学位論文要旨



No 115242
著者(漢字) ギルダ・ホンソン・ミランダ
著者(英字) Gilda Jonson Miranda
著者(カナ) ギルダ・ホンソン・ミランダ
標題(和) イネグラッシースタント病・病原ウイルスゲノムの分子生物学的研究
標題(洋) Molecular biological study on rice grassy stunt disease: characterization of the genome structure of the causative virus
報告番号 115242
報告番号 甲15242
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2087号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 助教授 高野,哲夫
 国際稲研究所日本事務所 所長 日比野,啓行
内容要旨

 イネグラッシースタント病は、東アジアから東南アジアのイネ栽培地に広く発生するウイルス病で、感染したイネは葉が黄化し、分けつ数が増大して株全体が萎縮し、成育不良になる。1970年代の初頭から80年代半ばにかけて、各地で大発生し甚大な被害を及ぼした。病原ウイルスであるイネグラッシースタントウイルス(rice grassy stunt virus、以下RGSVと略称)はトビイロウンカにより伝搬され、虫体内でも増殖する。直径6-8nmの糸状の粒子形態を持ち、ゲノムは6種類のアシビセンスRNA(1本鎖RNAとその相補鎖RNAの5’末端側に1つずつタンパクをコードする)の断片から構成される。イネグラッシースタント病の特徴は、発生年、発生場所により病徴が異なることで、野外分離株を温室内で継代することによっても病原性変異株が得られる。病原性の違いをもたらす原因は明らかではない。

 そこで本研究では、病原性の差違を分子レベルで明らかにすることを目的とした基礎的研究として、フィリピン南部ルソン島に発生したRGSV感染株(サウスコタバト株)を材料とし、ウイルスゲノムの構造解析を試みた。その結果、グラッシースタント病感染イネ葉からは、RGSVと共に、新種のプラス鎖RNAウイルスと推定されるゲノムとヒメトビウンカでは伝搬されないイネツングロ球形ウイルスが検出され、さらに宿主イネ由来の2種類のレトロトランスポゾンが検出された。また、RGSVゲノムの自然界でのリアソートメント現象が実証された。これら、RGSVゲノムのリアソートメント、RGSV以外のウイルスの感染および宿主レトロトランスポゾンの活性化が、異なる病原性の要因である可能性が示された。

1.RGSVゲノムの構造解析とリアソータントウイルスの出現

 グラッシースタント病葉抽出液より分画遠心法とショ糖密度勾配遠心法により、RGSV核酸タンパク性粒子を含む精製液を得、常法により核酸を抽出し、ランダムプテイマーを用いてcDNAライブラリーを作製した。任意に118クローン(平均インサート長1.5kb)を選び、インサートの両端から600-700塩基の配列を決定し、ソフトウエア的にアッセンブリした。ゲノムの5’および3’末端配列及びcDNAクローンの得られなかった内部領域は、相同性の高い塩基配列や他の分離株で報告されている塩基配列に基づいてプライマーを設計し、RT-PCR法により増幅後、塩基配列を決定した。その結果、6種のRNA断片からなるRGSVの全ゲノムは25159塩基からなり、RNA1は9760塩基で機能不明の19kDaタンパクと339kDaのウイルスRNA複製酵素タンパクを、RNA2は4069塩基で23kDaの推定細胞間移行タンパクと94kDaの推定膜糖タンパクを、RNA3は3127塩基で機能不明の22kDaと31kDaの2種類のタンパクを、RNA4は2915塩基で機能不明の19kDaと60kDaの2種類のタンパクを、RNA5は2074塩基で機能不明の22kDaタンパクと36kDaのキャプシドタンパクを、RNA6は2590塩基で21kDaの封入体タンパクと機能不明の36kDaタンパクをそれぞれコードすることが明らかとなった。

 本研究に先んじて全塩基配列の解明されたフィリピン北部ルソン島分離株(ラグナ株)(Toriyama,1997;1998)と塩基レベルでの違いを調べたところ、各断片毎に変異率の違いが顕著に認められた。すなわち、RNA1.RNA4およびRNA5は2分離株間で殆ど同一であったのに対し、RNA2、RNA3およびRNA6では、6.9%から11.6%の違いが認められた。2分離株の採集地は1000km程隔たっているが、共に1980年代後半に採集されたものである。この結果は、RGSVゲノムを構成する6種のRNA断片が自然界でリアソートメントを起こしたことを示唆している。分節ゲノムウイルスのリアソートメントはオルソミクソウイルス、レオウイルス、ブニヤウイルスなど、動物ウイルスでは一般的に知られた現象であるが、植物ウイルスでの自然界での発生を塩基レベルで明らかにしたのは本研究が初めてである。リアソートメントの出現が感染イネ体内か媒介トビイロウンカ体内かは明らかではないが、異なる病原性変異株出現の一因になっているものと考えられた。

2.新種のイネウイルスと推定されるRNAゲノムの構造解析

 上述したランダムcDNAライブラリーを解析する過程で、RGSVゲノムとは無関係の3729塩基からなるプラス鎖RNAウイルス様ゲノムが検出された。本RNAは5’末端から37kDaタンパク、54kDaタンパク、15kDaタンパクおよび28kDaタンパクをコードする4つのORFを持っていた。37kDaタンパクORFの終始コドン周辺には、-1フレームシフトに特有の塩基配列と推定2次構造があり、-1フレームシフトにより下流の54kDaタンパクを含む96kDaタンパクが発現される可能性が示された。推定フレームシフト部位下流領域は、双子葉草本および果樹類に感染するダイアンソウイルスのRNAポリメレース領域とアミノ酸レベルで60%一致していた。一方、3’末端側の28kDaタンパクはN末端側が塩基性アミノ酸に富み、多くの小球形ウイルスの外被タンパクに共通する特徴を示していた。28kDaタンパクのC末端21kDa領域をGST融合タンパクとして大腸菌内で発現させ、抗原としてウサギで抗血清を作製した。この抗血清を用いたウエスタンブロット解析により、グラッシースタント病葉より特異的に28kDaタンパクが検出された。また、ショ糖密度勾配遠心後の各フラクションからは、28kDaタンパクは本RNAゲノムと同一の分画から検出され、核酸タンパク性構造を持つことが示された。しかしながら、電子顕微鏡観察では、ダイアンソウイルス様の小球形粒子は検出されなかった。15kDaタンパクとアミノ酸レベルで相同性のあるタンパクはデータベース上になく、機能タンパクとして発現されるかどうかは不明である。

