学位論文要旨



No 115241
著者(漢字) 山本,勝利
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,ショウリ
標題(和) 里地におけるランドスケープ構造と植物相の変容に関する研究
標題(洋)
報告番号 115241
報告番号 甲15241
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2086号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 教授 佐藤,洋平
 東京大学 教授 岩本,純明
 東京大学 教授 鷲谷,いずみ
 東京大学 助教授 恒川,篤史
内容要旨

 本研究の目的は、生物生息空間保全のための基礎として、里地におけるランドスケープ構造の変容が植物相に及ぼす影響を解明することにある。本研究でいう「里地」とは、里山と農耕地、居住域が一体となって形成する農村空間をさす。また「里山」は、薪炭、肥料、飼料、生活資材などの供給源として利用、管理されていた林野である。

 里地のランドスケープの特徴は、さまざまな構成要素の時間的、空間的モザイクによって形成されていることである。その特徴が二次的自然における生物多様性の高さを生みだしている。したがって、里地の生物相を保全するためには、まず里地のランドスケープがもつモザイク性と、その変容様式を明らかにする必要がある。

 ここで、ランドスケープの変容が生物相に及ぼす影響は、時間スケールと空間スケールの違いによって異なる側面をもつ。すなわち、マクロな空間スケールでとらえられるランドスケープの変容は長期的な影響を,ミクロなスケールの変容は短期的な影響を生物相に及ぼす。

 以上のことから、本研究では、2つの異なる時間・空間スケールで解析を行った。まず、過去約100年間における里地のランドスケープ構造の変容を、日本全国を対象としたマクロな空間スケールにおいて解析し、ランドスケープの変容様式の地域的差異を検討した。つぎに、集落を対象としたミクロな空間スケールにおいて、戦後のランドスケープ構造の変容を里山林の林分構造と分布から解析し、それが植物相に及ぼす影響を評価した。

1.マクロスケールにおける里地ランドスケープの変容

 マクロスケールでランドスケープ構造の変容をとらえるためには、広域的かつ長期的なデーが必要である。そこで本研究では、氷見山(1995)による土地利用変化データベースを使用した。本データベースでは明治大正期(1910年ごろ)、昭和中期(1950年ごろ)、現代(1985年ごろ)の3時期の土地利用が、1辺約2kmのメッシュ・データとして整備されている。

 解析単位には、過去における土地自然と人間活動との関係を解析する上で有効と思われる「郡」を用いた。解析にさきだち、資料から全国の市町村を597の郡に整理した。9種の土地利用(水田、畑地、樹園地、広葉樹林等、針葉樹林等、荒地、市街、その他、水域)について各郡域内での優占度を求め、その変化を主成分分析と階層クラスタ分析により解析した。その結果、戦前、戦後の変容様式をそれぞれA〜F、a〜fの6類型に区分できた。

 戦前の変容様式のうち、類型Aは、北陸から北日本に分布し、近世まで開発がすすまず、広葉樹林が多く残された地域である。類型Cは東海から瀬戸内にみられ、古くからの開発によって土地の荒廃が進み,アカマツ林が多い地域と一致する。類型Dは、西日本、東北北部、本州中部に多く、採草地として利用されてきた荒れ地が針葉樹林化した地域である。これら3類型で全体の77%を占める。

 戦後の変容様式のうち、類型aは、戦前の類型Aの64.4%を含み、北陸から東北日本の山間地域の広葉樹林が針葉樹林化しつつある地域である。類型eは、東海から西日本の山間地域で針葉樹林が多く変化は少ない。類型bは、低地の水田と台地の針葉樹林が混在した平野部で、針葉樹林が減少している。これら3類型で全体の94%を占める。他の3類型は、いずれも市街地が増加した都市近郊のタイプであり、水田(c)、樹園地(d)、畑地(f)という優占する土地利用の種類によって区分された。

2.ミクロスケールにおけるランドスケープ構造の変容と植物相

 ミクロスケールの解析では、戦後の変容様式のうち全体の94%を占めるa、 b、 eの3類型から対象地域を選定し、里山の変容と植物相の関係を集落を単位として解析した。選定した地域は、岩手県西和賀地域(a)、埼玉県比企地域(e)、茨城県南部地域(b)である。

 里山の変容をとらえる場合、エネルギー革命後の管理放棄と均質化が重要な解析項目と考えられる。そこで、管理の程度をあらわす共通の指標として里山林の林分構造とその配置をとりあげた。一方、里山の変容が植物相に及ぼす影響は地域の自然的、歴史的特性によって異なると考えられる。そこで、各々の地域で林分構造の影響を最も受けると思われる植物種群を指標として取り上げた。

