学位論文要旨



No 115264
著者(漢字) 周,志华
著者(英字)
著者(カナ) ゾウ,ズファ
標題(和) 富士山麓カラマツ林における外生菌根菌ハナイグチの分子生態学 : マイクロサテライト関連DNA多型マーカーによる子実体、根外菌糸体および菌根のジェネット解析
標題(洋) Molecular ecology of an ectomycorrhizal fungus,Suillus grevillei,in Larix kaempferi forests at the foot of Mt.Fuji:genet analyses of sporocarps,extraradical mycelia and mycorrhizae by microsatellite-related DNA polymorphic markers
報告番号 115264
報告番号 甲15264
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2109号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寳月,岱造
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 助教授 久保田,耕平
 東京大学 助教授 小島,克己
内容要旨 1.はじめに

 外生菌根菌は、樹木との間に共生関係を築き、森林生態系における物質循環に大きく寄与していると考えられている。外生菌根菌は、菌根を通して樹木から炭素源を受け取り生育に利用すると共に、自らは樹木に対してリンや窒素などの栄養分を供給する。しかし、こうした外生菌根菌の機能が実際の森林生態系でどのように働いているかは、十分解明されていない。外生菌根菌の森林生態系における機能を考える上で考慮すべき重要な要因は、機能の主体である菌の量や分布とそれを支える繁殖様式であろう。外生菌根菌の繁殖は、通常胞子散布と根外菌糸体の発達によって担われるが、それらは、個体群内の遺伝子フロー、地上部(子実体)および地下部(根外菌糸体と菌根)におけるジェネットの広がり等に表現される。そこで本研究では、外生菌根菌の繁殖様式を明らかにするために、富士山麓のカラマツ林において外生菌根菌ハナイグチの遺伝子フローと子実体、根外菌糸体および菌根におけるジェネット構造を、マイクロサテライトに関連したDNA多型マーカーを用いて解析した。

2.ハナイグチ子実体のISSR多型解析に基づくジェネット解析(1)ハナイグチのISSRマーカーの開発

 ハナイグチ子実体の発生位置の分布からジェネットを決定するためには、子実体間の遺伝的差異を多型性の高い遺伝子マーカーによって評価する必要がある。そこで、多型性、再現性が高いISSR(Inter-Simple Sequence Repeat)マーカーを開発した。

 繰り返し配列をモチーフとした13のプライマーにより、互いに離れた位置に発生した7つのハナイグチ子実体から抽出したDNAを鋳型にして、PCR増幅を行った。その結果、13のプライマーのうち、3つ((GTG)5、(GCC)5および(GACA)4)が鮮明に再現性良く多型を示した。そこで以降の解析では、(GTG)5、(GCC)5および(GACA)4の各プライマーを用いることにした。

(2)ハナイグチ子実体のISSR多型解析

 次いで、東京大学富士演習林内のカラマツ林(林分A)で1997年9月から10月にかけて発生したハナイグチ子実体について、上記3種類のプライマーを用いてISSR多型解析を行い、ジェネットの分布とサイズを決定した。なお、林分Aは国道に面しており攪乱を受けやすい条件にあった。

 その結果、(1)林分Aのハナイグチジェネットは、これまでのイグチ属のジェネットの報告例に比べて小さいこと、(2)近傍に発生した子実体でも異なるジェネットに属する場合が多いこと、(3)ジェネットが異なっても遺伝的類似性が高い子実体は互いに近くに発生する傾向があること、が解った。これらの結果は、(1)ハナイグチの繁殖が胞子散布に大きく依存すること、(2)胞子は比較的限られた距離に散布されること、を示唆している。

3.2つのカラマツ林におけるハナイグチジェネットの動態

 ハナイグチジェネットが他のイグチ属のジェネットに比べて小さいことの原因を探るため、林分Aに加えて同じく富士演習林内に設定したカラマツ林分Bで、1997年と1998年の9月から10月にかけて、ハナイグチ子実体のジェネット構造をISSR多型解析により調べた。なお、林分Bは山間にあって攪乱を受けにくい条件にあった。

