学位論文要旨



No 115250
著者(漢字) 相川,良雄
著者(英字) Aikawa,Yoshio
著者(カナ) アイカワ,ヨシオ
標題(和) いわゆる銅ごけと呼ばれる蘚苔類と基物土壌との関係についての研究
標題(洋) STUDY ON THE RELATIONSHIP BETWEEN "COPPER MOSSES" AND THEIR SUBSTRATES.
報告番号 115250
報告番号 甲15250
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2095号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 助教授 大久保,明
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 西山,雅也
内容要旨

 欧米では,重金属類を含んだ鉱化地帯を好んで生育の場としているように思える,ある特定の蘚苔類が古くから知られている。これらは,通称「copper mosses(銅ごけ)」と呼ばれ,その特異な生態学的特性について研究がなされてきた。そして,我が国においても,Scopelophila ligulata(イワマセンボンゴケ),Scopelophila cataractae(ホンモンジゴケ)などについて研究がなされている。「銅ごけ」が着生する基物としては重金属類に富む土壌,岩屑土,岩石などがあるが,「銅ごけ」とこれら基物中の重金属類との関係についての系統的な研究は少ない。その理由として次の様な事項があげられる。(1)かつて分析技術が未発達であったこと,(2)学際領域の研究分野であること,(3)蘚苔類が飼料植物でないため研究そのものに対して多くの興味が持たれなかったこと,(4)蘚苔類の同定が難しいこと,(5)「銅ごけ」は不連続な生育分布をしており希少であること,(6)重金属を多く含む基物に由来する粒子による植物体へのコンタミネーションへの対処が,湿式分析で行う場合,非常に難しかったこと。この研究では,今まで実施された「銅ごけ」に関する研究を追跡するとともに,今まで注目されなかった基物の水溶性成分と「銅ごけ」生育の関係,及び植物体の洗浄に関する事項,また一概に「銅ごけ」とされる蘚苔類の種間での違いなどについて追求し,「銅ごけ」の重金属を濃縮する能力に着目して,環境修復や環境モニタリングへの応用の可能性について検討した。試料としては蘚苔類の生育直下の土壌部分を用い,本研究ではこれを基物とした。

1.「銅ごけ」と基物の水溶性成分

 「銅ごけ」と呼ばれる蘚苔類の中で,イワマセンボンゴケ(Scopelophila ligulata(Spruce)Spruce)は強酸性の基物を好むことか知られている。S.ligulataが生育している黒色粘板岩上の基物の水溶性成分について研究するとともに,S.ligulataの群落と同じ岩面で相接して生育しているが,「銅ごけ」ではないCampylopus umbellatus(Arm.)Par.,Dicranella heteromalla(Hedw.)Schimp.,Leucobryum juniperioideum(Brid.)C.Muell.,Pogonatum nipponicum Nog.et Osadaなど4種の蘚類の基物についても比較,検討した。基物のpH及び水溶性のFe,SO42-濃度に関しては,S.ligulataとその他の蘚類では,有意な違いが見られた(p<0.01)。基物のpH,水溶性のFe及びSO42-の3成分の間で,それぞれ非常に強い相関関係(p<0.001)が確認された。S.ligulataの基物において水溶性のCuとZnが検出されたが,それらはいずれもFe濃度に比較して1桁低い濃度であった。一方,S.ligulata以外の4種の蘚類の基物では,ほとんどCuとZnの溶出は見られなかった。次に,S.ligulataは垂直岩面に良く生育することが知られているが,S.ligulataが生育する岩面とその直上でS.ligulata以外の蘚苔類が生育する岩棚の条件の違いを把握するため,調査・研究を実施した。岩面に生育するS.ligulataの基物と岩棚上に生育するその他の蘚苔類の基物のpH,水溶性Fe濃度,及び水溶性SO42-濃度については有意な違い(p<0.01)が認められた。そして基物のpH,水溶性Fe濃度,及び水溶性SO42-濃度の3成分の間で,それぞれ非常に強い相関関係(p<0.001)が確認された。また,S.ligulataの基物の水溶性Cu濃度と水溶性Zn濃度は,同じ基物の水溶性Fe濃度に比較して非常に低い値であった。この水溶性Cu濃度と水溶性Zn濃度については,S.ligulataの基物とその他の蘚苔類の基物との間には有意な違いは見られなかった。更に,S.ligulataと同じく「銅ごけ」に含められるホンモンジゴケ(Scopelophila cataractae(Mitt.)Broth.)とホソバゴケ(Mielichhoferia japonica Besch.)を対象として,基物水溶性成分の濃度の違い,そして各水溶性成分間の関係を研究した。pH及び水溶性Fe,Cu,Zn,SO42-濃度に関するt検定の結果は,S.cataractaeとM.japonicaの基物の間に有意な違いがあることを示した。S.cataractaeとM.japonicaの基物のpHと各水溶性成分については,0.1%の有意水準でFe濃度とZn濃度,Fe濃度とSO42-濃度,Cu濃度とSO42-濃度,Zn濃度とSO42-濃度の間に,1%の有意水準でCu濃度とZn濃度の間に,それぞれ正の相関関係が見られた。また,0.1%の有意水準でpHとFe濃度の間に,1%の有意水準でpHとSO42-濃度の間に,そして5%の有意水準でpHとCu濃度,pHとZn濃度の間に,それぞれ負の相関関係が見られた。「銅ごけ」の間でもpHに有意な違いが見られるので,この原因を追求するため,S.ligulata,Campylopus sp.,Jungermannia vulcanicola Steph.を用いて,基物中のFeの形態について研究した。その結果,基物中の水溶性成分におけるFe3+とSO42-及びそれらの結びつきが基物pHを決定するのに重要な要因である事が推察された。以上,この一連の研究で実施した116試料の水溶性成分の分析結果を重回帰分析により解析した。Fe,Cu,Znを独立変数,SO42-を従属変数とした場合,非常に強い相関(p<0.001)が得られた。これら水溶性4成分を独立変数とし,pHを従属変数とした場合も強い相関(p<0.001)が得られた。基物のpH値はこれら水溶性重金属とSO42-に影響を受けていると考えられ,特にFeの影響が強いと判断された。

