ミトコンドリアは「かつて原核生物として独立して生存していたが、進化の過程で真核細胞に共生し、現在オルガネラとして取り込まれて機能している」興味深いオルガネラである。さらに植物ミトコンドリアは他の生物のミトコンドリアには存在しない興味深い特徴として「RNAエディティング」や「オールターナティブ系の呼吸経路」など種々見られる。そのため「植物」への理解を深めるためには、植物ミトコンドリアについても研究する必要があり、私は植物ミトコンドリアの機能に関わる遺伝子についてイネを材料にして解析した。 (1)ミトコンドリアゲノムにコードされたアポチトクロームb(cob)遺伝子のRNAエディティング 植物のミトコンドリアゲノムにコードされた遺伝子からmRNAを合成する時に、RNAエディティングというある特定部位のシトシンをウラシルに変換する転写後修飾機構が知られている。本研究ではイネ(品種:日本晴)のミトコンドリアゲノムにコードされた電子伝達系の複合体III(チトクロームbc1複合体)を構成するアポチトクロームbの遺伝子(cob遺伝子)について、RNAエディティングの実体を調べた。 既に決定されていたイネ(品種:台中65号)のcob遺伝子のゲノムDNAの塩基配列をもとにプライマーを設計し、イネ(品種:日本晴)から抽出した全DNAもしくはミトコンドリアRNAを鋳型にPCR法を利用して、ゲノムDNAクローンと複数のcDNAクローンを作製し、これらの塩基配列を比較することによって、イネのcob遺伝子のRNAエディティングを調べた。この結果19ヶ所でシトシンからウラシルへ変化することが確認された。これらの変化の内16ヶ所でゲノムDNAから予想されるアミノ酸配列が変わり、修飾後のRNAの塩基配列から推定されるアミノ酸配列が、多くの生物のアポチトクロームbタンパク質のアミノ酸配列と相同性が高まることが確認された。それ故RNAエディティングは、ミトコンドリアゲノムに起きたチミン→シトシンの突然変異の影響を除くための修正機構として機能していることが確認された。またpartialeditingやexcess editingも示唆された。cob遺伝子のRNAエディティングを植物間で比較すると、調べられているすべての植物で保存されているRNAエディティング部位や単子葉植物でのみ保存されているもの、双子葉植物でのみ保存されているものが観察されたが、植物種による特異性も見られた。 (2)alternative oxidase(AOX)遺伝子の構造と発現 ミトコンドリアには、クエン酸回路等で作られたNADH,FADH2の持つ還元力の源である電子をO2へ伝達する電子伝達系が存在する。一般に生物はチトクローム系という経路を通して、この還元力を生体エネルギーであるATPの合成に要するエネルギーとして利用している。しかし植物ではこのチトクローム系のほかに、ATP合成を伴わないオールターナティブ系という経路を持つことが知られている。このオールターナティブ系は、チトクローム系を阻害する薬剤であるシアンに非感受性な経路として植物に存在することが昔から知られていたが、現在のところこの経路の存在意義はあまり分かっていない。このオールターナティブ系は単一酵素alternative oxidaseによって構成されている。低温処理により複数の植物でオールターナティブ呼吸経路が活性化することが知られており、タバコとトウモロコシではタンパク質レベルでalternative oxidaseが誘導されていることが報告されている。本研究では本来熱帯性植物で低温に弱いイネを材料にして、このalternative oxidaseの2つの遺伝子を単離し、さらにこれら遺伝子の転写の低温誘導性について解析した。 シロイヌナズナのAOX1a遺伝子と相同性のあるイネのESTクローンの塩基配列を決定し、これをイネのAOX1a遺伝子と名付けた。次にこのイネのAOX1a遺伝子のゲノムDNAにおける配列を決定するために、このAOX1a遺伝子を含むゲノムDNAクローンを単離し塩基配列を決定したところ、AOX1a遺伝子の約1.9kb上流にもう一つのAOX遺伝子(AOX1b)が存在した。このAOX1b遺伝子についてもcDNAクローンの塩基配列を決定した。ゲノムDNAとcDNAの塩基配列の比較から、AOX1a遺伝子は他の植物のAOX遺伝子と同様に4つのエキソンから構成されているが、AOX1b遺伝子では3つのエキソンから構成されていることがわかった。AOX1a,AOX1b遺伝子はそれぞれ332,335アミノ酸からなるORFを持っていた。