学位論文要旨



No 115262
著者(漢字) 大野,亮一
著者(英字)
著者(カナ) オオノ,リョウイチ
標題(和) 表層崩壊の発生機構に関する研究 : 模型実験と数値モデルを用いた解析
標題(洋)
報告番号 115262
報告番号 甲15262
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2107号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,猛彦
 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 小林,洋司
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 助教授 芝野,博文
内容要旨 1.研究の目的

 近年,自然災害被害者数は減少傾向にあるが,逆にひとたび災害が発生したときの社会的注目度は以前に増して大きくなっており,人的被害軽減に対する要求はより強まっているといえる.近年の土砂災害の内訳をみてみると,巨大災害がほとんどみあたらないのに対し,豪雨により山間部,都市周辺部で小規模な災害が発生するケースが多い.こうした小規模な土砂災害に占める割合がもっとも高いのが,崖崩れすなわち表層崩壊である.

 表層崩壊の発生機構は,降雨が表面流と浸透流に分離され浸透水が地下水位を形成する水文過程と,土層内に形成された地下水位が斜面の安定性を低下させ崩壊に至る土質力学過程の2つに区分される.これまでの表層崩壊に関する研究では現象が比較的理解しやすく,実験による検討も容易な砂質土を対象としているため,水文過程において降雨を表面流と浸透流に分離する必然性が希薄であった.表面流が発生した場合には,砂質土ではリル侵食が激しく土砂を移送し,もはや崩壊は生じえないため,崩壊研究の対象とならない.しかしながら,実際の表土は粘土成分を有するため,表面流によりリル侵食が生じても砂質土に比べ表土の侵食量は少なく,斜面は崩壊ポテンシャルを有したまま危険斜面として存在することになる.また,粘性は表層崩壊のような浅い崩壊にあっては,その崩壊形態に大きな影響を及ぼすことが知られる.つまり,崩壊発生機構において粘性は,水文過程,土質力学過程の双方に大きく影響を与える.

 本研究では,従来の表層崩壊研究において考慮されることの少なかった粘土成分を含む斜面での表層崩壊の発生機構を調べる.

 まず,模型崩壊実験の結果をもとに,表面流と浸透流およびリル侵食と崩壊の発生機構の定性的把握をおこない,斜面形状,降雨強度,勾配,粘土含有率,乾燥密度といった崩壊の諸要因がどのような役割を担うかを探る.次に,従来の研究成果である数値崩壊モデルを今回の実験に適用し,その適用性と限界を指摘するとともに対処法を示す.そして,実験結果でみられた粘土成分の役割と崩壊モデルの応答でみられた粘性の影響との対応を論ずる.最後に,従来砂質土を対象に解明されてきた崩壊発生機構に対し,粘土成分を有する崩壊はどう位置づけられるかを論じること,以上が本研究の目的である.

2.解析に用いた資料

 解析に用いた模型崩壊実験は,斜面形状,土層末端排水条件,土質,降雨強度の各崩壊要因について複数水準を準備し,直交表に基づき組み合わせを定め,全部で66通りがおこなわれた.実験土槽は斜面長6.0m,斜面幅2.0m,高さ1.3mであり,観測項目は,間隙水圧,移動量,前方側方からのビデオ撮影である.

Table 1 模型実験の崩壊要因と水準一覧.
3.実験データの解析

 ここでは,実験で観測されたデータにもとづき崩壊の発生機構を論じる.

 まず,土層の初期含水率分布と間隙水圧の時系列データから土体内に浸透しなかった降雨損失を求めこれを表面流として,表面流と崩壊要因の関係について検討した.その結果,要素試験による透水係数Ksは,表面流の評価に直接用いるのは適切ではなく,Ksが小さい場合(<30mm/hr)に,Ks’=Ks+15.56と上方修正する必要があることがわかった.そして,今回の崩壊実験における地表面浸透能Iは,降雨強度Rfと修正された透水係数Ks’によって説明され,Rf<Ks’ではI=Rf,Rf>Ks’ではI=Ks’というホートン流の概念に従うことが判明した.

