキシフェニル)エチルアミン1が,この反応において最も有効な不斉補助剤であることが分かった。ラセミのアミン1は,対応するケトンから還元的アミノ化反応により一段階で合成することができた(Scheme 1)。

Scheme 1

 次に,このアミンの光学分割について検討を行なった。その結果,ラセミアミンを(R)-マンデル酸とのジアステレオマー塩対へと誘導し,これをメタノール/水(1/10)の混合溶媒から三回再結晶を行なうことにより,純粋な難溶性ジアステレオマー塩が得られることが分かった。この塩を水酸化ナトリウム水溶液で処理することにより,(R)-1を得た。さらに,ろ液を塩基で処理して得られるアミンを(S)-マンデル酸との塩とし,同様に再結晶することによって,(S)-1を光学純度よく入手することができた(Scheme 2)。これらのアミンの絶対立体配置は,マンデル酸との塩のX線結晶構造解析により決定した。

Scheme 2
3.1-(2,5-ジメトキシフェニル)エチルアミンの不斉合成反応への応用

 まず,イミンに対するアルキル化反応について検討を行なった。その結果,いずれの芳香族アルデヒドから誘導したイミンあるいはアルキル金属試薬を用いた場合でも,高選択的に対応する付加体が得られた(Scheme 3)。1-フェニルエチルアミンから誘導したイミンに対するアルキル化反応の結果と比較すると,収率,選択性共に大輻な向上がみられた。また,主生成物の相対立体配置は,X線結晶構造解析によってアンチ体であることが分かった。これらのことから,この反応の遷移状態では,キレーション効果により高度に立体が制御されており,1-(2,5-ジメトキシフェニル)エチルアミンは,目的の反応に合致した不斉補助剤であることが分かった。

Scheme 3

 次に,これらの生成物からの不斉補助剤の除去について検討した。その結果,得られた生成物をアセトアミド体4へと誘導し,メチルエーテル部を切断し,これを酸化することにより,ラセミ化を伴うことなく,対応するアミドを得ることができた(Scheme 4)。この方法は,1-フェニルエチルアミンを不斉補助剤として用いた場合の反応生成物の脱不斉補助剤法として汎用されている還元的手法と異なり,分子内に二重結合有する化合物4bについても,二重結合を損なうことなく不斉補助剤の除去が可能である。このように,ジメトキシフェニルエチルアミンは,脱不斉補助基反応においても極めて特徴的性質を示した。

Scheme 4

 一方,イミンを用いた有用な反応として,エノラートの不斉求核付加反応がある。そこで,リチウムエノラートとの反応を試みたが,この場合はほとんど反応が進行しなかった。そこで,ケテンシリルアセタールを求核剤とする不斉求核付加反応をルイス酸存在下で行なった。その結果,スカンジウムトリフラート存在下で反応を行なったところ,高選択的に付加体が得られた(Scheme 5)。この反応においても,キレーション効果が立体選択性に関与していると考えられる。

Scheme 5
4.1-(2-(2-メトキシエトキシ)フェニル)エチルアミンの開発と不斉反応への応用

 これまでの反応は,オルト位のメトキシ基のキレーション効果により,高い選択性を実現できたものと考えられる。そこで,他の反応への応用の一つとして,同様のシリル求核剤を用いるAza-Diels-Alder反応を試みた。しかしながら,この反応の場合は,高い選択性を実現することができなかった。一方,1-フェニルエチルアミンをアミン部位として有するイミンの反応では,アンチ体が優先して得られる。また遷移状態を考えると,この場合のキレーション効果は,シン生成物の生成に有利に働くものと思われる。従って,1-(2,5-ジメトキシフェニル)エチルアミンを補助剤として用いた反応では,オルト位のメトキシ基のキレーション効果が不十分であるものと考えられる。そこで,さらにキレーションを強固なものとすれば,シン選択性が向上すると考え,1-(2-ジメチルアミノフェニル)エチルアミン,1-(2-ピリジル)エチルアミン,及び1-(2-(2-メトキシエトキシ)フェニル)エチルアミン6をデザインした。アミン6は,2’-ヒドロキシアセトフェノンにメトキシエチル基を導入し,得られたケトンを還元的アミノ化することにより合成した(Scheme 6)。

