学位論文要旨



No 115266
著者(漢字) 岡崎,雄二
著者(英字)
著者(カナ) オカザキ,ユウジ
標題(和) 海洋フロントが仔魚の分布および餌料環境に及ぼす影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 115266
報告番号 甲15266
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2111号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中田,英昭
 東京大学 教授 川口,弘一
 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 青木,一郎
内容要旨

 黒潮などの海流の縁辺や沿岸水と外洋水の境界には、水温、塩分、流れなどが不連続に変化する海洋フロントが形成される。このフロント域は、面積としては非常に小さいものの、物理的な収束に伴う生物の集積などにより各種生物の分布や餌料環境に大きな影響を及ぼしている。とくに、遊泳力に乏しく餌不足になりがちな魚類の初期生活期には、その成育環境としてフロント域が重要な役割を果たしている可能性があるが、フロント域における仔魚の分布や餌料環境については、まだ不明な点が多い。我が国の周辺海域には、内湾から外洋にかけて各水塊の境界に顕著なフロント構造が認められるにもかかわらず、フロントが仔魚の分布や餌料環境に及ぼす影響を総合的に解析した研究例はほとんどない。とくに、黒潮フロントのように外洋に形成されるフロントと仔魚の関わりについては、知見が極めて少ない。

 そこで本研究では、伊勢湾湾口部の熱塩フロント、ならびに遠州灘の黒潮フロント、黒潮続流北縁のフロントを対象として、CTD観測、栄養塩とクロロフィルa濃度の測定、餌料プランクトンと仔魚の採集を組み合わせた現場観測をそれぞれの海域で繰り返し行い、仔魚やその餌料生物の分布とフロント域の海洋構造との対応関係、さらにはフロントが仔魚の摂餌や成長に及ぼす影響を明らかにしようとした。仔魚の採集は、主にORIネット(口径1.6m、目合0.33mm)の表層曳によって行い、採水試料(1L)を目合0.02mmのネットで濾過濃縮することによって餌料プランクトン(かいあし類のノープリウスとコペポダイト)を採集した。採集した仔魚の一部は、栄養状態と成長を調べるために凍結保存し、核酸量(RNAとDNA)の測定と耳石解析に供した。

 研究成果の大要は、以下の通りである。

I.熱塩フロントが仔魚の分布と餌料環境に及ぼす影響

 伊勢湾湾口部に冬季に形成される熱塩フロントが、仔魚やその餌料生物の分布および仔魚の摂餌に及ぼす影響について検討を加え、以下のことを明らかにした。

 (1)仔魚の密度はフロントから伊勢湾内で高く、フロントの沖合側では著しく減少した。仔魚の多くはイカナゴやアイナメ属など沿岸性の種類であることから、熱塩フロントは沿岸性魚類仔稚の沖合への逸散を妨げる障壁のような役割を果たしていることが分かった。また、イカナゴ仔魚はフロントの内側域から伊勢湾内に広く出現したのに対して、アイナメ属仔魚はフロントとその内側域に集中的に分布する傾向が強かった。これは、表層依存性の強いアイナメ属仔魚の方がフロント表層の物理的収束の影響を受けやすいためと考えられる。

 (2)熱塩フロント付近には、しばしばかいあし類ノープリウスやコペポダイトの密度の極大が認められた。これは、物理的収束による集積作用に加えて、相対的にクロロフィルa濃度の高い内湾水と水温の高い外洋水の境界にフロントが形成されるため、フロント近傍でかいあし類の生産が高められるためと推測された。このことは、フロント域におけるかいあし類Calanus sinicus成体雌の核酸比(RNA/DNA)が伊勢湾内に比べ有意に高いことからも裏付けられた。

 (3)アイナメ属仔魚のかいあし類コペポダイト摂餌数は、フロントの内湾側よりフロント近傍で有意に多く(内湾側の2.0〜3.5倍)、アイナメ属仔魚のように表層依存性の強いものは、フロントに集積されそこでより効率的に餌料生物を利用していることが分かった。なお、かいあし類ノープリウスの摂餌数には内湾側とフロント域とで有意差が認められなかったが、これはアイナメ属仔魚が主にかいあし類コペポダイトを摂餌しているためと推測された。

II.黒潮および黒潮続流のフロント域における仔魚と餌料生物の分布構造

 遠州灘の黒潮フロントおよび黒潮続流北縁のフロント近傍において集中的な観測と生物採集を行い、フロント近傍における仔魚や餌料生物の分布構造について、以下のことを明らかにした。