 次にリル侵食と崩壊の各要因の対応を検討した.リル侵食の程度を目視判定により,小,中,大の各3階級に分類した.そして,各要因別のリル指数分布をもとに,乾燥密度がリル侵食量にもっとも影響を持つことを見いだした.

 次に表面流とリル指数を包括した検討として,表面流の小,中,大,リル指数の小,中,大の3階級を縦横に割り付けた3x3=9のカテゴリを持つクロステーブル1を作成した.このクロステーブルを読み解く中で,表面流発生過程の詳細が判明した.すなわち,i)リル侵食による地表面亀裂の発達が浸透能の増大をもたらす仕組みが存在し,表面流の増大に二義的因子として勾配が関与すること,ii)透水係数Ksを構成する主要因は粘土含有率と乾燥密度であるが,表面流発生過程におけるKsは主として粘土含有率に支配されること,の2点である.

 同じくクロステーブル1からは,リル侵食に関しては乾燥密度の他に,粘土含有率,勾配が二義的な役割を果たすことがわかった.また.本来粘土含有率と高い相関関係にある透水係数の値のみからはリル侵食量の判定は難しいことが判明した.

 クロステーブル1と同様に間隙水圧変化の3種類の形態と土体移動量変化の3種類の形態を縦横に割り付けた3x3=9のカテゴリを持つクロステーブル2を作成した.テーブル2においても,粘土含有率と勾配に関してテーブル1と同様の働き方が存在することがわかった.

 最後にテーブル1とテーブル2を重ねあわせて検討した結果を述べる,テーブル1上で(表面流小-リル小)⇔(表面流大-リル大)の線形対応に属するカテゴリを,表面流とリル侵食の「線形関係」と呼ぶことにすると,テーブル1で「線形関係」に属する実験の多くは,テーブル2で崩壊形態が「急速崩壊」に属することがわかった.これら「線形関係」そして「急速崩壊」に属する実験は,粘土含有率が平均で8%以下であり,それ以上の大きな粘土含有率の実験では,表面流とリル侵食量は「線形関係」になく,そして「急速崩壊」せずに「クリープほか」の移動形態をとることがわかった.そして「クリープほか」に属する実験では降雨強度の大小に応じて,降雨大では表面流大,降雨小ではリル侵食大となる傾向にあった.これらのことは,従来の砂質土を用いた実験では調べられることのなかった新たな知見である.

4.数値モデルによる解析

 本研究では数値モデルとして水文過程に対応する数値浸透モデルと,土質力学過程に対応する斜面安定解析モデルを準備した.浸透モデルは三次元有限要素法による飽和不飽和浸透流解析である.一般に公開されているソースコードFEMWATERに改良を加え,水収支に優れる修正Picard反復法による計算コードとした.また,斜面安定解析モデルは極限平衡法である拡張簡易Bishop法を用いた分割法による計算コードを自作した.

 数値浸透モデルに要素試験によって測定されたパラメータを直接入力して計算をおこなった場合,透水係数の大きな実験(Ks=103mm/hr,従来の砂質土による実験に近い)では,実験結果を良好に再現することができたが,透水係数が小〜中程度(Ks=16-51mm/hr)の実験では実験結果と大きく異なり,たとえば,斜面下流の勾配が急で上流が緩である場合,鉛直土層厚は上流が薄くなるため,計算では上流側で先に地下水位が形成されるが,実際の観測結果ではすべて急勾配の下流側で水位が観測されていた.

 この矛盾を解決するには,リル侵食の発達,クラックの形成が原因と考えられる降雨継続中における土層全体の透水能の増大を考慮することと,加えて地表面に発達した亀裂による降雨浸入強度の違いは,地表面勾配に応じて浸入強度を変化させればよいことを示した.これは,粘土成分を有するような透水係数の小さい土層について降雨対応の浸透計算をおこなう場合に今後留意しなければならないことである.

