学位論文要旨



No 115251
著者(漢字) 天野,麻穂
著者(英字)
著者(カナ) アマノ,マホ
標題(和) -ラクトグロブリンに特異的なT細胞レセプターの構造解析と発現系の構築
標題(洋)
報告番号 115251
報告番号 甲15251
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2096号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 客員助教授 戸塚,護
 東京大学 助教授 八村,敏志
内容要旨

 T細胞レセプター(TCR)は、各々特異的な抗原ペプチドと主要組織適合遺伝子複合体(MHC)分子の複合体(pMHC)と結合し、三者の複合体(TCR/pMHC)を形成する。このことが種々の免疫応答の引き金になっている。抗原ペプチドのアミノ酸残基置換アナログの中には、T細胞応答の一部だけを活性化するもの(部分的アゴニスト)や、野生型抗原ペプチドと共存したとき、野生型に対する本来のT細胞応答を抑制するもの(TCRアンタゴニスト)が存在することが報告されている。これらの抗原アナログの効果は、その抗原を認識するT細胞に特異的なものであることから、食品アレルギーなどの免疫疾患の安全かつ効果的な治療・予防法への応用が期待されている。しかし、野生型の抗原と抗原アナログとの間での、TCR/pMHCの分子間相互作用の相違については、未だに不明な点が多い。今日までに、5例のTCR/pMHCの立体構造が明らかにされ、TCR/pMHCの相互作用についての分子レベルでの考察がなされたが、実際に存在するTCR/pMHCの組み合わせはきわめて多様であり、普遍的な知見を得るためには、できるかぎり多様なTCR/pMHCの組み合わせで、より多くの情報を得ることが必要である。

 当研究室では、ウシ-ラクトグロブリン(-LG)の119-133残基(p119-133)とMHCクラスII分子であるI-Ab分子との複合体を特異的に認識する4種のマウスCD4+T細胞クローンを樹立しており、いくつかのp119-133のアミノ酸一残基置換アナログが、それぞれのT細胞クローンに対して、異なるパターンのTCRアンタゴニスト活性や、部分的アゴニスト活性を示すことを明らかにしている。本研究では、これら4種のT細胞クローンのTCRの一次構造、特に、各クローンのTCRがpMHCを認識する際に重要と考えられる部位の構造と、抗原アナログに対して各クローンが示す各々の反応の特異性の相関について考察を行った。

 このようにして得た知見を確認するためには、立体構造解析や、pMHCとTCRとの相互作用を物理化学的に解析することが必要であり、そのような解析を実際に行うためには、可溶化型TCR(soluble TCR;sTCR)が極めて有用である。そこで、上述の4種のT細胞クローンのうち、抗原アナログに対する応答性の解析が最も進んでいるG1.19のTCRと-LG p119-133/I-Abの相互作用の解析を目的とし、動物細胞および昆虫細胞を用いたG1.19由来sTCRの発現系を構築した。

 さらに、sTCRは特異的なpMHCを検出するためにも有効である。したがって、G1.19由来sTCRを用いることにより、経口摂取された-LGが抗原提示される部位や細胞を同定できると期待される。このことにより、未だ不明な点が多い、食品抗原に対する免疫応答機構の解明に役立つと考えられる。

1.複数の-ラクトグロブリン特異的マウスCD4+T細胞クローン由来のT細胞レセプターcDNA塩基配列の比較解析

 TCRは、鎖、鎖からなるヘテロ二量体である。各鎖の可変領域遺伝子(V遺伝子)であるAV遺伝子およびBV遺伝子群の中から、それぞれ1つの遺伝子を選択し、発現している。本章ではまず、4種のT細胞クローンG1.19、F1.7、F2.8、F12.5が選択しているこれらの遺伝子について比較を行った。さらにその中でも特に、これまでにTCRの抗原認識に直接関与していることが立体構造解析などから明らかになっている相補性決定領域3(CDR3)と呼ばれる領域の一次構造を比較し、そこから推測される各クローン間での立体構造の相違と抗原アナログに対する反応性の相違との相関について考察を行った。

(1)TCR鎖V遺伝子について

 F1.7以外の3つのT細胞クローンが、いずれも同じファミリーに属するAV遺伝子を選択していた。この3つのクローンでは互いに塩基配列で80%以上、アミノ酸配列で75%以上の相同性をもち、非常に似通った構造骨格を有していると考えられた。このことは、同一抗原を認識するTCRは選択的に相同性の高いAV遺伝子を選択していることを強く示唆している。

