学位論文要旨



No 115229
著者(漢字) 浦野,千春
著者(英字)
著者(カナ) ウラノ,チハル
標題(和) スピネル型酸化物LiV2O4の重い電子挙動
標題(洋)
報告番号 115229
報告番号 甲15229
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4724号
研究科 工学系研究科
専攻 超伝導工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 助教授 辛,埴
 東京大学 助教授 朝光,敦
 東京大学 助教授 花栗,哲郎
内容要旨 1.はじめに

 最近LiV2O4の多結晶試料において、比熱、帯磁率などにいわゆる「重い電子系」的振る舞いが見られるという報告がなされ、注目を集めている。この物質の多結晶試料の電気抵抗は金属的な温度変化を示さない。この物質が本当に重い電子系であるということをいうためには、金属的な伝導を示す試料で測定した比熱、帯磁率を用いて議論することが不可欠である。本研究では、この物質の金属的な伝導を示す単結晶を合成し、輸送現象を中心に様々な物性を測定した。さらにこの物質で見られる重い電子系的挙動の起源について議論を行った。

2.実験結果

 実験に用いた単結晶試料は水熱法により合成した。単結晶試料の比熱C(T)の測定結果は多結晶試料のデータを本質的に再現した。図1bにLiV2O4の単結晶試料のC(T)/Tを温度Tに対してプロットしたものを示す。単結晶試料のC(T)/Tは20K以下において多結晶試料のデータとほぼ同様な温度変化を示すことがわかる。C(T)/Tの切片からおおざっぱに電子比熱係数を見積もると、350mJ/molK2程度と見積もられる。この値は近藤らが多結晶について得た値と比較すると17%小さい値である。それでもなおこの物質の電子比熟係数の値は通常の金属と比較して2桁程度大きい値であるという点においてはなんら変わりはない。

 帯磁率(T)の測定結果も多結晶試料の実験結果を本質的に再現することがわかった。図1cにLiV2O4の単結晶試料の(T)を示す。高温部分(100K<T<300K)からキュリー定数を見積もると、0.67cm3K/molとなる。この値は、バナジウムあたり、スビン1/2が一個ある値にほぼ対応する。30K前後からCurie-Weiss則から急激に逸れはじめ、多結晶試料と同様に16Kにおいて幅が広く小さいピークを持つ。さらに低温では有限な値に近づいていくように見えている。最低温における帯磁率の切片の値を有効質量の増大した準粒子によるパウリ常磁性磁化率と考えて、その値と電子比熱係数の値からWilson比を見積もると1.8程度となる。この値は電子相関の強い金属において典型的な値である。

 単結晶を用いて電気抵抗率を0.3Kまで測定した。図1aに示すように金属的な振る舞いを観測した。50Kより上の温度では直線に乗っているように見える。バナジウムあたりの形式電子数1.5を用いて電子の平均自由行稈を見積ると、200Kですでに平均自由行程はバナジウムイオン間距離よりも短くなってしまう。この物質は50K程度より上では金属的ではあるが、伝導は本質的にインコヒーレントである。30K前後で抵抗は急激に減少する。温度の低下とともにC(T)/Tが急激に増大しはじめ、(T)が急激にCurie-Weiss的振る舞いからはずれることと対応しているように見える。このことは重い電子系において、高温のインコヒーレントな伝導から低温でのコヒーレントな伝導に移行していく過程とよく似ているように見える。最低温では抵抗は有限の残留抵抗を持つ。0.300K付近までは超伝導は見られなかった。低温における電気抵抗の温度のベキに関する情報は基底状態に関する重要な情報を与える。フェルミ粒子の場合は粒子間の相互作用により、3次元の場合は温度Tあるいは励起エネルギーの2乗に比例した寿命が生じる。そのためフェルミ準粒子の電気抵抗には低温でT2に比例した振る舞いが見られる。電気抵抗の低温部をT2に対してプロットしたものを図2の挿図に示す。約2Kより下の温度においては抵抗率は温度の2乗に比例しており、基底状態がフェルミ液体になっていることを示している。T2項の比例係数Aは2cm/K2程度である。この値は通常の金属と比較して6桁程度大きい値である。このことは準粒子の有効質量がきわめて大きいことを示唆している。一般にフェルミ液体では電気抵抗のT2項の比例係数Aと電子比熱係数の2乗は比例関係にある(門脇・Woodsの関係)。電子比熱係数をバナジウムイオン一個当たりの値で定義すると、LiV2O4ではA/2はおよそ5×10-5cmK-2/(mJK-2mol-1)2という関係を満たすことがわかる(図2)。

 重い電子系的振る舞いが他の物性でも見られるかを見るためにホール係数の測定を行った。重い電子系のホール係数の温度変化は異常ホール効果によって磁化率の温度変化に対応して正値のピークを持つことが知られている。図1dにLiV 2O4のホール係数RHの温度変化の結果を示す。RHは高温ではあまり温度に依存していないが、温度の低下とともに50K前後で符号は負から正に変化する。50Kより下では温度の低下とともにRHは急激に増大し、12K付近で鋭いピークを持つ。RHのピークは帯磁率に対応しているように見える。

