学位論文要旨



No 115239
著者(漢字) 河津,圭
著者(英字)
著者(カナ) カワズ,ケイ
標題(和) コブノメイガの性フェロモンと配偶行動に関する研究
標題(洋)
報告番号 115239
報告番号 甲15239
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2084号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 助教授 久保田,耕平
 東京大学 助教授 石川,幸男
内容要旨

 コブノメイガ Cnaphalocrocis medinalis は、アジア・オセアニア・アフリカの熱帯から温帯に広く分布する重要なイネの害虫である。本種の雌性フェロモンとしてはこれまでにインド産とフィリピン産の個体をもとに2種のモノエンアセテート成分、(Z)-11-ヘキサデセニールアセテート(Z11-16:Ac)と(Z)-13-オクタデセニールアセテート(Z13-18:Ac)が報告されている。インド産とフィリピン産の両者の間には性フェロモンに地理的変異が存在し、インド産ではZ13-18:AcとZ11-16:Acの比率が90:10(以後インドブレンド)であるのに対し、フィリピン産では2:98(以後フイリピンブレンド)と報告されている。一方、日本産コブノメイガの性フェロモンについては予備的解析の結果、上記の2成分は検出されず、それに代わり(Z)-13-オクタデセナールをおもな成分とする異なった性フェロモンシステムを持つ可能性が示唆された。本研究では日本産コブノメイガの雌性フェロモンの同定を行い、性フェロモンが関与する配偶行動とそれに及ぼす環境の影響を調査した。

1雌性フェロモンの同定

 未交尾雌ガの性フェロモン腺抽出物を触角電図検出器装着ガスクロ-マトグラフイー(GC-EAD)で分析すると、雄ガに触角電位反応(EAG反応)を引き起こすおもなピークに対応する4個のFIDピーク(以下ピークA,B,C,D)が検出された。抽出物をシリカゲルカラムクロマトグラフィーで分離すると、5%エーテル/ヘキサン画分にピークA,Bが、15%エーテル/ヘキサン画分にピークC,Dが溶出した。ガスクロマトグラフ質量分析(GC-MS)の結果、ピークA,Bは同一のマススペクトルを与え、これらはm/z266の分子イオンピーク(M+)とM+-18のイオンピークを含むこと、および他の開裂イオンのパターンから、ピークA,Bは炭素数18のモノエンアルデヒド(オクタデセナール)であると推定された。一方、ピークC,Dも上とは別の同一のマススペクトルを与え、m/z250の開裂イオンピークの存在および開裂イオンパターンから、ピークC,Dは炭素数18のモノエンアルコール(オクタデセノール)であると推定された。つぎにオクタデセナールおよびオクタデセノールの二重結合の位置を明らかにするために、DMDS付加誘導体のマススペクトル解析を行った。その結果ピークAは11位に、ピークBは13位に、ピークCは11位に、ピークDは13位にそれぞれ二重結合を持つことが推測された。そこで雌抽出物と合成品とを極性の異なる2種類のカラムを用いてガスクロマトグラフィー分析を行い、保持時間を比較したところ、いずれのカラムでも活性ピークの保持時間は二重結合の立体配置がシス体である合成品ピークと一致した。以上の結果からピークA,B,C,Dはそれぞれ(Z)-11-オクタデセナール(Z11-18:Ald)、(Z)-13-オクタデセナール(Z13-18:Ald)、(Z)-11-オクタデセノール(Z11-18:OH)、(Z)-13-オクタデセノール(Z13-18:OHと同定され、これらの存在比率は11:100:24:36であった。合成品を用いて以上4成分の性フェロモン活性を室内および野外における生物検定により調べた。室内生物検定ではZ13-18:Aldだけで弱い誘引活性が示されたが、野外生物検定ではZ13-18:Ald単独では誘引活性は認められず、Z13-18:AldとZ11-18:Aldの混合物に顕著な誘引活性が認められた。以上からアルデヒド2成分は性フェロモンの必須成分と考えられた。アルコール2成分自体には性フェロモン活性は認められなかったが、これらをアルデヒド2成分に付加したところ、性フェロモン活性の増強が認められたことから、アルコール2成分は協力成分と考えられた。これらの結果から、同定された4種の成分は日本産コブノメイガの雌性フエロモンの構成成分であり、性フェロモンはこれらの成分が上記比率で混合されたもの(以後、日本ブレンド)であることが結論できた。

