学位論文要旨



No 115217
著者(漢字) 田代,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) タシロ,ケンタロウ
標題(和) 新規な電子集積体の構築と機能
標題(洋) Design and Functions of Novel Molecular Architectures Based on -Electronic Systems
報告番号 115217
報告番号 甲15217
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4712号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 助教授 八代,盛夫
 東京大学 助教授 石井,洋一
内容要旨

 【緒言】ポルフィリン(1)は広い共役系を持つため、分子間に強い電子の相互作用がはたらきやすい。また、同じ理由から、低いHOMO-LUMOギャップを持ち、電子の出し入れがたやすい、可視光吸収能を有する、といった特徴を持つ。本研究では以上の点に着目し、電子の相互作用を利用して、新規な電子系集積体の構築と機能開拓を行った。

 

実験と結果1刺激応答性分子ボールベアリング、分子オシレーターの構築

 モレキュラーマシンの実現という観点から、外部信号、特に電気(電子)や光といった物理的な刺激に対応するスイッチング素子の開拓は魅力的な課題である。ここでは一例として、規制された平面内で回転運動を行う分子ボールベアリング、オシレーターについて取り上げる。これまで、例えばフェロセンを利用して、ベアリングの構築を行い、分子認識に利用した系があるが、回転能のスイッチングには至っていない。そこで本研究では、物理的刺激によるスイッチングを念頭に、サンドイッチ型ポルフィリン錯体中のポルフィリン配位子間にはたらく強い電子相互作用に着目した。レドックスや光照射により電子相互作用を変化させ、回転能を変えることを期待したわけである。

 

1-1サンドイッチ型ポルフィリン錯体のポルフィリン環相互回転能の評価

 錯体中のポルフィリン環の回転に関して、NMRを用いた既存の研究から、「高温でも回転は起こらない」と結論されていた。しかし、本研究では独自の手法を用い、NMRでは検出不能な「分オーダーよりも遅い回転運動が起こっている」ことを見出した。具体的には、錯体中で二枚の向かい合ったポルフィリン配位子が相互にねじれた配座をとることを利用し、-対称性を有するポルフィリンを用いてキラルな錯体(2)を設計し、キラルHPLCによって光学分割された光学異性体のラセミ化挙動を追跡した。

 

 まず、Ce、Zr錯体を何種か合成し、(3-6)ラセミ化挙動を円偏光二色性(CD)スペクトル(Figure1)の強度変化から検討した。その結果、Zr錯体に関しては従来の結論通り回転は起きなかったのに対し、Ce錯体では回転が起きることが分かった(Table)。これは二枚のポルフィリン環の面間隔の違いに対応した結果である。更にCe錯体の場合、ポルフィリンがジアリール(3)かテトラアリール(4)かにラセミ化速度は大きく依存した。3の場合はラセミ化の経路が二つあり、PathI(Scheme)ではかさ高い芳香族置換基同士の衝突なしにラセミ化が可能であるため全体の速度は上昇したと考え、一方の置換基に「ひも」をかけ、PathIIのみ可能にした錯体(7)のラセミ化を追跡した。その結果、PathI経路のラセミ化はPathII経路に比べ二桁以上起こりやすく、3のポルフィリン環はシーソーのように振動していることが分かった。

図表Table / Figure 1 CD Spectra of 5 / Scheme
1-2回転能の外部刺激によるスイッチング

 ポルフィリンの面間隔が大きなCe錯体の回転能が大きい、という結果を踏まえ、中心金属のレドックスにより面間隔、ひいては電子の相互作用を変化させ、回転能のスイッチングを実現することを考えた。Ce錯体では、金属が4価から3価に還元可能であるため、還元によるラセミ化速度の上昇が期待される。そこで、Naアントラセニドで5を処理したところ、吸収スペクトルの長波長シフトが起こり、還元が起きるとともにラセミ化速度が300倍以上増加することが確認された。更に、可視光照射の効果について検討したところ、含水ジオキサン中、錯体の光還元が起きることが分かった。そこで、可視光照射を断続的に繰り返してラセミ化挙動を追跡したところ、光還元に対応して系全体のラセミ化が進行し(Figure2)光還元された光学活性な5が速やかにラセミ化することが裏付けられた。

