学位論文要旨



No 115269
著者(漢字) 中根,基行
著者(英字)
著者(カナ) ナカネ,モトユキ
標題(和) 養殖トラフグのヘテロボツリウム症における宿主の免疫反応に関する研究
標題(洋)
報告番号 115269
報告番号 甲15269
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2114号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 若林,久嗣
 東京大学 教授 日野,明徳
 東京大学 助教授 鈴木,譲
 東京大学 助教授 小川,和夫
 水産庁養殖研究所 室長 良永,知義
内容要旨 内容

 1960年代に瀬戸内海を中心として蓄養から始まったトラフグ養殖において、単生類ディクリドフォラ科のHeterobothrium okamotoi Ogawa,1991(以下、ヘテロボツリウム)によって引き起こされるヘテロボツリウム症は、蓄養が始まった当時からトラフグの重要な疾病の一つであった。ヘテロボツリウムの卵は互いに連結して糸状になって網地に絡まるために、網生け簀養殖場では大量寄生が起りやすい。本虫は吸血性のため、大量寄生を受けたトラフグは貧血に陥る。成虫の寄生する鰓腔壁には壊死がみられ、細菌等の感染を招く原因にもなる。ヘテロボツリウム対策としては主に薬浴による駆虫と網換えによる虫卵の除去が行われているが、必ずしも十分な効果を挙げていない。

 一方、養殖場では薬浴や網換えなどの対策を講じなくても、ヘテロボツリウム症が重篤化しない感染魚の存在も経験的に知られている。ヘテロボツリウム感染に対する宿主の反応に関しては、寄生部位の宿主組織に炎症反応が起ること、自然感染した養殖トラフグは虫体に対して特異抗体を産生することが明らかとされているにすぎない。そこで本論文はヘテロボツリウム症対策への応用を目的としてヘテロボツリウム感染におけるトラフグの免疫反応を感染実験によって明らかにしようとしたものである。

1.ヘテロボツリウム自然感染魚における宿主反応1)成虫および未成熟虫に対する宿主反応

 ヘテロボッリウムに感染しているが、寄生が重篤化せず外観的に健康なトラフグ(2才魚、平均体重629g、「感染魚」)約150尾を飼育している水槽内に、ヘテロボツリウムの感染歴の無いトラフグ(1才魚、平均体重352g、「非感染魚」)25尾を同居飼育した。経時的に4回サンプリングを行い、感染魚群と非感染魚群における寄生数の変化、宿主組織の反応、抗体価を比較した。ここでは鰓弁に寄生している虫体を未成熟虫、鰓腔壁に移行した虫体を成虫、孵化幼生をオンコミラキジウムと呼ぶ。水槽内では感染魚に寄生している虫体が産卵していたことから、オンコミラキジウムが水中に絶えず存在したと推定される。

 非感染魚群における未成熟虫の寄生数は同居飼育1日目で鰓弁1枚当たり平均2虫、15日目で1736虫、30日目で2784虫、70日目で1728虫となった。感染30日目までの未成熟虫は鰓弁に寄生するための把握器が未形成あるいは十分に発達していないものが大多数をしめていたが、70日目では成虫と同様に把握器を4対持つ未成熟虫が観察された。一方、感染魚群では1日目から70日目までそれぞれ平均294虫、114虫、119虫、142虫となり、様々な発育段階の未成熟虫が確認された。未成熟虫の寄生数は感染魚群の方が有意に少なかった。

 成虫の寄生数は、非感染魚群では実験終了時の感染70日目でも平均2虫で、大半が鰓弁に寄生していた。一方、感染魚群では全ての供試魚に成虫が観察されたが、寄生数の増減はなかった(寄生数20〜40)。

 感染魚群の組織観察では鰓腔壁に激しい炎症反応がみられた。上皮組織は寄生部周辺では増生していたが、虫体と接する部位では剥離していた。真皮組織には壊死巣が観察され、虫体と壊死巣の周囲はエオジン好染の細胞によって被包されていた。虫体から少し離れた真皮組織内ではリンパ球等の細胞浸潤が観察された。非感染魚群では顕著な炎症反応は観察されなかった。

