学位論文要旨



No 115274
著者(漢字) 杢,雅利
著者(英字)
著者(カナ) モク,マサトシ
標題(和) 西部北太平洋亜寒帯域および移行域におけるハダカイワシ科魚類の生態学的研究
標題(洋)
報告番号 115274
報告番号 甲15274
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2119号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川口,弘一
 東京大学 教授 谷内,透
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 青木,一郎
 東京大学 助教授 西田,周平
内容要旨

 ハダカイワシ科魚類は全世界の外洋域の中・深層に普遍的に分布し、マイクロネクトン群集の中で最も優占する生物群である。本科魚類の多くは昼間深海の中層に生息し夜間表層に浮上する日周鉛直移動を行い、表層で動物プランクトンを活発に摂餌することから、多獲性小型浮魚類との餌をめぐる競合者として、また外洋性大型魚類、イカ類、イルカ類、オットセイ類などの高次生産者の餌生物として、さらに日周鉛直移動による深海生態系への物質輸送者として注目されている。北太平洋亜寒帯域および移行域における本科魚類の生態学的研究は、これまでに東部北太平洋においてある程度知見が蓄積されてきたが、西部北太平洋における知見は非常に限られているのが現状である。

 本研究では西部北太平洋亜寒帯域および移行域に生息するハダカイワシ科魚類のうち採集量が多かった8種の日周鉛直移動のパターンと水温の関係を明らかにし、それぞれ異なった移動パターンをもち、生物量が多かった3種(以下優占3種という)トドハダカDiaphus theta(日周鉛直移動種)、コヒレハダカStenobrachius leucopsarus(半日周鉛直移動種)、セッキハダカStenobrachius nannochir(非移動種)の摂餌生態および成熟,トドハダカの初期成長および産卵生態の解明を試みた。その概要は以下の通りである。

1.ハダカイワシ科魚類の鉛直分布-特に水温構造との関係-

 調査海域からは亜寒帯種4属6種、移行域種3属3種、熱帯・亜熱帯種8属11種が出現した。そのうち採集量が多かった亜寒帯種コヒレハダカ、トドハダカ、マメハダカ、セッキハダカ、ミカドハダカ、移行域種ナガハダカ、オオクチハダカ、熱帯・亜熱帯種ゴコウハダカの計8種について、日周鉛直移動パターンからこれらが日周鉛直移動種、半日周鉛直移動種および非日周鉛直移動種の3群に分けられることを明らかにした。また,各種は、それぞれ固有の適水温を持ち、夜間の浮上深度は生息域の水温の鉛直分布構造と密接に関係していることを示した。例えば、亜寒帯種および移行域種(オオクチハダカを除く)は表層の黒潮系暖水塊の存在により顕著に浮上深度が制限され深くなるのに対し、熱帯・亜熱帯種ゴコウハダカは高温の表層水中では、他の種に比べてより浅い層まで浮上することを明らかにした。

2.トドハダカの初期成長と産卵生態1)仔稚魚の成長

 異なった時間に採集したトドハダカ稚魚を用いて、耳石の最外縁に形成される成長層の幅の日周変化を解析することで日周輪の証明を行った。この日周輪を用いてトドハダカ仔魚と稚魚の成長様式を明らかにした。仔魚の標準体長(L1)および稚魚の標準体長(Lj)と日周輪形成開始からの日数(D)の関係はそれぞれ直線式、

 

