学位論文要旨



No 115261
著者(漢字) ナイヤナン,アリヤカノン
著者(英字)
著者(カナ) ナイヤナン,アリヤカノン
標題(和) 森林流域における流出特性の長期的変化に関する研究
標題(洋) Studies on Long-term Trend in Discharge Characteristics in Forested Watersheds
報告番号 115261
報告番号 甲15261
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2106号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,猛彦
 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 小林,洋司
 東京大学 助教授 島田,正志
 東京大学 助教授 芝野,博文
内容要旨 1.目的

 流域内の植生、土層厚等が次第に変化するにつれ、森林流域の流出特性は変わることが考えられる。これまで、森林流域における数年単位の流出特性変化については、水収支による検討、水文モデルによる解析等が多く行われているが、数十年単位にわたる長期間の実測データに基づいて、流出特性の変化を解析した研究は少ない。そこで本研究では、長期間の水文データを基に、流出特性の変化を追跡し、さらにこれを再現出来る流出モデルを適用することによって、流出特性の長期変化に影響を与える植生等、場の要因について解析することを、目的とする。

2.解析に用いた流域及び水文データの諸元

 本研究は京都大学の桐生試験地および東京大学愛知演習林白坂流域を対象流域とした。両流域とも風化花崗岩地帯にあり、長期間にわたって水文観測が行われている。桐生試験地には20年分の毎時間および日雨量-流出量データが存在し、白坂流域には66年分の日雨量-流出データが存在する。桐生試験地では1972-1991年の期間中、1977年に流域の一部でマツ林の伐採が行われ、1984年に代わりにヒノキの植栽が行われた。白坂流域では1930-1996年の間、伐採は行われておらず、もともと劣化した植生だったところが連続した樹冠の森林へと変化した。

3.解析に用いた流出モデル及び解析過程について

 流出モデルとしては、福嶌(1988)によって提案された応答モデル(conceptual model)であるHYCYMODELを用いる。このモデルは日本や外国の多くの流域で、降雨から流出量を算定することに成功している。本モデルはモデル内の各パラメーターの変化によって流出の応答の変化を記述することが可能で、流出特性を推定するにあたって効果的な手法である。

 流出モデルのパラメータの変化によって、流出特性の変化と論ずるためには、良好にハイドログラフを再現することが前提となる。そのため、以下のような手順で解析を行った。

(1)観測データのquality check

 流出観測データと、福嶌自身が同定したパラメーターを用いたHYCYMODELへの降雨データ入力によって得られた流出データとの比較を通じて、欠測やデータ入力時におけるエラーを抽出し、今後の解析対象から取り除く。

(2)水収支の検討

 HYCYMODELによって得られる流出量を、蒸発散量に関する新たなパラメーターを操作することによって手順(1)を経て得られる流出量の観測値と等しくなるよう調節する。

(3)Error indexを用いた適合度の検討

 (2)の手順によって、水収支を調整した後、さらにモデルパラメータを変化させ、ハイドログラフの上昇、逓減等の形を合わせる。適合度の判定にあたってはError indexを導入し、定量的に評価する。

(4)モデルの時間依存性に対する検討

 より詳細な流出特性の変化をモデルから抽出するためには、細かな時間分解能の観測データが必要であると考えられる。桐生試験地においては、1時間単位の観測データが整備されているのに対し、白坂流域では時間単位のデータは完成しておらず、日単位のデータが整備されているのみである。そこで、日単位のデータから得られる出力結果の精度を、時間単位データから得られる結果の精度に近づけることを目的として、桐生試験地を対象としてモデル計算の出力結果に対する時間依存性について検討する。