 また、この4種のクローンの鎖のCDR3(CDR3)のアミノ酸配列の比較を行ったところ、G1.19およびF1.7ではいずれも他のクローンのCDR3とは異なる配列を有していた。アミノ酸配列から考えて、生成する水素結合などの相違により、その立体構造が異なることが推測され、このことがG1.19とF1.7の抗原アナログに対する応答が特異的である傾向を示す原因となっていることが示唆された。

(2)TCR鎖V遺伝子について

 G1.19とF1.7およびF2.8とF12.5が、互いに同じファミリーのBV遺伝子を選択していた。両者の遺伝子間の塩基配列の相同性は50%以上であることから、4つのクローンのTCR鎖の全体的構造が類似していることが示唆される。

 CDR3について(1)と同様に考察を行ったところ、F2.8は他の3つのクローンと比較して、空間的自由度の低いループ構造をとっていることが示唆され、このことがF2.8の抗原アナログに対する応答の特異性に影響を与えていると推測された。

 (1)、(2)から、特定の抗原認識に必要なTCR遺伝子のAV遺伝子、BV遺伝子においては、互いに相同性の高いV遺伝子を選択しているが、抗原認識に関与する配列が異なっており、これらのことが各クローン間での抗原アナログに対するT細胞応答の差を生み出す原因となっている可能性が考えられた。

 本研究では、4種類のTCRの一次構造からpMHC複合体との相互作用について考察したが、より明瞭に証明するためには次章以降で発現系を構築した可溶化型TCR、およびそのpMHCとの複合体との立体構造解析が必要であると考えられる。

2.可溶化型T細胞レセプターの哺乳動物細胞発現系の構築

 動物細胞においては、発現タンパク質のプロセシングが天然型のものとほぼ同一であると期待できる。本章では、アフリカミドリザル腎臓由来細胞COS7を用い、G1.19由来sTCRの発現系の構築を行った。G1.19のTCR鎖の細胞外ドメインをコードしているcDNAの定常(C)領域下流に、塩基性ペプチドとc-mycのエピトープ配列、鎖の細胞外ドメインをコードしているcDNAのC領域下流に、酸性ペプチドをコードする塩基配列を、PCR法によりそれぞれ導入し、各々sTCR鎖、鎖遺伝子とした。ここで、C末端に導入した塩基性ペプチドと酸性ペプチドとの静電的相互作用により、鎖、鎖のヘテロ二量体化の促進が期待される。これらをそれぞれ、動物細胞発現ベクターであるpME-18SのSRプロモーター下流に導入し、得られた各発現プラスミドを、COS7細胞にリポフェクション法により同時にトランスフェクトすることで、一過的に発現させた。各発現プラスミド導入後4日目の細胞培養上清を、TCR鎖C領域に特異的なモノクローナル抗体を固定したカラムを用いてアフィニティー精製した後、SDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動(PAGE)を行い、精製されたタンパク質を銀染色したところ、62kDaのバンドが検出された。STCRの期待分子量が約60kDaであり、また、このバンドが抗c-myc抗体を用いたウエスタンブロット解析でも検出されたことから、sTCRが分泌発現されたことが確認できた。しかし、発現タンパク質の収量が培地1mlあたり、およそ50ng程度と低かった。

3.可溶化型T細胞レセプターの昆虫細胞を用いたバキュロウイルス発現系の構築

 より大量のsTCRを得ることを目的に、バキュロウイルスを用いた昆虫細胞でのsTCRの発現系の構築を行った。ポリヘドリン、p10の各プロモーター下流に、前章で作製したsTCR鎖、鎖遺伝子を各々導入し、組み換え型バキュロウイルスを作製した。sTCRの発現は、得られた組み換え型バキュロウイルスをシャクトリムシ卵由来細胞Tn5に感染させることで試みた。組み換え型ウイルス感染後4日目の細胞培養上清を、抗TCR鎖C領域抗体固定化カラムを用いてアフィニティー精製した後、非還元条件下で精製されたタンパク質のSDS-PAGEを行い、銀染色したところ、およそ80kDaに相当するバンドが検出された。還元条件下では、およそ40kDaに相当する位置にバンドが検出され、また、これらのバンドがともに抗c-myc抗体を用いたウエスタンブロット解析でも検出されたことから、検出された80kDa、40kDaのバンドは、各々、sTCR鎖ヘテロ二量体、sTCR鎖の単量体であると考えられ、sTCRの分泌発現を確認できた。発現量は、培地1mlあたりおよそ1g程度と考えられ、大量発現と精製を行うことにより、立体構造解析や、各種のリガンドとTCRとの相互作用の物理化学的な解析に利用できると期待できる。

 本研究において作製したsTCRを、TCR/pMHC相互作用解析および抗原提示部位や抗原提示細胞の同定に用いることにより、これまでに明らかにされていない免疫メカニズムの解明や、各種免疫疾患への治療・予防法の開発に貢献するものと期待される。