 で表された。稚魚の成長速度は遅く、これまで報告されている熱帯・亜熱帯種の値の2分の1程度であった。

2)産卵期および産卵場

 親潮域および移行域における2年間にわたる採集(1、3、4、5、7、10月)では、トドハダカ仔魚は7月および10月に出現し、その他の月には全く出現しなかった。また、7月の移行域において最も多くの仔魚が採集され(0.4-28.6個体/m2、平均19.0個体/m2)、10月になると著しく減少した(0.6-1.7個体/m2、平均1.0個体/m2)。親潮域でも7、10月に採集されたが、0.4-0.9個体/m2と分布密度は非常に低かった。この結果からトドハダカの主産卵場は移行域であることが明らかとなった。7月上旬に採集された仔魚の日齢組成は30日齢前後を中心に20-53日齢、10月上旬に採集された仔魚では23-66日齢であったことから、産卵は5月上旬に始まり、6月にはピークを迎え、9月下旬には終わっているものと推定された。産卵期が終了している秋季の稚魚および成魚の体長組成を海域毎に比較すると、親潮域およびその北東側の西部亜寒帯循環域では標準体長40-90mmの個体が優占し、30mm末満の当歳魚の出現は極めて稀であった。一方、移行域では10-30mmの当歳魚が圧倒的に優占し、それより大型の個体は極めて少なかった。このことから、本種は産卵場である移行域で仔稚魚期を過ごし、標準体長40mmに達した頃から親潮フロントの北側の亜寒帯域へ生息域を広げていくことが明らかとなった。

3.優占3種の摂餌活動と日周性

 日周鉛直移動種のトドハダカと半日周鉛直移動種のコヒレハダカの主な餌生物はオキアミ類(主にEupha usia pacifica)、カイアシ類(主にMetridia pacifica、Neoca lanus plumchrus/flemingeri)、端脚類(主にThemisto japonica/pacifica)であった。非日周鉛直移動種のセッキハダカの餌生物は先の2種とは大きく異なり、カイアシ類(主にNeoca lanus cristatus)がその大半を占めた。胃充満度の解析によりトドハダカは終日満腹状態の個体の割合が高く(51.2-94.0%)、空胃個体の割合は非常に低く、常に3%以下であった。胃内容物中の未消化個体の割合はオキアミ類では昼間中層に留まっている時と夜間表層に浮上してから夜半までが高かった(11.7-27.3%)。また、端脚類では夜間表層で非常に高かった(46.7-69.8%)が、カイアシ類では終日大きな変化が見られなかった(10.3±SD6.6%)。このことから、トドハダカは夜間だけでなく昼間も活発な摂餌活動を行っていることが明らかとなった。一方、コヒレハダカも終日空胃個体の割合が6%以下と非常に低かったが、トドハダカとは異なり、胃内容物の消化度に時刻による明瞭な変化が見られた。胃内の未消化個体の割合はオキアミ類、端脚類では夜間表層に浮上してから夜半過ぎまで高く、カイアシ類では午後から夜半にかけて徐々に高くなり、それぞれ夜半をすぎるとまた徐々に低くなる傾向が見られた。夜間でも中層に留まっていた個体は空胃率が高く(21.4%)、また、胃内容物は夜間表層に浮上した個体よりも消化が進んだものが多かったことから、コヒレハダカは夜間表層に浮上してから活発に摂餌活動を行うものと推定された。一方、日周鉛直移動を行わないセッキハダカは終日空胃率が11.5-44.0%と高く、胃の中に保持している餌生物の量は湿重量で体重の0.1%前後と他の2種の場合(トドハダカ1.2-2.7%、コヒレハダカ0.6-1.4%)と比べ極端に少なかった。また、胃内容物の消化度に終日変化は見られず、本種は餌条件の悪い中層で終日散発的に餌を捕食していることが推測された。胃内容物重量指数と胃内容物の消化度の日周変化からトドハダカの日間摂餌量は湿重量ベースで体重の約5%、夜間表層に浮上するコヒレハダカで1.4%、セッキハダカで0.2%と見積もられた。これらの結果は、日周鉛直移動が餌の豊富な表層への摂餌回遊であることを強く示唆している。