 解析の結果、(1)林分Aのハナイグチジェネットのサイズは、1997年と1998年とでは両年とも同程度であった。一方、林分Bでは、二年ともそれらに比べて大きかった。(2)また、林分Bではほとんどの場合近傍に発生した子実体は同一のジェネットに属していた。(3)さらに、林分A、Bともに、両年とも発生したジェネットは少なく、あっても発生する子実体の位置は多くの場合、2m以上離れていた。これらの結果から、(1)ハナイグチジェネットのサイズが、環境条件、たとえば攪乱の程度といったものに大きく左右されること、(2)子実体発生の基盤となる地下部でのハナイグチジェネットの共存状態が林分AとBとで異なること、(3)また、地下部でのハナイグチジェネットの存在状態は、年毎に大きく変動することが示唆された。

4.ハナイグチのSSRマーカーの開発と遺伝子フローの解析

 対立遺伝子のレベルで遺伝子フローを解析できる共優性マーカーを用いてカラマツ林分AとBの各林分内部および林分間におけるハナイグチの遺伝子フローを解析し、遺伝子フローの担い手である胞子の散布状況を推定した。

(1)ハナイグチのSSRマーカーの開発

 ISSRマーカーは優勢マーカーであり、対立遺伝子頻度等の正確な算出が出来ないため、共優性マーカーであるSSR(Simple Sequence Repeat)マーカーをハナイグチで開発した。

 その結果、(1)ハナイグチのDNAから5つのSSR座を単離し、その領域をPCRで増幅するためのプライマー対(SG-1〜SG-5)を設定した。(2)次いで、林分A、Bの62のジェネットを代表するハナイグチ子実体のDNAを鋳型として、PCRを行ったところ、SG-4およびSG-5はほとんどの子実体において2本以上のバンドを増幅し、SG-1、SG-2およびSG-3は、全ての子実体において1または2本のバンドを増幅した。(3)また、62のジェネットは、SG-1〜SG-5によって、それぞれ2、8、9、48および49のSSRグループに分類された。

 これらの結果から、SG-1、SG-2およびSG-3は、それぞれ単一座の対立遺伝子を2、5および7つ持つ共優性多型マーカーと推定できた。

(2)林分A、Bにおけるハナイグチの遺伝子フローの推定

 開発した多型マーカーSG-1、SG-2およびSG-3を用いて、林分Aおよび林分Bのハナイグチ個体群における対立遺伝子の頻度分布を調べた。

 その結果、(1)各座の対立遺伝子の頻度分布は、林分間で大きな差異は認められなかった。(2)また、各ハナイグチ個体群全体を大きく捉えると、ほとんどの対立遺伝子が分散して分布していた。(3)しかし、各ハナイグチ個体群内で近傍に出現したジェネットはほとんどの場合類似した遺伝子型をもっていた。これらのことから、林分Aと林分Bのハナイグチ個体群は遺伝的には同じ母集団に属すること、すなわち、林分A、B間の遺伝子フローは大きく、ハナイグチの胞子飛散距離はかなり長いことが示された。ISSR多型解析で見た場合胞子散布距離が比較的限られていたことと合わせて考えると、林分A、Bのハナイグチ個体群はかなり以前から成立し、1シーズンでの胞子飛散距離は限られているものの、成立以来現在までの長い間に広範囲な対立遺伝子の分散が起こったものと推測される。

5.SSRマーカーを用いた同一ジェネットに属するハナイグチの子実体、菌糸体および菌根の空間分布解析

 子実体の発生分布とそれらのISSR多型解析の結果から、ハナイグチジェネットの特徴が明らかになり、また、それに基づいてハナイグチの胞子散布の特徴が推定された。一方、実際のハナイグチの繁殖は主に地下部で起こっており、子実体は地下部の菌の分布状態の一部を反映しているに過ぎない可能性もある。そこで次に、SSRマーカーを用いて地下部の根外菌糸体と菌根のジェネット構造を解析した。