 血液中の特異抗体の存在を確認するために、Wang et al.(1997)に従いELISA法によって抗体価を求めた。非感染魚群では抗体価の上昇はなく、感染魚群では実験期間を通して高い抗体価を示した。

2)血漿および体表粘液のオンコミラキジウムに対する殺虫効果

 血漿および体表粘液が殺虫効果を持つのか、感染歴の有無によって殺虫効果に差があるのかを検討した。感染魚および非感染魚の血漿および体表粘液を回収し、加熱(48℃、30分)および非加熱サンプルを96穴のプレートに分注した。24時間以内に孵化したオンコミラキジウム11〜35虫を含む海水をプレートに添加し殺虫効果を比較した。

 血漿サンプルでは、感染魚の方が高い殺虫効果を示す傾向があった。熱処理による殺虫への影響は非感染魚でより顕著にみられた。粘液サンプルでは、感染魚の方が非感染魚よりも高い殺虫効果を示し、熱処理による殺虫効果の低下は認められなかった。

 以上の結果から、感染魚群では非感染魚群と比べ未成熟虫、特に把握器が形成されていない虫体の寄生数が少なかったことから、オンコミラキジウムの鰓への着底が阻害されたことが示唆された。感染魚群ではヘテロボツリウムに対する特異抗体が常に血液中に存在し、鰓腔壁では炎症反応が起きていることが明らかとなった。血漿および体表粘液ともに感染魚群の方が非感染魚群よりも高い殺虫作用を持つ傾向があり、感染魚群における血漿の殺虫作用は抗体等の熱に比較的安定な因子である可能性が考えられた。以上のことから、自然感染によって獲得した免疫には特異抗体による液性免疫と細胞浸潤による細胞性免疫の関与が考えられた。

2.実験感染におけるヘテロボツリウムに対する特異抗体の産生

 0才および1才魚を供試魚として、異なる感染強度で実験感染を行い、経時的にサンプリングし、特異抗体がいつ産生されるのか、感染強度によって抗体産生時期が異なるのかを検討した。また常法により組織切片を作製し組織観察もあわせて行った。

 1才魚(平均体重193g)では感染49日目に軽度感染区(1尾当り100オンコミラキジウムを海水に添加)、重度感染区(500オンコミラキジウム〉ともに虫体の鰓弁から鰓腔壁への移行が確認されたが、抗体価の上昇はなかった。70日目では両実験区とも、ほとんどの虫体が鰓腔壁に移行し、抗体価は上昇した。80日目には軽度感染区でさらに抗体価の上昇が認められ、重度感染区と同様の抗体価となった。

 組織観察では、感染21日目には把握器による鰓薄板の軽度のうっ血がみられる程度であった。49日目には、吸血作用によると思われる鰓弁におけるリンパ球の浸潤と鰓薄板の棍棒化、鰓弁での固着部分の把握器による強度のうっ血が観察された。鰓腔壁では固着盤に接する真皮組識に壊死細胞がみられたが、虫体に接していない部分では、上皮および真皮組織の増生とリンパ球を中心とした細胞浸潤が観察された。70日目では真皮組織は肥厚し、固着盤周辺では壊死した細胞が広範に観察され真皮組織が崩壊していた。88日目では真皮組織の肥厚はさらに進んでいた。虫体の後半を宿主組織内に埋没させ、固着盤を宿主組識の筋肉層にまで達している虫体も観察された。

 0才魚(実験開始時13g、終了時47g)では感染40日目から虫体の鰓弁から鰓腔壁への移行が観察され、軽度感染区(1尾当たり10オンコミラキジウムを海水に添加)、中度感染区(20オンコミラキジウム)では抗体産生は認められなかったが、重度感染区(50オンコミラキジウム)では抗体価が上昇した。60日目ではすべての実験区で抗体価の上昇があった。

