学位論文要旨



No 115237
著者(漢字) 伊藤,純一
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ジュンイチ
標題(和) イネにおける葉の分化様式の発生遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 115237
報告番号 甲15237
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2082号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 岸野,洋久
 東京大学 教授 内宮,博文
 東京大学 助教授 平野,博之
 東京大学 助教授 森田,茂紀
内容要旨

 植物のシュート構築に中心的な役割を果たしているのが茎頂分裂組織(SAM)であり、その分化、維持機構に関する研究が精力的に行われている。しかし、シュートの形を支配する重要な要因である葉の分化様式(葉序、葉間期)に関する遺伝学的解析はほとんど行われていない。そこで本研究では、葉原基の分化様式が異常となったイネの3種類の変異体を用い、SAMの構造と葉原基の分化様式(葉序、葉間期)の関係を明らかにするとともに、シュートの重要な構成要素である葉の形態形成がどのような遺伝的プログラムによって制御されているのかを明らかにすることを目的とした。

1、野生型イネ及びイネ科植物の葉の構造

 まず、野生型の葉の発生過程を、走査型電子顕微鏡を用いて観察した。その結果、三日月状、フード状、三角錐状の葉原基を経て、葉舌を分化し、葉身を急激に伸長させた後、葉鞘の伸長を盛んにするという野生型の葉の発生過程を、3次元的に観察することができた。また、22種のイネ科の葉身と葉鞘の向軸面と背軸面を走査型電子顕微鏡で観察した。葉鞘の向軸面はすべてのイネ科植物で極めて類似した表面構造をしていたが、それ以外の3種類の表面構造は、種によって非常に多様であった。次に、葉鞘向軸面を除く3つの表面構造の類似性に基づいて、葉の表面構造を5つのタイプに分類した。多くのイネ科植物種では、1つの葉の領域が他の領域と類似した表面構造をしており、これら4つの領域は表面構造の決定において独立ではないことが示唆された。一方、5つのタイプとイネ科の分類群との間に明白な関連は認められなかった。今回の解析では、葉身と葉鞘の境界にできる葉舌の構造も同時に観察したが、葉舌の構造と葉身、葉鞘の表面構造との間に相関関係は認められなかった。

2、葉間期を制御するPLASTOCHRON1遺伝子の解析

 葉間期が短くなる変異体plastochron1-1(pla1-1)、pla1-2を同定し、それらの表現型について解析を行った。pla1-1は栄養生長期において葉原基を約2倍の速さで分化することが明らかになった。pla1-2もほぼ野生型の2倍の速さで葉を分化したが、その速度はpla1-1よりも遅かった。次に野生型及びpla1-1におけるSAMの幅、高さをそれぞれ調査した。SAMの形(高さ/幅)は野生型と変わらなかったものの、幅、高さはともに大きかった。従って、葉間期の制御にはSAMの大きさが重要であることが明らかになった。次に、SAMに対して、細胞分裂のS期に特異的に発現するhistone H4遺伝子をプローブとしたin situ hybridizationを行ったところ、pla1のSAMでは野生型に比べて多くの細胞でシグナルが認められ、SAMでの細胞分裂も葉原基の分化速度に比例して増加していることが確認された。pla1では野生型と同じ時期に止葉が分化し、続いて1次枝梗原基がらせん生で形成された。即ち、pla1の生殖生長の開始は野生型と変わらなかった。しかし、pla1-1では穂の代わりに複数のシュートが抽出した。そのときの幼穂を観察したところ、本来1次枝梗に分化するはずの原基が、シュートに転換していた。しかし、中心部には2次枝梗分化期に特異的に分化する苞毛が観察され、pla1-1では生殖生長期のプログラムと栄養生長のプログラムが同時に発現していることが明らかになった。一方、pla1-2でもpla1-1と同様に、一次枝梗原基のシュートへの転換が確認された。しかし、シュートに転換した1次枝梗は基部の2、3原基に限られ、上部の原基からは正常な1次枝梗が形成された。従って、栄養生長期と同様に、生殖生長期でもpla1-2は弱い表現型を示すことが明らかになった。

 以上の結果から、pla1は葉間期を短くするとともに栄養生長期を延長するヘテロクロニー突然変異であることが明らかになった。また、葉間期の短縮と栄養生長期の延長の程度がいずれも2つの対立遺伝子の強弱と対応していたことから、葉間期と栄養生長期の長さは相互依存的に制御されており、pla1では葉間期が短縮することによって、栄養生長期が延長したものと考えられる。PLA1遺伝子は葉の生産を抑制するとともに、栄養生長期の長さ、もしくは終わりを決定するシュート構築に重要な遺伝子であると考えられる。