 次に観測された間隙水圧を斜面安定解析モデルに与え,斜面安定解析をおこなった.その結果,全体が一気に崩壊する急速崩壊を対象とした場合,分割法による円弧すべり解析結果は,崩壊発生位置および深度ともに十分な精度の再現が可能であった.斜面安全率は,粘着力の増加に対し比例増加した.また,そのときの安全率の増加率は乾燥密度により影響を受け,締固めが緩いほど増加率は大きかった.

 安定解析計算によって,すべり面の発生位置の特定には,水位面形状と粘着力が支配的であることが判明した.すなわち,一部分が盛り上がった水位面形状の場合,高水位部,もしくは高水位部を末端とした上流側に崩壊発生位置が規定される.逆に水位面形状がフラットな場合には,粘土含有率の変化によりすべり発生位置は斜面上流部から下流部に移動したり,逆向きに移動する場合もあり,その崩壊の発生機構は非常に多様な形態となった.

5.結論

 本研究で検討された内容を粘土成分の存在という観点から整理し直せば以下のようになる.

 1)粘土成分の存在は,表面流発生過程,リル侵食過程,すべり崩壊発生過程のすべてに関与する.特にi)透水能の低下をもたらし表面流発生を促す主要因であること,ii)土の粘着力成分として安全率,崩壊発生位置に影響すること,の2つの役割が重要である.リル侵食量の主たる支配要因は乾燥密度であり,粘土含有率は二義的に土粒子の膠結力を補強する侵食抑制要因として表面流量の多い場合に影響を及ぼす.

 2)「急速崩壊」に分類される実験は,平均粘土含有率が8%以下の実験であった.また,「急速崩壊」した実験に対する安定解析モデルの適用性は高かった.つまり,ある程度の粘土成分が存在する場合でも極限平衡法による安定解析モデルは,特別な処理なしに適用可能である.一方で浸透流解析モデルは,ほとんど砂質に近い実験では良好な適用結果を得られたが,多くの実験において透水係数の割増しとリル侵食に対応した入力降雨の調整が必要とされた.現状では数値崩壊モデルの適用にあたっては水文過程の再現に多くの課題が残されているといえる.

 3)(表面流-リル侵食)が「線形関係」である実験群と,「急速崩壊」に分類される実験群が良好な対応関係にあることが判明した.この関係は,従来の砂質土による実験を包含しつつ,8%の粘土含有率までに拡張された水文過程と土質力学過程をつなぐあらたな関係である.この関係から外れる高い粘土含有率を有する実験は,「急速崩壊」せず,クリープや侵食による土砂移動形態が卓越する.このように砂質士を包括しつつ粘性土の崩壊機構が分類整理されたことにより,今後,表層崩壊研究におけるあらたな指針が得られた.

審査要旨

 本論文は、粘土成分を含む斜面土層で発生する表層崩壊に関して、降雨の浸透、間隙水圧の発生、崩壊の発生の各プロセスにおける粘土成分の影響を多数の実験とその物理解析により明らかにするとともに、粘土成分の影響の大きい実際斜面における崩壊及びその関連現象に関する物理的理解を促進させようとしたものである。

 第1章における研究の背景と目的の記述に引き続き、第2章では、砂質土を中心に行われてきた従来の斜面崩壊に関する研究を概説し、統計的解祈-物理的解析、集中型モデル使用-分布型モデル使用の2軸を用いて既存研究を5グループに分類・総括するとともに、斜面安定解析の方法が極限平衡法から応力変形解析に移行しつつあることを概観した。その中で、室内実験を用いた斜面崩壊の物理的解析研究では、粘土成分を含んだ土層を用いた実験がほとんど行われていないことを指摘し、粘土成分の影響の大きい自然斜面の崩壊のメカニズムの追究に向けての本研究の着眼点の意義を明らかにした。

 第3章では、本研究が対象とした斜面崩壊実験の内容が詳細に記述された。実験は、3種類の粘土含有率と3種類の乾燥密度を組み合わせた9種類の材料を用いて、斜面勾配、斜面形状、降雨強度、末端排水条件を変化させた66通りが実施された。実験中の観測項目は間隙水圧測定、移動量測定、側面からのビデオ撮影である。実験前に各材料の各種物理定数が測定された。なお、手間のかかる斜面崩壊実験が66通りもの多数実施されていたことがこの研究を成功させた最大の理由である。

 第4章では、上述の崩壊実験結果を「浸透の可否-リル侵食発生」過程と「間隙水圧発生-土層移動」過程に分けて整理した。前者では、まず浸透流量を計算して実際の透水係数と材料の透水係数を比較するとともに、降雨量との差から表面流量を求めた。次に、おもに表面流により土層の表面に発生する小溝、割れ目、凹凸等をリル侵食と定義し、その大、中、小と表面流量の大、中、小とにより全実験を整理した(クロステーブル1)。その結果、多くの実験は、主に粘土含有率低〜中、緩勾配で起こる、表面流が増加するとリル侵食も増加する実験群(A群)と、主に乾燥密度小、急勾配で起こる、表面流が大きいのにリル侵食が小さいもの(B群〉及びその逆のもの(C群)に分けられ、A群では乾燥密度が耐侵食性に強く関与し、B、C群では粘土含有率が強く関与することを見いだした。一方、後者の過程では、土層移動形態を急速崩壊型、クリープ移動型、上層土移動型の3種類、間隙水圧変化を急昇急降型、急昇維持型、徐昇型の3種類に分けて整理した(クロステーブル2)結果、先のA群は間隙水圧が急昇する急速崩壊型に、B群は同じく上層土移動型にそれぞれ対応し、C群では間隙水圧変化の型にほぼ対応した全ての土層移動形態が発生することを見いだした。

 第5章では、浸透流による表層崩壊の発生機構を物理的に解明するため、水文過程を記述する浸透流解析モデルとして有限要素法による三次元飽和不飽和浸透流モデルを、土質力学過程を記述する斜面安定解析モデルとして極限平衡法による三次元ビショップ円弧すべりモデルをそれぞれ用意し、前者に水収支精度に優れる修正ピカード法を導入するなどの工夫を加えた総合計算プログラムを開発した。

 続く第6章では、同プログラムを用いて斜面崩壊実験で観測された表面流量、浸透過程、間隙水圧分布等を検証した。その結果、浸透流解析では、斜面縦断形状の影響やリル侵食の増加による浸透水量の増加の影響が確認された。特に後者は、土層材料における粘土成分含有量の差に基づく保水性・透水性の差の影響よりも大きいことを見いだした。

 また、斜面安定解析では、急速崩壊型の土層移動には従来の砂質土斜面の崩壊と同様のメカニズムが推測されること、斜面安全率は粘着力の増加とともに増加し、その増加率は乾燥密度の影響を受けること、すべり面の発生位置は間隙水圧分布と粘着力に支配されること等を見いだすとともに、今後は水文過程の更なる究明が必要なことを指摘した。

 以上要するに本論文は、表層崩壊を中心とした斜面土層の移動に際して、土層に含まれる粘土成分は表面流発生過程、地表面の耐侵食性、土壌物理特性に基づく浸透特性、土質強度特性に影響するばかりでなく、リル侵食の発生を通じて雨水の土中への浸入強度にも影響することを初めて明らかにし、従来の砂質土層の崩壊現象を包含した、粘土成分を含む斜面土層の崩壊及びその関連現象を物理的に解明する道を開くことに成功したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、博士(農学)の学位論文として十分な価値を有するものと判断した。

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