 以上の結果から、ヘテロボツリウムに対する抗体価の上昇は虫体の鰓腔壁移行後に起こり、感染強度が高いほど抗体価の上昇が早いことが明らかとなった。組識観察においては、鰓腔壁移行直前の未成熟虫の吸血によると思われる鰓薄板の炎症反応が虫体の近傍に認められた。一方、鰓腔壁における成虫の寄生によって固着盤と接する部位では壊死巣が観察されたものの、虫体周囲における細胞浸潤等の炎症反応が広範に観察された。これらの結果から、鰓腔壁移行後の抗体価の上昇と鰓腔壁でみられた成虫に対する炎症反応から、特異抗体は鰓腔壁移行後に産生されると考えられた。

3.虫体抗原の接種によるワクチン効果

 ワクチン投与は成虫を抗原とした腹腔内接種により行った。抗原は成虫を超音波破砕し遠心分離(10000×g,30分)後、上清を0.45mと0.22mのフィルターでろ過し、得られた溶液を抗原液とした。これをオイルアジュバントと等量混合し、感染歴のないトラフグ(1才魚、平均体重301g)に2回接種した。対照区の供試魚にはPBS(pH7.2)を接種した。ワクチン投与後、実験感染を行い寄生数と抗体価の変化および組織反応を検討した。

 感染3日目および20日目では、虫体は全て鰓弁に寄生していた。免疫区の寄生数はそれぞれ平均369虫と389虫、対照区は542虫および539虫であり、両実験区の寄生数に有意差はなかった。40日目の免疫区では全ての虫体が鰓腔壁のみに観察され、平均寄生数は7.0虫に減少した。対照区では鰓弁上に平均98虫、鰓腔壁に57虫、合計155虫寄生しており、寄生数は免疫区より有意に多かった。

 抗体価に関しては、感染の有無に関わらず免疫区では実験期間を通して高い値で安定していた。対照区では感染40日目においても抗体価の上昇は無かった。

 組織観察においては免疫区は前章と同様にリンパ球等の細胞浸潤、上皮組織の増生などが顕著であった。対照区では、免疫区と同様の炎症反応が観察されたが、虫体の固着盤周辺での真皮組織の壊死巣が広範に及んでいた。

 鰓弁寄生期である20日目までは免疫区と対照区での寄生数に差がなく、鰓腔壁移行期の40日目で初めて有意差が生じたこと、また感染40日目の免疫区で鰓腔壁に顕著な炎症反応がみられたことから、ワクチンの効果は虫体が鰓後壁に移行した後に表れることが示された。この実験結果は抗体が単生虫の感染防御に有効に働くことを示した初めての例である。

まとめ

 自然感染によって免疫を獲得した魚はオンコミラキジウムの着底時から防御能を持ち、その体表粘液および血漿はオンコミラキジウムに対する殺虫作用を示した。感染歴のないトラフグへの実験感染により鰓腔壁の寄生部位周辺ではリンパ球等の細胞浸潤や真皮組織の肥厚などの炎症反応が起こり、特異抗体は鰓腔壁移行後に産生された。成虫を抗原としたワクチン接種魚では、虫体の鰓腔壁移行時に寄生数が顕著に減少した。このようにトラフグはヘテロボツリウムに対して免疫を獲得することが実験的に証明されたが、自然感染による獲得免疫とワクチンによる獲得免疫では防御のメカニズムが異なることが示唆された。獲得免疫が駆虫に有効に働くことから、トラフグの生体防御能をヘテロボツリウム症対策に利用できる可能性が示された。

審査要旨

 単生類のHeterobothrium okamotoi(以下、ヘテロボツリウム)によって引き起こされるヘテロボツリウム症は、トラフグ養殖に大きな被害を与え続けている。ヘテロボツリウムは吸血性のため、大量寄生を受けたトラフグは貧血に陥る。本研究は,ヘテロボツリウムの自然感染魚における宿主反応を明らかにし、また、ヘテロボツリウム症対策への応用を目的として、ヘテロボツリウムに対するトラフグの免疫反応を感染実験によって確かめたものである。