3、葉序を制御するDECUSSATE遺伝子の解析

 葉序が異常となるdecussate(dec)変異体を用いて、SAMと葉序及び葉の形態形成との関係について解析を行った。dec変異体は、胚、根、茎などで細胞の形態異常を示したが、最も顕著な異常は葉序で認められた。栄養生長初期の約半数の個体で葉序が互生から十字対生に転換した。残りの個体もいろいろな程度の葉序の異常を示した。しかし、ファイトマー当たりの葉間期は野生型とdec変異体で変わらなかった。このときのSAMを観察したところ、その高さは野生型と変わらなかったが、幅が野生型の約2倍であった。従って、DEC遺伝子は、胚発生後期から栄養生長初期でSAMの形、大きさを維持することによって、葉序の制御をしていると考えられる。また、dec変異体の発芽後1週間目のSAMでは、histone H4を発現している細胞数が野生型の3倍以上になっており、dec変異体のSAMは野生型に比べ非常に高い細胞分裂活性を保持していることが明らかになった。dec変異体の葉序は、2〜3対の葉を十字対生で分化した後、発芽後約2週間で互生へ戻ったが、その後約6ヶ月ですべての個体が枯死した。これらのことから、DEC遺伝子はライフサイクル(胚発生から栄養生長後期まで)を通じて機能していると考えられる。

 dec変異体では葉の形態も異常であった。最初に対生で出現した2枚の葉は、いずれも第2葉側の領域の生長が第3葉側の領域よりも著しかった。また、野生型では葉身-葉鞘の境界は葉の長軸に対して直角にできるのに対して、これらの葉では斜めにずれて形成されていた。更に、そのずれ方には規則性があり、これら2つの葉の葉身-葉鞘境界はシュートの中で同じ方向にずれていた。このことから葉の葉身-葉鞘境界の決定と葉の発生位置との間には密接な関係があることが明らかになった。

4、葉序、葉間期を制御するSHOOT ORGANIZATION遺伝子の解析

 葉原基の分化様式(葉序及び葉間期)と葉の形態が異常となる変異体が、3遺伝子座(SHO1〜SHO3)を含む12系統得られた。これらは発芽初期に多数の糸状の葉をランダムな葉序で分化するが、多くの変異体は栄養生長後期にはほぼ正常になった。発芽後1週間目の幼苗について、SAM構造(高さ、幅、高さ/幅、体積)と、葉原基の分化様式(開度、葉間期、葉序のエントロピー)を調査した。SAMの形は個体間の変動が大きかったが、野生型に比べ扁平なものが多く、葉序は不規則であった。また葉間期は短く、一日前後のものが多かった。野生型を含む合計50個体のデータについて、SAMの構造と葉原基の分化様式との関係を解析したところ、葉原基の形質に対してSAMの高さ/幅の値が最も高い相関を示した。このことはSAMの構造と葉原基分化様式(葉序及び葉間期)との間には密接な関連があり、葉原基の分化にはSAMの形が最も重要であることを示唆している。

 更に、sho変異体の発芽後1週間目のSAMにおけるhistone H4の発現パターンを観察した。その結果、sho変異体のSAMでは、野生型に比べ、多数の細胞でhistone H4の発現が観察された。イネホメオボックス遺伝子OSH1はSAMで発現するが、葉原基及びその予定領域(P0)では発現が抑制されることが知られている。sho変異体のSAMでは、その発現パターンは一定ではなく、発現領域が大きく減少しているもの、発現の抑制領域がいくつかに分かれているものなどが観察された。これらのことから、sho変異体では、SAMの葉原基となり得る領域が野生型よりも大きいことが明らかになった。またSAMでの細胞分裂活性の増加も、多くの細胞が、葉原基としての分裂活性を持った結果によるものと考えられる。これらの結果から、SHO遺伝子はSAMの構造を維持し、葉原基分化を非常に早い段階から時間的、空間的に制御する、シュート構築に重要な遺伝子であると考えられる。

 次に、栄養生長後期におけるsho2変異体の葉の発生過程について解析した。sho2は、栄養生長初期においては多数の糸状の葉を不規則な葉序で発生したが、栄養生長後期になると葉序は1/2互生へと戻った。しかし葉の形態は、糸状の葉、葉身が2又、3又に分かれている葉など非常に多様であった。これらの葉の発生過程を解析したところ、互生で分化する1つの葉原基が、発生の初期に分岐したものであることがわかった。従って、イネの葉は、中心部-周縁部方向にcentral、lateral、marginalの3つの領域に分けることができ、sho2では、central領域に比べlateral及びmarginal領域の発生が遅れる、または止まることによって、様々な形態の葉が形成されるものと推測された。