 室内生物検定によって、同定された4成分と未交尾雌性フエロモン腺の粗抽出物活性を比較したところ、4成分の方が活性が低かったことから、協力作用を持つ未知成分の存在が示唆された。雌の粗抽出物をシリカゲルカラムクロマトグラフイーで分離し、得られた各画分を4成分に加えて生物検定を行ったところ、ヘキサン画分を加えた場合にだけ粗抽出物と同等の高い活性がみられた。そこでヘキサン画分を硝酸銀シリカゲルカラムクロマトグラフイーで分離し、飽和炭化水素類、モノエン炭化水素類、ジエン炭化水素類、トリエン炭化水素類をそれぞれ含む4つの画分を得た。各々を4成分に加えて室内生物検定を試みたところ、飽和炭化水素類を含む画分にだけ活性を上昇させる作用が認められた。飽和炭化水素類を含む画分をGC-EADで分析するとEAG反応を引き起こす明瞭なピークが1個検出されたが、このピークに相当するFID上のピークは認められず、この成分はきわめて微量な成分であると考えられ、GC-MSで分析を試みたが構造に関する情報を持つマススペクトルは検出されなかった。一方、粗抽出物から得た飽和炭化水素類を含む画分をGC-MS、GCで分析し、炭素数19から31までのすべてのn-アルカンの存在を確認したが、室内生物検定の結果これらの物質には活性を高める効果はみられなかった。しかしGC-EAD分析の際、未知成分の保持時間はn-エイコサンのそれにきわめて近かったことから、未知成分は総炭素数20で側鎖を持つ飽和炭化水素ではないかと推定された。

2性フェロモンの地理的変異

 日本産コブノメイガ雌からはインド産、フィリピン産コブノメイガで報告されたアセテート2成分は検出されず、また室内生物検定によっても日本産コブノメイガの雄はインドブレンド、フィリピンブレンドいずれに対しても反応性を示さなかった。1997-99年までに東北から南西諸島までの日本の各地、および中国杭州で、日本ブレンド、インドブレンド、フィリピンブレンドの野外における誘引性を調査したところ、雄の捕獲がみられたいずれの場所においても日本ブレンドだけに誘引性が認められた。これらの結果から日本にはインドブレンドおよびフィリピンブレンドに反応する雄は飛来しないと考えられ、日本に飛来する本種個体群の性フェロモンのタイプは単一である可能性が高い。本研究の結果により、コブノメイガの性フェロモンにみられる地理的変異は例外的に大きなものであることが明らかになったが、各変異集団が同一種なのか別種であるのかは今後の重要課題である。また、飛来源に含まれる中国杭州でも日本ブレンドだけに雄が捕獲されたことは、日本へのおもな飛来源が中国南東部であるとする仮説を支持するものである。なお1998-99年には、南西諸島においてフィリピンブレンドとインドブレンドに多数の雄が捕獲されたが、精査の結果これらはコブノメイガに形態が酷似する同属の近縁種、ハネナガコブノメイガC.pilosaであることがわかった。

3配偶行動に影響する環境要因

 孵化直後から種々の照明条件、すなわち全暗、全明、長日、短日条件下で飼育したガのコーリング行動および交尾行動の時間的変化を観察した。全明、全暗条件下ではこれらの行動はほとんどあらわれず、観察された例には時間的な規則性は認められなかった。一方、明暗周期下では、コーリング行動および交尾行動が活発に行われ、またこれらには明瞭な時間的規則性が認められた。すなわち短日、長日条件ともコーリング行動および交尾行動とも暗期後半に集中した。またこれらの行動が最も活発に行われる日齢は羽化後3-7日齢であった。以上の事から、明暗周期の存在がコーリング行動および交尾行動の発現を促進するが、日長の差はあまり影響しないことがわかった。なお長日条件下で性フェロモン腺中のフェロモン含量、および雄ガの性フェロモンに対する反応性を調べたが、これらもコーリング行動や交尾行動とほぼ同様の時間的変化を示した。

 コブノメイガは休眠性を持たず、南西諸島の一部を除き日本では越冬は不可能とされていることから、日本では毎年海外から飛来するとする説が広く受け入れられている。したがって移動性があることが示唆されているが、移動性の発現に影響する環境条件についてはよくわかっていない。そこで配偶行動を可能にする性成熟が移動にともなって遅れる要因を調べた。光周期、温度、生息密度、餌の栄養価の影響を調べたところ、高温条件で飼育した場合に、性成熟期間に遅延が認められた。この結果からコブノメイガは幼虫期/蛹期の高温にさらされると羽化後の性成熟期間に遅延を起こし、その間に移動が起こる可能性が示唆された。

 以上要するに、本研究では日本産コブノメイガの雌性フェロモン成分4種を同定し、これらの混合物が本種の発生調査に有効に利用できることを示した。また、これらの成分の他に特異な協力作用をもつ微量成分の存在を突き止めた。同定した成分はインド産とも、フィリピン産とも異なっており、広域に分布する本種は生息地域により性フェロモン成分の比率や組成を異にする複数の集団に分かれている可能性が示された。配偶行動に及ぼす環境要因の影響を調査した。とくに照明条件が行動の時間的規則性を強く支配すること、幼虫期からの高温によりコーリング行動に遅れを生じることなど重要な事実を明らかにした。