AOX遺伝子から推定されるアミノ酸配列を植物間で比較したところ、イネのAOX1aタンパク質は他の植物のAOXタンパク質の特徴を持っていたが、AOX1bタンパク質は酸化・還元による活性の調節や-ケト酸による活性化に関わると言われているシステインに変異が見られた。またGenomic Southern hybridizationにより、イネにはこのタンデムに並んだ二つの遺伝子以外に複数のAOX遺伝子が存在していることが分かった。低温処理(4℃)を施したイネの芽生えから抽出した全RNAを用いてNorthern hybridizationを行った結果、AOX1a,AOX1b遺伝子の転写産物の蓄積量は共に低温で増加することがわかった。AOX1a,AOX1b両遺伝子の転写誘導のパターンに違いは見られず、2日目に転写産物の蓄積が確認され、4日目にピークに達した。 (3)de novoピリミジン合成系遺伝子の構造解析及び発現解析 ミトコンドリアの主な機能は前述のように酸素呼吸である。しかしミトコンドリアは酸素呼吸以外にも生物として必要な機能を果たしている。その内の一つにde novoピリミジン合成がある。この合成系では反応の一部をミトコンドリアで行っている。de novoのピリミジン合成系に関わる酵素反応はあらゆる生物で共通していると言われ、この合成系は6つの酵素反応から構成されている。植物ではこの合成系を担う酵素の局在に特徴があり、4番目の酵素dihidroorotate dehydrogenase(DHOdeHase)は多くの真核生物と同様にミトコンドリアに局在しているが、他の酵素は植物にしか存在しないオルガネラであるプラスチドに局在していると考えられている。そのため植物がピリミジンをde novo合成するためには、二つのオルガネラが共同して働かなくてはならない。それ故植物では動物や酵母以上に複雑な調節システムが必要であると思われる。しかし残念なことに、植物でのこのde novoピリミジン合成系の調節に関する研究はほとんどなされていない。このような研究は植物ミトコンドリアの機能を詳細に把握するのに大いに役立つと思われる。そこで私はイネにおいてこのde novoピリミジン合成系を研究した。 ミトコンドリアに局在すると言われるDHOdeHaseとプラスチドに局在すると言われているaspartate carbamoyl transferase(ACTase),UMP synthase(UMPSase)の3つの酵素の遺伝子をイネで同定した。Genomic Southern hybridizationにより、イネゲノム中ACTase,DHOdeHase遺伝子は単一コピーの遺伝子であるが、UMPSase遺伝子は2コピーの遺伝子であることが確認された。ACTaseとDHOdeHaseの遺伝子はそれぞれ363,470アミノ酸からなるORFを持っていた。UMPSaseの遺伝子については、UMPS1遺伝子は477アミノ酸からなるORFを持っていたが、UMPS2遺伝子は306アミノ酸からなる短いORFを持っていた。UMPS2遺伝子の開始コドンの上流は、UMPS1遺伝子のタンパク質コード領域の塩基配列と相同性が確認され、155塩基の欠失と1塩基の付加が確認された。そもそもUMPSaseはde novoピリミジン合成系の最後の2つの反応を担うorotate phosphoribosyl transferase(OPRTase)とorotidine 5’monophosphate decarboxylase(OMPdeCase)の活性を持つ酵素である。他の生物のUMPSaseやSaccharomyces cerevisiaeのOPRTaseとOMPdeCaseの推定アミノ酸配列の比較から、UMPSaseはN末端側にOPRTase、C末端側にOMPdeCaseに相同な領域を持っている事が確認された。このことからUMPS2タンパク質はたとえタンパク質として発現していたとしても、OPRTase活性を欠失した不完全なタンパク質であると思われる。さらにNorthern hybridizationによってこれらの遺伝子の転写を調べたところ、これらの遺伝子は芽生えではほぼ恒常的に発現することを確認した。N末端領域に欠失を持っているUMPS2遺伝子も転写が確認された。ACTaseとDHOdeHaseの遺伝子の5’上流配列には類似した配列が存在するので、両遺伝子に共通した転写調節機構が存在すると思われる。 以上植物ミトコンドリアの持つ様々な特徴に対する知見が得られ、理解が深められた。植物ミトコンドリアは他の生物のミトコンドリアには存在しない興味深い特徴が見られるので、「植物」への理解を深めるためには動物等で行われているミトコンドリアの研究とは異なる「植物ミトコンドリア独自の性質」について更なる研究が求められている。 |