Scheme 6

 このアミン6から誘導したイミンをAza-Diels-Alder反応に用いたところ,二つのエーテル基によりキレーション効果が増大し,ジアステレオマー比が逆転し,初めて高いシン選択性を示した(Scheme 7)。

Scheme 7
5.1-メシチルエチルアミンの開発

 これまでの反応では,芳香環上のオルト位のヘテロ原子とルイス酸などの金属との相互作用を利用し,キレーション効果による立体制御を試みた。しかし,前述の結果は,不斉誘起において重要な要素の一つである立体効果が,アンチ生成物の生成に寄与していることを示しているように思われる。そこで,立体的により嵩高いアミンから誘導したイミンを用いれば,より高いアンチ選択性が実現できるものと期待される。そこで,ナフチル基及び2位にメチル基を有する2-トリル基及び2,4,6位にメチル基を有するメシチル基を有するアミンをデザインした。その結果,1-メシチルエチルアミン8がこの反応に最も有効であることが分かった。そこで,8の合成,光学分割を検討した。

 ラセミのアミン8は,メシナルシアニドにメチル基を導入し,続いて還元を行なうことにより,容易に合成することができた(Scheme 8)。

Scheme 8

 次に,光学分割について検討を行なった。まず,これまでと同様に,マンデル酸,酒石酸及びその誘導体,種々アミノ酸などのキラルカルボン酸とのジアステレオマー塩法による光学分割を試みたが,いずれの場合も光学分割することはできなかった。そこで,-結合性ジアステレオマーへと導き,それらの分離を試みた。その結果,メントールから誘導したクロロホルメートとの反応によってカルバマートとし,これをカラムで分離した後,それぞれ蒸留,再結晶することにより,ジアステレオ純度の高いカルバマートを得ることができた。さらに,このカルバマートを還元,酸加水分解することにより,両対掌体を純度良く入手することができた(Scheme 9)。このアミンの絶対立体配置は,ジベンゾイル酒石酸との塩をX線結晶構造解析することにより決定した。

Scheme 9
6.1-メシチルエチルアミンを不斉補助剤とする不斉反応への応用

 このアミンの有用性を検証するために,Aza-Diels-Alder反応について検討した。その結果,1-フェニルエチルアミンを不斉補助剤として用いた反応を越える高いアンチ選択性で,反応が進行することを見出した。また,各種のアルデヒドから誘導したイミンを用いたいずれの場合にも,ほぼ単一の生成物が得られた(Scheme 10)。この生成物の相対立体配置は,X線結晶構造解析により決定した。

Scheme 10
7.1-メシチルエチルアミンを有する不斉配位子の開発と触媒的不斉反応への応用

 次に,1-メシチルエチルアミンの有効性をさらに示すために,触媒的不斉合成反応の不斉配位子としての利用を試みることにした。1-メシチルエチルアミンとo-ジフェニルホスフィノベンズアルデヒドをモレキュラーシーブ存在下で脱水縮合させ,イミノホスフィン10を合成した。これをPdの不斉配位子として,アリルアルコール誘導体11の触媒的アルキル化反応を行なった。その結果,対応するアルキル化体12を高エナンチオ選択的に得ることができた(Scheme 11)。

Scheme 11
8.結言

 以上に述べたように,1-フェニルエチルアミン骨格を有する1-アリールエチルアミン類は,比較的単純な骨格でありながらも,合成,光学分割とも比較的容易であり,大量かつ同等に両対掌体を入手することが可能であった。さらに,目的に応じてその芳香環上の置換基をデザインすることによって,基本骨格となる1-フェニルエチルアミンよりもキレーション効果あるいは立体効果を高めることができた。その結果,不斉補助剤及び不斉配位子として,高い不斉誘起能が発現することが明らかとなった。