 次に、Zr錯体6を用い、ポルフィリン側の酸化による回転能の変化について検討した。ポルフィリンの面間隔がCeに比べ狭く、より強い電子の相互作用があるため、酸化体が安定に存在可能である。そこで、6の光学活性体をPhen・+SbCl6-によって酸化したところ、当量に応じて一電子酸化体(6・+)または二電子酸化体(62+)を得ることができ、CDスペクトルのパターンが酸化状態に応じて大きく変化した(Figure3)。さらに、還元剤としてEt3Nを用いると中性状態まで還元された。CD強度の比較から、この一連のレドックス反応においてはラセミ化が全く起きないことが分かった。そこで、6と62+のラセミ化を比較した。前述の通り、6は単独ではラセミ化を起こさないが、プロトン酸の添加により当量に依存した速度でラセミ化が誘起される(Figure4)。そこで、p-TsOH存在下のラセミ化速度を比較したところ、62+の速度は6の1/50になることが分かった。この結果は、二枚のポルフィリンの電子相互作用が酸化によってより結合性になる、という報告に対応した結果であり、興味深い。

図表Figure 2 / Figure 3 / Figure 4 Racemization plofiles of 6 with p-TsOH and Et3N
2フラーレン/ポルフィリン複合体の構築

 フラーレンを電子の相互作用で強く捕捉するホストの開発は、フラーレン類の分離、精製といった面のみならず、フラーレン自身の共役を崩さずその電子状態を調節できる可能性をも有しており、興味深い課題である。いくつかの系でフラーレンとポルフィリンの相互作用が知られており、両者の大きさがほぼ等しいことを考慮すると、ポルフィリンを基本骨格に、これまでにない高い安定性でフラーレンを捕捉するホストを開発できる可能性がある。そこで、右の新規なポルフィリン環状二量体(8-10)を設計し、フラーレンとの相互作用について検討した。

 

2-1ポルフィリン環状二量体によるフラーレンの包接

 まず、8-10のベンゼン溶液にC60を加えたところ、8及び9については赤橙色が赤褐色に変化し、何らかの相互作用が存在することが分かった。そこで8についてエレクトロスプレーイオン化質量分析を行ったところ、ホストにC60が一分子付加した質量に相当するイオンが観測され、一対一の複合体が生成していることが分かった。

 次にC60により8の滴定をベンゼン中で行ったところ、ポルフィリンの吸収体であるソーレ帯の強度の減少と長波長シフトが等吸収点を持ちながら観測された(Figure5)。410.5nmの強度変化から会合定数は6.7x105M-1と計算され、既存のホストに比べ一桁高い会合定数を持つことが分かった。この結果は、ポルフィリンを用いたホストの開発の有用性を示唆している。この高い会合定数のために、クロマトグラフィーにより、複合体を系から分離することが可能であった。一方、ポルフィリンの亜鉛に配位してホストの空孔を塞ぐ4,4’-bipyridineを添加すると、複合化したC60を解離させることが可能であった。

Figure 5[C60]/[8]=0 to 15 in benzene

 8や9とは対照的に、ポルフィリン同士を剛直なジアセチレンで架橋した10はソーレ帯の変化を示さず、効果的なC60の捕捉にはホストのinduced-fitが重要であることが推測された。そこで、NMRと結晶構造解析により捕捉の詳細を検討した。8単独の1H、13CNMRは複雑で、コンフォメーションの異なる複数の異性体の存在を示唆した。ここにC60を加えると、ホストのスペクトルパターンが単純化し、一つの構造に収斂するとともに、C6013Cシグナルが約3ppm高磁場シフトすることが分かった。また、9/C60複合体のX線結晶構造解析を行ったところ、C60とポルフィリンの効果的な接触を実現するため、ポルフィリン同士をつなぐヘキサメチレン鎖が折れたたまれていることが明らかになった(Figure6)。同時に、ポルフィリン面とC60の距離は2.7Åとファンデルワールス距離より短く、これは両者間の電子相互作用を反映した結果と考えられる。

 8や9はC70とも相互作用を行い、滴定の結果からはC60に比べさらに1桁以上高い会合定数であることが分かった。そこで、9を用い、C60/C70混合溶液からのC70の抽出について検討した。9に対してC60とC70の総和が10当量となる条件でC60とC70の割合を変化させ、ホストに捕捉されるC70の割合を調べた。その結果、例えば仕込んだC70が10%の条件でも9に捕捉されるC70は60%を越えることが分かった。また、捕捉されるC70の割合■は、会合定数の比から計算した値●とほぼ一致することも確認された(Figure7)。