 (1)黒潮フロント縁辺における塩分の鉛直断面観測(1997年5月)の結果および海色の衛星画像から、黒潮フロント域の表層に低塩分の沿岸系水(厚さ20〜30m)が引き込まれて帯状に分布していることが分かった。このフロントに沿った低塩分水域では、クロロフィルa濃度やノープリウス密度が周辺海域に比べて高く、また、かいあし類Paracalanus sp.成体雌の核酸比も高い値を示すことから、沿岸から供給された植物プランクトンが餌料生物の生産を高める効果を持つことが推測された。また、カタクチイワシ仔魚(体長7mm台と8mm台)の核酸比とノープリウス密度との間には、有意な正の相関関係が認められることから、低塩分水域の良好な餌料条件は仔魚の栄養状態を高めていることが示唆された。

 (2)黒潮続流では、高温・貧栄養の黒潮系水(SST、21℃以上)と低温・富栄養の親潮系水(SST、15℃未満)の間の水温・栄養塩の条件を備えた黒潮続流フロント域、とくにその北側の黒潮系暖水域(SST、15〜21℃)で、クロロフィルa濃度が高く、それに対応してかいあし類ノープリウス密度も高くなる傾向が認められた。カタクチイワシ仔魚の密度も黒潮系暖水域で最も高く、黒潮系水と親潮系水では低下した。とくに、親潮系水での密度の低下には、低水温の直接的な影響も推測された。また、カタクチイワシ仔魚の成長履歴から、黒潮系水や親潮系水は、黒潮系暖水域に比べて仔魚の成長が悪く、仔魚の生き残りには不適な環境となっていることが示唆された。

III.黒潮フロント渦の発生に伴う仔魚分布と餌料環境の動態

 黒潮フロント域では、前線波動などの擾乱に伴い低気圧性の渦がおよそ10日周期で発生することが知られている。この渦は、栄養塩に富む下層水の湧昇を伴うため沖合の生物生産に大きく寄与しているものと考えられる。そこで、黒潮および黒潮続流のフロントから派生する低気圧性渦域において、仔魚の分布および餌料環境の動態に関する集中的な観測を行い、以下のことを明らかにした。

 (1)1994年5月に遠州灘黒潮フロント域で観測した低気圧性の渦は、2日間で100kmほど黒潮の下流側に移動した。この移動に伴う渦の減衰過程でその中心付近のかいあし類ノープリウスの密度は約2倍に増加した。これは低気圧性の渦の発生に伴う栄養塩の供給とクロロフィルa濃度の増加により、かいあし類の餌料環境が好転したため、その産卵速度が増大したことによると考えられる。また、採集されたカタクチイワシ仔魚の体長組成の変化から、このフロント渦は沿岸域の仔魚を黒潮フロントに引き込む機能を持つことが推測された。フロント渦に引き込まれたカタクチイワシ仔魚(体長9mm未満)の核酸比は、かいあし類ノープリウスの増加に対応して周辺海域より有意に高かった。

 (2)黒潮フロントに引き込まれた沿岸系の低塩分水域では、前章で述べたようにクロロフィルa濃度は高いものの、栄養塩はほとんど枯渇した状態にあった。漂流ブイを用いてこの低塩分水を追跡観測した結果、低塩分水域のノープリウス密度とかいあし類の核酸比は時間経過とともに徐々に低下し、カタクチイワシ仔魚の核酸比も減少する傾向を示したことから、この低塩分水域に留まるだけでは仔魚の生き残りに有利とはいえないことが示唆された。この事例では、その後、黒潮フロント縁辺の漂流ブイが、衛星画像や栄養塩濃度の鉛直分布から推定された低気圧性の渦域に引き込まれており、このような低気圧性渦域との遭遇の有無が沖合における仔魚の生き残りを大きく左右している可能性があることが分かった。

 (3)1996年5〜6月および1997年6月の観測結果から、黒潮続流フロント北縁の黒潮系暖水域にも低気圧性渦がしばしば発生し、餌料生物の生産に大きな影響を及ぼしていることが分かった。渦の発生に伴って供給された栄養塩(硝酸態窒素)の消費と一次生産の変動過程を示すUpwelling-Production Diagramを新たに提案し、1996年には渦の影響を受けてクロロフィルa濃度が増加した所にかいあし類ノープリウスやカタクチイワシの卵・仔魚が高密度に分布していたことを明らかにした。一方、1997年には、黒潮からの暖水の伸び出しによって生じた低気圧性の渦域で、全体に栄養塩濃度が高いことから、渦の発主初期であることが示唆された。この渦の近傍には渦の発生時に引き込まれたと考えられるカタクチイワシ仔魚が高密度に分布しており、その後の生き残りに渦域の餌料環境が大きな影響を及ぼすことが示唆された。

 以上、本研究により、海洋フロントおよびその擾乱に伴って発生するフロント渦が、物理的な収束や引き込み輸送によって仔魚およびその餌料生物の分布に大きな影響を及ぼすと同時に、餌料生物の生産を高め仔魚の成長や生き残りに好適な環境を提供する重要な働きをしていることが明らかになった。本研究の成果は、海洋フロントが魚類の再生産に果たす役割を解明する上で重要な基礎的知見を与えるものと考えられる。