 本RNAゲノムは2分節ゲノム性ダイアンソウイルスのRNA1に遺伝子構造およびコードされたタンパクのアミノ酸配列が類似しているため、イネウイルスX(rice virusX、RVX)と仮称した。RVXが単独でイネに感染するか、RNA2が存在するか、グラッシースタント病との関連は何か、トビイロウンカで単独伝搬されるのか等、今後の研究課題と考えられる。

3.イネツングロ球形ウイルスの検出

 同じランダムcDNAライブラリーから、イネツングロ球形ウイルスのcDNAが2クローンから検出された。ツングロ球形ウイルスはツングロ桿状ウイルストと共に、ヨコバイ類によって伝搬され、トビイロウンカでは伝搬されないため、感染の由来は明らかではない。しかし、RGSVとの混合感染がグラッシースタント病の病原性の差違の一要因になっている可能性が考えられた。

4.2種類のレトロトランスポゾンの検出

 さらに異なるcDNAライブラリーから、gypsy様とcopia様の2種類のレトロトランスポゾンと翻訳アミノ酸配列の相同性の高い塩基配列が検出された。これらのレトロトランスポゾンがRGSV感染によって誘発されたものかどうかは明らかではないが、宿主遺伝子の組み換えや破壊をもたらし、病徴発現への関与も考えられた。

 以上を要するに、本研究では、イネグラッシースタント病・病原ウイルスRGSVの遺伝子構造を明らかにする目的で、罹病葉から抽出したRGSV分画由来のcDNAライブラリーを作製し、塩基配列を解析した。その結果、RGSVのみならず、新種のイネウイルスと推定されるRNAゲノム、およびイネツングロ球形ウイルスが検出され、さらに宿主のレトロトランスポゾンの活性化が示唆された。また、RGSVゲノムの自然界でのリアソートメント現象が実証された。これらが総合的にイネグラッシースタント病の病原性の差違の原因になるものと推察される。これらの研究成果は、さらなる病原性解析および今後の抵抗性イネ作出における基盤的知見となるものと考える。

審査要旨

 本学位論文で、申請者はアジアのイネ栽培地に広範囲に発生しイネ収量の減少をもたらすグラッシースタント病・病原ウイルスの全ゲノム構造を明らかにした。

 実験方法としては、罹病イネ葉からウイルス成分を精製し、抽出RNAよりランダムcDNAライブラリーを作製し,100個以上のランダムcDNAクローンの塩基配列を詳細に解析した。その結果は、3章に分けて記述されているが、各車とも以下に述べるように極めてオリジナリティーに富む内容となっている。

 すなわち、第1章では、イネグラッシースタントウイルスの南フィリピン分離株の全遺伝子構造(25,159塩基)を明らかにし、本研究より1-2年先立って全塩基配列が決定された北フィリピン分離株との相違を塩基配列レベルで調べた。その結果,本ウイルスゲノムを構成する6種類のRNAセグメント間でリアソートメントが生じていることが明らかになった。分節ゲノムウイルスにおけるリアソートメントは動物ウイルスではよく知られた現象だが、植物ウイルスの自然界でのリアソートメント現象を塩基配列レベルで証明したのは、本研究が初めてである。この研究結果は国際的にも高く評価され、最近、国際学術雑誌であるVirologyに掲載された。

 第2章では、グラッシースタント病罹病イネ葉より新種のイネウイルスと推察されるRNAゲノムを発見し、その全遺伝子構造を明らかにした。本ゲノムを既知のウイルスゲノムを比較した結果、双子葉草本および果樹類に感染するダイアンソウイルスと極めて類似性が高いことが明らかになった。単子葉植物からダイアンソウイルス様のゲノムが発見されたのは初めてであり、先駆的な研究成果と評価される。この研究結果は、国際学術雑誌Jounal of General Virologyに投稿され、現在審査を受けている。

 さらに第3章では、グラッシースタント病罹病イネ葉より検出された2種類のレトロトランスボゾン様RNAのアミノ酸配列を明らかにし、これらがこれまで未報告のレトロトランスポゾンである可能性を示した。検出された2種類のレトロトランスポゾンがグラッシースタントウイルスあるいは第2章に記述された新種ウイルス様ゲノムの感染によって誘発されたものか否かは不明だが、今後新たな研究領域を切り開く可能性のある重要な発見と言える。

 このように、本学位論文で、申請者はイネグラッシースタント罹病イネ葉を材料に、病因学的に極めて価値のある3種類の異なる現象を明らかにし、さらにこれらの相互作用がウイルス病徴や伝搬性など生物学的表現型変異の主要因である可能性を議論している。本研究で明らかになった現象は、今後さらに詳細な解析を行うことにより、新たな研究分野を切り開ける可能性があり、将来への発展性を含んでいる点が高く評価出来る。

 本学位論文はイネグラッシースタント病の病因に関する豊富な研究成果を含むと共に、高いオリジナリティをも示しており、審査委員一同、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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