 岩手県西和賀地域は、ブナ帯に属する山間地域である。当地域にはカタクリ、キクザキイチゲなどの春植物が広く分布する。そこで、春植物を指標として林分構造の変化が植物相に及ぼす影響を解析した。その結果、林床植生高1m未満の林分(小低木層林分)では春植物の平均被度が5.3%で他の林分より有意に多く、春植物の生育には林床管理がされた林分が適していると考えられた。しかし、林班を単位として小低木層林分と春植物の分布の関係をみると両者の相関はr2=-0.027であり、有意な関係は認められなかった。小低木層林分は39.4%が1947年の草地と一致した。これは、小低木層林分の70.4%、1947年の草地の62.4%がアクセスビリティの高い舗装路、林道などに隣接しているためである。また、草地では過度の利用により春植物の生育が阻害されていた(平均被度が1.4%)。これらのことから、現在の里山林管理はアクセスビリティの高い場所で選択的に行われており、春植物の生育が阻害されている過去の草地と一致する。そのため、本来春植物の生育に適している林床管理が、実際には春植物の生育と結びついていないことが明らかとなった。

 埼玉県比企地域では丘陵地の稜線付近に秣場と呼ばれる採草地が広く分布していたことが知られている。そこで、生活形べつの出現種数を指標とし、里山林の林分構造と森林性、草原性植物の分布との関係を解析した。その結果、落葉樹型の林床タイプでは、シュンランなどの地中植物が平均6.6種、シラヤマギクなどの半地中植物が平均7.7種出現し、森林性の種と草原性の種がいずれも他のタイプより多かった。逆に常緑樹型では、それぞれ4.5種、4.6種、ササ型は3.2種、3.8種と出現種数が少なかった。落葉樹型は1947年に針葉樹林であった林分と結びついていた。一方、ササ型は松林、常緑樹型は秣場であった林分との特化度が高く、過去の草地利用と結びついていた。1947年の針葉樹林は管理された歩道、車道、家屋などに隣接するアクセスビリティの高い林分が50.7%を占めるのに対して、松林や秣場は集落から離れた場所に多く、松林の54.1%、秣場の51.6%が今日到達不可能な状態にある。これらのことから、里山林の植物相は、過去の林野利用とその配置に強い影響を受けていることが示唆された。

 茨城県南部地域では台地の針葉樹林が減少している。そこで、アカマツ林を中心とした針葉樹林の林分構造と植物相の関係を解明し、それが関係が都市化によって受ける影響を検討した。まず、アカマツ林の林分構造と種組成の関係を植物社会学的手法によって把握した。その結果、下刈りされたアカマツ林には、オミナエシやヒメジョオンなど草原性の草本種により区分される群落が成立していた。アカマツ下刈林は、地域外の農家による温床材採取によって維持されている。つぎに、アカマツ下刈林の分布をメッシュ法により解析したところ、居住域から離れた集落境界付近に集中していた。とくに、小規模な住宅地開発がみられる中開発地では、集落居住域から遠い距離ランク9/10の場所で全森林の約50%がアカマツ下刈林であった。また、住宅地は、同じく距離ランクが9/10に最も多い。これらの関係は、アカマツ下刈林と住宅地開発対象地の分布が、ともに集落外からのアクセスビリティに規定されていることを示している。

3.植物相保全からみた里地における地域環境管理

 ミクロスケールでは、管理された林分の配置がアクセスピリティに規定され、それがランドスケープ構造と植物相の関係に大きな影響を及ぼしていることが明らかとなった。この傾向は、マクロスケールにおけるランドスケープ構造の変容様式に関わらず共通して認められる。

 しかし、今日の林床管理が植物相保全にもたらす効果は類型ごとに異なる。山間地域については過度の草地利用による森林性植物の生育阻害、丘陵地稜線部では森林化による草原性植物の喪失、台地上のアカマツ下刈林については都市化による孤立化・分断化の危険性などの地域的差異が認められた。

 これらのことから、里地の二次的自然域における植物相を保全するためには、里山林とアクセス路とを一体的に管理すること、ならびに、過去の林野利用に基づいて管理対象地を適切に選定することが重要である。さらに、これらの管理を推進するためには、日常的な都市-農村交流によって農村住民の管理意欲と都市住民の参加意欲の向上を図るなど、新たな地域環境管理システムの構築が不可欠であることが示された。