(1)SSRマーカーの有効性の検討

 森林土壌中にはハナイグチ以外の外生菌根菌の菌糸体や菌根が存在する。また、菌根内には宿主のカラマツのDNAが含まれている。従って、地下部のジェネット解析には、ハナイグチのDNAのみを検出し、しかもジェネット解析に耐えられる程度の多型性を有するマーカーが必要である。そこで、既に開発したSSRマーカーについて、それらの条件を満たすかどうか検討した。

 その結果、SG-5マーカーは、富士演習林のカラマツ試験地に発生するハナイグチ以外の主な6種の外生菌根菌とカラマツのDNAを鋳型とした場合、PCR増幅されなかった。SG-5は、前項で示したように多型性も高いため、菌糸体や菌根の分布に基づいた地下部でのハナイグチジェネットの解析に有効であることが解った。

(2)ハナイグチの子実体、菌糸体および菌根の空間分布解析

 1999年に発生したハナイグチ子実体の直下に土壌断面を切った後、子実体、菌糸、菌根を採取し、SG-5マーカーを用いてジェネットの分布を調べた。

 その結果、(1)子実体の下には、同一のジェネットに属する菌糸と菌根が存在すること、それらの分布範囲は、子実体毎に大きな差があることが解った。(2)また、1998年にハナイグチ子実体が発生し、1999年には発生しなかった場所での土壌断面では、ハナイグチの菌糸体および菌根は全く発見されなかった。(3)一方、形態的にハナイグチの菌根を区別することは難しいことも示された。

 これらのことから、(1)子実体が発生した場所の地下部には、その子実体と同一のジェネットに属する菌糸体および菌根が存在すると考えられる。(2)前年に子実体周辺の地下部に形成された菌糸体や菌根が一年間で消滅した可能性が考えられ、ハナイグチ子実体の発生は、地下部におけるその菌糸体および菌根の消長に大きく左右されることが示唆された。(3)また、今後の菌根研究では、単に形態的特徴だけでなく、DNA解析も合わせて行うことが必要であろう。

6.終わりに

 本研究によって、ハナイグチ個体群ではジェネットの大きさが環境によって変化すること、遺伝子フローが大きいことが明らかになり、この種では胞子散布による繁殖が重要であることが推定された。また、地下部のジェネット解析から、子実体の発生が地下部の菌糸や菌根の分布とリンクしていること、地下部の菌糸や菌根の分布が素早く変化することが推定された。本研究では、外生菌根菌のDNAマーカーとしてSSRマーカーが初めて開発、利用された。また、地下部におけるジェネット解析も世界で初めての試みである。従って、本研究はこうした方向での外生菌根菌研究の新たな道を切り開くものであると考えている。今後は、さらに事例を増やし解析を進め、外生菌根菌の野外における繁殖様式と機能の全貌に迫りたい。

審査要旨

 外生菌根菌は、樹木との間に共生関係を築き森林生態系における物質循環に大きく寄与している。このような外生菌根菌の機能が実際の森林生態系で働くには、機能の主体である外生菌根菌の量や分布、さらにはそれを支える繁殖様式が重要になってくる。しかし、個体群間・個体群内の遺伝子フロー,地上部(子実体)および地下部(根外菌糸体と菌根)におけるジェネットの広がり等、繁殖様式に関わる菌の特性は、これまで殆ど解析されていない。従って、森林生態系における外生菌根菌の寄与を理解する上では、繁殖に関する独創的かつ詳細な研究が極めて重要である。