4.解析結果

 本研究で行われた検討は以下の3つの部分から構成される。

 I.時間データを用いた桐生試験地の流出特性の検討

 II.桐生試験地における時間データと日データのHYCYMODELによる計算結果の比較

 III.日データによる白坂流域における流出特性の解析

 Iに関して、福嶌(1988)は桐生試験地において10年分の日データと時間データを用いて短期及び長期ハイドログラフを計算しているが、ここでは20年分の時間データを用い、再度解析を行う。福嶌のパラメータセットを用いた場合、1972年から1981年までの観測期間では、水収支誤差は少ない範囲にあるが、その後1991年までの観測データに当てはめた場合、水収支誤差は増大する傾向にあることが確認された。従って水収支誤差を減少させるために、蒸散量に関連する新たなモデルパラメータPEを導入した。ここでPEとは、月平均蒸散量に対してある一定の比率を乗ずることによって、水収支誤差を減少させるものである。PEの与え方には、20年間をとおして一定の値を与える手法と、各年毎に値を与えて単年毎の水収支誤差を最小にする手法の2通りを用いた。この2つの手法によるPEの与え方による水収支誤差の違いは同程度あり、水収支を適合させる操作が流出応答の検討に大きい影響を与えないことが確認された。またPEの導入後、最適化された各モデルパラメータによって、従来の福嶌モデルによる計算結果より適合度の高いパラメータセットが得られた。

 さらに厳密な適合度判定のために、ハイドログラフの再現性を検討する手法として新たに「Discharge range separation error index method」の提案を行う。まず、流出量の観測値について3つの領域(Qob<0.1,0.1<Qob<1.0,Qob>1.0mm/hr)に分け、各々の領域について流出が増大中か逓減中かで分けた。さらに、これらを計算流量が過少か(Qob>Qcal)、過大か(Qob<Qcal)で分類して誤差指標について検討を行う。結果として、Qob>1.0で流出増大中の領域において誤差指標が大きくなることを除いて、PE一定とPE各年を用いた場合の方が従来のパラメーターセットによる計算結果より誤差指標が小さな値を取ることが明らかになった。

 20年間の桐生試験地の流出特性は、各10年毎に区分して求めたHYCYMODELのパラメーターの変化からは、明瞭な変化傾向が示されていないことが判明した。

 IIにおいて、HYCYMODELの時間依存性について検討した。理論的にはHYCYMODEL内の各パラメータは時間間隔に対して独立であるが、樹幹通過雨量及び降雨強度の部分に関しては、入力降雨の時間間隔の影響をうける。

 1時間単位の降雨を入力として樹幹通過雨量を計算する場合においては、降雨の継続期間が特定できるのに対して、日単位のデータを入力として計算する場合には、降雨の継続期間の特定ができず、日降水量の総量に対して樹幹通過雨量が計算されることとなる。その結果、時間単位の降雨を入力として計算をおこなった場合と比較して、過大に樹幹通過雨量が計算されることが確認された。これら2つの差を無くすために日データの計算によって得られる樹幹通過雨量に0.9615を乗じる必要があった。

 入力降雨強度に関しては、日単位の降雨データを時間単位雨量に換算して与える場合、時間単位の降雨を入力する場合と比較して、降雨の継続時間についての検討が必要となる。そこで桐生試験地において、降雨の継続時間を1時間から12時間まで変化させて、実時間データから得られる結果と比較することによって、検討を行った。その結果、降雨継続期間が、4時間から12時間の範囲においては、誤差が減少するが、それ以外の継続時間間隔においては誤差が増大する傾向が確認された。すなわち日単位のデータから得られる出力結果の精度を、時間単位データから得られる結果の精度に近づける際には、1日の中で降雨時間を決める必要があり、本研究では、流出モデルの評価からこれを求めた。

 IIIでは、日データを用いた白坂流域の流出特性を、桐生時間データに基づいた解析結果を踏まえて、時間単位に換算した降雨を入力として与えて検討した。白坂日データは10年毎に区分して、モデルパラメータの最適化を行った。その結果いずれの期間においても、モデル計算結果は実測データと良く適合し、モデルパラメータの変化によって流出特性の変化を論じることが可能であることが確認された。得られた各パラメーターのうち雨水の地中への浸透に関連するパラメータD50は、1930年代から1990年代にかけて明確な増大傾向(52-63mm)を示しているに対して、他のパラメータは明瞭な変化傾向が確認されなかった。

 そこで1930-1996にかけてのパラメータD50の変化が白坂流域における流出特性に与える影響を検討することを目的として、HYCYMODELに一定降雨強度の雨を入力し計算を行った。その結果、降雨対直接流出量の割合は1930年代から1990年代まで次第に減少していることが分かった。この変化は植生の変化の影響と考えられる。一方、基底流出の特性については、どの期間も緩やかであり、大きい変化は認められないが、詳細に見ると1990年代で最も低い値を取り、1940年代で最も高い値を取っている。