審査要旨

 本研究は、生物生息空間保全のための基礎として、里地におけるランドスケープ構造の変容が植物相に及ぼす影響の解明を目的としたものである。本研究では、「里地」を里山と農耕地、居住域が一体となって形成する農村空間と定義している。

 里地のランドスケープは、さまざまな人間活動により常に変容する。その変容が生物相に及ぼす影響は、時間的または空間的スケールの違いによって異なり、広域的な変容は長期的な影響を、地域的な変容は短期的な影響を生物相に及ぼす。そこで本研究では、まず、過去約100年間の長期的なランドスケープ構造の変容を、日本全国を対象とした国土スケールで解析し、変容様式の地域的差異を検討した。つぎに、集落を対象とした地域スケールで、戦後のランドスケープ構造の変容を里山林の林分構造と分布から解析し、それが植物相に及ぼす影響を評価した。

 国土スケールの解析では、ランドスケープ構造の広域的、長期的な変容をとらえるため、氷見山(1995)による土地利用変化メッシュ・データを使用した。本データをもとに、第二次世界大戦以前(1910年頃〜1950年頃)と戦後(1950年頃〜1985年頃)の土地利用変化を、全国597の「郡」を単位として解析した。その結果、戦前、戦後のランドスケープ構造の変容様式は、林野利用の歴史や地形の地域的差異によって、それぞれ6類型に区分された。このうち、戦後については、広葉樹林の針葉樹林化が進む東北日本の山間地域(類型a)、針葉樹林が多く変化が少ない西日本の山間地域(類型e)、針葉樹林の減少と市街地の増加がみられる平地地域(類型b)の3類型で全体の94%を占めていた。

 地域スケールでは、戦後の94%を占める3類型から、それぞれ対象地域を選定し、里山林の変容と植物相の関係を解析した。解析にあたっては、地域共通の指標として、里山林管理をあらわす林分構造と、その配置をとりあげた。また、地域性を表す指標として、各地域で管理の影響を最も受けると思われる植物種群をとり上げた。

 岩手県西和賀地域(類型a)では、ブナ帯に広く分布する春植物を指標として、林分構造の変化が植物相に及ぼす影響を解析した。その結果、現在の里山林管理はアクセス性の高い場所で選択的に行われており、春植物の生育が阻害されている過去の採草地と一致していた。そのため、本来春植物の生育に適している林床管理が、実際には春植物の生育と結びついていないことが明らかとなった。

 埼玉県比企地城(類型e)では、生活形べつの出現種数を指標とし、里山林の林分横造と植物相との関係を解析した。その結果、過去に採草地として利用され、現在は放置されているアカマツ林では林床植物種数が少なかった。現在の管理はアクセス性の高いスギ・ヒノキ林で行われているため、草原性植物の生育に結びついていない。過去の採草地では森林化により植物種の多様性が低下していることが示された。また、居住域周辺の落葉樹型スギ・ヒノキ林では地中植物、半地中植物とも多く、森林性植物が維持されている。

 茨城県南部地域(類型b)では台地アカマツ林の林分構造と植物相との関係を検討した。アカマツ林では、地域外農家やゴルフ場による下刈りによって、草原的な植生が成立している。そのため下刈林は、地域外からのアクセス性が高い集落境界付近に集中していた。一方、集落境界付近には新興住宅地も多く、都市化によるアカマツ林の孤立化・分断化の危険性が示された。

 以上のように、現在の里山林管理はアクセス性の高い場所のみで選択的に実施され、植物相への影響が大きいことが、地域スケールの解析から明らかになった。この傾向は、国土スケールにおけるランドスケープ変容様式に関わらず共通している。一方、現在の管理が植物相に及ぼす影響は、過度の採草地利用による森林性植物の生育阻害、丘陵地稜線部における採草地の森林化による草原性植物の喪失、台地中央部におけるアカマツ林の下刈りの継続と孤立化・分断化の危険性など、国土スケールの変容様式に応じた地域的差異が認められた。これらのことから、里地の植物相を保全するためには、里山林とアクセス路との一体的管理、過去の林野利用に基づいた管理対象地選定の重要性が指摘された。

 以上要するに本研究は、里地ランドスケーブ構造の変容が植物相に及ぼす影響を、長期的な林野利用の変化と、現在の里山林構造とアクセスビリティとの関係に基づいて評価し、里地における植物相保全のための地域環境管理指針を提示した研究として評価できる。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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