 本論文は序論と本文4章および結語からなっている。富士山麓にあるカラマツ林での外生菌根菌ハナイグチのジェネット構造をマイクロサテライトに関連したDNA多型マーカーを用いて解析したもので、外生菌根菌の繁殖様式に関し新しい方法と知見を多数得ている。

 序論では、これまでの外生菌根菌の繁殖様式に関する生態学的研究をサーベイし、本論文の目的について述べている。

 第1章では、多型性、再現性が高いInter-Simple Sequence Repeat(ISSR)マーカーを開発し、次いでこれらのマーカーにより、東京大学富士演習林内のカラマツ林分Aで1997年9月から10月にかけて発生したハナイグチ子実体についてISSR多型解析を行い、ジェネットの分布とサイズを決定している。また、その結果に基づいて、(1)林分Aのハナイグチジェネットは、これまでのイグチ属のジェネットの報告例に較べ小さいこと、(2)近傍に発生した子実体でも異なるジェネットに属する場合が多いこと、(3)ISSRバンドパターンが類似する子実体が比較的集まって発生する傾向があることを見出し、(1)ハナイグチの繁殖が胞子散布に大きく依存すること、(2)胞子散布は近い距離ほど多いこと、を明らかにしている。

 第2章では、ハナイグチジェネットの年変動と場所毎の違いを探るため、林分Aに加えて同じく富士演習林内に設定したカラマツ林分Bで、1997年と1998年の9月から10月にかけて、ハナイグチ子実体のジェネット構造を調べている。また、分析の結果に基づいて、(1)ジェネットサイズは、林分Aに較べて林分Bの方が大きいこと、(2)林分Aでは、群生して発生した子実体は複数のジェネットに属する場合が多いが,林分Bでは同一のジェネットに属す場合が多いこと、(3)さらに、両年に渡って発生したジェネットではそれぞれの年に発生した子実体の位置は多くの場合2m以上離れていることを見出し、(1)ハナイグチジェネットのサイズが、環境条件によって大きく左右される可能性、(2)子実体発生の基盤となる地下部でのジェネットの共存状態が林分AとBとで異なる可能性、(3)また、地下部でのジェネットの存在状態が年毎に大きく変動する可能性を明らかにしている。なお、第1、2章のようなDNA多型マーカーによる詳細なジェネット解析は、他に類を見ないものである。

 第3章では、単一座の対立遺伝子を多数持つマイクロサテライト(SSR)共優性多型マーカーを3種と優性多型マーカーを2種得ている。さらに、開発した共優性マーカーを用いて、ハナイグチ集団における対立遺伝子の頻度分布を調べ、一シーズンでのハナイグチの胞子飛散距離はさほど長くはないものも、長期間に渡った場合、それぞれの林分内での遺伝子ブローと林分AB間での遺伝子フローとは、ともに極めて大きいことを明らかにしている。なお、外生菌根菌のSSR共優性マーカーの開発およびそれを用いた遺伝子フローの解析は、世界で初めて行なわれたものである。

 第4章では、マイクロサテライトマーカーを用いて、同一ジェネットに属するハナイグチの菌糸体および菌根の地下における空間分布を解析している。まず、(1)既に開発したSSRマーカーについて検討し、そのうちの一つが種特異性も多型性も高く、菌糸体や菌根の分布に基づいた地下部でのハナイグチジェネットの解析に有効であることを明らかにしている.さらに、(2)このマーカーを使ってハナイグチ子実体直下の土壌断面中にある菌糸体と、菌根からジェネット分布を調べ、子実体の下には、同一のジェネットに属する菌糸体と菌根が存在するが、その範囲は場所毎に大きな差があること、(3)ハナイグチ子実体の発生を支える地下部の菌糸体および菌根の消長は比較的速いことを見出している。なお、外生菌根菌の地下部のジェネット解析は世界で初めて行なわれたものである。

 以上のように、本研究は極めて独創性に富み、学術的に価値が高い成果を得ている。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと判断した。

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