2.「銅ごけ」の生育環境と環境修復,環境モニタリングへの応用について

 S.ligulata,S.cataractae及びM.japonicaを用いて,その基物と植物体中の重金属含有量の他,基物の水溶性成分を測定し,比較検討を行った。S.ligulataの植物体中及び基物中のFe含有量はS.cataractaeやM.japonicaに比べて高い値(p<0.01)であった。一方で,前者のCu含有量は後者に比べ低い値であった。S.ligulataの基物pHは,S.cataractaeやM.japonicaに比較して有意に低かった(p<0.01)。S.ligulataの基物中の水溶性のFeとSO42-は,S.cataractaeやM.japonicaの基物中のそれらに比べ高かったが,水溶性のCuは逆に後者に比べ低かった(p<0.01)。S.cataractaeの基物中のFe含有量はCuのそれに比べ数倍高い値であるが,植物体中では逆にCuの含有量がFeの含有量を上回っていた。この研究では,まず従来から行われている植物体の洗浄方法を前処理として3種の蘚類を分析したが明確な洗浄効果が得られなかったため,Feの固着がかなり見られたS.ligulata,Campylopus sp.,Jungermannia vulcanicola Steph.を用いて,植物体外側に付着する汚染を取り除く洗浄方法について検討した。その結果,2%のEDTA溶液で30分間振とうすることが植物体に付着した汚染物質を取り除くのに有効である事が判明した。その結果,植物体には数%に及ぶFeが3種類の蘚苔類に含有されていた。また,CuについてはEDTA洗浄しない試料より洗浄した試料の方が含有量が高い傾向を示し,植物体によって濃縮されている事が示された。そしてIgnition loss及びTiは植物体外側に付着している汚染物量の指標になる事を確認した。次に,日本の複数の鉱化地帯に生育するS.ligulata,S.cataractae,M.japonica,Campylopus sp.,J.vulcanicolaを用いて,それらの生育基物中の水溶性成分,含有量及び植物体中の含有量成分について比較検討を行った。基物の水溶性成分間では,pH,Fe,ECの3者間に強い相関関係(p<0,001)が見られた。ECはまた,水溶性のSO42-との間にも強い正の相関(p<0.001)が認められ,ECは水溶性SO42-の指標になり得ると考えられた。基物の水溶性成分,含有量成分及び植物体中の含有量成分を通じて,特徴的にFe濃度とCu濃度との間に負の関係が認められた。基物の水溶性Fe濃度と植物体中のFe含有量との間に,また水溶性Cu濃度と植物体中のCu含有量との間に非常に強い正の相関関係(p<0.001)が認められた。「銅ごけ」の中でも,S.ligulataは,その植物体中のFe含有量は他と比較すると高く,一方でS.cataractaeはCu含有量が他の蘚苔類よりも明らかに高かった。水溶性成分と蘚苔類の植物体分析を同時に実施している31試料の結果を,水溶性Fe,Cu,Zn,SO42-及びpHを独立変数とし,植物体中の各重金属をそれぞれ従属変数として重回帰分析を実施したところ,これら水溶性5成分とFe及びCuの間にそれぞれ強い相関(p<0.001)が得られた。蘚苔類のFeとCuの吸収にこれら水溶性成分とpHが因子として深く関わっていることが考えられた。S.cataractaeは,直下の基物がこの蘚苔類の通常の生育pH域になくても,水溶性成分としてCuとSO42-が供給される所で生育していることがある。一概に「銅ごけ」とされる蘚苔類でも,その生育環境や植物体中の重金属含有量に違いが見られ,S.ligulataは,水溶性成分としてFeとSO42-が豊富に供給される環境に,またS.cataractaeは水溶性成分としてCuとSO42-が供給される環境に,それぞれ好んで生育している事が推測された。それぞれの水溶性成分の供給の如何がこれら蘚苔類の棲息を決定しているように考えられた。これら「銅ごけ」と呼ばれる蘚苔類は,その重金属を濃縮しうる能力を環境修復や環境モニタリングに応用することが考えられる。特に,排水管理への利用ついては,必要性はあるが物理的にモニタリング設備や排水処理プラントが設置できないような狭小な場所への適用や,あるいはコスト面や運転管理面で,現在の日本で一般的に利用されている設備が設置できないような発展途上国での,重金属類を含んだ排水の管理に応用されることが期待される。