審査要旨

 黒潮などの海流の縁辺や沿岸水と外洋水の境界に形成される海洋フロントは、物理的な収束に伴う生物の集積などにより各種生物の分布や餌料環境に大きな影響を及ぼしている。とくに、遊泳力に乏しく餌不足になりがちな魚類の初期生活期には、その成育環境としてフロント域が重要な役割を果たしている可能性があるが、フロントが仔魚の分布や餌料環境に及ぼす影響を総合的に解析した研究例はほとんどなく、黒潮フロントのように外洋に形成されるフロントと仔魚の関わりについては、知見が極めて少ない。

 そこで本研究では、伊勢湾湾口部の熱塩フロント、ならびに遠州灘の黒潮フロント、黒潮続流北縁のフロントを対象として、CTD観測、栄養塩とクロロフィルa濃度の測定、餌料プランクトンと仔魚の採集を組み合わせた現場観測をそれぞれの海域で繰り返し行い、仔魚やその餌料生物の分布とフロント域の海洋構造との対応関係、さらにはフロントが仔魚の摂餌や成長に及ぼす影響を明らかにした。研究成果の大要は、以下の通りである。

1.熱塩フロントが仔魚の分布と餌料環境に及ぼす影響

 伊勢湾湾口部に冬季に形成される熱塩フロント近傍で仔魚の分布や摂餌状態を詳細に調べ、熱塩フロントが沿岸性魚類仔稚の沖合への逸散を妨げる重要な役割を果たしていることを明らかにした。また、仔魚の餌生物として重要なかいあし類ノープリウスやコペポダイトの密度の極大が熱塩フロント付近に認められ、それは物理的収束による集積作用に加えて、相対的にクロロフィルa濃度の高い内湾水と水温の高い外洋水の境界となるフロント近傍でかいあし類の生産が高められるためであることを推定した。さらに、フロント近傍に卓越して出現したアイナメ属仔魚のかいあし類コペポダイト摂餌数は、フロントの内湾側よりフロント近傍で有意に多いことから、アイナメ属仔魚がフロントに集積されそこでより効率的に餌料生物を利用していることを明らかにした。

2.黒潮および黒潮続流のフロント域における仔魚と餌料生物の分布構造

 遠州灘の黒潮フロントおよび黒潮続流北縁のフロント近傍において集中的な観測と生物採集を行い、黒潮フロント域の表層には、沿岸系水(厚さ20〜30m)が引き込まれ、そのためフロントに沿ってクロロフィルa濃度やノープリウス密度、カタクチイワシ仔魚の密度が周辺海域に比べていずれも高い値を示す水域が帯状に分布していることを明らかにした。一方、黒潮続流のフロント域では、高温・貧栄養の黒潮水と低温・富栄養の親潮系水の間の水温・栄養塩の条件を備えたフロント域、とくにその北側の黒潮系暖水域で、クロロフィルa濃度が高くそれに対応してかいあし類ノープリウス密度も増加することを明らかにした。さらに、カタクチイワシ仔魚の密度もこの黒潮系暖水域で最も高く、そこでは仔魚の成長速度が相対的に大きいこと、逆に黒潮水と親潮系水は、仔魚の成長が悪く仔魚の生き残りに不適な環境となっていることを示した。親潮系水における仔魚の密度や成長速度の低下には、低水温が直接的に影響を及ぼしていることを推測した。

3.黒潮フロント渦の発生に伴う仔魚分布と餌料環境の動態

 黒潮および黒潮続流のフロント縁辺に発生する低気圧性渦域において、仔魚の分布および餌料環境の動態に関する集中的な観測を行い、この渦が仔魚の輸送や餌料生物の生産にきわめて大きな影響を及ぼしていることを示した。すなわち、フロント渦が発生すると、まず下層から供給される栄養塩を消費しながら植物プランクトンが増殖し、それと同時に渦の縁辺には周辺海域から仔魚が引き込まれて集積する。渦による発散が弱まり渦が減衰し始める頃には、植物プランクトンに続いてかいあし類などの餌料生物の密度が増加し、渦に取り込まれて滞留している仔魚に好適な餌料環境を提供する。したがって、このような渦との遭遇の有無が沖合における仔魚の生き残りを大きく左右している可能性がある。

 これらの研究成果は、海洋フロントおよびその擾乱に伴って発生するフロント渦が、物理的な収束や引き込み輪送によって仔魚およびその餌料生物の分布に大きな影響を及ぼすと同時に、餌料生物の生産を高め仔魚の成長や生き残りに好適な環境を提供する重要な働きをしていることを明らかにしており、海洋フロントが魚類の再生産に果たす役割を解明する上で重要な基礎的知見を与えるものとして高く評価される。よって審査委員一同は申請者に博士(農学)の学位を授与する価値があるものと認めた。

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