 ここまで見てきた全ての物理量の温度変化において、30K前後でインコヒーレントな金属からコヒーレントな金属へ移行するようにみえるような現象がみられている。このような振る舞いはいわゆる「重い電子系」と呼ばれる希土類化合物において観測される現象と極めて類似している。30K前後がこの物質の重い電子状態形成の特徴的温度スケールとなっていることがわかる。

 LiV2O4の重い電子状態形成の起源がf電子系と同じであるかは自明なことではない。f電子系では局在f電子と遍歴s-,p-,d-電子の近藤結合が重い電子状態形成に本質的な役割を果たすのに対し、LiV2O4の場合は物性に関わってくるのはバナジウムの3d電子だけだからである。LiV2O4の電気抵抗の高温部分にはf電子系との大きな違いが見られる。f電子系では電気抵抗は高温で高々200cmで飽和する。このことは電子の平均自由行程が格子定数程度より短くなれないためであると考えられる。それに対してLiV2O4の場合は室温付近では電子の平均自由行程は最近接パナジウム間距離よりも短くなるにも関わらず、電気抵抗が飽和するどころか反対に温度の上昇とともに急激に増大していく傾向が見られる(図1aの挿図)。室温付近より高温で見られる電気伝導は見かけ上は金属的には見えるが、普通の意味の金属とは異なっているということができる。興味深いことに、このような振る舞いはV2O3やNiS2-xSexなどのモット転移近傍の組成において、常磁性金属から常磁性絶縁体へクロスオーバーする現象と類似しているように見える。このことからLiV2O4は電子相関によって引き起こされる絶縁体相の近傍に位置していることが期待される。

 実際、高圧下の電気抵抗測定の結果はLiV2O4が絶縁体近傍にある金属であることを示しているように思える。図3にLiV2O4単結晶の電気抵抗の圧力依存性を温度の関数としてプロットしたものを示す。P=0.0,1.5,3.0,4.5GPa下では最低温付近まで、大きな圧力依存性はないように見える。4.5GPa以下の圧力領域では常圧下と同様にバナジウムのサイトは1種類であり、バナジウムイオン1個あたり1.5個の電子があることが期待される。6.0GPa以上の圧力を印加すると、100K付近から下の温度で劇的に抵抗が増大する。8.5GPaの圧力下ではT=0の極限まで電気抵抗は絶縁体的に発散的に増加していくように見えている。このことは圧力によって金属絶縁体転移が起きていることを示している。8.5GPa下で最低温までバナジウム当たりの電子数が1.5個のままであるとすると低温で見られる絶縁体的振る舞いを説明できない。8.5GPa下では低温でバナジウムの価数が3価と4価に分離する、一種の電荷秩序状態が実現していることが期待される。

 スピネル構造の特異性に起因した磁気的フラストレーションも重い電子状態発現に重要な役割を果たしていると考えられる。LiV2O4はスピン1のモット絶縁体であるZnV2O4にホールをドープしたものとみなすことができる。母体であるZnV2O4はスピンの自由度と軌道の自由度の絡み合いにより、複雑な相転移を示す。これらの物質は低温で立方晶から正方晶に構造相転移することによりt2g軌道の縮退が解ける。その結果磁気的フラストレーションが弱められ、構造相転移のすぐ下の温度で反強磁性的長距離秩序を持つ。ZnをLiで置換していくとすぐに構造相転移は消失する。母体で解けていた縮退がドーピングによって解けなくなるため磁気的フラストレーションが生き残り、低温でスピングラス転移を起こす。ZnをLiで完全に置換したLiV2O4は最低温まで金属であり、最低温まで生き残る電荷の自由度が最低温まで凍結されないスピンの自由度と、おそらくは軌道の自由度が絡み合い、重い電子状態形成に寄与しいると予想している。

 比熱の測定結果は上で述べた描像を支持しているように見える。LixZn1-xV2O4の多結晶試料の比熱の測定結果を図4に示す。図4の挿図はこのシステムの磁気相図である。測定に用いた試料のうち、x=1.0および0.0以外は低温でスピングラス転移を起こす。高温で生き残っていたスピンとそしておそらく軌道の自由度がスピングラス転移温度で凍結されはじめることが読み取れる。x=0.3ではC(T)/Tは降温とともにT-linearで減少していくように見えている。x=0.7,0.8,0.9においても同様の傾向が見られる。このような振る舞い通常のスピングラスで観測されるC(T)/Tがスピングラス転移温度以下でほとんど温度に依存しないことと大きく異なっている。C(T)/TがTに比例するという振る舞いは幾何学的フラストレーションの強いカゴメ格子で観測されている。LixZn1-xV2O4でも幾何学的フラストレーションの効果が強いことが期待される。x=1.0では最低温までエントロピーを放出し続けて巨大な切片を与えている。x=1.0では最低温まで遍歴的な電子によってスピンの自由度の凍結が抑えられて巨大な電子比熱係数を与えているように見える。