4.優占3種の食性の季節変化と成長に伴う変化

 トドハダカの餌生物は季節によらず個体数でカイアシ類が優占し(43.8-85.5%)、特にMetridia pacificaが最優占種であったが、季節によって各餌生物の割合に変化が見られた。冬季にはM.pacificaの割合が最も高く(63.0%)、夏季にはカイアシ類に次いで優占するオキアミ類(16.9%)、端脚類(23.7%)および貝形類(14.5%)の割合が他の季節よりも高かった。コヒレハダカの餌生物もトドハダカと同様に周年カイアシ類が優占し(53.5-88.5%)、その中でM.pacificaが最優占種であり、その割合は秋季と冬季に特に高かった(それぞれ40.1%、46.3%)。夏季はカイアシ類に次いで優占したオキアミ類と端脚類の割合が他の季節よりも高く、それぞれ個体数で24.1%、11.2%を占めた。セッキハダカの餌生物の個体数は一年を通じてカイアシ類が81.7-93.0%と圧倒的に優占し、その他の餌生物分類群はすべて8%以下であった。カイアシ類の中ではM.pacificaが夏季を除くすべての季節で最も優占し、特に冬季にはその割合が最も高く、37.2%を占めた。また、秋季にはNeocalanus plumchrus/flemingeriの割合が一年を通じて最も高く(10.0%)、最も低かった春季および冬季の約4倍の割合を占めた。これらの食性の変化は餌となる各種動物プランクトンの鉛直分布や生物量の季節変化と密接に関係していた。

 3種の魚体長と餌との関係を検討し、餌生物の組成およびサイズは魚体の成長と共に変化することを明らかにした。トドハダカはどの体長区分でも個体数ではカイアシ類を高い割合(52.9-74.4%)で捕食していたが、成長と共により大型のオキアミ類(Euphausia pacifica)、端脚類(Themisto japonica/pacifica)も捕食するようになった。コヒレハダカもどの体長区分でもカイアシ類を最もよく捕食し(51.4-85.7%)、成長と共により大型のオキアミ類、端脚類を捕食するようになったが、成長に伴う変化はトドハダカと比較するとより顕著であった。セッキハダカでは標準体長40.0mm以下で貝形類(58.8%)とカイアシ類(35.3%)を主食し、40.1mm以上の体長区分ではカイアシ類(86.9-91.6%)を主食していた。また、成長と共に体長6mm以上、特に8-9mmの大型カイアシ類の捕食割合が顕著に高くなった。

5.優占3種の成熟と産卵数

 雌の生殖腺重量指数(GSI)と体長の関係から、トドハダカは標準体長55mm以上、コヒレハダカでは60mm以上、セッキハダカでは90mm以上に高いGSIを示す個体が存在し、これらの体長以上の雌個体が再生産に関与すると推定された。また、GSIの周年変化からトドハダカの産卵期は5-8月、コヒレハダカでは1-4月、セッキハダカでは10月前後であることが分かった。ただし、本調査海域ではコヒレハダカおよびセッキハダカの仔魚は周年ごく稀にしか採集されず、産卵場の中心は147°E以東の海域であることが予想された。これら3種の成熟した雌の卵径組成は大小2群に分かれ、大型群の卵数を1回当たりの産卵数(Batch fecundity)と仮定して1回当たりの産卵数を求めると、トドハダカ(標準体長61.0-85.0mm)で2100-6100個、コヒレハダカ(69.7-93.9mm)で1300-5800個、セッキハダカ(93.9-125.0mm)で3000-4400であり、1回当たりの産卵数(F)と体長(L)との関係は、

 

 で表され、一回当たりの産卵数は成長と共に増加することが分かった。

審査要旨

 本論文は、世界の外洋に広く分布し莫大な生物量をもち、サケ・マス類、イカ類、タラ類、イルカ・オットセイ類などの有用水族の主餌料として重要なハダカイワシ科魚類の生態研究を、西部北太平洋亜寒帯域を対象として展開したものである。

 第1章で既知見の総括を行い、第2章では、当研究海域で最も優占する8種の日周鉛直移動様式を明らかにし、各種がそれぞれ固有の適水温をもち、狭温性種の夜間の浮上深度は生息域の水温の鉛直分布構造と密接に関係していることを示した。各種の生息層を時空間的に明らかにすることにより、各種の生物量の定量が可能となった。