図表Figure 6 / Figure 7 in %
2-2包接されたフラーレンの酸化還元活性

 ホストへの包接による電子状態の変化をC60について検討した。サイクリックボルタンメトリーにより、8の第一酸化電位とC60の第一還元電位の差は1.28Vとなり、大きな電荷移動は期待しにくい。一方、C60/8混合系では、800nm付近に弱いながらも新たな吸収の出現が観測され、弱い電荷移動相互作用の存在が示唆される。さらに混合系では、C60の第一還元電位は60mV負側にシフトし、8がC60の電子状態に摂動を与えていることが分かった。ポルフィリンの中心金属を置換するなどの手段でホストの電子供与性を調節することが可能であり、「超分子化学的なアプローチによるフラーレンの電子状態のfinetuning」への応用が期待される。

まとめ

 本研究では、ポルフィリンを電子の塊として用い、電子の相互作用を利用した電子系集積体の構築と機能開拓を行った。

審査要旨

 電子の相互作用は、新しい電子状態を生み出し、導電性、磁性、非線形光学特性などの新規物性の開拓に本質的な役割を果たす。また、光励起やレドックス等の物理的手法で相互作用が可変であるため、スイッチング機能を有する分子デバイスや分子機械の構築への利用が期待される。さらに、電子系の吸収が可視光領域にあるものが多いことから、分光学的なプローブとしても利用価値が高い。以上のような利点に対し、相互作用が弱いという欠点を併せ持っている。

 本研究では、大環状共役分子であるポルフィリンの強い電子相互作用に着目し、これをビルディングブロックとした新規な電子集積体の構築、機能開拓を行った。

 第一章では、サンドイッチ型ポルフィリン錯体(ダブルデッカー型錯体)のポルフィリン配位子のダイナミクスについての研究が述べられている。提出者は、錯体中、近接した二枚のポルフィリンの間にはたらく-相互作用の強度と配位子の運動性との相関に焦点を当てた。配位子の運動を評価するプローブとして、錯体の構造的特徴であるポルフィリン配位子同士の45度のねじれを利用し、分子不斉を有する錯体を設計した。錯体のキラリティーが配位子の相対的な回転により反転するという原理を元に、錯体の光学異性体を光学活性カラムを用いたHPLCで単離し、そのラセミ化挙動を円偏光二色性スペクトル測定にて追跡し、配位子の回転運動に関する知見を得ている。イオン半径が小さく、-相互作用がより強いジルコニウム錯体では回転運動が起きないのに対し、イオン半径がより大きく、相互作用の小さなセリウム錯体では回転が起きることを明らかにした。

 次に、上記の結果を踏まえ、-相互作用を錯体のレドックスで変化させ、配位子の回転運動の調節を検討している。セリウム錯体の金属イオンを還元すると、イオン半径が増大することにより-相互作用が減少し、配位子の回転が二桁以上起きやすくなることを明らかにした。また、ジルコニウム錯体では、ポルフィリン配位子の酸化によって、プロトン酸により誘起される回転が抑制されることを示した。提出者は、配位子の酸化により-相互作用が増大することと回転の抑制を対応づけることで説明した。

 第二章では、ポルフィリン環状二量体の設計とフラーレン類を電子の相互作用で捕捉するホストとしての機能評価が述べられている。提出者はある種のポルフィリン環状二量体がC60やC70を一分子取り込んだ包摂化合物を形成し、その会合定数は既存のフラーレンホストの値に比べ一桁から二桁高いことを見出した。この高い会合定数のため、カラムクロマトグラフィーによる包摂化合物の単離や、質量分析による検出が可能であった。さらに、核磁気共鳴や単結晶X線構造解析を用い、包摂化合物の構造を明らかにし、安定な包摂にはポルフィリン二量体のインデュースト・フィットが重要であることを述べている。

 また、C60とC70のポルフィリン二量体に対する親和性の違いを利用し、二量体がC70を選択的に抽出する能力があることを示した。さらに、内包されたフラーレンの電子受容能が低下すること、近赤外領域に弱いながらも新たな吸収が出現することから、ポルフィリンからフラーレンへの電荷移動が生じている可能性を述べている。

 以上の研究は、基礎科学的にも重要な幾つかの知見を新しく報告し、ポルフィリンをビルディングブロックとした電子集積体の構築の有用性を示した。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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