 以上、本研究は、イネの葉の分化様式(葉序、葉間期)を制御する3種類の遺伝子を同定、解析し、葉原基分化の時間的、空間的制御に対するSAMの構造の重要性を明らかにしたものである。

審査要旨

 植物のシュート構築に中心的な役割を果たしているのが茎頂分裂組織(SAM)であり、SAMからの葉の分化様式(葉序、葉間期)がシュートの形を決定するときの重要な要因である。本研究は、葉原基の分化様式の異常を示すイネの3種類の変異体を用い、SAMの構造と葉原基の分化様式(葉序、葉間期)との関係を解明するとともに、葉の形態形成を制御する遺伝的プログラムを明らかにすることを目的として行ったものである。

 まず野生型イネの葉の発生過程と表面構造を走査型電子顕微鏡を用いて3次元的に観察した。また、22種のイネ科植物の葉身、葉鞘それぞれの向軸、背軸の4種類の表面構造を調査し、多くのイネ科植物種では、少なくとも2つの表面構造が類似しており、これら4種類の葉の表面構造は必ずしも独立に決定されているのではないことを示した。

 続いて、変異体を用いて葉の分化様式の遺伝的制御機構を解析した。葉間期が短くなる変異体pla1-1とpla1-2を同定し、解析した。pla1は栄養生長期において葉原基を約2倍の速さで分化した。その時のSAMの形は野生型と変わらなかったものの、幅、高さはともに大きかった。従って、葉間期の制御にはSAMの大きさが重要であると考えられる。細胞周期のS期に発現するhistone H4を用いてpla1のSAMでの細胞分裂活性を調査したところ、葉原基の分化速度に比例して活性化していた。pla1の生殖生長の開始時期は野生型と変わらなかったが、pla1では1次枝梗原基がシュートに転換し、穂の代わりに複数のシュートが抽出した。しかし2次枝梗分化期に特異的に分化する苞毛も観察され、pla1では生殖生長期のプログラムと栄養生長のプログラムが同時に発現していることが明らかになった。従って、pla1は葉間期を短くするとともに栄養生長期を延長するヘテロクロニー突然変異であることが明らかになった。

 次に、葉序が異常となるdec変異体を用いて、SAMと葉序及び葉の形態形成との関係について解析した。dec変異体ではライフサイクルを通じて多面的な異常が見られたが、約半数の個体で栄養生長初期に葉序が互生から十字対生に転換した。しかし、ファイトマー当たりの葉間期は野生型とdec変異体で変わらなかった。このときのSAMは大きく、扁平であった。従って、DEC遺伝子は栄養生長初期でSAMの形、大きさを維持することによって、葉序の制御をしていると考えられる。dec変異体は葉にも異常を示し、葉身-葉鞘の境界が葉の長軸に対して斜めにずれて形成されていた。またそのずれ方には規則性があり、葉身-葉鞘境界の決定と葉の発生位置との間には密接な関係があった。

 葉の形態及び葉序、葉間期が異常となる3遺伝子座に由来するsho変異体を解析した。これらは発芽初期に多数の糸状の葉を不規則な葉序で分化した。このときのSAMは、高さは低いが幅の広い扁平なものが多かった。SAMの構造と葉原基の分化様式との関係を解析したところ、葉原基分化のパラメータに対してSAMの高さ/幅の値が最も高い相関を示し、葉原基の分化にはSAMの形が最も重要であると考えられる。sho変異体の発芽後初期におけるSAMの細胞分裂活性を調査したところ、野生型よりも活性化されていた。またイネホメオボックス遺伝子OSH1の発現パターンを調べたところ、sho変異体のSAMでは、野生型に比べてOSH1の発現領域が狭くなっていた。すなわち、sho変異体では、SAMの中で葉原基となり得る領域が野生型よりも拡大していた。従って、SHO遺伝子はSAMの構造を維持し、葉原基分化を時間的、空間的に制御する遺伝子であると考えられる。sho変異体の異常は栄養生長後期になると次第に消失し、葉序も1/2互生へと戻った。しかしその過程での葉の形態は非常に多様であった。これらの葉の発生過程を詳細に解析することにより、イネの葉には中心部-周縁部方向にcentral、lateral、marginalの3つの領域が存在し、shoでは、central領域に比べlateral及びmarginal領域の生長が遅れたり、停止することによって、様々な形態の葉が形成されることが明らかになった。

 以上、本研究は、葉の分化に関わる3種類の変異体を用いて、イネの葉の分化様式(葉序、葉間期)の時間的、空間的制御機構を明らかにするとともに、葉原基分化に対するSAMの構造の重要性を指摘したものであり、学術上、応用上価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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