1.自然感染魚における宿主反応

 ヘテロボツリウムは、浮遊幼生のオンコミラキジウムがトラフグの鰓弁に接触すると脱繊毛して未成熟虫なり、寄生生活に入る。未成熟虫は鰓弁上を移動しながら成長し、鰓腔に移行して成虫となることが知られている。

 そこで、ヘテロボツリウムが寄生し虫卵を産出しているが外観的に健康なトラフグ(2才魚、平均体重629g)約150尾を飼育している水槽内に、ヘテロボツリウムの感染歴の無いトラフグ(1才魚、平均体重352g)25尾を同居飼育し、両群の宿主反応を比較した。

 同居感染魚群と比べ既感染魚群は未成熟虫、特に把握器が形成されていない虫体、の寄生数が少なかったことから、既感染魚群ではオンコミラキジウムの鰓弁への新たな着生が阻害されていることが示唆された。また、既感染魚群ではヘテロボツリウムに対する血中特異抗体と鰓腔壁に強い炎症反応が認められたのに対し、同居感染魚群ではいずれも微弱であった。血漿および粘液採取して殺虫作用を測定したところ既感染魚群の方が同居感染魚群よりも高い傾向が認められた。また、殺虫因子は抗体やレクチン等のように熱に比較的安定であることが分かった。これらのことから既感染魚群はヘテロボツリウム感染に対する免疫を獲得していると考えられた。

2.実験感染におけるトラフグの抗体産生

 0才および1才魚を供試魚として、異なる感染強度で実験感染を行い、経時的にサンプリングし、抗体がいつ産生されるのか、感染強度によって抗体産生時期が異なるのかを検討した。また、常法により組織切片を作製し組織観察もあわせて行った。

 ヘテロボツリウムに対する抗体価の上昇は虫体の鰓腔壁移行後に起こり、感染強度が高いほど抗体価の上昇が早いことが明らかとなった。組織観察においては、鰓腔壁移行直前の未成熟虫の吸血によると思われる鰓薄板の炎症反応が虫体の近傍に認められた。一方、鰓腔壁における成虫の寄生によって固着盤と接する部位では壊死巣が観察されたものの、虫体周囲における細胞浸潤等の炎症反応が広範囲に観察された。

 これらの結果から、抗体は鰓腔壁移行後に産生されると考えられた。

3.虫体抗原の接種によるワクチン効果

 ワクチン投与は成虫を抗原とした腹腔内接種により行った。抗原は成虫を超音波破砕し遠心分離(10000×g,30分)後、上清を0.45mと0.22mのフィルターでろ過し、得られた溶液を抗原液とした。これをオイルアジュバントと等量混合し、感染歴のないトラフグ(1才魚、平均体重301g)に2回接種した。対照区の供試魚にはPBS(pH7.2)を接種した。ワクチン投与後、実験感染を行い寄生数と抗体価の変化および組織反応を検討した。

 感染20日目までは、虫体は全て鰓弁に寄生しており、免疫区と対照区の寄生数に有意差はなかった。40日目の免疫区では全ての虫体が鰓腔壁のみに観察され、寄生数は対照区より有意に少なかった。抗体価に関しては感染の有無に関わらず免疫区では実験期間を通して高い値で安定し、対照区では感染40日目においても抗体価の上昇は無かった。組織観察において免疫区ではリンパ球等の細胞浸潤、上皮組織の増生などが顕著であった。対照区では、免疫区と同様の炎症反応が観察されたが、虫体の固着盤周辺での真皮組織の壊死巣が広範囲に及んでいた。

 鰓弁寄生期である20日目まで免疫区と対照区で寄生数に差がなく、鰓腔壁移行期の40日目で初めて有意差が生じたこと、また感染40日目の免疫区で鰓腔壁に顕著な炎症反応がみられたことから、ワクチンの効果は虫体が鰓腔壁に移行した後に現れることが示された。

 以上の一連の研究の結果、自然感染による獲得免疫とワクチンによる獲得免疫では防御のメカニズムが異なることが示唆されたが、いずれもヘテロボツリウム症対策に利用できる可能性が示された。これらの成果は、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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