審査要旨

 本論文は,非天然型不斉補助剤のデザインと不斉合成への応用に関する研究の成果ついて述べたものであり,6章より構成されている。

 第1章は序論であり,有機合成化学における不斉合成の意義と不斉合成に不可欠な不斉源について従来の知見を述べるとともに,1-フェニルエチルアミンを基本骨格とする不斉補助剤の開発に関する本研究の目的と意義を述べている。

 第2章では,求核剤であるアルキル金属試薬との相互作用を期待して1-フェニルエチルアミンの芳香環オルト位にヘテロ原子を導入し,イミンのアルキル化反応のキレート効果による立体制御を試みている。その結果,オルト位のヘテロ原子の効果により,収率,立体選択性共に飛躍的に向上することを見出している。さらに詳細な検討を行い,このイミンのアルキル化反応においては,1-(2,5-ジメトキシフェニル)エチルアミンが最も有効な不斉補助剤であることを明らかにしている。この結果に基づき,1-(2,5-ジメトキシフェニル)エチルアミンの簡便な合成法とマンデル酸とのジアステレオマー塩法による光学分割法を開発することによって両対掌体の同等な入手を可能とし,1-(2,5-ジメトキシフェニル)エチルアミンを実用的な不斉補助剤にしている。さらに,不斉を誘起した後の不斉補助剤の除去についても,この骨格を活かした方法を開発している。

 第3章では,同様の不斉求核付加反応としてイミンに対するケテンシリルアセタールの付加反応を行ない,抗生物質の基本骨格である-ラクタムの前駆体である-アミノ酸エステル合成の立体制御を試みている。その結果,この反応の場合には,1-(2,5-ジメトキシフェニル)エチルアミンよりもさらにキレート効果を強めた1-(2-(2-メトキシエトキシ)フェニル)エチルアミンが有効であることを明らかにし,高立体選択性を実現している。

 第4章では,前章のケテンシリルアセタールと同様の官能基を有したジエンをルイス酸存在下,イミンに作用させるaza-Diels-Alder反応を行い,その立体制御を試みている。その結果,上述の1-(2-(2-メトキシエトキシ)フェニル)エチルアミンを用いることで,従来のアンチ選択性を逆転させ,高いシン選択性を実現できることを見出している。一方,これらキレート効果による立体制御との対比として,立体効果による立体制御を目指した不斉補助剤の開発も行い,1-メシチルエチルアミンが従来の選択性を超える高いアンチ選択性を実現する不斉補助剤であることを明らかにしている。また,この1-メシチルエチルアミンの簡便な合成法と光学分割法を開発している。このように,キレート効果ならびに立体効果を使いわけることにより,同一の反応で異なる高い立体選択性を実現することができたことは,興味深い。

 第5章では,これまで述べたジアステレオ選択的な反応と異なる触媒的不斉合成反応への応用の試みとして,1-アリールエチルアミン類と2-(ジフェニルホスフィノ)ベンズアルデヒドから合成したイミノホスフィンをパラジウムの不斉配位子として用い,不斉アリル化反応を行なっている。その結果,1-メシチルエチルアミンから誘導したイミノホスフィン配位子を用いた場合に,高立体選択的に反応が進行することを見出している。

 第6章では,本論文を総括するとともに将来の非天然型不斉補助剤の開発とその展望を述べている。

 以上のように,本論文では,1-フェニルエチルアミンの芳香環上に置換基を有する1-アリールエチルアミン型不斉補助剤の開発,幾つかの不斉合成反応への応用,キレート効果と立体効果による不斉誘起の制御について述べている。その成果は,有機合成化学及び有機工業化学の発展に寄与するところ大である。

 よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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