審査要旨

 「銅ごけ」は重金属との関係で特異な生態的特性を持つ蘚苔類であると推察されているが,「銅ごけ」とこれら基物土壌中の重金属類との関係についての研究は少なく,その生育理由についても諸説あるが定まっていない。本論文は,植物体への吸収を考えると重要であるが,これまでほとんど研究されていない基物土壌の水溶性成分と「銅ごけ」生育の関係等に注目し,また「銅ごけ」の重金属を濃縮する能力に着目して,環境モニタリングや環境修復への応用の可能性について検討したもので7章よりなる。

 第1章及び第2章では,Scopelophila ligulata(Spruce)Spruceを対象とし,その群落の近傍で生育している「銅ごけ」ではない蘚苔類とともに,同じエリアの複数のサイトにおける基物土壌の水溶性成分について比較している。基物土壌のpH及び水溶性のFe,SO42-濃度に関しては,S.ligulataとその他の蘚苔類では,有意な違いが把握された。基物土壌のpH,水溶性のFe及びSO42-の3成分の間で,それぞれ非常に強い相関が確認された。S.ligulataが岩面にのみ繁茂するという現象については,interflowが岩面にFe,SO42-を供給し,そこにS.ligulataが生育すると推察している。

 第3章では,Scopelophia cataractae(Mitt.)Broth.,Mielichhoferia japonica Besch.の基物土壌の水溶性成分を取り上げ,これら2種類での相違,そしてS.ligulataとの相違を調べている。pH及び水溶性Fe,Cu,Zn,SO42-濃度に関するt検定の結果は,S.cataractaeとM.japonicaの基物土壌間に有意な違いがあることを示した。水溶性Fe濃度については,S.ligulataが他の2種類よりも高く,逆に水溶性Cu濃度についてはS.cataractaeとM.japonicaの方がS.ligulataよりも高い傾向が認められた。

 第4章では,S.ligulata,S.cataractae及びM.japonicaの植物体と基物土壌との重金属含有量の比較を行った。S.ligulataの植物体及び基物土壌のFe含有量はS.cataractaeやM.japonicaに比べて高い値であった。一方,S.cataractaeとM.japonicaは,S.ligulataと比べCu含有量が高い基物土壌に生育し,植物体のCu含有量は,それぞれの基物土壌の含有量を上回っていることが分かった。

 第5章では,S.ligulata,Campylopus sp.,Jungermannia vulcanicola Steph.を用いて,湿式分析で障害要因となっている植物体の汚染を取り除く洗浄方法について検討した。その結果,2%のEDTA溶液で30分間振とう洗浄することにより,今まで湿式分析を行う時のネックになっていた,植物体に付着した汚染物質の除去方法を見出した。

 第6章では,複数の鉱化地帯に生育するS.ligulata,S.cataractae,M.japonica,Campylopus sp.,J.vulcanicolaを用いて,それらの生育基物土壌中の水溶性成分,含有量及び植物体中の含有量成分について比較検討を行った。その結果,生育地域に関係なく,S.ligulataはその植物体中のFe含有量は他と比較すると高く,一方でS.cataractaeはCu含有量が他の蘚苔類よりも明らかに高かった。

 第7章では,総合的な考察を行い,「銅ごけ」の環境モニタリング,環境修復などへの応用の可能性について述べている。

 本研究により,「銅ごけ」とされる蘚苔類でも,その種類によって生育する基物土壌の水溶性成分及び植物体含有量が異なることが判明した。特定の基物土壌を「銅ごけ」が好む理由としては,今まで唱えられている「酸性pH説」や「サルファー説」,「金属説」とするよりも,それぞれの蘚苔類によりS.ligulataは水溶性鉄硫酸塩との結びつき,S.cataractaeは水溶性銅硫酸塩との結びつきなどを考慮して,「金属硫酸塩類説」とする方が適切と考えられることを示した。

 本研究の結果,蘚苔類は基物からだけでなく,他の場所からの水溶性成分の供給に応じて,植物体が吸収することが推察され,植物体を分析することにより,河川など流水中の一過性の重金属汚染を把握する生物モニタリングへの利用,また,植物体に吸収・濃縮させて処理を行う生物浄化への利用について述べられている。

 以上を要するに本論文はこれまでほとんど研究例がない基物土壌の水溶性成分と「銅ごけ」生育の関係を明らかにし,「銅ごけ」の重金属の濃縮を通じて,環境モニタリングや環境修復の手法への応用を論じたもので,学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54744