審査要旨

 T細胞レセプター(TCR)は、特異的な抗原ペプチドとMHC分子の複合体(リガンド)と結合し、免疫応答を誘導する。抗原ペプチドのアミノ酸残基置換アナログが、T細胞応答の修飾を引き起こすことが報告されているが、その分子機構は未だに明らかにされていない。

 本研究では,ウシ-ラクトグロブリンの119-133残基(p119-133)とMHCクラスII分子の複合体を特異的に認識する4種のマウスCD4+T細胞クローンのTCRの一次構造、特に各クローンのTCRがリガンドを認識する際に重要と考えられる部位の構造と,抗原アナログに対して各クローンが示す各々の反応の特異性の相関について考察を行った。

 さらに、TCRとリガンドとの相互作用を物理化学的に解析するためには可溶化型TCR(sTCR)が有用であることから、上述の4種のT細胞クローンのうち、G1.19由来のSTCRの発現系を構築した。本論文は、緒言を含めた3章より成る。

 第2章では、p119-133特異的な4種のT細胞クローンが選択している可変(V)領域遺伝子について比較を行った。特に、TCRの抗原認識に直接関与していることが明らかになっているCDR3の一次構造を比較し、そこから推測される各クローン間での立体構造の相違と抗原アナログに対する反応性の相違との相関について考察を行った。その結果、TCRの特定の抗原認識に必要なV遺伝子は互いに相同性の高いものであるが、抗原認識に関与する配列が異なっており、このことが各クローン間での抗原アナログに対するT細胞応答の差を生み出す原因となっていることが示唆された。

 第3章では、抗原アナログに対する応答性の解析が進んでいる、T細胞クローンG1.19由来のsTCRの発現系を構築した。G1.19のTCR鎖、鎖各々から、膜貫通ドメインをコードしている遺伝子を欠損させることで、細胞外への分泌を期待した。また、定常領域下流に、ヘテロ二量体化を促進するため、ロイシンジッパー構造をコードするDNAを各々導入し、sTCR鎖、鎖遺伝子とした。さらにsTCR鎖のC末端には、抗ヒトc-mycモノクローナル抗体が認識するエピトープ配列を接続し、発現タンパク質の検出が可能となるよう設計した。第1節においては、哺乳動物細胞を用いたsTCRの発現系を構築した。sTCR鎖遺伝子を各々、動物細胞発現ベクターpME-18SのSRプロモーター下流に導入し、得られた各発現プラスミドを、COS7細胞に同時にトランスフェクトすることで、一過的に発現させた。各発現プラスミドを導入した細胞培養上清を、TCR鎖に特異的なモノクローナル抗体固定化カラムを用いてアフィニティー精製した後、SDS-PAGEを行い、精製されたタンパク質を銀染色したところ、62kDaのバンドが検出された。sTCRの期待分子量が61kDaであり、このバンドが抗c-myc抗体を用いたウエスタンブロット解析でも検出されたことから、sTCRの分泌発現を確認した。発現量は培地1mlあたり約50ngであった。

 第2節では、より大量のsTCRを作製するためバキュロウイルスを用いた昆虫細胞でのsTCRの発現系の構築を行った。ポリヘドリン、p10の各プロモーター下流に、sTCR鎖、鎖遺伝子を各々導入し、組み換え型バキュロウイルスを作製した。得られた組み換え型バキュロウイルスをシャクトリムシ卵由来細胞Tn5に感染させた細胞培養上清を、上記と同様にアフィニティー精製した後、非還元条件下で精製されたタンパク質のSDS-PAGEを行い、銀染色したところ、82kDaに相当するバンドが検出された。還元条件下では、45kDaに相当する位置にバンドが検出され、ともに抗c-myc抗体を用いた抗体染色でも検出されたことから、検出された80kDa、40kDaのバンドは、各々、sTCR鎖ヘテロ二量体、sTCR鎖の単量体であると考えられ、sTCRの分泌発現を確認した。発現量は、培地1mlあたり約1g程度と考えられ、大量発現と精製により、立体構造解析や、各種のリガンドとTCRとの相互作用の物理化学的な解析に利用できる。また、本研究において作製したsTCRを、抗原提示部位の同定に用いることにより、これまでに明らかにされていない免疫メカニズムの解明や、各種免疫疾患への治療・予防法の開発に貢献するものと期待される。

 以上、本研究で得られた知見は、TCRの一次構造と反応性の相関について解析し得られたものであり、さらに可溶化型TCRの発現系の構築にも成功したことから、免疫学上基礎的な研究として重要な意味を持つのはもちろんのこと、応用面でも貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと判断した。

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