審査要旨

 コブノメイガCnaphalocrocis medinalisは、アジアに広く分布する重要なイネ害虫である。本種の雌性フェロモンは(Z)-11-ヘキサデセニールアセテート(Z11-16:AC)と(Z)-13-オクタデセニールアセテート(Z13-18:Ac)の2成分がインド産とフィリピン産で報告されているが、両者の間には成分の比率に地理的変異が存在する(以下、インドブレンドとフィリピンブレンド)。一方、日本産では予備的解析から(Z)-13-オクタデセナールを含む異なった性フェロモンを持つ可能性が指摘されていた。本研究は日本産コブノメイガの雌性フェロモンを同定して、本種の性フェロモンの地理的変異を考察し、さらに性フェロモンが関与する配偶行動とそれに及ぼす環境の影響を解明したものである。

1雌性フェロモン成分の同定

 性フェロモン腺抽出物をGC-EAD分析し、EADピークに対応するFIDピーク(A、B、C、D)を検出した。GC-MS分析の結果、AとBはオクタデセナール、CとDはオクタデセノールと推定され、標準物質のスペクトルにより確認された。つぎに、DMDS付加誘導体のGC-MS解析から、AとCは11位に、BとDは13位にそれぞれ二重結合を持つことがわかった。二重結合の立体構造はガスクロマトグラフィー分析によるといずれもシス体であった。以上からA、B、C、Dはそれぞれ、(Z)-11-オクタデセナール(Z11-18:Ald)、(Z)-13-オクタデセナール(Z13-18:Ald)、(Z)-11-オクタデセノール(Z11-18:OH)、(Z)-13-オクタデセノール(Z13-18:OH)と同定された。これら4成分の性フェロモン活性を野外試験で調べたところ、単独では活性は認められず、Z13-18:AldとZ11-18:Aldの混合物に顕著な誘引活性が認められ、アルデヒド2成分を性フェロモンの必須成分と判断した。アルコール2成分を添加するとアルデヒド2成分の活性が増強され、アルコールは協力成分と考えられた。以上から、日本産コブノメイガの雌性フェロモンは同定された4成分が混合されたもの(以後、日本ブレンド)と結論した。

 同定された4成分以外の未知の協力成分を探索した。雌の粗抽出物を分離すると、飽和炭化水素画分に協力活性がみられた。これをGC-EADで分析すると明瞭なEADピークが1個検出されたが、これに一致するFIDピークは認められず、未知成分はきわめて微量と考えられた。以上および未知成分とn-アイコサンの保持時間がきわめて近かったことから、未知成分は総炭素数20で側鎖を持つ飽和炭化水素と推定された。

2性フェロモシの地理的変異

 日本産雌からは前記アセテート成分は検出されず、また日本産雄はインド、フィリピン両ブレンドに反応しなかった。東北から南西諸島までの日本各地で3種ブレンドの野外における誘引性を調べたが、雄の有意な捕獲はいずれも日本ブレンドだけに認められた。これらから日本にはインドブレンドやフィリピンブレンドに反応する雄は飛来しないと考えられた。本研究により、コブノメイガの性フェロモンにみられる地理的変異は例外的に大きなものであることが明らかになったが、変異集団間の関係解明は今後の重要課題である。

3配偶行動に影響する環境要因

 全明、全暗条件下では配偶行動はほとんどあらわれなかった。一方、明暗周期下では配偶行動が活発に行われ、またこれらには明瞭な時間的規則性が認められ、配偶行動は暗期後半に集中した。またこれらの行動が最も活発な日齢は羽化後3-7日であった。コブノメイガは休眠性を持たず、南西諸島の一部を除き日本では越冬は不可能とされていることから毎年海外から日本に飛来するとされるが、移動性に影響する環境条件についてはよくわかっていない。そこで移動にともなう性成熟遅延の要因を調べたところ、種々の条件のうち高温条件に性成熟期間を明らかに遅らせる効果が認められた。

 以上本研究では、日本産コブノメイガの雌性フェロモン成分4種を同定し、これらが本種の発生調査に有効に利用できることを示した。また、他に特異な協力作用をもつ微量成分の存在を突き止めた。同定した成分はインド産とも、フィリピン産とも異なっており、本種性フェロモンの地理的変異に関して重要な知見を与えた。配偶行動に及ぼす環境要因の影響を調査し、明暗条件が行動の時間的規則性を強く支配し、高温がコーリング行動を遅らせるなど重要な事実を明らかにした。これらの結果は学術上も応用上も貢献するところが大であり、審査委員一同は本論文が博士(農学)を授与するに値するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54741