 第3章では、トドハダカの初期成長と産卵生態について述べ、日周輪を用いてトドハダカ仔魚の標準体長(Ll)および稚魚の標準体長(Lj)と日周輪形成開始からの日数(D)の関係はそれぞれ直線式、

 115274f03.gif

 で表されることを明らかにした。稚魚の成長速度は遅く、これまで報告されている熱帯・亜熱帯種の値の1/2程度であった。さらに周年にわたる広範な採集に基づきトドハダカの主産卵場は移行域であることを明らかにした。仔魚の日齢組成から産卵は5月上旬に始まり、6月にはピークを迎え、9月下旬には終わっているものと推定した。稚魚および成魚の体長組成を海域毎に比較し、本種は産卵場である移行域で仔稚魚期を過ごし、その後、亜寒帯域へ生息域を広げていくことを明らかにした。

 第4章では、優占した3種の摂餌活動とその日周性を鉛直移動の様式に関連づけて明らかにしている。日周鉛直移動種のトドハダカと半日周鉛直移動種のコヒレハダカの主な餌生物はオキアミ類、カイアシ類、端脚類であった。非移動種のセッキハダカの餌生物は、カイアシ類がその大半を占めた。胃内における各餌生物の消化度の日周変化を解析して、トドハダカは夜間だけでなく昼間も活発な摂餌活動を行っていること、コヒレハダカは、夜間表層に浮上してから活発に摂餌活動を行うものと推測した。一方、セッキハダカは終日空胃率が高く、胃の中に保持している餌生物の量は湿重量で体重の0.1%前後と他の2種の場合と比べ極端に少なかった。また、本種では胃内容物の消化度に終日変化が見られず、終日散発的に餌を捕食していることを明らかにした。トドハダカの日間摂餌量は湿重量で体重の約5%、夜間表層に浮上するコヒレハダカで1.4%、セッキハダカで0.2%と見積もられた。さらに優占3種の胃内容物を種レベルで解析することにより、食性の季節変化と成長に伴う変化を明らかにし、それが餌となる各種動物プランクトンの現場での鉛直分布や生物量の季節変化と密接に関係していることを示した。また優占3種の魚体長と餌との関係を検討し、餌生物の組成およびサイズは魚体の成長と共に変化することを明らかにした。

 第5章では、優占した3種の雌の生殖腺重量指数と体長の関係から、トドハダカは標準体長55mm以上、コヒレハダカでは60mm以上、セッキハダカでは90mm以上の雌個体が再生産に関与すると推定した。また、トドハダカの産卵期は5-8月、コヒレハダカでは1-4月、セッキハダカでは10月前後であることを明らかにしている。さらにこれら3種の1回当たりの産卵数は、トドハダカで2100-6100個、コヒレハダカで1300-5800個、セッキハダカで3000-4400個であり、1回当たりの産卵数(F)と標準体長(L)との関係は、

 115274f04.gif

 で表され、一回当たりの産卵数は体長と共に直線的に増加することを明らかにした。

 以上本論文は、西部北太平洋亜寒帯城、移行域に1億トンオーダーの生物量をもち、一方では多獲性小型浮魚類および大型魚の幼稚魚の餌を巡る競合者として、他方では大型有用水族の主餌料として重要な位置を占めるハダカイワシ科魚類の日周鉛直移動様式、摂餌生態、産卵生態の概要を明らかにしたものである。これらの結果は、当研究海域の生態系モデルの中で、ブラックボックスとなっていた重要な部分を埋めるものであり、亜寒帯外洋生態系の理解を深めるとともに当該海域の資源管理モデルの精度を著しく高めるものと期待できる。よってこれらの成果は学術上、応用上十分価値のあるものと認め、審査委員一同は申請者が博士(農学)に値するものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク