学位論文要旨



No 115263
著者(漢字) 高橋,勇一
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ユウイチ
標題(和) 中国東北部の沙漠化地域における持続可能な発展に関する基礎的研究 : ホルチン沙地における環境教育林事業を事例として
標題(洋)
報告番号 115263
報告番号 甲15263
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2108号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 箕輪,光博
 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 教授 佐藤,洋平
 東京大学 助教授 白石,則彦
 東京大学 助教授 井上,真
内容要旨

 歴史を振り返ると,人間活動の拡大もしくは文明の発展とともにつねに森林の破壊あるいは環境の劣化が生じてきた。しかし,今や人間の責任において,環境劣化地域の自然生態系を回復させると同時に,「持続可能な発展」型の社会(地域)を創造していくことが重要な課題となっている。そこで本研究では,主に人為的要因によって沙漠化したとされる中国東北部のホルチン沙地において実行されてきている「環境教育林事業」に着目し,次の諸点を明らかにすることを目的とした。まず,(1)その地域の自然環境の特性をおさえると同時に,沙漠化の歴史的経緯およびその原因について考察する,次に(2)「環境教育林事業」を対象として,そのプロジェクトの成果に関して,生態・経済・社会的側面から総合的に評価を行う,その上で(3)今後の事業の持続可能な計画および発展の可能性について考察を行い,さらに(4)沙漠化地域における「持続可能な発展」に向けての環境計画を確立する。ここで,「環境教育林事業」とは,日本バイオビレッジ協会(NGO)等が内蒙古庫倫旗政府と契約を交わし,1996〜2020年(25年)の間,無償貸与された500haの土地において,沙漠化した土地を以前の緑豊かな森林・草原に戻し,住民の生活の向上を図るために最新の科学技術や知識も応用して,農林畜産業などを総合的に計画していく沙漠化防治のモデル事業である。

 第1章においては,近年の「森林減少問題」と「砂漠化問題」を概観しながら,既往の研究について整理し,その結果,砂漠化対策として,総合的な視点からとらえる研究が必要であること,そして持続可能な発展という側面からの事業計画が重要な課題であることを明らかにし,本研究の意義を明確化させた。

 第2章では,ホルチン沙地の特徴に関して,自然環境条件および歴史的な経緯を整理した。その結果,ホルチン地域は,中国北方地区では比較的恵まれた自然環境条件を備え,かつては樹木の多い草原が広がっていたが,脆弱な生態環境,強風・少雨などの自然的要因に加えて,長い歴史にわたる戦争,農耕中心の土地開墾などによって沙漠化が進行してきた。ただし,18世紀以前の遊牧時代のように環境への負荷が小さい場合には,沙漠化は停止するどころかむしろ森林草原が自然と回復するという現象もあったことがわかった。そして現代においては,人口増加に伴う農地開墾,過度の森林伐採・薪炭採取,そして家畜の過放牧によって,急激に沙漠化地域が拡大してきている。つまり,この地域の沙漠化は,自然的要因と人為的要因の相乗効果によって引き起こされてきたが,主に人為的要因によるところが大きく,逆に人為的に適切な措置を施せば,森林草原の復旧の可能性は高いと考えられる。

 第3章では,現代における農・林・牧畜業と沙漠化問題について,社会的背景を整理した上で,研究者サイドの分析と地域住民サイドの認識を比較・検討した。研究者の分析および地域住民への面接調査より今回算出した結果は,次の通りであった。

図表

 この両者のギャップの理由は,地域住民の回答は経験に基づくところが大きく,主に最近の20〜30年を対象にしているからと考えられる。つまり,1970年頃までに過度の土地開墾や森林の過伐によって沙漠化した土地は認識の対象外になり,「家畜の過放牧」に多くの回答が集まったためと考えられる。

 また,人口密度,家畜密度,森林率,耕地率,そして沙漠化の諸関係を相関分析によって解析した結果,沙漠化逆転のポイントは森林率との相関が高いことがわかり,沙漠化防治において防護林帯の建設という手段が有効であることが明らかになった。

 第4章では,「環境教育林事業」について,その現状を踏まえ,生態的・経済的・社会的観点から,プロジェクト評価を行った。生態(環境)的側面では,沙漠化は防止され,自然植生もかなり回復してきたと言える。例えば,5m×5mの6プロットにおける植生調査によると,強度沙漠化土地においてはAgriophyllum squarrosum(沙米)が急増して沙地を固定し,軽度沙漠化土地においては土壌が豊かであることを示す指標植物が増加した。また事業区内の植物数は増加し,野生生物に関しても,姿を消していたウサギの生息も確認されるまでになった。経済的側面では,農作物生産が可能となり,経済便益も増加してきている。1996年〜1999年の費用便益分析ではマイナスになるが,数年後にはプラスに転化されることが予想された。そして社会的側面では,地域住民の事業に対する評価は,「沙漠化を防止した」,「緑が回復した」などにおいて非常に高いことがわかった。また住民参加に関しては,植林活動や家庭生態経済圏への自主的な取り組みも積極的であることが明らかになった。したがって,生態的側面,経済的側面,そして社会的側面からも,この事業は成功してきていると考えられる。なお,CVMを適用して環境教育林事業を評価した結果,地域住民の「環境教育林の育成かつバイオビレッジの建設のための基金」への支払意志額(WTP)の総額は,15876元と算出され(1999年調査),地元では高く評価されていることが明らかになった。

 第5章では,環境教育林事業の持続的計画について考案し,農林業生産のシミュレーションを試みた。森林および果樹の建設に関しては,森林経理の伝統的な思想を応用した「持続可能な循環経営」が有効であることを示した。その計画に基づいて,いくつかのシナリオを想定し,1996年〜2035年の40年期間におけるシミュレーションを行った結果,もし事業を実行しなかった場合は,沙漠化地域が拡大してその被害額が徐々に増加していき,事業を実行した場合はいずれも経済純便益がプラスになることが予測された。森林・果樹・農地・草地のバランスを考えたシナリオ1,森林面積を大きくするシナリオ2,そして農地面積を大きくするシナリオ3とすると,短期的には,シナリオ3が最も経済利益を上げることができるが,40年にわたる純便益の合計は,シナリオ1が最も多く,ついでシナリオ3,そして3番目がシナリオ2となる。そして期間を十分に長くとれば,やがてはシナリオ2の純便益が最大になり,ついでシナリオ1,最低はシナリオ3になる。したがって,長期的視野で考えて,森林,果樹,草地を適切に育成しながら,農作物生産を高めていく努力をするのが最も賢明な選択であると考えられた。そして,この計画の実行可能性に関しては,地域住民が植林活動に対して積極的な参加意志をもっていること,また森林の公益的機能を高く評価していることから,十分に可能であると考えられる。

 ここで,地域住民による森林評価については,地元林業站長への聞き取りや地域住民への面接調査の結果をもとに,森林が有する各公益的機能を点数化し,対木材生産比を算出した。木材生産を10点とした時,森林の役割の総合的な点数は,

 (額勒順鎮林業站長):(地域住民;家長たち):(地域の子供たち)

 =99.0±1:80.6±2:74.6±3(nは誤差)となった。

 そして,地域住民が森林を評価する際に,視覚的にインパクトが強いと思われる「樹高」を基準とし,樹高の成長とともに森林の公益的機能が高まるように認識されるという仮定のもとで,森林の公益的機能を評価する新しい方法を提示した。

 さらに,経営サイドからの森林評価法である「平田のuk(林業経営の森林資本評価)」という概念のkの部分に,地域住民の「支払意志額(WTP)」すなわち「消費者余剰(CS)」を組み入れ,経営サイド主体ではあるが住民参加の概念も含めた森林評価法を考案した。ここで,uは輪伐期であり,kは一定材積量(v)を永久に連産するための本年の費用である。すなわち,木材の生産費において,伐出費tと植林・保育費c,維持・管理費c’を考え,(t+c+c’)=k1とし,ここにk2=CSを組み込む。つまり,uk=u(k1+k2)とし,これを森林の資本評価とする。なお,k2は,「未来への投資」や「合意形成費」とも解釈できる。

 第6章では,沙漠化地域における持続可能な発展を実現していく上で,その基本モデルとして考案した「セル(細胞)型モデル計画」の概念を説明した。この計画は,「細胞式造林」を沙漠において,しかも造林・育林技術から地域・農村計画(空間的広がり)へ,さらに環境教育(時間的広がり)へ拡張したものである。空間的には,沙地における緑化事業を展開していく際に,まず対象地域を囲むという作業が効果的であり,その周囲に沿って幅10〜20mの防護林帯を建設する。この基盤の上で,林地,果樹園,牧草地,畑地などを造成していく。すなわち,生命体の基本単位であるセル(細胞)に相当する構造の環境を創造していき,その構造体を連結させて,グリーンベルトを形成していく。また「核-環境」の関係は重層的な構造になっており,「環境教育林」は,地域レベルの沙漠化防治事業の核にもなる。一方,時間的広がりにおいては,環境教育を通じて次世代を担う子供たちの意識を高め,沙漠化防治の知恵や技術を継承させていくのである。

 なお,次世代を担う子供たちの意識調査の結果,「関心」,「参加(態度)」,「共生」,「協力」,「未来指向性」「質的発展」などの特徴に関して,比較的強い意志をもっていることが明らかになった。したがって,額勒順鎮における環境教育林事業の「持続可能な発展」の可能性は潜在的にもかなり高いと考えられる。

 そして第7章では,第6章までの成果に総合的考察を加えるとともに,「エゴ・アクション」から「エコ・アクション」への重点移動および両者の調和的関係を基礎とした「持続可能な発展」に向けての環境計画の方向性を示し,さらに今後の課題や応用化への展望について述べ,本研究のまとめとした。

審査要旨

 本研究は,中国東北部のホルチン沙地において実行されてきている「環境教育林事業」に着目し,次の諸点を明らかにすることを目的とした。まず,その地域の自然環境の特性及び沙漠化の歴史的経緯およびその原因について考察する。次いで,「環境教育林事業」を対象としてそのプロジェクトの成果を生態・経済・社会的側面から総合的に評価し,事業計画の持続可能性および発展の可能性について考察を行い,最後に沙漠化地域における「持統可能な発展」に向けての環境計画を提示する。

 第1章においては,既往の研究について整理し,持続可能な発展という側面からの事業計画の重要性と本研究の意義を明らかにした。

 第2章では,ホルチン沙地の特徴を自然環境条件および歴史的な経緯の両面から整理した。その結果,この地域は,中国北方地区では比較的恵まれた自然環境条件を備え,かつては樹木の多い草原が広がっていたこと,しかし,脆弱な生態環境,強風・少雨などの自然的要因と戦争,土地開墾,過放牧などの社会的要因により沙漠化が進行してきたことなどが明らかになった。

 第3章では,社会的背景を整理した上で,沙漠化に関して研究者サイドの分析と地域住民サイドの認識を比較・検討した。また,沙漠化の逆転は森林率との相関が高く,沙漠化防治において防護林帯の建設という手段が有効であることが明らかになった。

 第4章では,「環境教育林事業」について,生態的・経済的・社会的観点からプロジェクト評価を行った。生態面では,強度沙漠化土地においては沙米の急増により砂地が固定し,軽度沙漠化土地においては土壌の豊かさを示す指標植物が増加していたことが植生調査より明らかになった。また事業区内の植物数は増加し,さらにウサギの生息が確認されるまでになった。経済面では,農作物生産が可能となり,1996年〜99年の費用便益分析ではマイナスになるが,数年後にはプラスに転化することが予想された。そして社会面では,地域住民の事業に対する評価は,「沙漠化を防止した」,「緑が回復した」等において非常に高かった。なお,CVMを適用して環境教育林事業を評価した結果,地域住民の「環境教育林基金」への支払意志額の総額は15876元と算出され,事業計画は高く評価されていることが明らかになった。

 第5章では,まず事業の持続的計画に関して,森林経理の伝統的な思想に立脚した「持続可能な循環経営」のモデルが有効であることを示した。次にいくつかのシナリオを想定し,1996年〜2035年の40年間におけるシミュレーションを行った結果,事業を実行しなかった場合は,沙漠化地域の拡大により被害額が徐々に増加し,実行した場合は経済純便益がプラスになることが予測された。また長期的視野で考えると,森林,果樹,草地を適切に育成しながら,全体として農作物生産を高めていく努力をするのが最も賢明な選択であると考えられた。地域住民による森林評価については,地元林業站長への聞き取りや地域住民への面接調査の結果をもとに森林の公益的機能を点数化した。その結果,木材生産機能を1とした時,公益的機能は約10となった。また,「樹高の成長」とともに森林の公益的機能に対する住民の評価が高まるという仮定のもとで,森林の公益的機能を評価する新しい方法を提示した。さらに,経営サイドからの森林評価法である「平田のuk(林業経営の森林資本評価)」という概念のkの部分に,地域住民の「支払意志額」すなわち「消費者余剰(CS)」を付加し,経営サイドと住民サイドを繋ぐ住民参加型の森林評価法を考案した。ここで,uは輪伐期であり,kは一定材積量(v)を永久に連産するための本年の費用である。

 第6章では,沙漠化地域における持続可能な発展を実現していく上で,その基本モデルとして「セル(細胞)型モデル計画」の概念を構想した。この計画は,「細胞式造林」を造林・育林技術から地域・農村計画(空間的広がり)へ,さらに環境教育(時間的広がり)へ拡張したものである。

 第7章では,第6章までの成果に総合的考察を加えるとともに,「エゴ・アクション」から「エコ・アクショシ」への重点移動および両者の調和的関係を基礎とした「持続可能な発展」に向けての環境計画の方向性を示し,さらに今後の課題や応用化への展望について述べ,本研究のまとめとした。

 以上,本研究は,中国ホルチン沙地における環境教育林事業を対象に,その生態的・経済的・社会的背景を分析すると共に,その事業のもたらす効果と展望を経営学的及び思想的に明らかにしたものである。よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54746