図表図1.LiV2O4単結晶の(a)電気抵抗、(b)比熱を温度で割ったもの、(c)帯磁率、(d)ホール係数の温度変化。(b)、(c)において破線は多結晶のデータを表す。 / 図2.p(T)におけるT2項の比例係数Aと電子比熱係数の値を様々なフェルミ液体についてプロットしたもの。挿図はLiV2O4のp(T)をT2に対してプロットしたもの。 / 図3.LiV2O4の電気抵抗の温度変化を様々な圧力下で測定した結果。 / 図4.LixZn1-xV2O4固溶体の比熱。挿図はこのシステムの磁気相図。AF,SG,PMはそれぞれ反強磁性、スピングラス、常磁性を表す。
3.おわりに

 LiV2O4単結晶を用いた実験から、この物質において有効質量の増大したフェルミ液体が形成されていることを示す結果が得られた。30K付近のコヒーレンス温度より下の温度における様々な物理量の温度変化はf電子系と極めてよく似ているように見える。それにもかかわらず、重い電子状態形成のメカニズムがf電子系と同じであるかどうかは自明でない。実際、電気抵抗の高温部で見られる振る舞いはf電子系のものとは大きく異なっており、LiV2O4が金属絶縁体転移近傍の金属であることを示すものである。高圧下で見られる金属絶縁体転移はこのことを支持しているように思われる。LiV2O4は磁気モーメントの幾何学的フラストレーションの影響が明らかであるスピングラス相に隣接している。幾何学的フラストレーションがスピンの揺らぎを高め、このことが巨大な電子比熱係数を与える原因となっている可能性がある。

審査要旨

 遷移金属酸化物を中心とする強相関電子系における新奇な物性の開拓は、今日の固体物性研究における中心的課題の一つである。本論文はスピネル型酸化物LiV2O4に着目し、そこに準粒子質量の極めて重いフェルミ液体状態(重い電子系)が形成されることを実験的に検証し、その起源をスピネル構造の特異性と強相関電子系に特徴的な三つの自由度-スピン、電荷、軌道-の絡み合いの観点から考察したものである。本文は全6章からなる。

 第1章は序論である。強相関電子系の物理の理論的・実験的研究の進展状況、スピネル型酸化物LiV2O4についての予備知識がまとめられ、本研究の具体的な目標設定とその意義が述べられている。

 第2章は実験方法の説明であり、試料の作製方法および物性測定の2つの部分から構成されている。前半では水熱合成法によるLiV2O4単結晶試料の合成方法、LixZn1-xV2O4多結晶試料の合成方法、が述べられている。後半では各種輸送現象および、熱力学的性質の測定方法について述べられている。

 第3章ではLiV2O4単結晶による熱力学的性質および輸送現象の測定結果について述べている。精密比熱測定によって、準粒子質量を反映する電子比熱係数が通常の金属と比較して2桁程度大きい値であることを示した。また、単結晶試料の電気抵抗が金属的に振舞うことを示し、本系の重い液体電子系状態の形成を確立する上で最大の問題点であった絶縁体的な電気伝導の振る舞いが、焼結体粒界の効果に起因することを明らかにした。さらに、低温での電気抵抗の振る舞いを詳細に解析し、比熱測定の結果が、重いフェルミ液体状態の形成を示すとの明確な実験的証拠を提示した。最後に測定したすべての物性パラメータを俯瞰し、輸送現象、磁性、熱にわたる幅広い物性に普遍的に30K前後でクロスオーバ挙動が見られることを示し、この温度がLiV2O4における重い電子状態形成の特徴的温度スケール(コヒーレンス温度)であると指摘している。

 第4章では、LiV2O4における重い電子状態形成の起源と密接に関連した実験結果を提示し、局在f電子が主役を担う高密度近藤系と比較しながら議論している。コヒーレンス温度より十分高温における電気抵抗の振る舞い(第4.1節)および電気抵抗の圧力効果(第4.2節)が高密度近藤系とは本質的に違うことを示し、新しい機構に基づいて異常に重い準粒子が形成されていると推定した。第4.3節ではLixZn1-xV2O4の比熱の測定結果から、スピネル構造の特異性に起因する磁気的フラストレーションの効果と重い電子状態形成の密接な関連を示した。

 第5章では第4章での議論を踏まえて、第3章および第4章で見たさまざまな実験結果を再検討し、第4.3節で議論した「磁気的フラストレーション」に加えて、「電荷秩序に対する不安定性」および「軌道縮退の効果」という要素が複雑に絡み合いLiV2O4における重い電子状態が形成されると結論した。

 第6章はまとめで、本研究で得られた成果を要約している。

 以上述べたように、本研究は強相関電子系に特徴的なスピン・電荷・軌道の自由度の複雑な絡み合いによって生じるエキゾチックな量子凝縮相の典型例として、スピネル型酸化物LiV2O4を確立し、新奇な電子物性の発現の舞台としての強相関遷移金属酸化物の有するポテンシャル大きさを改めて浮き彫りにした。これらの成果は、物質科学さらに工学の発展に寄与するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54740