5.まとめ

 本研究における、植生変化にともなう流出特性の変化に関して、

 (1)本研究が対象とした桐生試験地と白坂試験地の流出比較において、直接流出の特性と逓減曲線は共に基岩が風化花崗岩であるために類似の傾向を取る。両試験地は水収支におけて差異があるが、その差は、蒸発散量によるものである

 (2)桐生試験地の20年の流出記録による流出特性に明瞭な経時変化は検出されなかった。

 (3)HYCYMODELで直接流出量は、雨水の地中への浸透特性を代表するモデルパラメータによって決定される。白坂流域でそのパラメータは森林植生の変化に対応して変る結果を得た。白坂流域の森林植生の長期変化は、流出成分の内、直接流出量に最も大きく影響し、これを減少させている。

 (4)貧弱な植生地に森林植生が回復していく過程が、流域からの流出特性に与える影響は、長時間かけて現れる。この変化は、従来対照流域法で調べられている植生変化が蒸発散に与える影響と比較して遅れて生ずる。

 以上のことが明らかになった。

審査要旨

 本論文は、京都大学桐生水文試験地及び東京大学愛知演習林白坂試験流域における、それぞれ20年間及び67年間の降雨データ及び流出データを用いて、森林の成長及びそれに伴う土層厚等の変化が流出特性に与える影響を福嶌(1988)によって提案された応答モデルであるHYCYMODELを適用して解析することにより、森林の水源涵養機能にかかわる森林流域からの流出の長期変化の実態を明らかにしようとしたものである。

 第1章では、流出モデルの開発の歴史と植生変化が流出に及ぼす影響に関する既知見を整理し本研究の位置づけを明らかにするとともに、解析の手順と論文の構成を示した。

 第2章においては、植生の変化を中心に桐生試験地と白坂流域の概要を記述するとともに、HYCYMODELの概要と本研究への適用方法を示した。特に白坂流域の植生変化に関しては主要林分ごとにその変化を時系列に沿って整理するとともに、1935年から1998年までの9時期の航空写真を簡易オルソ化処理の手法を用いて精密に比較し、森林の成長の実像を明示した。

 第3章では、桐生試験地の20年間の時間データにHYCYMODELを適用し、同試験地での流出特性の長期変化の検出を試みるとともに、HYCYMODELを用いての不良データの除去法、蒸発散サブモデルの改良、HYCYMODELの適合度向上のための新たな誤差計算法の導入など、HYCYMODEL自身及びその適用手法に関していくつかの改良を試みた。その結果、HYCYMODELを用いた流出解析の精度を向上させるとともに、桐生試験地では流出特性に変化が見られないことを明らかにした。

 第4章では、桐生試験地の20年間の時間データと日データを用いて、HYCYMODELを日データに適用する場合に見られる精度の低下を改良する方法を検討した。すなわち、日単位の計算で発生する降雨強度の過小評価(降雨継続時間の過大評価)を解消するため、日単位の計算であっても降雨実態に合わせた継続時間を採用できる方法を開発した。このことは、現在日データのみが整備されている白坂流域の67年間のデータを用いての解析が、時間データを用いての解析に近い精度で行いうることを示している。

 第5章では、第4章で改良された手法を用いて、白坂流域の1930年から1996年までの日データにHYCYMODELを適用し、流出特性の長期的変化の検出を試みた。まず、日データを10年ごとに区分してモデルパラメータの最適化を行いそれぞれ流出量を計算した結果、実測値とよく適合することが確認された。こうして得られた各年代ごとの各パラメータを比較すると、雨水の地中への浸透に関するパラメータのみが1930年代から1990年代にかけて明確に増大していることが見いだされた。そこで、同パラメータの変化が流出特性に及ぼす影響を明確にするため、HYCYMODELの同パラメータのみを変化させ、一定降雨強度の降雨を入力して計算を行った結果、白坂流域の森林植生の長期変化は、流出成分のうち直接流出量に最も大きく影響し、これを減少させていることが明らかになった。さらにそのような変化は、長時間をかけてきわめてゆっくりと現れることも判明した。

 以上要するに本論文は、森林流域の流出解析において最も頻繁に用いられている流出モデルであるHYCYMODELのモデルの自身の一部とその適用手法の改良を行うとともに、きわあて長期の流出データを用いて森林の変化が流出に及ぼす影響を初めて実証的に明らかにした。この結果は森林管理の面からみてもきわめて重要な成果であり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、博士(農学)の学位論文として十分な価値を有するものと判断した。

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